208.一角獣のペンダントと赤い靴
塔の作業場、ダリヤは美しい純白の角を手にしていた。
ジャンの持ってきた一角獣のものだ。
象牙のような質感だが、持ってみるとそれよりもずしりと重い。
角からこぼれる魔力は、ほのかに温かく、冷えた指先を温めてくれた。
ついさきほどまで、水晶のグラスの中、海蟲の粉に魔力を入れる練習をしていた。
三分間、魔力を均等に入れて付与するだけだというのに、昨日までの練習では数十回の失敗。
きれいな青い砂はどろどろとした粘体になり、それを洗い落とすのに毎回苦労した。
そして今日、ようやく付与した海蟲のグラス二つは、まだ作業台の上にある。
とろりとした青に、ところどころに金の粒が光り、なかなかに美しい。
時間をおいても分離しないところを見ると、成功と言っていいだろう。
ダリヤはそう判断し、ようやく一角獣の角を手にとったところだった。
ジャンの妻の悪阻対策のペンダントを作る際は、なるべく魔力を落ち着かせて作りたい――そう思っていたが、海蟲の付与ができるくらいに安定するには、思いの外、時間がかかってしまった。
できれば今日中には仕上げたいところだ。
一角獣の角は薄く巻きが入っており、ソリも少しある。
魔封箱の一本ずつの形が違い、色も純白から象牙色、そして金や銀の反射光と微妙に違う。
手にしているのは一番状態のいい純白の角で、根元は三センチちょっとある。
そこを魔道具の糸鋸で一センチほどの厚さに切り、楕円に仕上げていった。
表面に頼まれた鈴蘭の絵を刻みつつ、ふと思い出す。
ジャンは『プロポーズのときに渡したのが、その花だった』と言っていた。
母の形見の鏡台も、鈴蘭の模様がある。
もしかして、父が母にプロポーズしたときも鈴蘭を渡したのだろうか。
「……別に知らなくてもいいことよね」
頭を振って切り替えると、無心で鈴蘭の花を刻み続ける。立体感のある彫り込みに仕上げると、磨き粉をかけ、全体を丁寧に拭いた。
純白のペンダントトップができると、掌にのせ、リボン状の虹色の魔力で丁寧に包んでいく。
魔力が十になり、ようやく一角獣の角にも付与できるようになった。
付与しているのは硬質強化だ。これでよほどのことがなければ壊れないだろう。
もっとも、一角獣自体がそれなりに硬質な素材なので、行き過ぎた対策かもしれないが。
付与を終えると、小さいが輝きの強い日長石に金属の輪を通す。
こちらは貴石を扱う店で、ジャンの樺色の目に近いものをとことん探した。
悩みすぎた為か、『ご婚約用ですか?』と笑顔の店員に聞かれ、全力で否定した。
幸い、色味の近い美しい日長石が見つかったが、しばらくあの店へ行くのは避けたいところである。
金の細い鎖にペンダントトップと日長石を通し、そっと箱に入れる。
純白のペンダントトップは、光の具合で日長石のオレンジを反射させ、なかなかに美しかった。
ペンダントは仕上がったが、本日の魔力と時間には少し余裕がある。
ちょうど道具がそろっているので、イレネオからもらった一角獣の角を出してきた。少し金色を帯びた、純白の角だ。
イルマの腕輪で三分の二ほど使ったが、残っている部分で自分のペンダントは作れそうだ。
最近、書類を書く機会が増えたので、肩こり防止に作っておくことにした。
こちらは三センチの円形に切り、長めの銀鎖を通すことにする。
「痛みを止めるのに、岩山蛇の牙はどうかしら……」
灰色の牙を魔封箱から取り出し、魔力を確認する。
指に静電気のようにちくりとくる、独特な魔力だ。
岩山蛇の牙は、痛みの感覚を一定時間麻痺させてくれるという効能がある。
魔物討伐部隊では、戦いの前の痛み防止として、岩山蛇の内臓を粉にしたものを飲むことがあるという。それなりに効き目がいいらしい。
前世のように手術があれば、痛み止めとして使われていたかもしれない。
だが、今世では治癒魔法やポーションが発達しているので出番は少なそうだ。
治癒魔法がいらない程度の頭痛や腹痛を乗りきるのには便利だが、それならば薬もあるし、なにより価格的に合わない。
そんな少しお高い岩山蛇の牙を、魔物討伐部隊からあっさりもらってしまった。
お返しを懸命に考えていると、『進路妨害をしたからグリゼルダ副隊長が一人で倒した』と説明され、遠い目になった。
魔物討伐部隊といい、ジャン夫妻といい、魔物にとってはなんとも理不尽な存在に違いない。
「……怪我はしないようにしているけど、念の為、あった方がいいわよね」
一人で魔導具師の仕事をするようになり、気になることのひとつが怪我だ。
慌てずポーションで処置するか、神殿に行く為に馬場まで移動できればいいが、痛みで動けなくなる可能性もある。痛みが止まれば、対処の幅も拡がるだろう。
通常は一角獣の効果のみとし、岩山蛇の牙は非常時だけ起動できるよう、表裏二枚でペンダントを作ることにした。
灰色の牙は一角獣よりもかなり固い。糸鋸だけでは無理で、魔力を込めながらカットし、整形する。
二つは固定せず、重ねておくことにした。幸い、魔力のぶつかり合いはなかった。
こうして、表が岩山蛇の牙、裏が一角獣の角という、なかなかに珍しいペンダントのできあがりである。
悩むのは、表面の模様だ。
自分の名から連想し、ダリアの花も考えたが、なんとなく気がのらない。
昔、イルマと子爵以上だと家の紋章があるという世間話をしていて、『ダリヤの紋章ならスライムよね!』と言われたが、それこそ彫りたくはない。
悩んだ末、お守り代わりに犬を彫ることにした。
岩山蛇の牙の上、番犬にいいという夜犬をシルエットで入れてみる。なかなかにかっこよく仕上がった。
女性向けから一気にイメージが離れたが、鎖を長くし、見えない位置にするつもりなので問題はないはずだ。
鎖の長さ調整をしていると、門のベルが鳴った。
外で待っていたのは配達の馬車である。届けられたのは、ルチアと共に回った店の洋服だった。
枚数はそう多くないが、今までで一番冬服にお金をかけた気がする。
あのとき、同級生だった男性店員に勧められた赤みの強い茶のコートも入っていた。
新しい洋服はすべて三階に運び、洋服ダンスに吊るした。
靴は厚い紙箱から出し、玄関横の靴棚に入れることにする。
が、靴を取り出すと、どうにも気になって、試し履きをすることにした。
あの日、ランドルフとのお茶会の後、馬場に向かう途中、ショーウィンドウ前で足が止まった。
飾られていたのは、自分の髪と同じ色のハイヒールだ。
靴の後ろにリボンのついたそれは、今世では少し珍しいデザインだった。
赤い靴など絶対に履かないだろう、そう思っていたのに、かわいさと質感が一目で気に入った。
踵が高すぎる、赤だと持っている服と合わせるのが大変そう、そんな思いもあったが振りきった。
自分の好きなものは好きでいいと思う、そうランドルフに言ったのは自分である。
ダリヤは初めて靴の衝動買いをした。
こうして手にしてみても、やはり好きなデザインだ。
が、やわらかな革を撫でながら、踵の高さを確認してちょっとだけ眉が寄る。
今世、初めての七センチハイヒールである。
ルチアは平気で十センチも履きこなすが、ダリヤにはこれでもかなり高い。
踵の高い靴は少しずつ慣れないとうまく歩けない、慣らしておかないとひどい靴擦れになる。好きな靴でもそれは避けたいので、今日からちょっとずつ慣らし履きをすることにした。
「わぁ……」
靴を履き替えて立つと、視界が高くなったのがよくわかる。
一段上の棚に、踏み台なしでぎりぎり手が届きそうだ。ちょっと便利かもしれない。
ゆっくり歩いてみたが、靴屋での調整のおかげか、痛みもなく、歩きやすかった。
しかし、階段は五段上って、そろりそろりと下りてきた。
安全に階段を上がり下がりするには、練習が必要そうだ。
そろそろ元の靴に履き替えようとしたとき、塔のドアベルが鳴った。
ダリヤはそのままドアを開ける。
「ヴォルフ?」
「急でごめん。遠征が一日早く終わったから、これだけ届けようと思って」
彼が手にしているのは、氷の詰まった袋である。氷の中央に塊の肉があった。
「それ、お肉ですか?」
「ああ、首長大鳥のモモ。ちょっと固いけど味はいい。焼いてもスープでも……あれ、ダリヤ?」
ヴォルフが不思議そうに自分を見た。自分から見る彼も少し違う。
そこでようやくハイヒールのせいで、視線がいつもより近いのだと気づいた。
ヴォルフはかなり背が高い。
いつも見上げていたその顔が高さを変えるのは、ちょっとだけ不思議だ。
「えっと、新しい靴を買いまして、試し履きをしていました。いつもより踵が高いんです」
説明してから、前の靴を置いている椅子に向かって歩く。
ヴォルフの手前、おかしな歩き方にならぬよう必死である。そして、意地でも気づかれたくない。
「きれいな赤い靴だね。ダリヤにとてもよく似合ってる」
ヴォルフに褒められた瞬間、『私には派手ではないですか?』そう言いそうになって止めた。
自分が気に入って買ったものだ。似合うと言われたなら、これからは素直に喜ぼう。
「ありがとうございます」
振り返り、精一杯の笑みでダリヤは応えた。