212.服飾ギルド長の温熱座卓
「服飾ギルド長、服飾魔導工房長、お忙しいところ失礼します。ロセッティ商会のイヴァーノ・メルカダンテです。新魔導具のご紹介に参りましたー!」
肩に毛布をかつぎ、声高くドアをくぐる。
ここは服飾ギルドではなく、服飾魔導工房、二階の会議室である。
ルチアが工房長を務めるここは、まだ建てて数ヶ月、部屋の調度も新品ばかりだ。漂う木の香りもまだ若い。
「ようこそ、イヴァーノ。しっかり二時間空けましたよ」
「こんにちは、イヴァーノさん。今度はダリヤ、何作りました?」
興味津々、そろってこちらを見るのは、フォルトとルチアだ。
商業ギルドに行く前に先触れを出しておいて正解だった。そろって時間をとってもらえたらしい。
「お時間をありがとうございます。ご説明にこちらの場所をお借りしますね」
イヴァーノの後ろ、温熱座卓と温熱卓、敷物をマルチェラとメーナが運んできた。
ダリヤが試作を急いでくれたので大変に助かった。
仕上がったばかりのそれを床の上に組み立てると、彼らはすぐ会釈をして出て行く。ここからまた買い付けへ行く為である。
「こちらが『温熱座卓』、テーブルの方が『温熱卓』と言います」
イヴァーノは先にフォルトとルチアを温熱卓の椅子に座らせ、簡単な説明をした。
「なるほど、布で区切った空間を温風で暖めるわけですか。これは無駄がない」
「流石、ダリヤだわ。これなら魔石も少なめで済むし、暖炉や魔石ストーブより安全ね」
二人が仕組みについてほぼ納得したのを確認すると、温熱卓から温熱座卓へと移る。
そして、持ってきたバスケットから籠を取り出し、薄皮オレンジを盛った。
服飾魔導工房の事務員にお願いした緑茶が届くと、二人に試してもらうよう勧める。
「薄皮オレンジと緑茶……珍しい組み合わせですね」
「うちの会長のお勧めです。できましたらこのまま、まずお試しください」
怪訝そうな顔をしつつも、二人が素直に手を伸ばしたので、話を続ける。
「こちらを貴族向け高級品、一般向け、お店向けとして広げていきたいと思っています」
「貴族の服を考えると温熱卓の方は出入りがしやすいですね。お店も温熱卓でしょう」
「女性が部屋でくつろぐなら温熱座卓かも。冬は足下は冷えやすいですから」
「こちらの温熱座卓は爪先から温まるのがいいですね。冷え性の方や高齢の方に喜ばれそうです。ただ、私は床にこうして座り続けているのは慣れないので、疲れそうな気がしますが」
フォルトは床に寝転がるという発想がなさそうだ。
実際、この姿勢も慣れてはいないのだろう。膝までしか入っておらず、背に緩みはない。
「足が温まってもお肌が乾かないから、女性に喜ばれそう。でも、温熱座卓は、スカートが皺になっちゃいそう……」
横座りで丁寧にスカートの裾を伸ばしているルチアは流石、服飾師である。
「これはきっと流行るでしょうね。掛け物もカバーも大量にいりそうです」
「冬近いから、もうちょっと早くダリヤに開発してほしかったけど仕方ないわ。微風布と重なってたら死人が出てそうだし」
「まったくです」
ルチアの言葉をフォルトが一切否定しないので、笑おうとして笑えなくなった。
「ところで、イヴァーノ。商業ギルドの方では本体だけで、布関連はすべてこちらに回して頂けるのでしょうか?」
「そのつもりですが、商業ギルドでジェッダご夫妻が上掛けを毛皮で作る話はしてました。執務室に置くとのことで……」
「イヴァーノ、なぜ、その場に同時に呼んでくれなかったのですか? 毛皮ならうちの方が扱えるというのに、しかも利幅の大きいものを……」
フォルトがなんとも恨みがましい目を向けてきた。
まことにもってその通りだが、まさかレオーネが毛皮を指定するとは思わなかったのだ。
「すみません。でも、うちは商業ギルドの登録商会ですから。ただ、商業ギルドでは毛皮に関して一気に手は回せないと思いますよ。直接の卸しはそうないので。とりあえず早めに確保しておいてはいかがでしょう?」
「イヴァーノさん、商業ギルドで飾る温熱座卓って、毛皮は何を使う予定ですか?」
「ジェッダご夫妻は、銀狐か、深紅狐とおっしゃっていました」
「銀狐と深紅狐……」
そこだけを復唱したフォルトが、深くため息をつく。
「まさに高位貴族用ですね。その辺りを使うとなると、こちらも冒険者ギルドに行ってちょっといろいろとお願いしてこないと……」
「フォルト様、赤熊の毛皮は火に強いってダリヤが言ってました。あとは一角獣と二角獣の毛皮なんかも光沢が綺麗なので使えるといいですね。あとは魔物じゃなくて、熊と狐と貂と兎と……」
その場でさらさらとスケッチブックに書き始めたルチア。その余白にフォルトも自分のペンで書き込む。
イヴァーノにはわからぬ毛皮の一覧表がすぐにできあがった。
「あとは布と中身ですね」
「フォルト様、中の綿に耐火魔法を付けます?」
「ええ、それが安全でしょう。それを丈夫な麻と綿の混合で包みましょうか。カバーは一般向けに羊毛織、その上級のラインで光沢ありの羊毛織、次が魔羊ですかね」
「カバーの上側だけ、天板の当たらないところだけいい素材にして、他は無地にしたら、価格は下げられますよね」
「それはいいですね。あとは色と柄を多く準備する必要がありますね、織物工房に招集をかけましょう。あとは早めに冒険者ギルドに行ってきます。ああ、先触れを出しておかないと……」
その場で従者に指示を出し、ついで毛皮の一覧を書き写させる。
そうしている中、温熱座卓の仕様書を見ていたルチアがフォルトに向いた。
「フォルト様! カバーに刺繍入りも作りたいです!」
「そうですね、刺繍工房にも声をかけなくては……」
「あ! カバーはリバーシブルもいいですよね。表と裏、両方で使えるようにしておけば、汚れてもひっくり返せます。色が違えば気分も変えられますし」
「汚れが気になるなら、一番上を防水布にするのも作りましょうか」
「それなら柄付きレインコートと同じ素材がいいです! 防水布そのままより防水効果は少し落ちますけど、色柄自由です!」
ダリヤの友人はダリヤに似るのか。いや、似ているから友人なのか。
ルチアの弾みまくった声を聞きながら、イヴァーノは緑茶を飲みきる。
「ところでイヴァーノ、商業ギルドの執務室に置くと伺いましたが、銀狐か深紅狐の上掛けで、他は? あと、温熱座卓の素材は何かは聞いていませんか?」
「それ、興味あります! できればかぶらないようにして、服飾ギルドとこの工房に見本を置きたいので!」
二人に尋ねられて納得する。確かに売り込みには実物が一番早い。
服飾ギルドとしては、カバーのデザインと材質で商業ギルドとの差別化を図りたいだろう。
「下敷きは魔羊で、座卓は黒檀の予定です。天板に絵を描く話もしています」
「……わかりました」
ああ、まずい、フォルトの声が一気に冷えた。
座卓そのものに関しては、商業ギルドの方が高級家具が手に入りやすい。
ジェッダ子爵は国外の販路を持つ。黒檀はおそらく超一級品だ。フォルトはその部分ではかなうまい。
「商業ギルドが黒檀と高級毛皮を準備するのならば、服飾ギルドでは魔蚕の二重織をふんだんに使い、稀少毛皮を組み合わせましょう!」
「フォルト様、それがいいと思います! 魔蚕の布は、金糸、銀糸、魔物糸をふんだんに使って総刺繍仕上げ、外周はふわふわに角兎の毛皮を付けるのはどうですか?」
「いいですね! 敷物とクッションも外側はそろえ、中身をいっそ首長大鳥の羽毛に……!」
「最高です!」
「……フォルト様、ルチアさん、それ、おいくらになるんですか……?」
思わず、一庶民として声が出た。
魔蚕の二重織は、スーツ一着で馬が買える値段だったはずだ。
あと、首長大鳥の羽毛はどこから出てきたのだ。そんなに簡単に獲れるものなのか。
「イヴァーノ、服飾ギルドとして、負けられない戦いというものがあるのですよ……」
「そうよ、イヴァーノさん、座卓そのものはともかく、布物で負けたら服飾師の名が泣くわ!」
忘れていた。
このフォルトもルチアも、役目云々の前に、服飾師という職人だった。
「貴族の婚礼家具職人には伝手があります。あとは、宝飾職人を呼びましょう」
「は?」
思わずフォルトの顔を見れば、青い目が妙に澄んでいる。
戦いに行く前の騎士の目を見た気がして、イヴァーノはその隣に視線を投げる。
ルチアはテーブルに飛んだ薄皮オレンジの汁を、布で拭いていた。
「……そうだわ! フォルト様、水晶で天板はどうですか?!」
「水晶天板! その手がありましたか!」
「水晶天板?」
ついオウム返しに尋ねてしまった。聞いたことがないものだ。
「天板を一枚水晶で作ったら、下のカバーが透けて見えるじゃないですか。そこに総刺繍をするんです。それならきれいに見えるし、天板に絵を描くより服飾ギルドらしいでしょう?」
「その水晶天板は宝飾職人に任せましょう。枠飾りを増やしてもいいですね」
「……あの、天板にできる一枚水晶というのは、おいくらぐらいで……?」
思わず、一商人として声が出た。
そんな大きな水晶で透明度の高いものは、入手がなかなか難しいはずだ。
「大丈夫です、必要経費です」
服飾ギルド長は、整えきった笑顔で答えてくれた。
この冬、商業ギルドと並び、服飾ギルドの温熱座卓、温熱卓も、高級品として名を馳せることになる。
服飾ギルド長執務室の温熱座卓は、透き通った水晶を黒曜石で囲んだ天板。上掛けは艶やかな濃紺の魔蚕の二重織、その上に金糸と銀糸、魔物糸による総刺繍で、月の女神と夜空が描かれていた。
特に、縫われた月の女神の美しさは、温熱座卓に入った者が離れがたくなるほどであったらしい。
服飾魔導工房にある温熱卓は、水晶天板に上掛けは魔蚕を艶やかに織った薄青―― 一説によると世界樹の葉で染めたとも言われるが、そこまで稀少なものを大量に使うとは考えづらい――その上に、色とりどりの魔物糸で刺繍されたのは、純白の一角獣を膝に眠らせる美しき乙女。
そして、長く伸びる四方の布を彩るのは、深い森の景色。外周は純白の角兎でふわふわと縁飾りがなされていた。
光の当たり具合によって変わる布と糸の輝き、刺繍の見事さ、厚手の魔蚕のしっとりとした手触り――見た者、触れた者は、魂を奪われるがごとく、温熱座卓、温熱卓を買い求めたという。
なお、間もなく、温熱卓は足の交換によって高さ調整ができ、温熱座卓にもできる形となる。
くつろぎの時間、温熱卓を温熱座卓に切り替え、上掛けの絵や模様を床に大きく広げて楽しむ――それが貴族の優雅な楽しみとされるのは、この冬の半ばからである。