異世界にて2
「これより開始されます。転移者は目標の達成を目指してください」
感情を欠いた無機質な声が、まるで空から降る雨音のように頭上から響き渡った。
顔を上げると、周囲の全員が一様に空を見上げている。どうやら僕だけに聞こえたわけではなさそうだ。
「……なんだ? 今の……」 御法川が低くつぶやいた。音の正体を探るように周囲を睨んでいる。
「人の声……だよね?」 四方田さんが戸惑いながら辺りを見回す。手の甲をさすっているのは、ひとつの落ち着こうとする癖だ。
「開始……転移者……目標……」 沢田石は反芻するように、ぽつぽつと単語を呟いている。その目は明後日の方向を見たまま焦点が合っていなかった。
「……これはいよいよゲームじみてきたね。みんな、自分の右手人差し指を見てみて」 無月がそう促すと、全員が思わず自分の指に目を向ける。
その指には、知らぬ間にはめられていた銀色のリングがあった。紅い小粒の宝石がひとつ、光を受けて不気味に煌めいている。
もちろん、こんな指輪をつけた覚えはない。慌てて外そうとするが――《《外れない》》。
「ひっ……!」
小さなうめき声の直後、
「もう嫌……いやぁああぁ、気持ち悪いよぉおおぉ! 四方ぉおぉお!」
嵯峨さんが四方田さんにしがみつき、膝から崩れ落ちた。目には涙を浮かべ、呼吸は急速に浅くなる。まるで自分がヒロインであることを演じるかのような完璧な姿だった。
「だ、大丈夫だよ……結花」 四方田さんは自分でも何が大丈夫なのかわからないまま、それでも優しく彼女を抱き寄せる。自分の不安を押し殺して、誰かを安心させる。彼女らしい対応だった。
「またかよ……うるせぇなぁ」
御法川の苛立った声が、その場の空気を割った。
その瞬間、嵯峨さんの過呼吸はより演技がかったものに変わり、しゃがみ込んでゼェゼェと息を荒げる。周囲の空気がぴりついた。
「ちょっと実里!……結花、ゆっくり深呼吸して、落ち着こう。大丈夫……そばにいるからね」
四方田さんが嵯峨さんの背をさすり、ひとつひとつ息を合わせるように語りかける。絵に描いたような対応だ。
「ひっ、ひはっ、ひっ……」
それに合わせるように、嵯峨さんの呼吸は次第に整っていった。
状況を見届けた無月が、ゆっくりと視線をあげて言った。
「……とりあえず場所を移そう。このまま草原のど真ん中で立ち尽くしていても埒があかない。どこか、せめて屋根のある場所があれば……」
その言葉に、空気が少しだけ落ち着く。
「……そうね」 嵯峨さんの背中を支えながら、四方田さんが不安げに返した。
「ってもよぉ、こんな広っぱで落ち着くって言ってもな……。おい沢田石、なんかこういう時のテンプレとかねーのかよ」
御法川が、不機嫌さをそのまま言葉にして沢田石の方を向いた。
……だが、彼の姿は、そこにはなかった。
「あれ? あいつどこ行った?」
御法川の言葉に、全員が一斉に辺りを見回す。
見晴らしの良い草原に隠れる場所などない。にもかかわらず、沢田石の姿は、どこにも見当たらなかった。