異世界にて11
この世界に来てもうすぐ一年が経とうとしている。
現代日本に比べて多少の不自由はあるが、住む場所、食べるものに困らない程度の生活は営むことができていた。
……あとは誰かが魔王とやらを倒してくれるのを待つばかり。
そんな他力本願なことを考えつつ、王都ルクレアの西区、錬金街の外れにある道具屋へと向かう。
中央参道から少し外れるこのあたりは、職人と魔導薬屋が多く集まる地区だが、街の端に近づくにつれて舗装は荒れ、建物も低く古びている。
すっかり馴染みとなった店の扉を開けると、暗い店の奥でカウンターに頬杖をついていた主人がこちらに一瞥をくれた後、何事もなかったようにまた虚空を見つめた。
……この無愛想な様にも随分と慣れてきた。
いつものようにマナポーションを15個、聖水を10個手に取り、カウンターへ運ぶ。
それを見た主人が「銀貨1枚」とぶっきらぼうに言い放つ。
銀貨1枚は日本円で言うと大体千円くらいの価値だ。
この世界には他に銭貨、銅貨、金貨、大金貨などいくつかの種類の貨幣が存在するが、銅貨で百円、金貨で一万円くらいというなんとも日本人に親切な貨幣価値だった。
人差し指にはまった指輪を軽くひねる。
それだけで指輪に備わっている『収納』の魔法が発動し、目の前にスマホ画面ほどの収納物リストが起動した。
リストから銀貨を選び、数量を指定すると、目の前に実物の銀貨が1枚現れた。
「……毎度」
現れた銀貨を受け取った主人が呟く。
「……いつもありがとうございます」
できるだけ愛想がよく見えるように笑顔で会釈する。
上手く笑えているかわからないが、それを指摘できるほどこの主人も愛想についてわかっているとは思えない。
「……ふん。お前さんがここに顔を出すようになってからもう1年近くになるか」
購入したポーションを収納に収めていると、いつも無愛想な主人が珍しく世間話をふってきた。
「もうそんなになりますか。過ごしてみるとあっというまですね」
「異世界から来た人間にとっちゃ毎日が新鮮だろうからな」
「えぇ、ご主人にもすっかりお世話になりました」
名前は呼ばない、というか知らない。
「世話なんてほどのことはしちゃいねぇよ。むしろ世話になってんのは俺のほうさ」
主人が肩をすくめて話す。
「なんせ原価タダみてぇなマナポーションと聖水ばっかり毎回仕入れた分全部買ってってくれんだ。いいお客さんだぜ」
皮肉っぽい言い方だが別に馬鹿にしたいわけではないのだろう。
「ここのポーションが一番うまいんですよ」
「けっ、ポーションに味の違いなんざあるわけねぇだろ」
軽口で答えてみたが一蹴されてしまう。
まぁ、実際他と比べてもポカリとアクエリくらいの差しか無い。
この店がある錬金街は、王都ルクレアの中でも技術職と魔導職が混ざる雑多な地区だ。
中央参道の貴族街とは違い、身分よりも腕がものを言う。
そしてその外れに住む僕のような存在にとって、ここは唯一肩身が狭くない場所だった。
「……せっかくだからこの際聞かせてくれや。そんなにポーションや聖水ばっか買ってどうすんだ? どっちも普通に生活する分には不要だろ?」
主人は興味深そうな顔でこちらを見つめる。
どうやらこの話を聞きたくて世間話を振ってきたようだ。
「……単純な話ですよ。僕はマナの器の容量が小さいらしいので、1stの魔法も使えないんです」
「ほう……?」と主人が一言だけ呟き、続きを顎で促した。
この世界にはマナと呼ばれる力が満ちており、その存在は人々が魔法を行使したり日常生活を送るうえで欠かせないものだ。
それはエゴしか使えない僕にとっても変わらない。
エゴの行使にはほとんどマナを消費しないが、マナの器が小さい僕の場合枯渇するのも早いことが想像できる。
実際に枯渇したことはまだないが。
弱い弱いと散々言われた僕のエゴでも使えると使えないとでは生き残る確率がそれこそ倍は違う。
だからいつ、何度枯渇してもいいようにポーションを買い貯めているのだ。
幸いなことに通常のポーションなら値段もかなり安い。
主人にはこういった内容をかいつまんで伝え「大人買いってやつです」と話をまとめた。
しかし、こちらにはそういった概念がないのか「まだガキじゃねぇか」と一蹴されてしまう。
「だがマナ切れに備えてるったって、毎日こんな大量に買わなくたっていいだろう」
主人の言うことも尤もだ。
常人ならポーションを三分の一も飲めば、マナは完全に回復すると言われている。
器の小さい自分にしたら尚更少量で良いだろう。
しかし、この世界の事情を聞いた限りではそうも言っていられない。
魔王とやらの登場により、世界からは徐々にマナが減っている。
それはまだ微々たるもののようだが、魔王を倒すのが遅くなればいずれ世界からマナが消えるかもしれない。
そうなった時、エゴしか使えずマナの器も小さい自分が生き残るためには《《電池》》が必要になる。
言うなればこれは先行投資だ。
……なんて話まではしない。
これを聞いた主人にそんな考え方もあったかと今後販売を渋られたり、値段を釣り上げられたりするのは困るからだ。
だから「主人にはあって困るものでもないでしょう」とだけ言って濁した。
「そんなら聖水のほうは?」
「あぁ、それはもっと単純です。僕、仕事が墓守なんですよ」
こちらはこの一言で納得したらしく「あぁ」と得心した顔をしていた。
「魔法が使えないんだったな」
「そういうことです」
城を追い出された時、定住先も収入源も無いものが街に出たら犯罪に走るしかなくなるだろう。という偏見のもと、最低限の暮らしを営む先として墓守の仕事を指定された。
仕事は主に埋葬と巡回だが、時折現れるアンデッドや死霊の対処も行なっていた。
対処と言っても魔法は使えないため専ら聖水を使用している。
聖水は中々に便利なアイテムで、スプーン一杯ほどの量があれば大抵のアンデッドは退治できた。
魔除けとしての効果も高く、聖水のはいった瓶を寝床に置くだけで奴らは近寄ることもしない。
……この仕事につくにあたり、王都ルクレアの外縁区、それも崖下の斜面にある墓地裏に小屋をあてがわれた。
“見えない場所に置く”という扱いは徹底している。
もちろんこういった聖水の使用は一般的ではない。わざわざ買わなくても1stランクの浄化魔法を使うのが手っ取り早いからだ。
水道水で良いのにわざわざミネラルウォーターを掃除に使うようなもので、もったいないこと極まりない。
「……なるほどね。聞いてみりゃ確かに単純な理由だ。なんつーか、拍子抜けだわな」
聞かれた話に答えただけなのにがっかりされてしまった。
羅生門の婆さんはこんな気持ちだったのだろう。
「しかし、その生活ももう終わりかもしんねぇぞ?」
これで話は終わったとばかりに主人は聖水の瓶から値札を外していく。
「……? それはどういうことですか?」
「やっぱりまだ知らなかったか」
すべての値札を外した主人がこちらを見つめて言い放つ。
「どうやら討伐隊の前線が魔王領の最深部まで到達したらしい」