第七話:白雪姫とお買い物
新学期が始まって最初の日曜日。
この日は俺・白雪・桜の三人で、生徒会の備品を買いに行くことになっていた。
「ふわぁ……っ」
時刻は朝九時。
未だ寝ぼけ眼の俺が、しゃかしゃかと歯を磨いていると――居間の方から、朝のニュース番組が聞こえてきた。
「今日最も運勢が悪いのは……ごめんなさーい、魚座のあなた。何をしてもとにかく駄目、人生でもワースト3に入る最悪の一日、下手をすれば今日死にまーす! それではみなさん、気持ちのいい日曜日をお送りください! また明日ー、ばいばーい!」
魚座の気持ちのいい日曜日を返せ。
(ったく、朝っぱらから、なんて不愉快なものを流しやがるんだ……)
心の中でため息をつき、朝支度をサッと済ませていく。
外行きの服に着替え、洗濯物を回して干し、隙間を見ては内職で小銭稼ぎ。
そんなこんなをしていると、あっという間にいい時間になった。
「――それじゃ結、ちょっと行ってくるわ」
「ほいほーい、気を付けてねー」
それから俺は電車で渋谷へ行き、待ち合わせ場所のハチ公前に向かう。
四月頭の渋谷は、ビル風もあるせいか少し肌寒く感じた。
(白雪と桜は……まだ来てないみたいだな)
時刻は11時45分。
待ち合わせは12時なので、ちょうどいい時間に着いた。
特にすることもなく、手持無沙汰な俺は、ぼんやりと空を見上げる。
(……『今日死にまーす』、か)
こういう嫌なことに限って、何故か頭にこびりつくんだよな。
そのまましばらく、ボーッとしていると……遠目に白雪と桜の姿を捉えた。
「葛原くん、おはようございます」
「葛原くん、おはようです! 今日は絶好の買い出し日和! ドキドキワクワクが止まりませんね!」
「おぅ」
軽く右手をあげて挨拶に応じる。
(……なんつーか、ぽいな)
白雪の服装は、とても彼女らしいものだった
上は縦ライン+タートルネックの真っ白なニットセーター、羽織物として肩に掛けられたチャコールグレーのジャケット。
下は丈の短いチェック柄のスカートに黒のタイツ。
清楚かつ上品な装いで、非常によく似合っている。
一方の桜は、薄ピンクのブラウスに明るいデニムジャケット+シンプルな黒のズボン。
全体的にスタイリッシュな装いで、明るく活発な彼女にはまぁ……似合っているな。
俺がそんなことを考えていると、
「……むむぅ……っ」
どこか不満気な表情の桜が、ジーッとこちらを見つめていた。
「どうかしたか?」
「……いえ。葛原くんのことなので、こってこての『オタクくんファッション』で来るんだろうなぁと期待していたのですが……。思いのほかまともな格好だったので、ちょっとがっかりしています」
「やかましいわ」
桜の額に制裁チョップ。
「ふっ、残像です!」
「嘘つけ、モロに食らってんだろうが」
追加でデコピンを打ち込んでやると、「痛ぃ!?」と顔を顰めた。
相変わらずいい反応するな、こいつ。
「『オタクくんファッション』……?」
白雪が不思議そうにコテンと小首を傾げると、桜がすぐに解説を始めた。
「説明しよう! オタクくんファッションとは、サイズの合ってないチェックシャツ・謎に龍が彫られたジーンズ・腰に付けるじゃらじゃらチェーンなどなど……。世に蔓延るオタクくんたちが、好んで身に纏う、『どうして!?』って感じのファッションのことです!」
「なるほど、そういうものがあるんですね」
白雪が感心する一方、
(あ、危なかった……っ。サンキュー、結。今回ばかりはマジで助かったぜ……)
俺は内心ドキドキしながら、ホッと安堵の息をつき、『昨日の一件』を思い出す――。
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(これでよしっと……)
俺が明日の買い出しに備え、衣装棚を整理していると、居間の方から結の声が聞こえた。
「ねぇお兄ぃ、明日どっか行くの?」
「ちょっと生徒会で買い出しにな」
「生徒会……ってことは、白雪さんも?」
「そりゃ、会長だからな」
「ふーん、そっか……」
年季の入ったソファに寝転びながら、結は何事かを考え込む。
こら。はしたないから、足をパタパタとするのはやめなさい。
「……そう言えばお兄ぃ、外行きの服とか持ってたっけ?」
「おぅ、中学のときのがちゃんとある」
葛原家は極まった貧、すなわち極貧。
当然ながら、毎年のように新しい服を買う余裕などない。
だから俺は、徹底的にリサーチする。
近所の大衆衣料品店へ何度も足を運び、末永く使えるお洒落着を厳選。
敢えて一回り大きめのを選ぶことで、背が伸びて袖丈が合わなくなるという、典型的なサイズエラーを回避。
そして予め目を付けたものが特売セールになったタイミング――在庫処分・歳末特価・決算特売などを狙い、購入。
俺はこうすることで、衣服に掛けるお金を極限まで切り詰めながら、お洒落なファッションを維持し続けているのだ。
「ちゅ、中学のときのって……っ」
結は絶句し、グッと上体を起こした。
「やっぱ心配、明日の服見せて」
「は? 嫌だよ。せっかく畳んで綺麗に片付け――」
「――いいから見せてください」
敬語+ハイライトのない瞳……これはマジのやつだ。
「……ったく、ちょっと待ってろ」
衣装棚から明日着る予定の一式を取り出し、脱衣所へ移動。
サッと着替えて、洗面台の鏡でセルフチェック。
赤と黒の活かしたチェックシャツ・龍の刺繍があしらわれた格好いいジーンズ・腰に付けるお洒落な銀のチェーン……我ながら完璧だ。
「どうだ、これでいいだろ?」
「どうしてそれでいいと思ったの?」
妹の意見は辛辣だった。
「……どこが駄目なんだ?」
もう一度よく鏡を見てみたけれど……何がいけないのか、さっぱりわからない。
「全部駄目! お兄ぃは昔から、ファッションセンスゼロなの! 私がコーデするから、ちょっとそこどいて!」
結はそう言って、衣装棚を漁り出した。
「何故に髑髏プリント!? どこで着るのレインボーカラー!? あっ、でもこのフルーピーのシャツはちょっと可愛いかも……って、偽物だよ、これ!?」
いいじゃん髑髏。
レインボーはかっこいいだろ。
フルーピー……お前、偽物だったのか。
「あぁもうこんなんじゃ、何をどう組み合わせても無理……っ。――ただ、幸いにもまだ時間はある! ほら、お兄ぃ急いで! 新しい服買いに行くよ!」
「待て待て、こんなことで金を使うわけには――」
「――私のお年玉貯金だから大丈夫」
結はそう言って、机の奥からお年玉袋を引っ張り出してきた。
「それはお前のお金だ。ちゃんと自分のために使え」
葛原家では親父から、お年玉として一万円が渡される。
その代わり、お小遣いの類は一切なし。
基本的にはこの一万円で、一年丸ごと乗り切る必要があるのだ。
「そういうお兄ぃは、私のためにほとんど全部使ってるよね? いつも自分のこと削り過ぎ。それに何より、白雪さんは『お義姉ちゃん候補』筆頭! ちゃんと格好いいところ見せてもらわないとないと困るの!」
「お義姉ちゃん候補って……。前にも言ったが、俺と白雪は別にそういう仲じゃない。どんな格好で行っても大丈夫だ」
何やら妙な勘違いをされているようだから、しっかりと正しておかねば。
「はぁ、もうほんと素直じゃないなぁ……。それじゃえーっと、ほら……誰だっけ? お兄ぃが前に話してた『あの人』、元気いっぱいでちょっとお口が悪くて……」
「店長のことか?」
「違う違う、そうじゃなくて……アホっぽい人!」
「桜か」
「そう! そんなダサい服で行ったら、桜さんに馬鹿にされちゃうよ?」
「…………それは嫌だな」
あいつの煽りは、何故か無性に腹が立つ。
「よし、決まり! それじゃ明日は、お洒落な服を着てバシッと決めよう!」
「あっ、おいちょっと待て……!」
その後、俺は近所の激安衣料品店へ行くことになり、結に私服を見繕ってもらったのだった。
そして現在――。
(今回ばかりはマジで助かったぜ……)
桜から嘲笑を浴びるという一生モノの屈辱を回避した俺は、ホッと安堵の息をつくのだった。
その後は三人で駅前のPOLCOへ行き、生徒会の備品や消耗品類を購入していく。
「領収書をお願いします。……えぇ、はい。宛名は白凰高校生徒会で」
白雪の無駄のないルート進行と事前にリストアップされた買い物リストのおかげで、集合からわずか三十分で目的達成。
特にすることもなくなった俺たちは、店内をぶらりと見て回る。
てっきり即解散かと思っていたのだが……「せっかくここまで来て、時間もいっぱいあるんですから、みんなでショッピングしましょう!」と桜が言い出したのだ。
「――白雪さん、見てください! シロクマの置物! 机の端に置けるサイズ感が、ちょうどよくありませんか?」
「あら、可愛らしいですね」
「しかも実はこれ――なんと! 加湿機能付きなんです!」
「こんなに小さいのに……最近のものはハイテクなんですね」
雑貨屋に入った二人は、楽しそうに談笑していた。
(……まぁ……いいか)
ここまでなら別にいい。
俺が口を挟むようなことじゃない。それは野暮というものだ。
だが、
「えへへ。私、ちょうど加湿器が欲しかったところなので、一個買っちゃいましょうかね! お値段も中々お手頃ですし!」
――駄目。
さすがにこれは見過ごせない。
「おいちょっと待て、こういう超音波式の加湿器はやめておいた方がいい。確かに安くてデザイン性にも富んでいるが……。このタイプは毎日しっかり水を変えないと、あっという間にタンクの内部にカビが湧いて、喉や気管支をやられてしまう。加湿ってのは毎日のことだ、掃除の手間はなるべく少ない方がいい。そうなると残されたのは、加熱式か気化式かハイブリッド式になるが……俺のおススメは、やはり気化式だな。特に今年発売された――」
「か、家電オタクくんだ……っ」
「ぐっ……反論できん……ッ」
自分の得意分野になったので、ついうっかり饒舌になってしまった。
俺が一人猛省していると、
「なるほど、超音波式はカビが繁殖する可能性が高く、おススメは気化式……。葛原くんは本当にとても物知りですね」
これぞまさに『百点満点の回答』。
白雪は女子受けの悪い家電の話を、さっきのつまらない話を、真剣に聞いてくれていた。
(……お前、ほんといい奴だな)
オタクくんにも優しい純白の天使様、そりゃモテるわ。