170.友への提案
ヴォルフは神殿に戻り、神官にマルチェラを呼んでもらった。
付き添いの家族が借りられる小部屋に移動すると、盗聴防止の魔導具をかけ、前置きなく切り出す。
「マルチェラ、すまないが、イルマさんの命を守るために、俺の家に騎士として仕えてほしい」
問いかけではなく、すでに願いの形になっているそれに、友は鳶色の目を丸くした。その後に困惑を込めた表情をヴォルフに向ける。
「イルマの命が守れるなら喜んで受ける。けど、騎士って、俺は礼儀も知らなきゃ、魔力の使い方もよくわからないんだが、何か役に立てるか?」
「運送ギルドを辞めて、派遣の形で、ロセッティ商会長であるダリヤの護衛をしてほしい。マルチェラは信頼できるし、身体強化と土魔法がある。訓練はあると思うけど、護衛としてはこれ以上はないよ。ただ、護衛だから、けして安全じゃない」
「俺はありがたいかぎりだ。あと、誤解があるようだが、運送ギルドも運ぶ中身によっちゃ安全じゃないからな。貴族や大きい商人のところの届け物で狙われることもあるから、荒事は少々あるんだ。あ、これ、イルマとダリヤちゃんには内緒な」
いつもの笑みに戻ったマルチェラにうなずき、ヴォルフは話を続ける。
「あと、生まれてくる子供の魔力が高いと、狙われたり嫌がらせを受けたりすることがあるそうなんだ。だから、子供が生まれたら、高等学院まで行って、魔導師か魔導具師になり、スカルファロット家で働くことが決まっていると言ってほしい。実際に働くかどうかは、本人が大きくなってから決めてもらっていいから」
「わかった。気遣ってもらってすまん。しかし、そっか。入学試験で魔力がわかるから、そういうこともあるのか。俺は後発魔力だったし、知られないままでいられたからな……」
後発魔力でも、土魔法が十四もあれば、商人や貴族へ売り込みをかける方法もあっただろう。いい養子の口や結婚の話も受けられたはずだ。
それをしなかったのは、マルチェラがその時の暮らしを大切にし、魔力を使って生きようとは思わなかったからだ。
マルチェラは運送ギルドに勤め、イルマという伴侶を持ち、魔力など使わなくても、幸せそうだった。
その静かで幸せな暮らしを壊すかもしれぬ提案を自分がしている、そう改めて認識する。
だが、イルマと子供を助けるためには、マルチェラも自分も、ダリヤもひけない。
「もうひとつ。その、申し訳ないけれど、スカルファロット家とダリヤに従う、危害を加えないという神殿契約を入れてもらえないだろうか?」
「もちろんだ。別に謝ることじゃねえだろ」
一瞬の迷いもなく、マルチェラは笑う。ヴォルフは少しばかり拍子抜けした。
「すまない、マルチェラ。愛着のある職場を奪うことになって。友人の家に仕えるというのも、気持ちのいいことじゃないのはわかるつもりだ」
「俺は助けてもらえてありがたいとしか思わねえよ。それとも『ウルフ』、俺がお前の家に仕えたら、もう友達だとは思いづらいか?」
「いいや、それはない。俺は変わらない。きっと、ダリヤも」
ふと、兄の背後にいつもいるヨナスを思い出した。
従者である前に親友だと、兄は自分に紹介した。
自分がいる時は丁寧な言葉を使っているが、雇い主である兄を呼び捨てにするほど親しい。
そう考えたら、マルチェラと自分達は、案外、今とそう変わらないのかもしれないとも思えた。
もっとも、このままでありたいという願望が大きいだけかもしれないが。
「なんだ。じゃあ、今とそう変わらねえじゃねえか」
自分の考えたことと、マルチェラのあっさりした声がそのまま重なる。
ヴォルフは安堵と共に笑ってしまった。
「了承を得られたと兄に伝える。そして、できるだけ早くイルマさんに魔法をかけてもらえるように願って来る。そのあと、ダリヤが魔導具師の先生のところにいるから、そっちに行ってくる」
「魔導具か……ありがたいんだが、ダリヤちゃんに無理はしないように伝えてくれ」
「それは――俺は言えない。ダリヤは魔導具師だ。イルマさんのためなら、ダリヤは無理をしてもきっと作る」
「ヴォルフ」
「俺の時もそうだったんだ」
手にした妖精結晶の眼鏡、そのレンズがわずかに青みを帯びて光る。
自分の目立つ金色の目を隠し、穏やかな緑の目に変えてくれる偽装の魔導具だ。
体力も魔力も精神力も持って行かれるような辛い製作だったのに、ダリヤは笑顔でこれを自分に渡してきた。
「ダリヤは無理をして、俺のためにこの眼鏡を作ってくれた。これで俺は初めて、王都を一人で自由に歩けたんだ。俺があきらめていたいろんなことを、彼女が救いあげてくれた。この眼鏡だけじゃない。他にも作ってもらった魔導具はたくさんある。作るのは簡単じゃないし、危ないのも、しんどそうなのも見てきた」
「だったら余計に無理は止めてくれ。俺は確かにイルマが一番大事だが、ダリヤちゃんに何かあったら……その前に止められるのは、ヴォルフ、お前だけだろうが!」
「魔導具師のダリヤは、それを望まない」
今回の魔導具製作がどんなに大変でも、止めようとすれば拒否され、場合によっては怒られる。自分には、それがはっきりとわかる。
「イルマさんに使える魔導具があるなら、ダリヤは本気で作る。ダリヤには腕の立つ魔導具師の先生がいる、イヴァーノもいる、俺も、兄もいる。もし疲労が重いならポーションを飲ませる、魔力が足りなければ魔力ポーションを渡す、どんな怪我をしても神殿で治す。命がかかるなら止めるけれど、それ以外では、俺は止めない」
自分に言い聞かせるように言葉を終え、ヴォルフは立ち上がった。
「マルチェラ、俺達は今回、頑張ってくれって、ただ応援するしかないんだよ」
「イルマは妊娠で、ダリヤちゃんは魔導具作りで、俺は待つだけか……まったく歯がゆいもんだ」
困り顔の友は、自分に続いて立ち上がる。
「ちょっと神殿本館に祈りに行ってくる。こういう時の神頼みだろ。ヴォルフも行くか?」
「……ああ」
返事が一拍遅れたが、マルチェラにうなずく。
神殿本館はすぐそこだ、時間はさほどかからない。兄のところへ行く前に寄っても問題はない。
ただ、神殿本館はなんとなく苦手だった。
自分の黄金の目を呪いではなく祝福だと言われたからか、母が亡くなった後に行って大泣きしたからか、子供の頃の記憶なので曖昧だが、落ち着かぬ場所になっていた。
それでも、今日はマルチェラと二人で真摯に祈ろう。
イルマと子の無事とダリヤの成功、そして、四人と増える一人でテーブルを囲んで、笑い合える日を願って。