表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
180/552

179.男の意地と魔導具師の意地

(トビアスとオズヴァルドの回です。苦手な方はご注意ください)

 ダリヤとヴォルフが『吸魔の腕輪』を持ち、馬車で神殿へ向かった。

 トビアスはオズヴァルドを手伝い、作業部屋で素材の片付けをしていた。


 腕輪は無事できた、きっとイルマも子供も助かる、マルチェラも安心するだろう――ほっとして、最後の魔封箱を閉めた瞬間、ぐらりと視界が揺れる。

 緊張が切れたのだろう、ひどい寒気と吐き気が一気に押し寄せてきた。


 トビアスはレストルームに移動し、吐けるだけ吐く。だが、胃はほとんどカラなので楽にはならなかった。

 魔力が完全にカラなのだろう。頭痛はますますひどくなり、吐き気もおさまらない。

 白く冷たい指は、ドアノブをようやく回せる程度の力しかなくなっていた。

 倒れて迷惑をかける前に家に戻ろう、そう決めて作業場に戻る。


 だが、そこでは、オズヴァルドがさそり模様のグラス二つに、なみなみと酒を注いでいた。

 横にあるのはさそりの入った広口の酒瓶だ。

 マルチェラが以前、同じものを飲んでいた記憶がある。確か、かなり強い酒のはずだ。

 流れてくるアルコールの香りに、めまいがしそうになった。


「作業完了のねぎらいです。お飲みなさい」


 今、これを飲んだら倒れるのではないか。

 それでも、オズヴァルドの妙な迫力と声に押され、気付けだと思って一口飲んだ。

 酒の味はほとんどなく、後味がわずかに渋い。その独特な渋さに覚えがあった。


「これは、魔力ポーションではないですか?」

「私が半分飲む必要がありましたので。残りを捨てるのも、もったいないですから」

「お気遣いありがとうございます」

「いいえ、私の余りですよ」


 あくまで認めようとしないオズヴァルドに、少しばかり鳩尾がうずりとする。

 グラスの中身を飲み干すと、聞かなくてもいいことを言いたくなった。


「ゾーラ会長、右手の爪はもういいのですか?」


 オズヴァルドはわずかに眉を寄せると、右手指先でグラスを持ち、軽く揺らす。


「この通り、なんともありませんが。ダリヤも気づいていましたか?」


 さきほどの付与の後、オズヴァルドは血に染まった右手をタオルで隠していたが、親指以外、すべての爪がひび割れていた。

 通常なら悲鳴を上げそうなそれを、この男は脂汗を流しつつ、平然とした顔で耐えていた。


「いえ、彼女は気がつかなかったかと思います」

「それはよかった。女性の前で意地もはれぬ男にはなりたくないですから。ああ、あなたも意地を通しましたね。魔力がとっくにカラなのに、よくここまで倒れなかった」


 切り返されて何も言えずにいると、今度こそ本当に強い酒を注がれた。

 これは飲まずに済みそうにない。


「酒の勢いです。オルランドさん、あなたに一度、聞いてみたかったことがありまして」

「なんでしょうか?」

「あなたが、ダリヤを捨てて、今の奥様を選んだ理由です」


 いきなりの問いに息を呑む。

 男の顔は笑んでいるが、自分に問う声はひどく冷えていた。


「以前、男爵会でカルロさんに自慢されたことがありました。『新しい弟子は、魔力制御が細かく、仕事が丁寧だ、きっと腕のいい魔導具師になる』と。そのあなたがと、少々驚きました」

「……愚かな奴だと思われたでしょうね」

「ええ、馬鹿な男だと思いました。できた婚約者がいて、長く婚約し、結婚直前に愚行に走るなど、何を考えているのかと。駆け落ちした元妻と、あなたが重なりましたよ」

「え?」


 話のあまりの飛びっぷりに、おかしな音域で声が出た。

 オズヴァルドはグラスを揺らしながら、一切気負いのなさげに続ける。


「最初の妻が弟子と駆け落ちしましてね、すべてをあきらめかけたことがあります。だから、できることなら聞いてみたかったのです、『捨てた側の言い分』というものを」


 答えなくても済む質問だ。きれい事も、ごまかしも言える。

 それでも、辛い酒をあおり、トビアスは本音で答えた。


「お笑いになるかもしれませんが……最初に会ったときから、どうしようもなく惹かれました。悩みは確かにしましたが、それでも、彼女が本当の、真実の愛の、相手だと思いました。彼女を守りたいと、他には何もいらないと、そう思いました。他が何も見えていませんでした……」


 言葉にすれば陳腐でどうしようもない。恋に溺れた男のただ情けない話だと、我ながら思う。

 目の前で、オズヴァルドが同じように酒をあおった。


「笑いませんよ、納得できるとは言いませんが。一目惚れに禁断の恋。手綱のとれぬ恋愛が、山とあるのは知っていますしね。それで、後悔はしていませんか?」

「後悔は……しています。ダリヤを傷つけたこと、筋を通さなかったことを、謝りきれないほどには、悔いています」


「そうですか。では、今の奥様の手を離し、戻れるものならばやり直したいですか?」

「いえ、そうは思いません……それは、それだけは、絶対にないです」


 自分は多く間違った。ダリヤを傷つけ、いろいろな人を巻き込んだ。

 それでも、他のすべてをなくしても、エミリヤの手は離さない。

 卑怯でも、情けなくても、それだけは自分で決めた。


「先ほどの付与ですが、均一性といい、安定性といい、なかなかにいい腕でした。魔力をよく見極める目もお持ちだ。あなたが二十年、いいえ、十五年も本気でやれば、今の私より伸びるでしょう」

「ご冗談を」


 話題を変えた上での皮肉に、トビアスは儀礼的に笑う。

 自分がどれだけ頑張ろうとも、オズヴァルドのような、繊細で完璧な付与ができるわけがない。


「男のあなたにこんな冗談を言っても、私には何の得もありませんが」


 銀の目が揺るぎなく、自分を見た。

 男のまとう空気が硬質なものに変わり、思わず背筋を正す。


「魔導具師としてダリヤの依頼を引き受けておきながら、力になれずにあなたを呼んだのです。私からもあなたへ代価を提供しましょう。その魔導書を読んだだけでは実作は難しいはずです。内容と実作でわからないことがあれば、商会経由で私を訪ねなさい。教えられる範囲であれば教えましょう」

「しかし、それではゾーラ会長にご迷惑が……それに教えて頂くのにたった一日の作業では、授業料としてつり合いません」


 貴族でゾーラ商会長であるオズヴァルドが、オルランド商会の傾きと、自分の立場を知らぬはずがない。


「魔導具師同士が商会取引で会うのに何か問題が? これでも来年は子爵になりますし、王城出入りもしております。頼れる友人達もそれなりにおりますしね。知られたところで揺るぎはしませんよ。授業料を支払いたいとおっしゃるなら、その都度話し合えばいいことです」

「……ありがとうございます」


 トビアスは、頭を下げて礼を述べた。


 確かに、聞ける者は他にない。

 カルロの手紙には『わからないところは、リーナ・ラウレン先生に尋ねるといい。』とあったが、彼女はダリヤを二年ほど助手にしている。

 ダリヤと婚約破棄をした自分が、聞きに行ける相手ではない。


「カルロさんにはお世話になりましたからね。弟子のあなたにお返ししますよ。あとは……若い頃に切れた『縁』もつけ加えておきましょうか」

「『縁』ですか?」


 思い当たることがまるでなく、目を細めてしまった。


「若い頃、商家の友人に腕輪を贈ったことがありました。婚約腕輪などではなく、仕事中、男達に言いよられて困るというので、一時の男避けとしてですが。春から秋、季節三つほど着けて頂きましたが、他の方へどうぞと笑顔で返されました。友人は黒い石のついた婚約腕輪を着けて大団円です。まあ、夫君が少々嫉妬深いとのことで、それきりになりましたが」

「……そう、ですか」


 うまい相槌が浮かばない。いきなりオズヴァルドの昔話になっている。

 もしかして、この男は見た目に出ていないだけで、それなりに酔っているのだろうか――そう思いつつ残りの酒を口に含んだ。


「友人の母君は、嫁いで間もなく貴族の夫が急逝し、商家の方と再婚したそうです。娘に魔力がなかったので、貴族として育てるのは厳しいと判断したのでしょうね。魔力の少ない者、ない者には、貴族はなかなか冷たいですから。友人は、魔力などなくても有能な、赤茶の髪の美しい女性でしたが」

「……ゾーラ会長?」


 女の名も家の名も出ていない。それでもトビアスには、思い当たる者がいる。


「商会の運営に関われば、貴族の力は身に染みてわかります。身内に望んだとしてもおかしくはない。重ねた想いもあったかもしれませんね」


 母は商家の生まれだと聞いている。そして、魔力はなく、以前は艶やかな赤茶の髪をしていた。

 父が貴族で、母が庶民――自分の母は、おそらくはエミリヤと似た境遇だった。


 学生時代、商会持ちの商家だというのに、自分の魔導具師への道を応援してくれたこと、ダリヤとの婚約破棄で自分を叱らなかったこと、今、家から出ず、他と距離をおいていること――いろいろなことが、苦さをこめて腑に落ちた。


「私の昔話はここまでです。ロセッティ商会の下請けになったことと、今回ダリヤを手伝ったことで、そちらの商会はそれなりに持ち直すでしょう。あとは、イレネオさんとあなた次第です」

「私は、迷惑をかけるばかりですが」

「そうかもしれません。今回のことでダリヤがあなたを許しても、他は同じようにはいきませんから。おそらく、あなたがここから魔導具師として歩むのは、長く積み上げの利かない砂の道です。それこそ、蟻地獄を這い出すように進まなければならないでしょう」


 遠慮も容赦もない声だが、ひどく納得できる。

 見返した銀の目にぬるい哀れみはなく、冷えた侮蔑もなかった。


「それでも――自分のしたことですから」

「あなたは商業知識もあり、魔力を見極める目もお持ちだ。魔導具師以外で生きる道もあるでしょう。貴族の庇護がほしいなら、ご紹介を考えますが」

「いえ、結構です。私には魔導具師として生きる以外、せきを返す方法が、ありませんので」

「……安心しました。まだ、その意地は残っていましたね」


 オズヴァルドが大きく笑う。

 なぜか、師匠であるカルロの笑顔と似て見えた。


「這い上がって来なさい、トビアス。魔導具師として、この私と同じ場所まで。そして、私にまっすぐ名乗ってみせなさい、魔導具師カルロ・ロセッティの弟子だと。それを授業料として希望します」


 その言葉に、男の姿がぶわりとぼやけ、顔が上げられなくなった。


「……そんな日が、来るでしょうか……?」

「来るのではなく、来させなさい。カルロさんに習いませんでしたか? 『できなければ方法を変えて再度やれ、できるまでやれ』と」

「何回も言われました……」

「後輩の私も、何回も言われましたよ。そして、やってきました。だから、ここにいるのです」

「……ありがとう、ございます」


 差し出されたタオルで、顔を押さえる。

 こすると目が赤く腫れてしまう、それではエミリヤに言い訳ができず、心配をかける、そう思いながら、それ以上の涙をなんとか押さえ込んだ。


「もう一つ、既婚の先輩としての忠告です。男の意地はわかりますが、奥様とはよくお話しなさい。あなたは昔の私と同じくらい、言葉が足りなそうですから」

「『先生』と同じくらい、ですか?」

「ええ、『トビアス』。夫婦だから、言わずともわかってもらえるなどと思わないことです。誤解と曲解の元になりますよ。大切な者に必要な言葉を惜しんではいけません」


 ドアの向こう、こちらを見て艶然と微笑むエルメリンダと、赤い目を隠せずにいるエミリヤがいる。


 泣くのを耐えているらしい妻に、トビアスはどんな顔をしていいのかわからない。

 それでも、その手をとり、今度こそ、自分の想いをすべて話そうと思えた。


 オズヴァルドは盗聴防止の魔導具を起動させ、トビアスの背中へ言った。


「愛があるなら、お気を付けなさい。私はそれで逃げられていますからね」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
更新はX(旧Twitter)でお知らせしています。
コミックス8巻5月10日発売です。
書籍
『魔導具師ダリヤはうつむかない』1~12巻、番外編
『服飾師ルチアはあきらめない』1~3巻(書き下ろし)、MFブックス様
コミカライズ
魔導具師ダリヤ、BLADEコミックス様1~8巻
角川コミックスエース様2巻
服飾師ルチア、1~4巻王立高等学院編2巻、FWコミックスオルタ様
どうぞよろしくお願いします。
― 新着の感想 ―
本当にこの作品を読み始めて良かったと思いました トビアスのしたことは許されないことだが、その罰を受けながらも生きていくという苦しい選択をすることで読者目線での『罰』を受けていますし、 エミリヤの心境な…
最近の社会は、一度失敗した人間が這い上がることを良しとしない風潮にある気がしている。勧善懲悪の後の「悪」に付随する様々な要因を想像できる人間が少なすぎるのだと思う。 善は善、悪は悪としか考えられない短…
[一言] なぜエミリヤを選んだのかって理由でトビアスがどーゆー人間かは大体わかった。女に頼られたい、自分より優秀な婚約者に嫉妬。それで簡単に婚約破棄。トビアスが若干いい奴に見えたかもしれないが、結局は…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ