176.魔導具師の特別授業
(オズヴァルド作業回です)
動けなくなっている自分達の前で、オズヴァルドは腕輪に二つの角をはめ込む。
その上から一角獣の角の粉をかけると、定着魔法をくり返した。
定着を確認後、その手にバジリスクの金色の爪を載せる。
それを見つつ、ダリヤは思い出す。
前世、ファンタジー系の物語を読んでいて、コカトリスとバジリスクは似たもののように思っていた。
今世、コカトリスは前世のイメージに近かったが、バジリスクはちょっと違う。
今世のバジリスクは、大きな黒蛇のような体に、鋭い蹴り爪のある太い足を四本持った魔物だ。
ウロコが硬く、その蹴り爪からは、短時間で人を死に至らしめる猛毒が出せるという。
特徴的なのが、頭の上、王冠のような金色の鶏冠である。
珍しい魔物ではあるが、見かけたらすぐ逃げるよう学院でも教えられた。
「これから、バジリスクの爪を付与します」
オズヴァルドが、右手の中指に赤い指輪を付ける。
バジリスクの猛毒への防御かと思ったが、赤い指輪というのは初めてだ。
よく見れば、その指輪の表層をぐるぐると炎のような光が循環していた。
「先生、その指輪は毒への対応ですか?」
「いえ、バジリスクの毒なら普段からつけている腕輪で間に合います。私の魔力では仕上げに足りないので、この指輪で底上げをします。さて、仕上げは数分ですが、気が散るので絶対に声をかけないように」
二人が了承してうなずくと、オズヴァルドは真剣な表情で告げた。
「特別授業です。よく見ておきなさい」
その右掌の上、バジリスクの爪を、布のような白い魔力がふわりと包み込んだ。
一枚の薄布を透かした如き魔力の向こう、金の爪がチリチリと鳴く。
それがしばらく続くと、白い魔力は金色に変わり、爪は跡形もなく消え失せた。
おそらくは『魔力融解』、魔力でバジリスクの爪に圧力をかけ、その後に溶かしたのだろう。
圧力をかける方法は、一歩間違うと掌がズタズタになるか、飛ぶか――そんな付与だと聞いている。
実際にダリヤが見るのは初めてだ。
オズヴァルドは人差し指を伸ばし、他の指で金色の魔力をそっと握るように持ち変える。
左手で持つ腕輪のミスリル、その青みをおびた銀の上に、右の指から、髪の毛一本ほどの魔力がゆるやかに伸びた。
金糸のようなそれは、腕輪を一回転すると、二本に分かれる。次の一回転で四本に、次に八本にと倍ずつに増えていく。
細さはどれも均一で、とても丁寧な糸巻きのようだ。
このような形の繊細な魔力の扱い、そして、付与は初めて見る。
ダリヤもトビアスも、息をつめて見入った。
「……え?」
ぽたり、何かがオズヴァルドの手からこぼれ落ちる。
その滴は、床に落ち、小さく赤く広がった。
指が切れたのか、それとも手の平か、金の魔力はまだ半分以上残っている。
絶対に声をかけないようにと言われた理由に思い当たり、心配がつのった。
一体何本まで増えたのか、リボンのように均一になった金の魔力が、腕輪に巻き付く。
糸やリボンであれば厚みが出そうなものだが、一切の厚さを増やさず、わずかなズレもない。
ただ金のリボンを一巻きしたように、腕輪の上に光る。
魔力が巻き付くほどに、金の輝きと深みだけが増していく。
だが、魔力を送る右手からは、赤い血が細い縦線を残して流れ落ちるようになった。
薄く鉄錆の匂いが立ち上る。おそらくは傷が増えるか、広がっているのだろう。
それでも、オズヴァルドは苦痛を一切顔に出してはいなかった。
ただ、そのこめかみから、たらたらと汗がこぼれ、首筋に流れていく。
止めたい気持ちを抑え込み、ただ一刻も早く終わることを願う。
気がつけばダリヤは、両手をきつく祈りの形に組んでいた。
金の魔力がすべて移動すると、オズヴァルドは両手で腕輪を持ち直す。
完成したか、そう思えたとき、赤い半透明の魔力が腕輪を包んだ。
温度は一切感じないが、まるでその赤い魔力で焼いているようにも見えた。
「炎性定着」
短く告げられた声に、赤い魔力が応えた。
魔力は深紅の光をゆらりと輝かせると、自らを引き絞るように細くなり、金の一線を焼き付けた。
仕上がったのは、青みを帯びる銀の上、くるりと金のラインが入った腕輪だ。
オズヴァルドは左手で腕輪を持って確認すると、魔封板の上にそっと置く。
右手の指先からは、たらたらと止まらぬ血が床に落ち始めた。
「先生、ポーションを!」
「心配しなくても大丈夫ですよ。皮一枚です」
オズヴァルドは受け取ったポーションの半分を手にかけると、残りを飲み干す。
右手にタオルをかけ、指の血を拭いつつ言った。
「試してみてください」
土の魔石を手に、ダリヤは腕輪を持つ。
少しばかり震える手で魔力を流すと、腕輪の中へ呆気なく消えた。
ただ静かに、内側の天狼の白銀が光った。
「成功、ですよね……?」
「ええ、成功です」
「よかった……!」
二人が疲れながらも破顔する中、オズヴァルドは涼しい顔で続けた。
「炎性定着は落ち着くまで、三十分ほどかかります。その間に授業の復習をしましょう。ダリヤ、右手の魔力の動きはわかりましたか?」
「え? あ、その……丸かった、です?」
必死に見ていたが、心配が先に立って覚えていない。当然、ろくに答えられない。
「ダリヤはもう少し冷静さと観察力を磨きましょう。オルランドさんは、わかりましたか?」
「ええと……右手の魔力が右回りに回転していたように見えました、かなり速く」
トビアスはあの状態でも、きちんと観察できていたらしい。ちょっと悔しい。
「正解です。バジリスクの爪の魔力は、凝固と拡散を防ぐため、高速で回転させなければいけません。掌から浮かせて回転させられればいいのですが、私の魔力では足りないのでこうなりました」
血のにじむタオルに視線を投げたオズヴァルドに、トビアスが尋ねる。
「ゾーラ会長ほどの魔力でも、足りないのですか?」
「誤解をされているようですが、あなたと私の魔力差はそうありませんよ。要は使い方です。足りなければ、魔導具で補えることも多いものです……ああ、使いきってしまいましたね」
その指先から、指輪が二つに割れて落ちた。濃い赤は完全に消え、ただ黒く錆びた金属のようだ。
「先生、指輪が……」
「気にすることはありません。使い捨てですから。そのうちにまた仕入れます」
そう答えられたが、高価なものを使わせてしまったように思えてならない。
ヴォルフとイヴァーノと相談し、何か蠍酒以外のお礼を考えたいところだ。
「仕上げの炎性魔力がほしかったので、定着用に使いました。土魔法と火魔法は強い定着をさせるのに相性がいいのです。陶器に焼き入れをするのと似たものだと思ってください」
さきほどの繊細で見事な付与を思い返しつつ、疑問がわく。
バジリスクの爪と、炎性魔力は、魔力拮抗を起こさないのだろうか。
「先生、バジリスクの魔力と、その指輪の魔力はぶつからないのでしょうか?」
「炎性定着のように、魔力拮抗を起こさない組み合わせがあります。魔法の相性については、魔導師が専門ですので、そちらも勉強してみることですね。私もまだまだ不足ですが」
「……ゾーラ会長で不足……」
トビアスがぼそりとつぶやいたが、自分もそう言いたい。
ダリヤとオズヴァルドの年齢差は約三十年。魔導具師としての腕の差もかなりある。
それほどの先生の前にも、魔導具師の階段が、まだはるかに続いているらしい。
「腕のいい魔導具師になるのに、最も間違いのない方法を教えましょうか?」
オズヴァルドの問いかけに、遠い目になっていた二人は同時にうなずいた。
「学び続け、長生きすることですよ」