終わった世界の生き残り方3
「は…?」
ぽかんと口を開けた美香の間の抜けた声が部屋に響く。
杏子もすぐに事態を察したのか、ナイフを強く握りしめ身構えた。
「な……そんなもの……どこから……!?」
つがえられた矢の鋭さに、二人の表情がこわばる。
「今見てたじゃないですか。リュックからですよ」
ボウガンを正面に構え、じりじりと距離を取る。
「そ、そんなわけない! 美香! あんた、ちゃんと確認したの!?」
「当たり前でしょ!? あんなもん入ってて気づかないわけないじゃない!!」
苛立ちを隠せない杏子に対し、美香も荒々しく応じる。
「だ、だったらなんで!?!?」
杏子の声がわずかに震える。
だが、一瞬の逡巡の後、彼女の目から動揺は消え、冷徹な光が戻った。
……やはり、ただの小悪党ではない。
「……さて、この状況、どうしますか?」
ボウガンの照準を二人の間に固定しながら問いかけると、まだ状況を飲み込めていない美香が、僕と杏子を交互に見つめた。
Tシャツの裾を端で結び、露わになったおへそにはシルバーのピアスがきらめいている。
「ね、ねぇ…谷々君さ、ご、ごめんね!? お姉さん達、つい調子に乗っちゃってさ! ほら、うちら女だけだし、水も食べ物も二人分必要で、生きるのに必死になって、ちょっと物騒なこと言っちゃっただけだよ!」
場の緊張がピークに達する瞬間、先ほどまでの冷たい態度はどこへやら。
杏子は猫なで声で笑顔を振りまきながら、ゆっくりと歩み寄ろうとする。
ボウガンの照準をその眉間へ合わせると、彼女の足がぴたりと止まった。
「ちょっ! ストップストップ! 冗談! 冗談だって! ほら! ナイフも捨てるよ! これでわかってくれるよね!?」
そう言うと、杏子は手にしていたナイフを足元に放る。
鈍い音を立て、刃渡りの大きなナイフが床に転がった。
「あ、こ、この子は美香っていうの! 細いわりに結構おっぱい大きいっしょ?」
そう言って、杏子が美香の方を振り返る。
美香の目が一瞬だけ杏子をとらえ、すぐに僕へと戻る。
「そ、そうそう! 冗談冗談! さっきはごめんねぇ!? お姉さんも悪ノリが過ぎたよ!」
美香もすぐに調子を合わせ、じりっと僕との距離を詰めてくる。
「あ、なんだったらさ……さっきの続きを、二人で《《して》》あげてもいいよ? 驚かせたお詫びってことでさ?」
杏子は妖しく唇をなめ上げながら、湿った瞳でこちらを見つめる。
その手が美香の背後に伸びると、ズルリと何かを引き抜いた。
派手な蛍光色の下着が、床に落ちる。
「……こっちも気になる?」
ゆっくりと腰を落とし、デニムのボタンに指をかける。
カチャリ、と金属の音が響く。
その動きに意識が引き寄せられた瞬間、杏子が叫んだ。
「美香!」
「っ!!」
言葉と同時に、テーブルが倒され、視界が遮られる。
美香が床に転がるナイフを拾い、低い体勢で突っ込んでくる。
っ──
ボウガンの取り回しでは、間に合わない。
仮にどちらかを撃ったとしても、もう一人には対応できない。
勝ちを確信したように、美香の口元が歪む。
ナイフを下段に構え、一直線に迫る。
「馬鹿が! 逃げられる場所なんてないよ!」
背後から、美香の嘲るような声が聞こえる。
「……そうですね。普通は」
入ってきた窓とは反対側──ダイニングの先にある短い廊下。
トイレや小さなキッチンを無視し、一直線に突き進む。
「はっ!? あんたまさか!?」
美香が焦ったような声を上げる。
そう、普通なら《《行き止まり》》になってしまう場所。
だが、それこそが僕の目的地だった。
ガチャンッ!!
鍵を開け、玄関のドアを乱暴に押し開ける。
たったそれだけで、充分だった。
「「「「ゔぁああっぁぁぁあああ!!」」」」
地響きのような唸り声。
死体の群れが玄関へとなだれ込む。
「このガキ……ふざけやがって!! 自殺なら一人でしろよこのクソ童貞が!!!」」
激昂した美香がナイフを振り上げる。
「……一激」
「えっ……?」
刃が頬のすぐ横をすり抜ける。
ナイフの軌道を《《横目で確認しながら》》、美香の脇をすり抜け、一気に部屋の奥へと駆け抜けた。
「なっ、今あんた何しっ、あっぎぃいああああぁああ!!」
美香の断末魔が響く。
背後では死体の群れが雪崩れ込むように押し寄せ、彼女を引き倒していった。
ベランダへ続く窓を蹴破り外に飛び出す。
その勢いのまま《《数メートル先》》の電線に飛びつきベランダを振り返る。
先に逃げていた杏子が柵から身を乗り出して涙を流していた。
「ねっ! ちょっ! ちょっと待って! 私も連れて行って!! 本当! 今度は本当になんでもするから! た、助けてぇええぇ!!」
柵を乗り越えようと必死で手を伸ばす。
「……すみません。助けてあげたいのはやまやまなんですけど、僕の《《能力》》じゃ無理なんです」
「はぁ!?!?」
困惑したその顔が彼女の最後の表情となった。
「ぃいいいぎいぁああぁあやああぁぁぁああああ!!!」
死体に組み付かれ柵の上で引き倒される。
次の瞬間、群がる死体たちによってその清潔な体はバラバラに引き裂かれていった。
……《《あの日》》以来、すっかりこういった光景には慣れてしまった。
電線によじ登り命綱のカラビナをとりつける。
足元では腐乱した大量の死体が虚な目で徘徊していた。
遠く、新宿まで10kmの標識が見える。
……まだ先は長い。