197.魔導具師の授業~海蟲の付与
小さな水晶のグラスにさらさらとした青い砂が半分ほど入っている。
テーブルの上、砂は時折きらりと陽光を反射させる。水晶のグラス自体も、美しい虹色の影を落としていた。
しかし、そんな美しさを堪能することは一切なく、ダリヤは額に汗をかいていた。
横では、真剣な顔をしつつ、低く唸っている銀髪の少年がいる。
二人とも髪をひとつ結びに、作業着姿で机に向かっていた。
ここはオズヴァルドの作業場だ。
今日は魔導具師の授業の日。ラウルと共に魔力制御の講義の後、実技となった。
水晶のグラスの中身は、海蟲の外皮を細かくしたものだ。
盾や鎧の硬質強化、鞄やマントの強度上げなどに使われ、水魔法への耐性も上がる、なかなか便利な素材である。
青い砂にしか見えず、ところどころ金色の粒が交じって、なかなかきれいだ。
これならば、ガラス瓶に入れて飾っておいてもいい気がする。
材料が海蟲と聞いたら、イルマあたりが叫びそうな気もするが。
「グラスの海蟲に三分間、魔力を均等に入れて付与します。魔力に方向性を持たせて、時計回りにかき混ぜ、液体にしてください」
オズヴァルドはそう説明しつつ、あっさり作業をして見せたので油断した。
魔力が足りないと砂は回転しない。わずかに表面が揺れるだけだ。
魔力を入れすぎるとグラスから砂が飛び出しそうになる。
ようやく回せたと思えば、魔力の強弱できれいに混ざらない。ダマになってしまって、やり直しである。
オズヴァルドは『安定した魔力を入れればいいだけです』と笑顔で言うが、それができたら苦労はしない。
結果、彼の息子のラウルと共に、試行錯誤をしているのが今である。
「あう……」
小さく声を上げた少年が、がっくりと肩を落とした。
その手元、砂の三分の一ほどが、グラスから飛び出し、机に飛散している。これで二度目である。
きれいに混ざっていたのにもったいない、そう思いつつ自分のグラスを見れば、ところどころ固形物の残る、紺色の粘体ができあがっていた。こちらも二度続けての失敗である。
二人の目の前には、オズヴァルドの作った見本がある。
青くとろりとした液体で、光の反射によって金色に光る。砂状になることもなければ、わずかな固まりも見えない。
ラウルが再挑戦の為、海蟲の粉をグラスにだばりと足す。
くーっと小さな唸り声が響き、肩にとても力が入っているのがわかる。
がんばっているのはよくわかるが、気負いすぎているのが心配になった。
「ラウルエーレ、力んでも付与はうまくいきませんよ。ダリヤもお疲れでしょう。一度休憩しましょう」
向かいに座っていたオズヴァルドが微笑み、作業を止めた。
どうやら自分も、疲労感が顔に出ていたらしい。
「父上、この付与に何かコツはありますか?」
「落ち着いて、魔力を安定させることです。あとは慣れですね」
ダリヤも聞きたいことだったが、近道はないらしい。
隣の部屋に紅茶を頼みに行く背中に、ラウルがぼそりと言う。
「それはコツとは言わないと思います……」
「ラウル……」
つい、口元がゆるんでしまったが、同じ思いだった。
聞かれたのが恥ずかしかったらしい、少年はあわてて話題を変える。
「ダリヤ先輩、魔力がいくつか伺ってもいいですか? あ、僕は十です」
「かまいませんよ。私も十です」
「先月、上がったばかりなので、まだ落ち着かなくて……」
「私も上がってまだ慣れていません。一定にしようとしても難しいですよね」
ラウルとは、数値も最近魔力が上がったのも一緒だった。
一ヶ月では、まだ魔力が作業感覚に馴染まないだろう。唸りたくなるのもよくわかった。
「同じ海蟲なのに、どうしてこんなに違うんでしょうか? 学院の授業では、付与で困ったことはないのですが……」
ラウルが恨めしげにオズヴァルドの付与したグラスを見る。
三人とも同じ魔封箱にあった粉を使っているのだ。材料に差はない。
「やっぱり魔導具師としての腕だと思います。オズヴァルド先生の付与は安定していて確実なので」
イルマの腕輪を制作するとき、技術力、腕の差をまざまざと見せつけられた。
そして、感動すると同時に自分の未熟さを痛感した。
一人前の魔導具師になるのに、近道はないのだ。
ただひたすらに知識を学び、実践していくしかないだろう。
「まだ始めたばかりですから。ゆっくりがんばりましょう」
「はい。ついあせってしまいました……がんばります!」
自分が父カルロの背中を目指すように、この少年も父に追い着こうと必死なのだろう。
こちらを見る真摯な銀の目に、ダリヤは心から微笑んだ。
・・・・・・・
紅茶の準備ができたと呼ばれ、隣室に移った。
今日一緒に来たマルチェラは、ここでエルメリンダから礼儀作法を教わっている。
マルチェラは、紅茶にいつもはいれぬ砂糖を二つ入れ、音が出ないように慎重にかき混ぜていた。ちょっと顔が怖い。
部屋に入ってきた自分とラウルに、エルメリンダは楽しげに笑いかける。
「ロセッティ会長、腕のある護衛の方がついてよかったですね」
「ありがとうございます」
元上級冒険者であるエルメリンダだ。マルチェラの強さがわかるのかもしれない。
「お褒めにあずかり、光栄です……」
慣れぬせいか、やはり固いマルチェラだった。
その向かいでは、オズヴァルドが優雅に紅茶のカップを持ち上げている。
そこへ、ノックの音が響いた。
「失礼致します。オズヴァルド様、ご確認をお願い致します」
部屋に入ってきた従僕から書類を受け取ると、オズヴァルドは素早く目を通す。
「今回のオークションは、特に希望するものがありませんね。不参加とお答えしてください」
どうやら、書類はオークションの案内だったらしい。
返された書類を受け取ると、従僕は会釈をして出て行った。
「父上、お探しのものがあるのですか?」
「ええ、炎龍の鱗が出ていないかと思いまして」
「あの、それは……」
「魔法付与の炎性定着の指輪を作る為ですが、炎龍がオークションに出なければ、火山魚でも作れますので、問題ありませんよ」
尋ねかけたダリヤに、オズヴァルドは先手を打つように言う。
ダリヤの持つ素材の中には、炎龍の鱗がある。しかし、あれはヨナスのくれたものだ。確認をとらないうちにオズヴァルドに渡すのはだめだろう。
次にヴォルフに会ったときに聞くことにした。
しかし、火山魚もなかなか見ない魔物、そして素材だ。
対火魔法の素材として、大変優れると聞くが、この国には火山魚のいる火山はない。
その為、他国からの輸入でしか入手できないのだ。
「父上は、火山魚と炎龍を、実際に見たことはありますか?」
「炎龍はありませんね。火山魚は生け捕りにしたものを見たことはありますが、火山で見たことはありません」
「いつか両方とも、本物を見てみたいです」
目をきらきらさせて言うラウルが微笑ましい。
しかし、個人的には、炎龍の牙や爪、心臓や骨、素材としてはぜひ見たいが、本体との直接対峙は避けたい。ブレスを吐かれたら灰も残らなそうだ。
火山魚がいる火山に行くのも、かなり大変そうである。
「炎龍は魔力が強いので、遭うと動けなくなるかもしれません。火山魚は熱い湯の中を泳ぎますので、近づくだけでも大変ですよ」
「エルメリンダ様はご覧になったことがあるのですね!」
目を丸くしたラウルが食いついた。急いで置いたせいで、カップの紅茶がはねる。
「炎龍はやっぱり大きいですか? 動けなくなるのは威圧のせいですか? 火山魚はどうやって捕まえるのですか?!」
「落ち着きなさい、ラウルエーレ。エルは逃げませんよ」
オズヴァルドが苦笑している。
こぼした紅茶をふき取るエルメリンダも、笑いをこらえているのがわかった。
「私が見た炎龍は、まだ若い龍でした。空を飛んでいるだけでしたが、その場にいた冒険者全員が咄嗟に隠れました。そのまましばらく誰も動けませんでしたし、声も出せませんでした。それぐらいには怖かったです。火山魚は紐をつけた強弓で獲ったり、槍や魔法で仕留めて、持ち手の長い網ですくって獲ったりすることが多いですね。火山魚を追うより、その場の暑さで倒れそうになりましたが」
「そうなのですか……でも、やっぱり一度は実物を見てみたいです」
少年の視線は、憧れを込めて遠くなる。
もしかすると、ラウルは冒険者の資質も持ち合わせているのかもしれない。
「炎龍は見るのも命がけですし、火山は隣国のその先ですから、危ないので止めたいところですが……」
「親子で同じことを思うものですね、旦那様」
エルメリンダの言葉に、オズヴァルドが軽く咳をする。その様子に、ラウルが聞き返した。
「同じこと?」
「……ラウルエーレと同じくらいのときには、実際に見たいと思ったこともありましたよ。自分の逃げ足を考えてあきらめましたが」
「父上が、逃げ足なんて……」
オズヴァルドの冗談に、ラウルがくすくすと笑い出す。
それが伝染したかのように、周囲の者も笑顔になっていった。
「父上、大丈夫です。行くときはしっかり鍛えて、逃げきれるようにしてから行きます!」
「ラウルエーレ……」
明るく言いきった息子に、オズヴァルドは渋い顔を隠さなかった。