夏の章・18 驚きの事実
不意打ちだった。まさかの直球をぶつけられて、咄嗟に言葉が出ない。正直なところ、ここまでストレートな台詞が飛び出してくるとは予想だにしていなかったのだ。
半ば呆然としながら、汗で下がってきた眼鏡のフレームを押し上げる。
「……なるほど、長いですね」
何がなるほどなのか、自分でもわからない。ただわかるのは、自分がかなり動揺していることくらいだ。
「当時は散々先生に迷惑ばかり掛けていて、先生の恋愛対象だなんてとてもとても……」
告白して踏ん切りが着いたのだろう。聞いてもいないのに、友紀はさらに衝撃の事実を語り始める。
「実は告白もしたんですけど、振られちゃいました。それに」
ふと表情を曇らせる。
「当時は奥様……誉さんのお母さまが大変な時だったのに、わたしは問題ばかりで……今更ながら無神経だったなと思うんです。一番大変な時だったのに」
俯いた友紀の表情が、深い記憶の中に眠っていた少女の面影と重なる。
脱色をした黄色みがかった波打つ髪。傷んでいたうえ、パーマも落ちかけて見るも無残な髪型を恥じ入るように、唇を噛み締めるきつい顔立ちの少女。
思い出した。あれは誉が中学生になったばかりの頃だった。警察に補導された生徒を、家族に代わって圭介が迎えに行った時があった。
――そうだ。あの時の生徒だ。
両親が不在だからと、自宅に連れ帰った生徒は、絵に描いたような不良少女だった。
踝まで覆い隠す長い長いプリーツスカート。肩を覆う髪はトウモロコシのヒゲのよう。真っ赤な口紅が妙にくっきりとしていて、某アニメに出てくる妖怪人間のひとりかと思ったくらいだ。
「あの……もしかして、一度うちに来たことがありましたよね」
「はい。一度夕ごはんをご馳走になりました」
「失礼ですが、当時髪を脱色をして……」
「はい。恥ずかしながら。今思うと恥ずかしいばかりです。先生のお陰で立ち直れたようなものです」
「そうでしたか」
一体どうやって彼女を立ち直らせたのだろうか。
圭介はその手の類のドラマに出てくるような熱血教師とは程遠い。どちらかといえば、のんびりとした気質の持ち主で、女子生徒が恋焦がれるようなタイプではないはずである。
「卒業した後も、年賀状とか、暑中見舞いとか、そんな程度ですけど、ずっとやり取りをしていたんです。偶然わたしの勤め先に、生徒さんがボランティアに行くというお話があって、久しぶりにお会いできたんです」
「どのくらい、会っていなかったのですか?」
「ええと……二十年ぶりくらいでしょうか」
二十年!
あまりの長さに絶句した。
「久しぶりにお会いして……やっぱり先生のことがまだ好きなんだと気が付いたんです」
二十年……そこまで好きになっていただけるような色男ではないと思うが。
「失礼ですが、父以外の男性とお付き合いをされた経験は?」
不躾な質問に、彼女は一瞬驚いたように目を瞬く。
「ありますよ」
あるのか。
彼女はまるで苦いものを口にしたような表情になる。
「ありますけど、気づいたら先生に似ている人を追い求めているといいますか……最初はそんなこと考えているつもりはなかったんですけど、後から気づいてしまうんです。結局上手くいかなくて、ああまたやってしまったと何度も後悔したものです」
「そうですか……」
コメントできない。そうですか、としか言えない。
そこまで思っていただけるような、大層な男ではないと思うのだが。
自分の父親ではあるが、まあ感じがいい老紳士(紳士は言い過ぎかもしれないが)風な風体ではある。
髪は良く言えばロマンスグレー、はっきり言えばほぼ白髪。腹は二、三年前まではぽっこりしていたが、健康診断で引っかかったとかで減量をして、ずいぶんとスリムになった。そこまでお洒落ではないが、スーツは時折新調しているし、ワイシャツも自分でアイロンがけをしているから身綺麗な方ではあると思う。
卒業した生徒からも、何通も年賀状が届いている。恐らく生徒に好かれているのだろうと想像が付く。しかし、良い先生だから恋愛につながるとは思えない。
結婚が決まった今更言うことではないとわかっている。しかし、こんな話をすることも二度とないだろうと思うと、心は決まった。
敢えて聞いてやろうではないか。
「水を差すようで申し訳ないのですが、父は悪い人間ではありませんが、取り立てて良い男というわけでもありません。良い先生だったからという憧れのような気持ちだけでは、いずれ他の交際相手のように失望するのではないでしょうか」
「別に先生が、良い先生だから好きになったわけじゃないんですよ。むしろ最初は嫌いでした」
またもや驚きの事実に誉は絶句する。
「皆に良い顔をして、この偽善者って思っていたくらいです。先生には反発ばっかりしていて、どうしようもない生徒だったと思います。好きになった切っ掛けは……決定的な何かというよりは、先生とのやり取りを積み重ねていくうちに、好きになったんだと思います」
あ、コーヒーが冷める。
脈絡もなく思い、ぬるくなったコーヒーを流し込むと、少し気持ちが落ち着いてきた。
「そうでしたか」
同じような台詞を、もう何度口にしただろう。
ぽつり、ぽつりと彼女は付き合うまでの経緯を語ってくれたが、段々恥ずかしくなってくる。
「…………でもお付き合いして欲しいと言うまで、一年も掛かってしまいました。お付き合いを始めて一年を迎える頃、先生に……」
恐らくプロポーズされたのだろう。
父親が息子と歳の変わらない女性にプロポーズ……想像がつかない。というか、聞いている方が恥ずかしくなってくるではないか。
「あ……」
涙が一滴、頬を転がる。友紀自身も驚いた顔になると、慌てて手で顔を隠す。
「ご、ごめんなさい! あーもう、恥ずかしい……」
隣りの椅子に置いてあったバッグの中をまさぐり始める。
どうやらハンカチを探しているようだ。ずいぶんと色々詰め込んであるらしく、なかなかハンカチが出てこない。
「どうぞ」
ハンカチではないが、駅前で貰ったポケットティッシュを思い出して彼女に差し出した。
「ありがとうございます。すみません」
赤らんだ頬のまま、友紀は照れくさそうに笑うと、素直にティッシュを受け取った。
もしこれが演技だったら、彼女はアカデミー賞並みの女優だ。
しかし、この時、誉は気づかなかった。
誉と友紀とのやり取りの一部始終を、興味津々な目で見届けた者がいたことを……。