第六話:白雪姫のお友達
翌日。
午前・午後の授業が終わり、ようやく迎えた放課後。
「――どうして私が、『庶務』なんですか!?」
生徒会室に異議申し立ての声が響き渡る。
原告は『お楽しみ熱』から復帰した桜ひなこ、第99代白凰高校生徒会の庶務である。
桜色のミドルヘア、身長は約155センチ、頭頂部のアホ毛がよく目立つ。
美しいというよりは、可愛らしいという感じの美少女で、明るく快活な性格をしており、所謂『クラスの人気者』というやつだ。
「おかしいです! 異議ありです! どうして私が庶務で、この人が副会長なんですか!?」
「葛原くんがとても優秀だからです」
「嘘です! 去年も同じクラスでしたけど、優秀の『優』の字も見当たりませんでした! というか、彼の存在自体が見当たりませんでした! そんな人が副会長だなんて、いくらなんでも納得できません……!」
本人を前にして、よくもまぁここまで言えたものだ。
「はっ!? まさか白雪さん、何か弱みを握られているんじゃ……。もしかして、えっちな写真を撮られたりとか……ッ」
「あり得ません」
白雪は身持ちが固いことで有名だ。
そんなことは、天地がひっくり返ってもないだろう。
「……わかりました。つまり今回の人事は、単純な実力評価であり、その他の要素は一切関係ないということですね……?」
「そういうことになりますね」
すると桜は、まるで言質を取ったと言わんばかりに微笑む。
「葛原くん……生徒会副会長の座を賭けて勝負です!」
「悪い、パス」
生産性のないことはしたくない。
すると――。
「あれ? あれあれぇ? 逃げるんですか? 逃げちゃうんですかぁ?」
桜はなんとも憎たらしい顔で、俺の右頬をツンツンと突いてきた。
こんな安い挑発、普段なら軽く受け流すのだが……。
「……あ゛?」
何故だろう。
こいつの煽りは、やたらと勘に触った。
「そ、そんな目で睨んでも、全然怖くないですよ……?」
「桜さん、教室の隅っこで強がっても、あまり説得力がありませんよ?」
その後、なんやかんやとあって、俺と桜は副会長の座を賭けて争うことになった。
「はぁ……。それで、なんの勝負をするんだ?」
「ふふっ、よくぞ聞いてくれました。私たちは天下の白凰に通う、超優秀な高校生。やはりここは『知力』で勝負しましょう!」
「知力……? クイズでもやるつもりか?」
「ちっちっちっ! あーぁ、困りますねぇ。これだから凡人は……浅はか!」
「……なぁ白雪、やっぱりこいつ締めていいか?」
「気持ちはよくわかりますが、ここは抑えてください」
俺と白雪がそんなやり取りを交わしている間、桜は奥の棚をガサゴソと漁る。
「葛原くん、今回の勝負――『将棋』などはいかがでしょう?」
彼女はそう言って、足付きの立派な将棋盤を引っ張り出してきた。
「将棋って、桜さんあなた……」
「しーっ!」
桜は口元に人差し指をあて、白雪の口止めをする。
この感じ……どうやら将棋は、こいつの得意分野のようだ。
「まぁ俺は別に構わないぞ。小学生の頃、それなりに強い方だったしな」
「ぷっ、くくく……っ。小学生の頃って……ッ」
桜は口元に手を当ててクスクスと嗤い、
「はぁ……どうなっても知りませんからね……」
白雪はやれやれと言った風にため息をついた。
その後、盤上に駒を並べ終え、
「「――よろしくお願いします」」
お互いにお辞儀を交わし、いよいよ対局開始。
振り駒の結果、俺が先手となった。
(とりあえず……こうかな)
どちらかと言えば『居飛車党』なので、最初はまず2六歩と飛車先を突く。
一分後。序盤はサクサクと相掛かりの形で進んだ。
「ほほぉ……最低限の定石は知っているようですね」
五分後。角交換を経てオープンな展開へ。
「ふ、ふむふむ……これは中々に攻撃的な打ち筋……っ」
十分後。飛車・角・銀・桂馬で、相手の3筋を攻めていく。
「こ、これ、は……っ」
十五分後。俺は角の特攻から金を取り、そのまま『詰めろ』を掛けた。
「……ぇ……いや、うそ……っ」
この時点で、桜は完全沈黙。
手番は向こう側だが、逆転はもう不可能だ。
ここから彼女が最善手を指し続けたとして、十四手詰みでこちらの勝ちとなる。
「…………………」
長い長い沈黙の末、掠れた声が響く。
「……あ、ありません……っ」
将棋における「参りました」の意味だが……。
さっき散々好き放題に煽ってくれたので、ここは敢えて知らないフリでもしてやろうか。
「どうした、何がないんだ?」
「むっ、ぐぐぐぐ……負け、ました……っ」
桜はプルプルと小刻みに震えながら、小さく頭を下げた。
……あっ、やばい。なんかこれ、癖になりそう。
恐るべし、桜ひなこ……なんて嗜虐心をくすぐる奴なんだ。
「はぁ……。葛原くん、桜さんをいじめたくなる気持ちは、とてもよくわかりますが、そのあたりにしてあげてください」
「はいよ」
白雪のレフェリーストップが入ったので、これ以上いじめるのはやめておこう。
「う、うぅ……白雪さん! 彼はいったい何者なんですか!? 『アマチュア六段』の私が、ここまで一方的に負けるなんて……っ。もしかして……プロの方ですか!?」
なんか微妙に強いなと思ったら……桜のやつ、有段者だったのか。
しかも、アマ六段って言えば、全国大会優勝時に認定されるものだ。
腐っても白凰の生徒。
こんなポンコツめいた奴でも、凄い特技を持っている。
「残念ながら、葛原くんはプロじゃありません……よね?」
「当たり前だ」
そんな「もしかして……?」みたいな目線を向けるな。
さすがにねぇよ。
「まぁとにかく、これでわかったでしょう? 彼は途轍もなく優秀なんです」
白雪が優しく諭すも、
「…………いいえ、まだです」
桜はまだ副会長の座を諦めなかった。
「将棋なんて所詮、オタクくんの遊び! こんなものじゃ、真の知力を測ることはできません!」
おーい、全国の将棋好きに謝れ。
「真の知力とは、なんなのか……。私はそれを探すため、アマゾンの奥地へ向かいました」
「そうか」
「基礎学力……違う。広い教養……ノー。天才的な閃き……ナンセンス! 違うんです、そうじゃないんですよ! いいですか葛原くん、真の知力とはすなわち――『記憶力』! そしてそれを競う勝負と言えば……」
奥の棚からトランプを取り出した桜は、「ばっさぁ!」と口で効果音を奏でながら、来客用の長机にばら撒いた。
「――神経衰弱、やはりこれでしょう!」
「「し、神経衰弱……」」
俺と白雪は、思わず呆然と呟く。
(こいつ、もしかしてわざとやっているのか……?)
(桜さん……この競技だけは絶対に無理です……)
なんにせよ、直感像記憶に記憶力で挑むとは……飛んで火にいる夏の虫。
かと思いきや……これはちょっと毛色が違うな。
「……なぁ桜。勝負を受けるにあたって、こっちにも一つ条件がある」
「むっ、なんでしょう?」
「今回もまた、そっちがお題を決めてんだ。せめて『手番の決定権』ぐらい、こっちにくれよ。そうじゃないとちょっと不公平だろ?」
「ほぉ、そう来ましたか……。神経衰弱は『後手』が絶対的に有利なゲーム。その大前提がありながら、図々しくも手番を要求してくるとは……さすがは葛原くん、中々ふてぶてしい性格をしていますね」
やかましいわ。
「ただまぁ、あなたの言うことも一理あります。……いいでしょう。今回は特別に、その要求を呑んであげようじゃないですか!」
「そうか、それじゃ『先手』はもらうな」
「えぇ、どう……ン゛ン゛ッ!?」
それから俺は、二枚のカードをノータイムでめくる。
結果は――スペードの7とハートの7、1ペアだ。
「おっ、ラッキー」
次にめくった二枚は――ダイヤの11とクローバーの11、2ペアだ。
「おー、幸先がいいなー」
続いてめくった二枚は――ハートの5とスペードの5、3ペアだ。
「今日はついているなー」
そんな風にして、手を休めることなくペアを作っていき、
「――はい、俺の勝ち」
開幕1ターン目にして、全てのペアを成立させた。
「い、いくら葛原くんでも、一度も見たことがないものはわからないはず……。もしかしてこれは……っ」
俺と白雪――二人の冷たい視線を受け、桜の顔にダラダラと冷や汗が流れる。
「おい桜、何か言うことは?」
「……大変、申し訳ございませんでした……っ」
彼女は床に頭をこすりつけ、謝罪の弁を述べた。
この不届き者が使ったのは、所謂『マークドデック』――カードの裏面を見れば、表面の数字がわかるというあれだ。
例えばこのカード、裏面に大量の十字模様が描かれてあるのだが……。よくよく見れば、左上から数えて7番目が『十字』ではなく『クロス』になっている。
これをめくれば――7のカード、というわけだ。
完全敗北を喫した桜は、覚束ない足取りで白雪のもとへ向かう。
「う、うぅ……っ。白雪さん、私は雑魚です。生きる価値のない糞雑魚ナメクジです……。葛原くんのようなオタクくんにさえ、ボコボコに負けてしまいました……ッ」
桜は白雪の膝で涙を流し、
「はいはい、大丈夫ですよ。桜さんはナメクジじゃありませんよ」
白雪はそんな桜の頭をよしよしと優しく撫でてあげた。
……ちょっとうらやまし……いや、待て待て……っ。
危なかった。
一瞬理性を持って行かれかけた。
恐るべし……白雪の母性……っ。
「うっ、ひぐ……。せっかく早く起きして、生徒会室にいろいろ仕込んでおいたのに……。全部、無駄な努力になっちゃいましたぁ……っ」
なんかやけにいろんなもんが揃っているなと思ったら……。
どうやら全て、桜の仕込みだったらしい。
いや、その執念よ……。
その後、一通り泣き終えた桜は、バッと勢いよく立ち上がり、
「葛原くんのアホ! 極悪非道の煽り虫! 無駄な高スペックの極み!」
そんな捨て台詞を言い残し、生徒会室を飛び出していった。
「はぁ……嵐のような奴だな」
「桜さん、小さな子どもみたいで可愛いですよね」
「そういう白雪は、母親みたいだったぞ」
「ふふっ、それなら葛原くんがお父さんですね」
「……え?」
「……あっ」
しばしの沈黙。
桜ひなこが、俺と白雪の子どもということはつまり……。
「……い、今のはその……失言でした……。忘れていただけると、助かります……っ」
「お、おぅ……」
それからしばらくの間、白雪は顔を真っ赤に染めたまま、黙りこくってしまうのだった。