165.届け物と大先生の教え
ロセッティ商会が商業ギルドから借りている部屋は、少しばかり手狭になってきた。
とにかく書類が多く、束ねておいてある棚は間もなく満杯である。手紙を入れている大きな革箱は、蓋の上に本を載せている有様だ。
ダリヤは前世で使っていたパソコンとスキャナーがほしいと、しみじみ思ってしまう。だが、こればかりは魔導具でも実現は難しそうだ。
魔導具関連の製品はとうに商業ギルドから直送とは行かず、近くに倉庫を借りている。
幸い、右から左に流れていく状態なのでそれほどスペースはいらないが、在庫管理はたいへんそうだ。
それでも、イヴァーノは提携先をいくつかみつけたとのことで、平然と一人で取り回していた。
オルランド商会も提携先の一つとして仕事を出すと言われたが、すぐ別の商会の話を続けられたので、詳しく聞くのはやめた。
おそらく、イヴァーノは自分に気を使っているのだろう。商会としての付き合いならば気にしないのだが。
ただ、少し意外だったのは、それまで商会の人員を増やそうとしていたイヴァーノが、『時間をかけたい』と言ってきたことだ。
『今後は貴族の絡む取引となるので、商会員は信頼できる者を慎重に探したい、それまで金額はかかるが、商業ギルドからのサポート人員で回したい』そう言われて、納得した。
今は、ギルドのサポート人員として来てくれている者が二人いる。
外への手紙や書類運びなどもお願いしているそうで、ダリヤは直接ゆっくりと話したことがないが、イヴァーノの負担が減ればと願っている。
『貴族後見人』については、ヴォルフは遠征が多いので、代理としてグイードではどうかと持ちかけられた。
少し考えたが、ヴォルフの勧めもあり、ありがたく受けることにした。
ヨナスのウロコにグイードの保証人、二人ともに借りができてしまったので、ヴォルフに何か返せるものはないか尋ねてもらうようお願いしている。
ちなみに、ヴォルフは先に多種類の干物を山と持っていき、喜ばれたと笑っていた。
今度こそ、室内で干物を焼いているのではないかと不安がつのったが、どうにも聞けなかった。
そしてもう一つ。財務部長のジルドが『貴族後見人』を申し出てくれた方はどうしたらいいのか、気がかりでイヴァーノに尋ねた。
が、『あれは心配だから早く貴族後見人をつけろという意味らしいです。頼めば実際になってくれたと思いますけど』と呆気なく説明され、納得した。
ジルドという男は、行動は早いが、意地っ張りというか、やり方が素直ではないらしい。
とりあえず、ガブリエラに聞いて必死に礼状を書き、遠征用コンロ二台と微風布のマフラーを十本ほど贈った。
贈った翌日に、隣国の魔羊の毛で編まれた赤い高級絨毯と、高い緑茶と礼状が届いた。慌てて再度礼状を返さねばならなくなるという、胃の痛い体験をした。
そして今日、ギルドでイヴァーノと帳簿確認を終えた頃、ヴォルフがやってきた。
五日ぶりの休みで、ダリヤと食事の約束をしていたためだ。
イヴァーノを含め、三人で仕事内容を含んだ雑談をしていると、ノックの音が二度した。
「ロセッティ商会様に、冒険者ギルドの方よりお届け物があるとのことです。あの、お通ししてもよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
確認に来たギルド員が妙に緊張しているのは、ここに大先輩であるイヴァーノがいるからか、それともヴォルフが気になるのだろうか。そう思いつつ、ダリヤはサインをするためのペンとインクを取り出す。
隣ではヴォルフが椅子にくつろぎ、向かいではイヴァーノが積み上げた書類を一括りにしようと、紐をきりきりと引っ張っていた。
「お久しぶりです、ロセッティ商会長。森大蛇をお届けにあがりました」
「アウグスト様!」
ドアをくぐってきた男の顔を見て、思わず大きい声が出た。
ヴォルフも目を丸くし、イヴァーノは手元の紐をぷつんと切った。
「先触れもなく申し訳ありません。ちょうどこちらに用向きがあったものですから」
銀の箱を重ねて持ってやって来たのは、冒険者ギルドの副ギルド長、アウグストだった。
赤茶の目を細め、とてもいい笑顔で挨拶をされる。
なぜ冒険者ギルドの副長が自分で素材を届けに来るのだ、そこはギルド内の運搬員か、運送ギルドに頼むところだろう。そう思ったが言えず、慌てて椅子を勧めた。
「ああ、ヴォルフレードもこちらでしたか。ちょうどよかったです」
笑顔で机の上に並べられたのは、三つの魔封箱。一つは大きく、他二つは小さい。
「こちらが森大蛇の心臓と牙、皮も少しあります」
「この前のものがあがってきたのですね」
「はい。心臓はたいへんきれいに仕上がりましたよ」
一番大きい魔封箱の中身は、先日の遠征で魔物討伐部隊が獲ってきた、森大蛇らしい。
「よかったね、ダリヤ。これで腕輪が作れる」
「あ、ありがとうございます」
うれしげに言うヴォルフだが、今、ダリヤがつけている魔導具の腕輪は、作るのがたいへんに難しい。
オズヴァルドからは、一年から数年で作れるようになれると言われたが、ちょっと魔力が上がっただけで振り回されている身としては、なんとも自信がない。
「こちらはブラックスライムの粉、一体分、こちらが一角獣の雌の角です」
「あの、ブラックスライムの粉を注文したのは他の商会ですし、一角獣の注文はしていませんが……」
アウグストの説明に慌てて答える。
ブラックスライムの粉は、オルランド商会に注文したはずだ。一角獣を注文した覚えもない。
「いえ、この二つは贈答品としてお受け取りください。うちのジャンより、お礼の品です」
「ジャンさんから、私にですか?」
先日贈った、小型魔導コンロのお礼だろうか。でも、あれはロセッティ家の謝罪として贈ったもので、返礼されるようなものではないはずだ。
そう考えている自分に、アウグストが微笑んだ。
「ジャンにゾーラ商会長をご紹介頂いたそうで、ありがとうございました。いろいろと面倒を見て頂いたようで、ジャンは、今ではゾーラ商会長を『先生』と呼んで慕っております」
アウグストから差し出されたカードには、角ばった几帳面な字で、当たり障りのないお礼の言葉が書かれていた。
ジャンのサインの横、飾りに押された小さな蠍模様のスタンプに、ダリヤはつい笑んでしまう。
「ゾーラ商会長のご指導のおかげで、ジャンは仕事時間を減らしても、今までと遜色ない働きです。ようやく新しい仕事も受けてくれました」
「そうでしたか……よかったです」
「ブラックスライムのもう一体は、粉にしてオルランド商会に回しました。いずれあちら経由で届く形になるでしょう」
さらりとブラックスライムを二匹獲ってくるあたり、ジャンはやはり元上級冒険者なのだと納得した。
「私からも、ダリヤ嬢にお礼を申し上げたいと思いまして――ご紹介頂いた後に、ジャンの妻子が戻って来ました。彼の家庭が守られて、本当によかった。上に立つ者として無理をかけていたので、安心しました」
「お言葉ありがとうございます。でも、私ではなく、ゾーラ商会長にお伝えくださいませ。ジャンさんがお元気になられたなら、本当によかったです」
ジャンが家族とまた一緒に暮らしていると聞いて、なんともうれしくなった。
きっと、ジャンはオズヴァルドと蠍酒を飲みながら、いいアドバイスをもらえたのだろう。それで、オズヴァルドを『先生』と呼ぶようになったにちがいない。
「ジャンはとても幸せそうですよ。少々、『幸せやつれ』はしていますが……」
「え?」
いきなり苦笑したアウグストに、思いきりあせる。
「あの、ジャンさん、どうかなさったんですか?」
妻子が戻ってきたのに、幸せにやつれているとはどういうことか。
また、家族のためと言いながら無理をして働いているのではないか。
ダリヤは一気に心配になった。
「なんでも思うところがあって、今の奥様と話し合ってやり直しをすると共に、前の奥様に謝罪をしに行ったのだそうです。そこで、前の奥様がまだお一人だったとのことで、皆で話し合って、一緒に暮らすことにしたと聞きました」
「はい……?」
「再婚したので、今の奥様が第一夫人、前の奥様が第二夫人という形になりました。すべてが丸く収まって本当によかったです」
「……たいへんに、喜ばしいことです。ジャンさんに、どうぞお祝いをお伝えください……」
ダリヤは声の揺れを最小限に抑え、なんとか祝いの言葉を口にする。
めでたい、喜ばしい。
でも、庶民的感覚で、つい思ってしまう。
ジャンは、何もそこまでオズヴァルドに師事しなくても、よかったのではないだろうか?
今の奥様と復縁するのはわかる。
前の奥様まで一緒に復縁するのがわからない。
いや、現在の奥様が納得しており、前の奥様とも想い合っているならありだろう。
ジャンと奥様達と子供が幸せなら、それでいいはずだ。何も問題はない。
そもそも自分がどうこう考えることではない、きっと。
「前の奥様が上級冒険者なので、ジャンと一緒にブラックスライムを獲ってきたそうです。勝負をしたものの、各自一匹ずつだったと笑っていました。息子さんも連れて行ったそうなのですが、一角獣が寄ってきたので、ついでに仕留めてきたそうです」
「……ついでに一角獣……」
ダリヤの斜め後ろ、イヴァーノの低いつぶやきが落ちた。
動きが速く仕留めづらい稀少な魔物も、上級冒険者にはついでになるらしい。
そういえば、魔物討伐部隊も、討伐のついでに森大蛇を仕留めてきたと言っていた。
このところ急に、稀少な魔物に理不尽な存在が多くなった気がするが、考えないことにする。
「ジャンは異動により、スライムを含めた魔物の養殖部長となります。第二夫人には冒険者ギルドに所属してもらい、ジャンの補佐とすることにしました。今までより時間のゆとりもとれると思います。ジャンより『ロセッティ商会長にはお世話になりましたので、今後も素材に関することは遠慮なくご相談ください』とのことでした。今後もどうかよろしくお願いします」
「お気遣いありがとうございます。もったいないことです」
その後も少しばかり話をし、ダリヤは貼り付けた笑顔でアウグストを見送った。
「流石、オズヴァルド大先生……」
三人だけとなった商会部屋に、イヴァーノの感嘆の声が響く。
確かにジャンは家族を取り戻せた。
流石、オズヴァルド大先生で合っている。むしろそれ以外、表現する言葉がない。
何をどうしたらそうなったのかは想像もつかないが。
イヴァーノはその紺藍の目を、黒髪の男に向けた。
「……ヴォルフ様も、一度、オズヴァルド先生のところで教えを乞うのも、いいんじゃないですかね?」
「なんで俺が、オズヴァルドに教えられなきゃいけないのかな、イヴァーノ? 俺、第二夫人とか第三夫人とか、いらないんだけど」
イヴァーノの言葉に、ヴォルフはひどくむっとした顔で返す。
しかし、イヴァーノは一切のフォローをしない。
珍しく、二人の空気がとても険悪だ。ダリヤは慌てて止めに入った。
「イヴァーノ、ヴォルフは行く必要がないです!」
「お、ダリヤさん、そう思います?」
「ダリヤ……」
「ええ、ヴォルフならわざわざ行かなくても、望めば第一から第十夫人ぐらいまで、簡単に来そうじゃないですか」
二人の視線を受けながら、ダリヤはきっぱり言い切った。
ヴォルフならば、ちょっと希望しただけで、第十夫人どころか、二十、三十も簡単にいきそうだ。
「第十夫人……ヴォルフ様、すごく、褒められてますね……」
「なんだろう、すごく、うれしくない……」
男達は、ただうつろに笑うばかりだった。
(第一夫人がいらないとは言っていないのです……)