172.一角獣の角と二角獣の角と猛吹雪
ダリヤはヴォルフによって隣室の長椅子へと運ばれた。
その後、エルメリンダからポーションと魔力ポーションを受け取ると、なんとか飲む。
オズヴァルドは着替えてくるとのことで、エルメリンダもついていった。
ヴォルフは二人きりになると、イルマへの治癒魔法、兄からマルチェラを騎士にするよう提案されたこと、神殿でマルチェラから同意を得たことを話してくれた。
イルマの安全は防御を上げる魔法でカバーできること、完全治癒魔法をかければ結晶化している指も戻せると聞き、心から安堵する。
その後、ダリヤもオズヴァルドと作っている『吸魔の腕輪』について話した。
簡単な工程ではないが、完成すればイルマも子供も問題なくすごせると説明すると、今度はヴォルフがほっとした顔になっていた。
「内容はわかった。疲れているんだから、オズヴァルドが戻ってくるまで、少しでも横になっていた方がいい」
ポーションを飲んでから平気な顔を装っていたが、彼には気づかれていたようだ。
備え付けの毛布を借りると、ダリヤは素直に長椅子に横たわった。ポーションを飲んでも疲労感は残る。今のうちに少しでも回復しておきたい。
「あとは一角獣と二角獣の角と、バジリスクの爪だけなので。オズヴァルド先生がいますから、きっとうまくいくと思います」
「……そうだね。うまくいくよう、祈ってる」
どこか歯切れの悪いヴォルフは、おそらく自分をとても心配している。
「ヴォルフ、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。ポーションはちゃんと飲みましたから」
「マルチェラからは、ダリヤが無理をしていたら止めてくれって言われた」
「いえ、その……今回は、少し魔力が、足りなかっただけで……」
答える声が、消え入るように小さくなる。
動けなくなるまで魔力を出し、ヴォルフにここまで運ばれたのだ。無理と言われても仕方がない。
「止めないよ。これは、君の魔導具師としての仕事だから」
意外な言葉に、思わずヴォルフの顔を見上げる。
見慣れたはずの黄金の目が、見たこともないせつない色を宿していた。
「正直に言えば、今すぐ止めたい。でも、ダリヤは、俺が赤鎧なのを、止めたことはなかったよね」
確かに、止めたことはなかった。
けれど、止めたいと思ったことはあった。
赤鎧だけではなく、魔物討伐部隊もやめてほしいと、安全な場で生きてほしいと、そう思ったことはあった。
それが今、どうしても言えない。
「マルチェラ達のためなら、ダリヤが無理をするのはわかっている。今回はオズヴァルドがいるし、俺の方でもポーションと魔力ポーションは持って来た。もしも、ダリヤが倒れたらいつでも運ぶし、どちらかが怪我をしたなら、すぐ神殿へ連れていく。だから、君の思うようにすればいい」
「ありがとうございます」
小さくお礼の言葉を告げると、それまで横にいた彼は、隣のソファに移動した。
「……君が生きていてくれれば、それでいいよ」
静かに落ちた声は、祈りに似て。自分は大丈夫だと、死ぬことなど絶対ないと、そう言おうとしたとき、ノックの音が響いた。
・・・・・・・
その後、オズヴァルドと共に、紅茶とサンドイッチなどの軽食を済ませ、作業部屋に戻る。
隣室には、ヴォルフと第二夫人のフィオレが待機することになった。フィオレがエルメリンダと交代したようだ。
「私ではお話をするにも不慣れですし、待ち時間というのは長く感じるものだと思いますので」
フィオレは薄緑の目を笑みの形に、ヴォルフの前に各国の武器や騎士関連の本を何冊も積んだ。そして、自身は手元には縫いかけの刺繍糸がついたハンカチを用意していた。
ヴォルフは気遣いに礼を述べていたが、ほっとしているのが透けて見えた。
あまり接点もなく、忙しいであろう二人をただ待たせてしまうのが、なんとも申し訳なかった。
それでも、作業場のテーブル前に来ると、髪をバレッタで留め直し、気合いを入れる。
「妊婦の状態安定に雌の一角獣の角を、胎児に魔力のある母体だと錯覚させるために雄の二角獣の角を使います。こちらもカットしてから、魔力を付与する形になります。ただし、これを作る際は、二人の魔導具師で魔力を同時に付与し、両方の角に均等に魔力を注ぐ必要があります」
「一人ずつ、それぞれの角に付与すると効かないのですか?」
「ええ。着けるのは妊婦ですが、使うのは妊婦と子供の二人ですから。角それぞれの魔力の流れが違うと、具合が悪くなるそうです」
魔力の流れが体内で二つあるのは、確かによくなさそうだ。
だが、それならば、一人で両方を一度に付与できたらいいのだろうか。
尋ねる前に、オズヴァルドが続けた。
「魔力が多い魔導具師や魔導師が、一人で二つ付与しても、効果は芳しくないそうです。魔力にある程度の多様性が必要なのではという説もありますが、確かなことはわかっていません」
作業台の魔封板の上、純白の角と黒曜石の角がそろえられた。
「今回使うのは、変異種である紫の二角獣の角ですが、こちらでも問題はありません。むしろ魔力は強いので安心でしょう。芯の魔力線の部分を縦に入れて、腕輪に合う大きさで切ります。一本で四つほど採れるはずです」
互いに糸鋸を手に、ダリヤは一角獣の角を、オズヴァルドは二角獣の角を削る。
前にも一角獣の角を切ったことがあるが、やはりかなり硬い。
押さえている手に、少し温かい魔力が揺れるのを感じる。
掌の汗で滑らぬよう、慎重に二つほど削りあげた。
ふと視線をあげれば、目の前のオズヴァルドはすでに四つとも仕上げており、腕輪の確認をしている。
ダリヤは慌てて純白の角を持ち直し、糸鋸の歯を当てた。
その瞬間、斜めに逃げた刃が、左手の親指に痛みと朱線を走らせた。
「ダリヤ、指に怪我を?」
「いえ、たいしたことはありません」
隠そうとして右手で押さえたが、オズヴァルドは即座にポーションの瓶を開けた。
「手を。指を怪我したままでは、この先の付与に差し支えます」
その言葉に、反省しつつ左手を出す。
思いの外、傷は長く、血がたらりと傷口から流れ落ちようとしていた。
そこに少ししみるポーションをかけられ、ダリヤは眉間に皺を寄せる。
「すみません、ご迷惑をおかけして……」
「生徒は先生に迷惑をかけて当然でしょう。私も学院時代は、だいぶリーナ先生にご迷惑をおかけしましたよ」
「オズヴァルド先生がですか?」
「ええ。魔導具研究会では、カルロさんと一緒にいろいろとやらかしましたし」
それは以前にも聞いた。
自分には優しい父だったが、学生時代は魔導具に夢中になると手に負えなかったらしい。
『暴風雨』の渾名もあったという。
だが、それと一緒になってやらかしていたオズヴァルドというのが、今一つ想像できない。
「冷凍の時間短縮ができないかと氷の魔石を使いすぎ、凍傷になったこともありました」
「……危ないですけど、わかる気がします」
自分も冷蔵庫の急速冷凍を試そうとして、扉も開かぬほど氷を作ってしまったことがある。
「作った毒消しの腕輪が本当に効いているのか試したくて、外して毒キノコを食べたこともありましたね。効いているとわかって、すぐ腕輪を着け直したのですが、キノコの毒は回るのが早くて……毎回、リーナ先生が、治癒魔法のできる先生を連れてきてくださいました」
「オズヴァルド先生も……その、ずいぶん、活動的な生徒だったんですね」
オズヴァルドも大概だと言いかけて、なんとか言い直した。
正直、父の『暴風雨』と大差ない気がする。
「ええ。当時は私も『猛吹雪』と呼ばれておりましたね」
「『猛吹雪』……」
銀の目に銀髪のオズヴァルドならば、なかなか似合いそうな喩えである。
「当時の私としては、怪我人をえんえんと冷たく叱るリーナ先生の方が、よほど『猛吹雪』だと思いましたが。ダリヤはあのリーナ先生の助手をしていて、怒られたことはなかったですか?」
「ありませんでした。軽い注意はありましたけれど。いつも落ち着いていて、優しい先生でした」
「……時間をかければ、丸くなるものなのですね」
オズヴァルドが、微笑んで魔封板の上に指を伸ばす。
いつの間にか、一角獣の角がもう二つ、きれいに丸く仕上げられていた。