256 精霊女王 対 怪盗ファジーダイス
二百五十六
「ふむ……この下に出口があるわけか」
空を行くミラは、最短最速で目的地に到着した。
ハクストハウゼンの直ぐ隣り、草原を両断するように流れる大きな川。地下水路の出口は、その水面下にあり、アンルティーネから入ってくる報告によれば、もうじきそこにファジーダイスが到着するとの事である。
「さて、この辺りが良いかのぅ」
早速出番がきたとばかりに迷彩マントを羽織ったミラは、更にガスマスクと暗視ゴーグルも装着するという万全な状態で地に伏せた。
明るい街から少し離れた場所である事に加え、曇り空も相まって、周辺は深い夜の闇に覆われている。そこに夜用迷彩は抜群の効果を発揮して、今のミラのカモフラージュ率は極めて高い。
また、あとどれだけ待てばいいのかが、アンルティーネの報告によって明確になっているというのも強みだ。いつ来るともしれない相手を待ち伏せるとなれば、相当に神経をすり減らす事になるが、今回はその点が全て明確になっている。集中するべきタイミングがわかるというのは、それだけで大きなイニシアチブとなる。
更にミラは、暗視ゴーグルによる良好な視界の他、《生体感知》という優秀な技能がある。範囲内に入ってしまえば、たとえゴーグルがなくなろうとも見失う事はない。
そして今、ミラは一つの魔封爆石を握っていた。夜の闇の中に投じれば、瞬く間に行方が分からなくなってしまうであろうほど、小粒な石だ。しかしそれでいて、今回のため昨日の夜に拵えたそれは、ミラが作った事もあり秘めた力は確かな代物だ。
『あ、潜ったわ。もうすぐよ!』
アンルティーネから最後の報告が入った。水路の出口は水中にある。潜ったという事は、いよいよその出口の直前まで来ているわけだ。
少しだけ身を起こしたミラは、ゆっくりと魔封爆石を持つ手を構えて息を潜める。そして川の中を重点的に《生体感知》で探った。
(きおったな!)
厚い地面の下では、感知感度が鈍くなってしまうが、水の中ならばそこまででもない。ゆえにミラには水中に現れた大きな反応を捉える事が出来た。
間違いなく、それがファジーダイスだろう。ゆっくりと浮上してくる反応に注意しながら、手に力を込める。
いよいよそれが水面にまで達すると、人影がゆらりと浮かび、川べりに近づいてきた。
二十メートルほど離れているだろうか。さばりと音を立てて、人影が川から上がる。そして、次の瞬間にマナの流れが生じた。それは術を行使する時の予兆のようなものであり、ミラは何をするつもりかと様子を探る。
(なんじゃ。服を乾かしておるだけか)
ミラもよく髪を乾かすために使う、あの無形術を使っているようだ。人影の様子から、そう察したミラは、そこで一気に動いた。無形術を使いながら別の術を使う事は出来ないため、今こそが一番の好機だと。
丁度人影の向きが、こちら側からずれた瞬間、ミラは素早く立ち上がって魔封爆石を投擲した。
すると、夜の闇に紛れ鋭く飛んだその石は、若干のずれはあったものの、見事に人影の間近で炸裂する。
それは、強烈な閃光と音を発した。ミラが作製した魔封爆石は、いわゆるスタングレネードと同じ効果を持つものであったのだ。
直後、小さくうめき声のような音が聞こえたところで、今度は捕縛布を手に駆け出したミラ。流石のファジーダイスとて、今のを受けて五感を保ったままでいられるはずはない。昨夜にその効果をその身で試していたミラは、確信をもって取り押さえにかかる。
残り五メートル。あと一秒もかからない位置にまで踏み込んだところで、人影の姿も暗視ゴーグルによって鮮明に確認出来た。
そこにいたのは一見すると、服装から何から何まで、普通としか言いようのない男だった。どこにでも紛れ込め、そして見分けがつかなくなってしまうであろうほど、特徴の無い男である。
そして、だからこそファジーダイスであるとも確信出来た。
(これで終いじゃ!)
魔封爆石が相当な効果を発揮したようで、ファジーダイスは未だに前後不覚といった様子でふらついている。そこへ、ここぞとばかりに捕縛布を広げて飛びかかるミラ。
しかし、その時であった。
「なんじゃ、と!?」
あと一歩まで踏み込んだところで、ミラは何かにより身体の自由を奪われてしまったのだ。
「おのれ、『墓守蜘蛛の結界糸』か。小癪な真似を……」
よく見るとそれは黒い蜘蛛の糸であり、ファジーダイスを守るような状態で周辺に張り巡らされていた。そして、その領域に足を踏み入れたところで、一気にミラへと糸が殺到して、その動きを封じられてしまったというわけだ。
「いやまったく、見事に不意を突かれてしまいましたね」
しかも、その僅かな時間で、感覚を取り戻してしまったようだ。ファジーダイスは、感心したとばかりな調子でミラを見据える。
「これはなんとも……。遂に、特殊部隊がきましたか」
ミラの恰好を見てそう言ったファジーダイスは、うっすらと笑いながら、ミラのガスマスクと暗視ゴーグル、その手にあった捕縛布を取り上げた。更に「ここまで食い下がられたのは初めてでしたよ」と続ける。
捕縛布を手にして、ミラへ迫るファジーダイス。たとえミラとて、捕縛布に巻かれてしまっては手も足も出なくなる。しかし現時点でも既に、蜘蛛の糸によって、身体の自由はほぼなくなっていた。多少、指が動かせる程度のものだ。
「のぅ、ちと訊きたい事があるのじゃが、良いか?」
ミラは、苦し紛れとでもいった顔で、そう語り掛ける。するとファジーダイスは、少しだけ動きを止めた後、
「訊きたい事? ……もしやそれは、森の奥の、とある孤児院の事を知らないか、というような内容かな?」
そうミラの質問について、ずばりと当ててみせたのだ。
「うむ、その通りじゃ。やはり、所長とのやり取りは聞かれておったようじゃな」
術士組合での出来事に、今の反応からして、準備段階の頃から既に話の内容は筒抜けだったわけだ。
ただ、そうであろうと思っていたミラは、別段驚く事もなく、ならば話は早いとばかりに、教えてもらえないかと問うた。
「それを捜す理由による、ってところですかね」
そう答えたファジーダイスは、探るようにミラの顔を覗き込む。表情の変化から、真偽を判断しようとでもいうのか、それとも別の目的か、その目はこれまでにないほど厳しく、真剣な色を湛えていた。
(まあ、そうじゃろうな。当然、そこを明かさねば、話してくれるはずもなかろう)
目的である孤児院の場所について、交渉次第では、話し合いで決着がつく可能性もあった。しかしそのためには、相手が話してもいいと思える理由を明確に提示しなければいけない。
力のない子供達が多く集まる孤児院。各地にあるそれらの中から、わざわざ特定の場所を捜しているミラの状況は、他者から見た場合、相当に怪しく映る事だろう。孤児院側に立つ者なら尚更に警戒する案件だ。
つまりは、理由を話さず、場所だけ教えてもらう事は不可能であるわけだ。
しかし、理由は話せない。たとえ、知り合いがいるという噂を聞いたので確かめに来た、などと少しだけはぐらかしたとしても、その知り合いとは具体的に何者かと再度問われる事になるだろう。
この場面において必要なものは、相手を納得させられるだけの明確な理由である。かといって正直に、その孤児院の長がアルテシアかどうかを確かめに来たなどと話す事も出来ない。なんだかんだいっても、それは国家機密だからだ。ミラとしても正体のはっきりしない相手には、おいそれと言えない事だった。
結果、ミラの選択肢は一つだけとなる。
予定通り、ファジーダイスを捕らえて吐かせる事。もしかしたならそれ以外に方法はあるかもしれないが、それしか思い付かないミラは、早速行動に出た。
「理由のぅ……。それは秘密じゃっ」
ファジーダイスを睨み返しながら、そう口にしたミラは、次の瞬間に握っていた手を開き強く目を閉じた。
その直後、手から零れ落ちた小さな石が二人の間で炸裂し、強烈な音と光をまき散らす。
「くっ……」
僅かながら、苦悶の声が聞こえた。今回もどうにか、ファジーダイスを怯ませる事に成功したようだ。
しかしながら、それは正面で相対していたミラも同じである。目を閉じた事で閃光を見ずに済んだものの、強烈な音波によって意識が四方八方に飛び散りそうな状態にあった。
だが、それでいてミラは、どうにか仙術の《焔纏》の発動に成功する。そして両手に宿した炎で蜘蛛の糸を焼き払う。
「あ……っついのぅ!」
一気に燃えていく蜘蛛の糸を振り切ると、眩暈の中で強引に後方へと飛び退き、勢いのまま地面を転がった。それでいて、ダークナイトフレームの効果により、多少の熱を感じた程度で火傷などはなく、随分と転がってなお擦り傷一つ負っていない。
(これはきっと、歴史に残る発明じゃな!)
この分ならば、きっと魔物との実戦でも活躍出来るだろう。揺れる意識の中にあっても新たな術の使い心地にほくそ笑むミラ。だがそれも束の間。ファジーダイスよりも先に眩暈から立ち戻ったところで、相手の様子を素早く探る。ただ、暗視ゴーグルは取られてしまったため、肉眼での確認は少々不鮮明だった。
「なんとも……厄介じゃのぅ」
目では見えないが、ミラはファジーダイスの周辺に張り巡らされたマナの気配を感じ取っていた。どうやらスタングレネードを受けてなお、この一瞬の間に蜘蛛糸の結界を張り直したようだ。相当な技量と根性である。
ファジーダイスを守る蜘蛛糸の結界。先程のは、接近してきた者を拘束するといった効果だったが、はたして今回の糸はどういったものか。
蜘蛛糸といっても、降魔術のそれは種類が多い。そして、この夜の闇の中では、見た目での絞り込みは不可能だ。
だが現状において、それを絞り込める要素が一つあった。そして絞り込んだ結果として、共通する弱点が浮かび上がる。それはやはり、総じて炎に弱いというものだ。
よってミラは、ここで更に新たな召喚術を行使した。
【換装召喚:ヴァーミリオンフレーム】
ミラの新しい召喚術である、ダークナイトフレーム。そこに、炎の精霊サラマンダーの力を注ぎ込むという、精霊王の加護を利用した特殊な召喚。それがこの、換装召喚(ミラ命名)である。
炎の力を宿すヴァーミリオンフレームならば、拘束しようと迫る蜘蛛糸を、そのまま容易く焼き払える事だろう。
「何やら弱みに付け込むようで悪いが、それはそれ、これはこれじゃからな」
降魔術の蜘蛛糸にも、炎に強いタイプは存在する。しかし、そのどれもが多少なりとも殺傷力を持つものであるため、ミラは話通りの義賊ファジーダイスならば、決してそれらは使わないだろうと踏んだわけだ。
新たに捕縛布を取り出して、今一度ファジーダイスに向い駆け出すミラ。紅蓮の輝きを纏い蜘蛛糸の結界に踏み込むと、案の定、ミラに糸が殺到する。しかしそれらは目論見通りに燃え尽きていった。
「ここじゃー!」
相手はまだ、眩暈から立ち直れていないのか、動きが鈍い。そこへ一気に抱き着くように飛びかかったミラは、手にした捕縛布を広げた。そして見事にファジーダイスをその中に包む事に成功する。
「む……この感触……」
勢いそのまま地面を転がった後、抵抗される前に、ぐるぐると布を巻き付けて完全に拘束していたところで、違和感を覚え振り返った。
「しかしまた、奇怪な術を使うのですね。今のは少々、危なかったですよ」
先程までファジーダイスが立っていた場所。その地面に残っていた蜘蛛糸が繭のように盛り上がると、その中から、悠然とファジーダイスが姿を現したではないか。
「なんとも、二重に仕掛けられておったとはな……」
手元に視線を戻し確認すると、捕縛布で捕まえたのは草花を束ねた人形だった。ファジーダイスは、その人形に自身の幻影を重ねていたのだ。
本来ミラの魔力ならば、たとえ最高クラスの降魔術士が相手とて、完全に誤魔化されはしない。だがこの夜の闇の中では、そもそも本物であろうと細部までは見分けられないため、効果が半減した幻影でも十分に通用するというわけだ。
しかも本体は、不燃性の蜘蛛糸を地面に張り巡らせて、その下に潜んでいた。しかもそれが人形の真下であったため、ミラの《生体感知》をも誤魔化されてしまったという事だ。
(これは、思った以上に難敵じゃな)
驚くべきは、スタングレネードを受けて尚、それらの企みを実行出来た気力だろう。生半可な効果では、対処されると考えてよさそうだ。
(やはり、切り札を切るしかないのかのぅ……)
今回の目的は、あくまでも情報を訊き出す事だ。そして、そのためには捕まえるのが一番早く、出来れば無傷で捕える事が理想だった。
だが、殺傷力のない手段のみを使うファジーダイス相手に容赦なく攻撃を浴びせ勝利したところで、それは果たして本当の勝ちといえるのだろうか。などという余計なプライドが顔を覗かせたわけだ。
しかし、それはほんの言い訳のようなものに過ぎない。ミラの本音は、彼のファンに対してこそあった。
誰も傷つけない正義のヒーローを、これでもかと攻撃して打ち倒す。ファジーダイスと敵対している時点でもいえる事だが、そうなった場合、いよいよミラは完全な悪役の立場になってしまうというものだ。また何よりも、彼女達のヒーローを終わらせた人物として名を馳せる事だろう。
(今後、ずっと背中に気を付けるなど御免じゃからな……)
だからこそ、せめて相手と同じく非殺傷の手段のみで対等に戦い正々堂々捕まえたという事実が必要だと、ミラは考えていた。
「となればやはり、これしかあるまい」
ファジーダイスほどの実力者相手に効果のありそうな非殺傷手段は、今回用意してきたものくらいだ。ポーチからそれを取り出したミラは、今一度ファジーダイスを見据える。
対して油断なく構えているファジーダイスは、先程からミラの手元に注目していた。二度も切り抜けてきたとはいえ、魔封爆石の効果がなかったというわけではないのだ。
効き目はある。ただ、その際の対応にも限界がある。だからこその警戒だ。
(もう簡単には決まりそうになさそうじゃな)
ミラは、握った手に反応するファジーダイスの様子から、余程魔封爆石を警戒しているようだと察した。そして察したからこそ、行動に出る。
瞬間、ミラは《瞬歩》によってその場から姿を消し、一気にファジーダイスの側面、向こう側に川が見える位置へと移動した。
「これならばどうじゃー!」
そう叫ぶと同時に、手にした魔封爆石十数個をいっぺんに放り投げてみせるミラ。それはこれまでの二回と違い、余りにも直球的過ぎる行動だった。しかも、今度は量にものをいわせた単純な手だ。
「な……!?」
ミラの移動には素早く反応してみせたファジーダイス。ただ、きっとそこから次の搦め手が来ると思っていたのだろう。だからこそ、ただただ散らばり飛来する石に驚きの声を上げた。しかし警戒していただけあって、その対応は早い。
ファジーダイスから鋭く伸びた蜘蛛糸が、全ての石を瞬く間に捕らえてしまう。
すると魔封爆石は蜘蛛糸の繭の中で炸裂し、光と音は僅かに漏れ出た程度で終わった。
(ふむ……捕食者の蜘蛛糸に切り替えおったようじゃな)
飛来物を捕らえる事に長けた降魔術の蜘蛛糸。ファジーダイスは、矢の雨すら凌ぎきるそれを魔封爆石の対処に使ったらしい。また、強度自体は高くない糸だが、破壊力を持たないスタン用の魔封爆石であれば十分に封じ込める事も可能であるようだった。
その糸の登場によって、正面から魔封爆石を見舞う事は、まず不可能となった。しかしミラは、まったく意に介す事なく不敵に微笑む。
捕食者の蜘蛛糸の力は、飛来物に対して、ほぼ無敵とさえいえるほどだ。しかしながら、それだけ強力な力を活かすには当然、相当な集中力が必要になる。
ゆえに今、ファジーダイスの視線は、更にミラに釘付けとなっていた。
出掛けた時など、たまの贅沢として立ち寄る事が出来るようになった、ほっともっと。
先日、久しぶりにいつものあれを食べちゃおうかと行ったところ……
そのメニューがなくなっていました……。
店舗限定メニューだったのですが、なぜ。
390円というちょっと贅沢するには丁度いい値段で、からあげ、メンチカツ、しょうが焼きという贅沢盛りなお弁当が……。
楽しみが一つ消えてしまいました……。
次を見つけないと……!