184.商会保証人と新商会員
窓からの日差しが赤の強いオレンジに染まりつつある。
商業ギルドの二階、ロセッティ商会の借りている部屋では、ダリヤとイヴァーノが机をはさんでぐったりしていた。
「ジルド様って、本当に行動が早いですね……」
「ええ……見習いたいと、いや、ここまで早いのはどうかとも思いますが……」
目の前にあるのは、侯爵で王城の財務部長であるジルドファン・ディールスからの手紙と書類である。
マルチェラがロセッティ商会に入り、保証人から抜けることになるので、新しい保証人が必要になった。
これまでも『借りがあるので、困ったときには連絡を』と繰り返されていたので、ジルドへお願いすることにした。
お願いの手紙を出し、『ご都合のよろしいときにご挨拶に伺わせてください』と書いたはずが、即日の了承と共に、ジルドの方で日程を確認するという手紙があった。
さすがはジルドだと、相変わらず行動が早いと二人で感心した。
だが、理解できたのはここまでだった。
翌日の夕方、ギルドに商会員が在室しているかの先触れが来て、その後すぐ本人と従者が来た。
部屋にはイヴァーノしかおらず、慌ててガブリエラを呼んで立会人となってもらう。
ジルドはその場で保証人のサインをし、五分で帰って行った。
王城で財務部長を務める侯爵に足を運ばせ、商会長不在、お茶ひとつもない、お礼品もない状態での保証人確定である。
その後すぐ、塔へ馬車で乗り付けたイヴァーノから話を聞き、ダリヤは真っ青になった。
翌日、ジルドへのお礼を必死に考えつつギルドに来ると、イヴァーノが白くなっていた。
目の前にある手紙が原因だ。
手紙には、やはり『困ったときには連絡を』。そして、『多忙だろうから会長の挨拶は不要』という内容を、貴族調に整えた文があった。
会長の挨拶はいらないとあるが、挨拶なしでいいとは書いていない。
実質、二人しかいない商会では、イヴァーノの名指しである。
二人して遠い目をしつつ、お返しを必死に考えた。
前回の微風布のマフラーへの礼が一行だけ多かったので、ドレスが作れるほどの量を一巻きにして三つ分を目録にする。
そして、イヴァーノが『近いうちにご挨拶を』という手紙をしたため、運び人に頼み終えたのが今である。
「イヴァーノ、少し早いですが、今日はもう閉めませんか?」
「そうですね、またジルド様から手紙が来ると悪いですし」
イヴァーノは冗談を言ったつもりらしいが、本人を含め、二人とも微妙な顔になった。
ちょうどそのとき、ためらいがちなノックの音が響いた。
「いや、いくらなんでもこれは早すぎですよね。絶対に違う、いや、違ってください……」
ぶつぶつと願いながら、彼がドアを開けに行くのを、ダリヤはひきつった顔で見守る。
「こんばんは。ダリヤちゃん、イヴァーノさん、いきなりですまないんだが、ちょっと話を聞いてもらえないだろうか?」
「お仕事中に申し訳ありません」
ドアの前、マルチェラが、栗色の髪の青年と共に立っていた。
「マルチェラさんと、グリーヴさん」
ロセッティ商会の保証人であるメッツェナ・グリーヴだった。
運送ギルドに勤める彼とはなかなか会う機会はなかった。
だが、ダリヤにとっては商会の保証人となってくれた恩人の一人だ。
婚約破棄で塔に戻るとき、荷物を運んでくれた者の一人でもある。
部屋に入ってもらい、全員でテーブルを囲んだ。
「マルチェラさん、運送ギルドの方で何かあったの?」
マルチェラは腕輪を受け取った翌日には、運送ギルドを辞めることを伝えたという。
今は引き継ぎ期間で、一週間後に、スカルファロット家の騎士と、ロセッティ商会員となる予定だ。
メッツェナが来ているところから考えて、引き継ぎがうまくいっていないのかもしれない――そう思いつつ、返事を待った。
「それが……いきなりで悪いんだが、仕事で空きがあれば、メーナを、メッツェナを雇ってもらえないだろうか? 長い付き合いで、俺のことも全部知ってる奴だ。身元は俺が保証する」
急な願いに、ダリヤは目を丸くした。
「グリーヴさん、運送ギルドをお辞めになるんですか?」
「はい。マルチェラさんと同じ日に辞める予定です。今日、上司と話して許可は取りました」
メッツェナはマルチェラと仲がいいから、同じ仕事がしたいのだろうか。そう思っていたら、本人がひどく困った顔で話し始めた。
「商会の保証人の件で――マルチェラさんが抜けて、侯爵様が保証人になるというお話で、今日、あちこちで声をかけられまして」
「いや、声をかけられるなんて生やさしいもんじゃなかった。俺は少し前からスカルファロット家にスカウトされたっていう噂が出回ってて大丈夫だったが、メーナは運送ギルドでも配達先でもつきまとわれていた」
「うちの商会のせいですね?」
「え?」
イヴァーノの言葉に、思わず聞き返す。
メッツェナとロセッティ商会との関わりが見えない。
「うちの保証人、商業ギルド長のジェッダ子爵、伯爵家のヴォルフ様、そこにマルチェラさんとメッツェナ・グリーヴさんだったわけです。で、そこからマルチェラさんが抜けて、昨日、ギルドに侯爵であるジルド様が出向いて保証人です。ジルド様は目立ちますから、話がすぐ回ったんでしょう……すみません、そろそろご連絡するつもりだったんですが、ちょっと早く進みすぎまして」
マルチェラが抜けると、メッツェナ以外、全員貴族である。しかもそうそうたる顔ぶれだ。
一人浮いた上に目立つのは当たり前である。
「グリーヴさん、かなり色々言われましたか?」
「その、商会に伝手があるか、ロセッティさんを紹介してもらえないかとか……このままだと仕事に差し支えるので、辞めて職探しをすることにしました。ただ、僕はもう家族がいないので、再就職の保証人をマルチェラさんに頼んだら――」
「いや、俺のことから巻き込んだ形だから。もちろん、無理なら他を当たる。俺も迷惑をかけている身だから、無理にとは思っていない」
巻き込んだ原因をたどれば、ロセッティ商会長の自分である。
ダリヤはイヴァーノに続き、考えつかなかったことを反省した。
「イヴァーノ、グリーヴさんを商会員にお願いできませんか? もともとはうちのせいですし」
「いえ、商会員でなくて下働きで充分です。荷運びでも御者でも雑用でもなんでもやりますので、よろしければお願いします」
遠慮がちに願う彼に、イヴァーノが整った笑顔を向ける。
「もちろんです。メッツェナさん、うちの商会員になる以外、すぐにつきまとわれない方法はたぶんありません。数日だけマルチェラさんと一緒に行動してもらえれば、こちらでなんとかしますので……失礼ですが、保証人についてご家族がいらっしゃらないとのことですが、他のご親族の方は?」
「僕は救護院育ちなので、親戚がいません。救護院で働いていた方から、グリーヴの姓を頂いて祖母と呼ばせてもらってましたが、もう亡くなっているので……」
「わかりました。では、マルチェラさんと同日に商会員ということで。保証人はマルチェラさんでよろしいですね?」
「もちろん俺が……いえ、私がなります。ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」
「ありがとうございます!」
イヴァーノの確認に、マルチェラは言葉を整えて願い、メッツェナは深く頭を下げた。
その後にうれしげに手を叩き合わせ、兄弟のように笑う二人が微笑ましい。
「会長、よかったですね。これで来週から一緒に悩める人が倍になりますよ」
「ええ、うれしいです」
イヴァーノの言葉に笑ってしまったが、ちょっとだけうれしいのも本当だ。
皆で悩んでも解決ができるかどうか別なのはわかっているが。
自分達の会話に、マルチェラとメッツェナは首を傾げていた。
この二人が会話の意味をよく理解するのは、翌週のことである。