帰還
「……が勇者、《《深谷無月》》によって倒されました。リコールが開始されます。特典を選択してください」
音に続けて、なんとも説明不足なアナウンスが響く。
この雑な感じ……覚えがある。
『リコール』や『特典』という聞き慣れない単語に少し戸惑うが、それでも少なくとも目標は達成されたということだろう。
足元からくぐもった嗚咽が聞こえる。
泣いているのだろうか。
かわいそうに。
男の背中に座ったまま、僕は約一年にわたる異世界での生活を思い返す。
そんな折、突然足元から眩い光が発せられた。
反射的に警戒するがすぐにその正体に気づく。
……ああ、これは。あの時と同じだ。
身動きが取れないまま、強くなる光に身を委ねる。
──本当は、アッカーマンに挨拶してから帰りたかったんだけどな。
少し未練を残しつつも彼なら皮肉に笑いながらこう言うだろう。
「次に来るときはお土産を頼むよ」と。
光がさらに強まり周囲の景色が白く飛ぶ。
瞬きのような閃光のあと、目の前の光景はすっかり変わっていた。
「……あれ?」
そこはコンクリート打ちっぱなしの殺風景な部屋だった。
出入口が見当たらず、家具も何もない。
どうしたものかと視線を巡らせていると、いつの間にか部屋の中央に男が立っていた。
──男、と呼ぶのが正しいかは分からない。
顔には黒いもやがかかり、輪郭すら曖昧だ。
だが、着ているのは黒いスーツ。
とりあえず“男”と認識しておこう。
「これから特典を選択していただきます。選択が終了すると元いた場所へ戻されます」
まるで自動音声のような無機質な口調だった。
「特典……とは?」
ダメ元で訊ねてみると、意外にも普通に返ってきた。
「あなたがこの世界で手に入れたもの、それを二つまで元の世界に持ち帰ることができます」
「……何でも?」
「何でも構いません」
それなら、と僕は躊躇なく答える。
「この指輪と、僕のエゴでお願いします」
「……登録は無事完了しました」
淡々と告げられ、次のステップに移ろうとしたところで僕は制止をかけた。
「ちょっと待ってください。いくつか、質問があります」
「三つまで可とします」
ずいぶん律儀なルールだ。だがありがたい。
「まずひとつ。なぜ、僕らが選ばれたのでしょうか」
「強い自我をお持ちだからです」
……なるほど。さっぱりわからない。
「二つ目。異世界……あれは一体なんだったんですか?」
「人間の《《認知》》です」
……認知ときたか。答えるつもりがあるのか無いのか微妙なところだ。
最後のひとつ。
「最後に、あなたは“誰”ですか?」
すると、初めて男が間を置いた。
そして次に放った言葉には少しだけ感情が混じっていた。
「……“誰”と聞くか。『神ですか?』『何ですか?』と聞かれることはあっても、これは初めてだな」
彼の口調がほんのわずかに“人間らしさ”を帯びていた。
「まあ、ルールだからね。教えてあげよう。……君とはまた会えるかもしれないからな」
その瞬間、再び足元から光が立ち上る。
「……質問には答えるけど、これくらいのズルは許してくれるかな? 大人ってそういうもんだよ」
彼は最後にそう告げると、口元だけを動かして何かを言った。
顔を覆っていたもやが少しだけ晴れ、口元がはっきりと見えた。
開いて、閉じて、また開いた。
──三文字。
それが、彼の“名前”なのだろう。
意味を考える間もなく視界は光に包まれた。
そして次の瞬間、強い衝撃が頭を打ち──僕は現実に帰ってきた。