216.高級温熱座卓見学
仕事で情報と準備が大事なことは、ダリヤもよく知っている。
準備をできる限りし、あらかじめ覚悟を決めれば、多少のことは落ち着いて対応できるということも多い。
しかし、何事にも例外と限度というものはある。
本日、家具職人――主にテーブルや座卓を作っている職人十数名と、商業ギルドの会議室で顔合わせをした。
商会員の他、ガブリエラとフェルモも一緒に立ち会ってくれた為、それほど緊張せずに済んだ。
冬前に急な大量発注で忙しくしてしまうことを詫び、身体を壊すような無理な作業だけはしないでほしいと伝えた。
年代的に父の同世代が多く、どうしても言わずにはいられなかったのだ。
皆、笑顔で挨拶を受けてくれたが、一貫して『ロセッティ会長様』と呼ぶのだけはやめてほしかった。
その後、ガブリエラから昼食に誘われた。
上の階についていくと、上機嫌のジェッダ夫妻から、二台の温熱座卓を自慢げに見せられた。
確かにギルド長・副ギルド長の執務室に置く温熱座卓だ、高級感は必要だろう。
しかし、ぬめりを感じるほど艶やかな黒檀の温熱座卓、その設置状況を見た瞬間、くらりときた。
尻尾一本で高級コートが買えるという銀狐と深紅狐の毛皮が、二台の座卓それぞれ、たっぷり長い上掛けになっていた。
昼食も緊張した。
黒檀の座卓だけでも超高級品だというのに、天板には画家による精巧なバラが描かれ、その上に、サンドイッチのランチセットが載る。
深紅狐の上掛けに少しでもこぼしたら、天板に傷をつけたらと思うと、味わえたものではなかった。
よろよろとロセッティ商会の部屋に戻ってくると、イヴァーノがフォルトからの手紙を渡してきた。
服飾ギルドの温熱座卓は、上掛けは魔蚕の二重織に総刺繍、上掛けの中身は首長大鳥のたっぷりの羽毛だそうだ。
『天板は水晶の一枚板ですので、刺繍がよく映えます』の一行を二度見した。
二枚目に、ルチアと思われる筆跡で「すっごくきれいにできたから、とにかく見に来て!」とあった。
署名もなしに踊りまくった字に、乾いた笑いしか出ない。
「どちらも、とても高そうですね……」
行儀が悪いが正直に言ってしまう。どちらも怖すぎて値段を聞きたくないほどだ。
イヴァーノは苦笑しつつ答えた。
「仕方がないですよ。ギルドの威信をかけたようなものですから。でも、高級感と言えば、オズヴァルド先生も負けてませんでしたよ」
「はい?」
「昨日行ったら、王族に納める温熱座卓の仕様が決まったとおっしゃっていました。上掛けは白熊の毛皮でたっぷりとしたフレアー、座卓は東ノ国の漆塗りに、螺鈿という虹のような細工を入れた丸い天板を準備中だとか。他の貴族からも王族と同じ物ということで引き合いがあるそうですが、早くて一年待ちだって話でした」
「白熊に、螺鈿……」
王族に納めると聞こえた部分は、とりあえず無視する。
確か、前世のホッキョクグマは絶滅危惧種だったが、今世の白熊も国内にはいない。
かなり遠い北の地で、獲りに行くのも命がけだと聞いたことがあるのだが、記憶違いだろうか。
そして、黒い漆塗り表面、青めいた虹の光を瞬かせる螺鈿細工を想像したが、どうしてもコタツの天板イメージと一致しない。
「……確かに高級そうですね」
「東ノ国の家具は見る機会が少ないので、楽しみですね」
実物の見たさは、むしろ駆け足で逃げていっている気がする。
だが、イヴァーノのいい笑顔に口にできなかった。
「会長、副会長、一般向けセットが上がってきましたー!」
ドアをどうにか開けたメーナが、座卓と上掛けなど一式をまとめて運んできた。
一般向けのコンパクトな温熱座卓セットだ。二人用の大きさで、一切の無駄がない。
一度床に置くと、そのまま部屋の隅に温熱座卓を組み立て始める。
厚手の羊毛の敷物、杉の脚に一枚物では高いからと貼り合わせた天板が載る。
上掛け下敷きも羊毛の厚地で、羊らしいもこもことした質感があった。
素朴な質感と、茶とアイボリーの優しい色合いが目にしみる。ほのかに漂う木の香りに、心安らぐ気がした。
これぞコタツ!――いや、庶民の冬、くつろぎの友となる、魔導具『温熱座卓』である。
「会長、これ、庶民向けのセットの値段表です。あ、仕入価格も工賃も無理はさせていませんよ」
「これなら、きっと買える人が多いと思います」
渡された羊皮紙、思わぬ低価格に驚いてイヴァーノを見ると、にっこりと微笑まれた。
「お褒め頂けますか、会長?」
悪戯っぽいその言葉に、思いきりうなずく。
「本当にすごいです、イヴァーノ! 私、この倍以上は言われるかと思っていました。材料費や工賃を考えても、最低でも一・五倍にはなるだろうって。これで冬に暖かく過ごせる人が増えると思います。仕入れ先にも職人さんにも負担がいかなくてこの値段っていうのは、イヴァーノがとてもよく調整してくれたからですね。難しい希望を聞いてもらってありがとうございます」
「……大変、ありがたいお言葉です」
興奮して答えてしまったが、ふと見れば、イヴァーノが手で目元を押さえている。頬の上部は隠れているが、耳の赤さは隠しようがない。
そういえば、彼は奥様と『照れた顔を他の女性に見せない』という約束があると聞いている。
ダリヤは慌てて続けた。
「えっと、今日は午後から空きますので、フォルト様にご挨拶ですよね! 服飾ギルドへ行く前にお化粧を直して来ます!」
ダリヤが部屋を出て行くと、メーナは椅子に座り、テーブル上の手紙を手にする。
イヴァーノがすでに確認した手紙に、定型文の礼状を書く為だ。
彼はペンを持つと、視線を白い便箋に向けたままで尋ねる。
「イヴァーノさん、さっきの会長に少しはくらっとしました?」
「いいえ、まったく。予想以上のお褒めの言葉は、部下として大変うれしいですが」
すでにその頬に赤みはない。紺藍の目がメーナに向き、少しだけ細められる。
「そういうメーナも、うちの会長には胸の痛みじゃなく、胃の痛みを感じるようになったんじゃないですか?」
メーナは派手に吹き出した後、口を閉じてペンを滑らせ始めた。
・・・・・・・
服飾ギルドに到着すると、ルチアが案内役として迎えてくれた。
ルチアのせいか、誰も声をかけてはこないが、視線に追われるのがわかる。
「ダリヤー、イヴァーノさん、こっちこっち!」
上機嫌で階段を上るルチアが向かったのは、二階の会議室だ。
中では多くの縫い子達が、上掛けの端部分や、揃いのクッションに刺繍をしている最中だった。
「見て、きれいでしょ! まだ縫い針があるから、フォルト様の執務室には運べないんだけど」
温熱座卓の上には、一枚水晶を黒曜石で囲んだ天板が置かれている。
その下、夜を連想させる濃紺の絹の上、月の女神と無数の星を飾る刺繍が見える。まるで美麗な絵画を思わせる出来だった。
「すごくきれいです……」
「素晴らしいですね……」
イヴァーノと共に、ため息混じりの感想をもらしてしまう。
素材といい、凝った刺繍といい、完全に芸術品である。
「でしょう! 刺繍担当の縫い子さん達、腕がすっごくいいのよ!」
完全に家族を自慢する表情のルチアに、縫い子達が作業を続けつつも笑っている。
ルチアは服飾ギルドにもすっかり馴染んでいるようだ。
「ようこそ、ダリヤ嬢、イヴァーノ」
続いて入って来たのは、服飾ギルド長のフォルトである。
作業途中だったのか、左手に巻き尺をぐるぐると巻き付けたままだ。
「当ギルドの温熱座卓もなかなかでしょう?」
「はい、素晴らしいと思います」
商業ギルドと服飾ギルド、どちらの温熱座卓も大変高級感あふれる出来映えだ。
「服飾魔導工房の温熱卓はまだなのよね。希望している薄青がなかなか出なくて……世界樹の葉が一番きれいな天色なんだけど、発注しても粉がなかなかないのよね」
「世界樹の葉……」
確か貴重な素材だったはずだが、同名別種のものが服飾関連で別にあるのだろう、そう思いたい。
そういえば、世界樹の葉を細かく砕いて作ったというアイシャドウは、確かにきれいな天色だった。
先日、化粧品店で見せてもらったときは、少量でもなかなかのお値段だった。染色に使うとしたらいくらになるのか、見当もつかない。
「テーブルの分、上掛けが長いから、刺繍も時間がかかるし。あと、角兎ももっと要るから、冒険者ギルドに頼んでいるの」
草原にいることが多く、時折、村の畑を狙う角兎は、肉がハムに適している。この為、冬前、保存食用準備として獲られやすい。
だが、この冬は服飾ギルド向けにも狙われそうだ。
「イヴァーノ、一般向けセットの初期納品数で確認したいことがありまして」
「私もありまして。倉庫の件なんですけど、もう少しだけお願いできればと……」
倉庫に関してはロセッティ商会ではどうしようもない。商業ギルドと服飾ギルドに頼ることになる。
作った物をすぐ納品できればいいのだが、温熱座卓セットとして売る場合、どうしても一時置き場が必要になる。
「書類を持ってこさせるより、一階で現状の製品上がり数と、管理倉庫表を見た方が早いですね。近くの倉庫は一昨日から羊毛織をつめていますので、空きが危なそうです」
「お手数をおかけします」
「ルチアとダリヤ嬢は客室へどうぞ。私達も確認次第、そちらに参りますので」
フォルトの言葉に、二手に分かれて移動することにした。