ミスマッチ
【転職屋店主 カナメ・モリモト】
「クルネちゃん、力を貸してくれ! モンスターが出た!」
切羽詰まった声が店内に響き渡ったのは、昼過ぎのことだった。奥の部屋でお客さんと話していた俺ですら驚く大音量だ。
そして、この声には聞き覚えがある。村に一軒しかない宿屋の主人をしているボーザムさんだ。
「申し訳ありません。緊急事態のようですので、暫くお時間を頂けますか?」
モンスターの襲撃。魔物の巣窟たるシュルト大森林と接しているこの村では、それ自体は珍しいことではない。
だが、宿屋の主人にして自警団の一員でもあるボーザムさんがここまで焦っているとなれば、よほどの事態が起きているのだろう。
そう判断すると、俺は現場へ向かうことを決めた。
「村の危機ですもの、構いませんわ」
眼前のお客さんが快諾してくれたことにほっとする。彼女の名前はアデリーナ・ヒルフェルト。口調がアレなのでいいとこのお嬢様かと思っていたら、普通に辺境の住民だった。なんて紛らわしい。
……話がそれた。ともかく、彼女はこの村よりもさらに南、海につながる断崖絶壁ぎりぎりにある小さな村の住人で、もちろん転職希望者だ。
俺はちょうど、このアデリーナさんへの対応を決めかねていたところだったので、これ幸いと解決を先送りにする事にしたのだった。
「ですが、わたくしも同行いたします」
「え……?」
俺が驚いて聞き返している間に、彼女は素早く身支度をする。そして壁に立てかけてあった槍を手にとると、そのまま部屋を駆け出していった。
……まあ、戦力が増える分にはいいか。そんな事を考えながら、俺は彼女の後を追った。
◆◆◆
「カナメ! ボーザムさんの声聞こえてたよね!? 私、行ってくるから!」
俺が店の外に出ると、それを待っていたようにクルネが声をかけてきた。普段はつけていない革鎧を着用し、手には彼女の愛剣が握られている。
「分かった、俺もすぐ行く。場所はどこだ?」
「北の門の近くまで来てるみたい!」
そう言うと、クルネは北へ向かって走り去った。さすがは剣士の全力疾走だ。あっという間に姿が見えなくなる。
急ごう。俺は周囲を見回すと、近くの茂みで居眠りしていた妖精兎を小脇に抱えて、北門へと走り出した。
やがて、北門へ向かった俺が目にしたのは……数十体に及ぶ巨大な鼠型モンスターだった。
――――――――――
【依頼人 アデリーナ・ヒルフェルト】
「もう、何なんですの!?」
自身を凄まじいスピードで追い抜いていった人影に、アデリーナは思わず声を上げた。風圧で肩まである緋色の髪が舞い上がる。
少し重めの装備を着けているとはいえ、身体能力にはそれなりに自信がある。その彼女がこうもあっさりと追い抜かれるなど、初めての経験だった。
――しかも、なんだか転職屋の店員に似ていたような……。
そんな事を考えながら北門へと急ぐ。そこには、予想外の光景が広がっていた。
「あれは……巨大鼠?」
鼠型モンスターは、森に棲息する魔物の中では比較的弱い魔物に分類される。しかし、群れて襲ってくるため、実際の討伐の難易度はそう低くはない。そして、そんなモンスターが――。
「五十体はいますね」
「きゃっ!? あ、貴方は……!」
突然背後から声をかけられ、アデリーナは思わず悲鳴を上げた。振り向くと、そこにいたのは先ほどまで顔を合わせていた転職屋の店主、カナメだった。脇にはなぜか兎を抱えている。
「アデリーナさん、あなたはこの村の人ではありません。無理に戦おうとしなくても大丈夫ですよ」
カナメは真剣な目でアデリーナに話しかけてくる。だが、鼠型モンスターとはいえ、この数だ。無傷で切り抜けることはできないだろう。
それは、自分の村で自警団副団長をつとめているアデリーナにもよく分かった。しかし、だからといって一人逃げ出すつもりはない。
「店主さん、わたくしの信念は先ほどお話させていただいた通りですわ。恩人に顔向けできないような真似はしたくありません」
アデリーナはそう告げると、視線をカナメからモンスターへと移す。そんな彼女に対して、カナメはあっさりと引き下がった。そして、代わりに一つの提案を行う。
「分かりました。でしたら、一つだけ提案があります。戦うのはクルネ……彼女一人では手に負えないと分かった場合だけにしてください。他の団員もそのつもりです」
言いながら、カナメは前方にいる女性を指差した。そこにいたのは、やはり先ほど転職屋でアデリーナを案内してくれた店員だった。さっき彼女に追い抜かれたと思ったのは錯覚ではなかったらしい。
「……彼女は何者なんですの?」
「剣士ですよ。この村の住民で唯一の固有職持ちです」
そう答えたカナメの表情は、少し誇らしげだった。
◆◆◆
戦いは圧倒的だった。本来であれば、巨大鼠一匹を確実に倒すためには、『村人』四,五人がかりで戦う必要がある。
だが、クルネという少女が剣を振るうたび、全長二メートルはありそうな巨大鼠の四肢が、あるいは首が切り飛ばされる。
彼女の動きは非常に俊敏であり、動態視力に優れているアデリーナをしても、その動きを正確に捉えることはできなかった。
「これが固有職持ちの力……。たしかにあの方に通じるものがありますわね……」
まだ彼女が幼い頃、自分を窮地から救ってくれた女槍使い。冒険者だった彼女はすぐに村を去ってしまったが、アデリーナは今も彼女の背中を追いかけている。
少し浮いた言葉遣いだって、元はといえば彼女の影響だ。それくらい、アデリーナの中で彼女は英雄だった。
そんな恩人の姿が、眼前で戦っている少女と重なる。ふと気がつけば、少女の周囲には三十体ほどの巨大鼠の屍が転がっていた。多少息は上がっているようだが、少女にはまだ余裕があるように見える。
稀に、彼女をすり抜けて、後ろに控えている自警団目がけて襲いかかろうとする個体もいるが、そこは十数人いる自警団員が、セオリー通り集団で巨大鼠を取り囲み、危なげなく撃破することに成功していた。
このままいけば、ほぼ無傷のままモンスターを退けられるだろう。アデリーナは冷静な目でそう判断していた。
だが、そう上手く事が運ばないのが世の常だ。やがて、少女の動きが変わった。
無駄のない動きで確実に巨大鼠を切り捨てていた彼女だったが、今までのように、一振りでモンスターを両断することができなくなっている。固有職持ちの体力であれば、もうスタミナ切れということはないはずだが――。
その様子に首を傾げたアデリーナだったが、少女の動きを観察するうちに、やがて一つの推論に至った。
「もしかして、獣脂で剣が切れにくくなっているのでは……?」
そう確信したのは、少女が近くの巨大鼠に衝撃波を叩きこんだ時だった。
固有職持ちは、その身体能力の向上以外にも、特技と呼ばれる様々な特殊攻撃を行うことができる。扱える特技には個人差があるが、衝撃波で中距離の敵を斬る衝撃波はその代表的なものだ。
稀に『村人』の中にも特技持ちがいるため、固有職専用技というわけではないが、それでも固有職持ちが使用した時の破壊力は『村人』の比ではない。
だが、普通に斬れば倒せる相手に対して、わざわざ衝撃波を使う必要はない。命中率も下がるし、体力の消耗も多いはずだ。それらの事から、アデリーナは少女の剣の切れ味が鈍くなっているのではないかと予想したのだった。
重みで押し潰すように剣を使っている者ならともかく、少女のようにスピードを持ち味としている剣士にとっては好ましい事態ではない。
「なんだって!?」
アデリーナの呟きに、傍にいたカナメが驚きの声を上げる。敬語を使わない彼は新鮮だったが、今はそれを指摘している場合ではなかった。
「そういう事だったのか……」
アデリーナの推測を聞いたカナメは、納得したように頷いた。
「しかし、あのモンスターの群れを突っ切って替えの剣を届ける事は――」
「自殺行為ですわね」
カナメの言葉をアデリーナは即座に否定した。だが、アデリーナにしてみれば、特に焦るようなことではない。
「店主さん、もっとあのお嬢さんを信じてあげてくださいな。たしかに剣の切れ味は失われていますけれど、防御に使う分には問題ありませんし、後は衝撃波で一体ずつ仕留めていけば充分ですわ。
ほら、彼女に焦りの色はないでしょう?」
多少時間はかかるでしょうけれど、と付け加えてアデリーナは言葉を切った。それは、自身を戦いの場で磨き続けた者のみが持てる洞察力だ。
この青年は戦い慣れしているようには見えないし、そこまで気付けと言う方が無茶な話だろう。むしろ、なぜこの場にいるのかが不思議なくらいだった。
「キュゥゥゥッ!」
その疑問を投げかけようとした時、カナメが連れてきた兎が、鋭い鳴き声を上げた。兎は目の前の巨大鼠の群れではなく、その左手にある森に対して耳をぴくぴく動かしている。
「何ですの……?」
それにつられて、左手の森を注視したアデリーナは、そこに見たくないものを発見してしまう。
「新手の巨大鼠ですわ! 左の森に約二十体!」
すぐに声を上げ、自警団に警戒を促す。もはや、先ほどまでの楽勝ムードは影もなかった。なぜなら、新たなモンスターの群れは剣士の少女ではなく、自警団目がけて襲いかかってきたからだ。
「密集陣形だ!」
自警団長らしき男が、自警団員に指示を出す。しばらく唖然としていた団員は、その言葉で我に返り、閉じた北門を背に半円状に集まった。
彼らは少女のような固有職持ちではない。個別で戦っていては、確実に全滅する。
「この野郎!」
自警団員の一人が、突出してきた巨大鼠を斬りつける。だが、その刃は鼠の脇腹を軽く切り裂くにとどまった。傷をつけられた巨大鼠は、怒り狂って刃の主に襲いかかる。
「ミルス!」
近くにいた団員が声を上げた。本当であれば助けに入りたかったのだろう。だが、団員のほとんどは、自分自身に襲いかかる巨大鼠への対応で精一杯だった。
「この!」
ミルスと呼ばれた団員の肩口に齧りついた巨大鼠に、アデリーナは愛用の槍を突き刺した。武器の特性上、彼女は防御陣形の最前線ではなく、やや後ろで構えていたのだ。
「キィィ……!」
槍に貫かれた巨大鼠が悲鳴を上げる。だが、それなりに手ごたえはあったものの、絶命させるには至らなかったらしい。ミルスに齧りついていた巨大鼠は、ぎこちない動きで自警団から距離をとった。
「貴方、大丈夫ですの!?」
その隙に、アデリーナはミルスを密集陣形の内部へと引きずり込んだ。見たところ、右肩が完全に砕かれている。もはや戦力には数えられないだろう。
「く……っ」
周りをみれば、負傷しているのは彼だけではなかった。元々、一体を討伐するのに四,五人は必要となるモンスターだ。たとえ防御に専念したとしても、それで凌げるものではない。
アデリーナはちらりと剣士の少女に視線を向ける。彼女もこちらの状態に気づいている様子だったが、救援に来るにはまだ時間がかかりそうだった。そして、おそらくこの陣形はそれまで保たない。
……だが。実を言えば、この状況を打破する方法に心当たりはある。しかし、それは同時にアデリーナの夢が潰えることを意味していた。苦悩する彼女の脳裏に、ふいに転職屋での会話が蘇る。
――あなたにとって何が目的であり、何がその為の手段なのですか。
「わたくしの目的……」
彼女は、一つの決断を下す。
―――――――――――
【転職屋店主 カナメ・モリモト】
「本当にいいんですね?」
「わたくしが決めたことです。二言はありませんわ」
アデリーナはまっすぐ俺の目を見ると、静かに頷いた。それを確認して、彼女に意識を集中する。すると、彼女の中にとある力のイメージが視えてきた。
俺には人を転職させる能力があるが、日本のRPGのように、固有職名が見えたりするような便利なものではない。
ただ、なんとなく「戦士職っぽいな」「なんだか刃物のイメージ」という曖昧な感覚があるだけで、実際にどんな固有職に変わったのかは、その人のステータスプレートを見なければ分からない。
だが、それでも転職能力を使い続けるうち、なんとなく予想はできるようになってきた。その予想が外れるといいな。そう思いながら、俺は能力を行使した。
◆◆◆
「……」
転職したアデリーナは、自警団に群がる巨大鼠の群れを睨みつけた。だがその直後、彼女は槍を持ったまま陣形の最後部、北門まで自らを後退させる。
その一見奇行に見える彼女の行動は、俺の予想が正しかったことを裏付けるものだった。
最前列ではなかったとはいえ、アデリーナが突然戦線を抜けてしまえば、崩壊寸前だった陣形が崩れることは明らかだった。そこで、彼女がカバーしていた箇所を埋めるように、俺は最前列へと進み出た。
「キシャアアアアアアアア!」
およそ鼠らしからぬ鳴き声を上げて迫ってくる巨大鼠は、正直な話とても怖い。一応革鎧を装備しているとはいえ、俺は平和慣れした日本人でしかない。普通なら、一撃でのされて戦線離脱だろう。
だが、俺には優秀なボディガードが付いていた。
「キュッ!」
普段よりは幾分勇ましい鳴き声を上げたキャロが、俺に迫る巨大鼠を目にも止まらぬ速さで蹴り飛ばす。
吹っ飛ばされた巨大鼠は数メートル転がり、ようやく動きを止める。絶命はしていないようだが、ピクピクと痙攣して動かないあたり、無力化には成功したと思っていいだろう。
「なんだあれ……」
自警団員のうち、キャロのことを知らないメンバーが、ちょっと引き攣った表情でこっちを見ている。小動物に分類される兎が、全長二メートル級のモンスターを蹴り飛ばしたのだ。気持ちは分かる。
キャロは妖精兎だ。だが、妖精兎に戦闘能力があるかと言われれば、答えはノーだ。その身体能力は、普通の兎に毛が生えた程度でしかない。
にも関わらず、キャロがあり得ない身体能力を発揮している理由。
それは、キャロが俺の転職者第一号だったからだ。
動物は固有職を持たない。それは常識云々以前に、誰も考えることすらしない話だった。俺も村で見かけた色々な動物に試してみたが、幸か不幸か、転職できる動物は見つからなかった。
キャロが特殊なのか、それとも何か条件的なものがあるのかは分からないが、この小さなボディガードは、今のところ世界で唯一の固有職持ち動物だった。
「キュッ!」
また、俺に襲い掛かってくる巨大鼠をキャロが蹴り倒す。脳天に踵落としを決められた鼠は、その場にどさり、と倒れた。
「キャロちゃん、さすがだな!」
キャロのことを知っている団員から歓声が上がる。できれば、このままキャロに巨大鼠を殲滅してもらいたいところだが、最初からそうしなかったのには理由があった。
「キュゥ……」
おっと、そろそろだな。三体目の巨大鼠を撃退すると同時に、キャロの耳がぺたんと倒れた。それを見た俺は、大慌てでキャロを回収する。
キャロの身体のサイズでは、本来の固有職の力を発揮するのは無理があるのか、すぐに体力が尽きてしまうのだ。少し休めばまた元気になるが、こういう乱戦の場には不向きだった。
だが、時間を稼ぐには充分だ。
「――火炎槍!」
背後から威勢のいい声と共に放たれた魔法が、一体の巨大鼠を直撃する。
元々毛皮に油分を含んでいる鼠だけあって、盛大な炎があがり、その炎はモンスターを瞬く間に焼き尽くした。
その後も立て続けに放たれた魔術の炎が、次々と巨大鼠を燃え上がらせる。
至近距離で戦っていた者の中には、燃え上がるモンスターの熱気に灼かれて火傷を負った者もいたが、あのまま全滅することに比べればはるかにマシというものだろう。
全ての巨大鼠が炎に包まれるまでに、そう時間はかからなかった。そして……。
新たに出現した巨大鼠が全滅した事を確認すると、俺はアデリーナの下へ向かった。なんとなく、彼女を一人にするのは気が引けたのだ。彼女は槍を握りしめたまま、北門に寄りかかって立っていた。
「大丈夫でしたか?」
「……当然ですわ」
アデリーナの台詞に反して、彼女が疲労困憊しているのは誰の目にも明らかだった。魔力を使い果たしたのだろう。魔法を使えるようになったばかりの身で、あれだけの魔法を連続使用したのだ。むしろ、途中で倒れなかった方が不思議なくらいだった。
「やはり魔術師でしたか……」
俺は複雑な心境で口を開いた。アデリーナは元々、転職希望者として店を訪れていた。しかも、彼女には転職できるだけの素養もあった。
だが、彼女はそこでどうしようもない現実を突きつけられることになる。
彼女の資質は、槍使いではなく、魔術師として発現していたのだ。その事実に、アデリーナは大いにショックを受けた。
彼女がまだ幼い頃、その命を助けてくれたという冒険者は槍使いの固有職を持っていたらしい。
その冒険者に憧れ、血の滲むような修練を重ねたおかげで、彼女は近隣の村から『槍の名手』と認識されるようになる。その名前はクルネも知っていたくらいだ。
しかしアデリーナは、モンスターと戦えば戦うほど、自分とその冒険者との実力差を痛感するようになっていった。そんな時に耳にしたのが、転職屋の噂だったというわけだ。
「後悔はありませんわ。わたくしが目指していたのは彼女の槍使いとしての強さではなく、辺境の住民でも分け隔てなく助けてくれた彼女の生き方それ自体ですもの。槍でも魔法でも、それは目的を果たす為の手段でしかないのですから」
アデリーナの口調に湿ったものは感じられなかった。とはいえ、そこまで簡単に吹っ切れるものではないだろう。彼女が槍術の修練に費やした時間や覚悟を思えば、それは当然のことだ。
だが、それは彼女以外の人間が口をはさむことではない。俺はただ、黙って頭を下げた。
クルネが最後の巨大鼠を衝撃波で仕留めたのは、アデリーナが新手の巨大鼠を殲滅してすぐの事だった。
◆◆◆
「カナメ、お疲れさま! 大丈夫だった?」
アデリーナと雑談を交わしていると、クルネが足早に駆け寄ってきた。普段のクルネは会話に割り込むタイプではないのだが、戦いの後でテンションが上がっているのだろう。
「お疲れさま、クルネ。怪我はなかったか?」
クルネの身体には、巨大鼠の返り血があちこちに付着していたため、一見しただけでは傷の有無は確認できなかった。気にはなるが、あまり女性の身体をじろじろ見るわけにもいかない。
「うん、大丈夫。多少の傷は受けたけど、すぐに治っちゃうよ」
彼女の言葉に嘘はなさそうだった。ただ、クルネが一瞬身体を隠すような素振りを見せた気がするが……ひょっとして、じろじろ見ているように思われてしまったか。
だが、彼女はそれ以上気にした様子はなく、俺の後ろに視線を向けた。
「ひょっとして、さっきの魔術師はアデリーナさんだったの?」
アデリーナが槍の名手であることを知っているクルネの表情には、驚きの色があった。だが、それを責めるわけにもいかず、俺は言葉に詰まった。
「店主さん、気を使っていただかなくとも結構ですわ。……仰る通り、わたくしが魔術師ですのよ、剣士さん」
俺の雰囲気とアデリーナの言葉から、クルネも察したようだ。驚いた表情を拭い去ると、いつもの笑顔でアデリーナに向き直った。
「ありがとうございました。アデリーナさんがいなければ、この村の自警団は壊滅的な被害を受けるところでした。本当に感謝しています」
そう言うと、丁寧に頭を下げる。
「わたくしこそ、貴女には感謝していますわ。怪我をしてしまった方には申し訳ありませんが、この戦いに参加できて良かった。心からそう思いますもの」
その後、なぜかアデリーナはクルネを引っ張って、少し遠くへ連れ出していた。見れば、アデリーナがクルネの耳元で何かを囁き、クルネの顔が真っ赤になっていた。何か褒められたのだろうか。クルネは照れ屋だからな。
「クルネ、どうかしたのか?」
気になって尋ねてみるが、返事は「な、なんでもない!」の一言だった。その隣ではアデリーナが楽しそうに笑っているが、こちらも教えてくれるつもりはなさそうだ。
「……まあ、死人がでなくてよかった」
「キュッ!」
俺の呟きに答えるように、抱いていたキャロが鳴き声を上げた。
こうして、巨大鼠の大発生事件は、一人の魔術師の誕生と共に幕を下ろしたのだった。