106.女神の料理法そのご
女神の矜持を傷つけたのか、一方的な脅しには従えないとでもいうのでしょうか。
追い詰められ、このままじゃ揚げられちゃう! という状況にある女神は、それでもまぁちゃんの警告に頷きはしませんでした。むしろはっきり「嫌」って言っちゃいましたしね。
どう考えても、余程の楽天家でもない限りは身に迫る危険をひしひしと強く感じる状況だと思うんですけどねー……勇者様への執着故に拒否したのか、それとも女神の誇りにかけて拒否したのか。あるいは他の理由が何かあるのか。どれでも良くはありますが、根底にある理由が何であるかによっては勇者様の心に優しくない方向へと事態が加速しそうです。
ま、女神の動機が何なのかなんて。
私達には重要でもなんでもないんですけど。
大事なのはただ一つ。
この女神が、私達の差し伸べた最後の機会をふいにしたってことです。
勇者様への干渉権限を、手放しやがらなかったってことです。
だから。
容赦はやっぱり必要ありません。
「――確認だ。もう一度聞く。本当に、ライオット・ベルツの身柄を手放す気はないんだな?」
念押しに、確認の為でしょう。
まぁちゃんの声が、再び女神の頭上から降り注ぎます。
声の発生源……ほぼ真上をキッと睨み上げ、女神は強い口調で、断定的に述べました。
「あの男は私の物にすると決めたのよ。誰だろうと渡しはしないわ」
「そうか……」
深々と、溜息のような吐息交じりにまぁちゃんは呟きました。
「じゃ、落ちれ」
そして唐突に、女神の背後に姿を現し、無造作に蹴り飛ばしました。
「えっ」
蹴っ飛ばされた勢いのまま、女神が落下していくのは……
ぐらぐらと煮え立つ、地獄の巨釜改め揚げ物用油鍋。
そこに水で丸洗いされ、調味料を摺りこまれ、水溶き片栗粉に浸し、パン粉を塗された女神が落ちていく……まるで、揚げ物用の鍋に投入される海老の様に!
「ひっ……ぃ、やぁぁああああああああああっ!!」
凄まじい悲鳴が、鍋の中で反響します。
でも女神に待ち受ける末路は、これだけで終わりません!
ざっぱぁぁあああっと。
鍋に満たされた煮えたぎる油の海から。
「大・歓・迎、でっすのー!」
うねる触手の塊……漆黒の闇を全身に纏ったクラーケンと、その頭部の上に鎮座したせっちゃんが!
「ちょっと待て! 油! 油ぁぁ!」
画像を見ていた勇者様が身を乗り出して、指でわたわたとせっちゃん達を差して慌てています。
「どうしたんですか、勇者さん」
「リーヴィル殿!? 姫は、姫はアレどうなんだ! 油だぞ!? 高温で熱せられた油の中に潜んでいて、どうして大丈夫なんだ!」
「ああ……良くご覧ください。殿下も、そのペットも全身を黒い光に覆われているでしょう?」
「あれ、セトゥーラ殿下の魔力で防御してるから。魔力の層で高温油の影響を遮断しているんだよ」
「随分と都合が良いな!?」
「まあ、殿下も魔王の血筋だしね……人懐っこくて素直な性格から侮る奴も多いけど」
「殿下は魔王陛下の実の妹君。幼く見えても、実力は折り紙付きです」
「その実力、発揮のしどころ間違えていないか……?」
勇者様のぼそっとした疑問に、魔王の臣下二人がそっと視線を逸らしました。
あ、二人とも発揮のしどころおかしいって思ってたんですね?
わかっていませんね、せっちゃんはアレで良いんです。
せっちゃんのお友達……クラーケンのきゅーちゃんの触手に絡め取られ、女神は煮えたぎった油の海に消えました。
それを見届けてからまぁちゃんは戻って来ましたが……
まぁちゃんは、なんというか呆れと妙な感心に染まった顔をしていました。
あとなんか若干疲れているようにも見えます。
そんな顔をしたくなる気持ちも、判らなくはないんですけどね。
だって当初の計画では……勇者様の顔を装着させたイソギンチャク共と、サルファの声帯模写による嫌がらせ同然の妨害工作で、女神には完全に嫌気をさしてもらう予定だったんですから。
そう、本来はそういう計画だったんですよ。
勇者様に幻滅……まではいかなくとも、拒絶反応が出る様にして、女神の方から手放したくなるように仕向けるっていう。それで穏便に勇者様の手を放してもらって、誰憚ることなく自由の身になってもらおうって。
だっていうのに。
蓋を開けてみれば、この結果。
計算違いも良いところです。まさかあの……イソギンチャク共の猛攻・猛追を受けてなお、勇者様への変わらぬ執着を見せるだなんて。
アレで駄目となると、ちょっと困ってしまいます。
少なくとも私には、アレを経てなお変わらぬ固い意志を持った方を相手に、その信念を捻じ曲げさせるような手段は簡単に思いつけそうにありません。
思いついたとしても、今までのアレを越えられるモノは容易に考え付けそうにない。
どうしたものでしょう。
なんとか、女神から言質を取りたかったんですけれど。
だってこの天界の面倒な掟だかなんだかのせいで、女神に承諾させないことには勇者様を下界に連れ帰ることが出来ません。
困って、途方に暮れて。
そんな私達の様子を目で確認して、まぁちゃんが深々と重い溜息を吐きました。
「もうお前、諦めちまえば?」
「なんて不吉なことを言うんだ、まぁ殿!? 縁起でもないっ」
「考えようによっちゃ、ほら、なんだ? あれだ。あそこまで強く思ってもらえてんだから何かの冥利に尽きるとかなんとかそんな感じに錯覚してこねぇ? これも一種の幸せ的なナニかかもしれねーだろ」
「錯覚の時点で気のせいだからな、それは。まぁ殿、君が俺の立場でも同じことが言えるのか……!」
「は? 俺がお前の立場だったら? あっはっはっはっは。首くくるわ」
「まぁ殿ぉぉおおおお! 君はそう思うんだろ!? だったら……っ」
「相手全員の首をな」
「く……っまぁ殿はまぁ殿だった。この魔王ー!」
「ただの事実を言われても、なんも心に響かねぇなー」
多分、まぁちゃんは心底面倒臭くなったんだね。
これで女神があそこまで頑なになってなくて、まだ心につけ入る隙があれば違ったと思うんだけど。女神が私達にあそこまでさせておいて、それでも心を折らずに貫き通したものだから……強固な心を折るのにどれだけの手間がかかるのか読み切れなくて、面倒臭くなった……と。
「勇者様、安心してください! 私は見捨てませんから」
「リアンカ……!」
「女神の心につけ入る隙が無いのなら、無理やり穴を穿ってでも抉れるだけの隙を強引に作って差し上げるだけです!」
「何故だろう。俺の為にやってくれている事だとわかっているし、言いたいことはわかるのに、なんとなく止めなきゃいけないような気がしてくるのは」
「きっと勇者様の気のせいですよ!」
ですが、先程までのアレ以上の追い詰め方をしなくっちゃいけないとなると……骨なのは確かですね。
今までよりも更にとなると、何が必要でしょうか?
私一人じゃ考えるにも限界があるので、ちょっと意見を募ってみました。
……ら、こんなお声があった訳です。
「旦那呼べば?」
鍛冶神様には、捕獲した後に用が済めば進呈するというお約束だった訳ですけど……
あれ? そういえばまだ用は済んでいませんが、既に捕獲は完了していますね? ある意味。
「後は美貌に拘りのある神様だし……顔面に壮絶な落書きでもしてみちゃう? その顔面を広く公開するって脅しは有効そうじゃない?」
「ヨシュアンの意見は女性に対して惨いものですが……不思議と心は全く痛みませんね。私の方から追加の意見ですが、前髪前線の後退した小太りの中年男性に変貌させる、というのはどうでしょうか」
「リーヴィルの方がよっぽど惨くない!?」
「主神の奥方様に強力を願ったら、お手伝いしてくれないかなぁ……」
みんな、中々に素敵な意見が次々出て来ました。
独創性あふれるものから、ありきたりなものまで。
でもあんまりやり過ぎると、鍛冶神様に引き渡す時に気まずくなりそうでちょっと心配です。
「……ここで何もやらず、色々考えていても仕方ないですね! 為せば成る! 何かしないことには、現状は何も変わらない……ってことで、取りあえず鍛冶神様をお呼びたてしてみましょーか!」
相手は引籠りの神様なので、自分から足を運んでほしいっていうのは少し心苦しいですけれど。
そこは何とかうまいこと言いくるめて、どうにかこうにかここまで連れてきていただきたい。
「という訳で、鍛冶神様のお出ましについてはお任せしました酒神様!」
「わーい、こういう時ばっかり頼られてるーぅ☆」
「他に適任の方もいませんし、仕方ないと思って諦めて下さい」
そんな訳で、今後の第一方針。
鍛冶神様の召喚です☆
……と、思っていたんですけどね?
時として思い掛けない事態ってやつは、向こうからくるものだったようです。
「ナターシャ殿は、こちらかぁぁぁああ!!」
突如、そんなお声と共にスパーンと。
壁に穴が開きました。
スパーンと……すぱーん、と。壁を綺麗な断面でくりぬいて切り出しましたよ!?
いきなりの声と壁の穴。神殿の外からの侵入者。
驚いて身を固くする私達の前に、神々しい光を纏った青年神がひとり。
え、誰この金髪男子。
……『ナターシャ』って呼ぶ声が聞こえたんですけど、まぁちゃんのお知り合いですか……?
危ぶむ気持ちで、見上げた先。
まぁちゃんは苦虫を噛み潰したような、そんなお顔で。
「陽光神の野郎……もうこの場を嗅ぎつけやがった」
忌々し気に、ボソッと呟くのでした。