侯爵令嬢ティルと流れ星(前)
本編「ドレスの合わせと侯爵夫人」(https://ncode.syosetu.com/n7787eq/289/)のジルドの妻のお話です。
(ティルナーラ・ラヴァエル、現在、ティルナーラ・ディールス)
「神様、お願いします――」
流れ星に祈ると願いが叶う――絵本で読んだ一文だ。
ティルナーラは懸命に夜中に起きて、窓の外の夜空に精いっぱい祈った。
「神様、もっと細くなれますように、でなければきれいになれますように。せめて、髪をきれいな金色にしてください……!」
目を赤くして起きた朝、ティルナーラは飛び起きて鏡を見る。
どれも叶えられていなかった。
大きな姿見に映るのは、ふっくらとした頬の、丸みのある体の子供。
金が入ったくせのある茶髪に、濃い茶色の目。
貴族の少女達は細く妖精のような子が多いというのに、自分はどうみても『小熊』である。
親戚の集まりでも、一番重そうな女の子は自分だ。
細くなりたいと乳母に泣き付いたら、『お嬢様は太ってはおられません。騎士であるお父様ゆずりの骨格なだけです。ティルナーラ様はとても丈夫なことを誇るべきです』と、教えられた。
滅多に風邪もひかないほどに丈夫で、怪我をしても己の治癒魔法ですぐ治せる。
だが、それとこれとは別である。
そして本日、ティルナーラは朝から深いため息をついていた。
本日は『子供交流会』、ティルナーラはこの催しが嫌いだ。
六歳からお披露目まで出なければいけないそれは、『近しいお家の子供達で仲良くなるためのもの』だという。
陽光のはねる広間で、大人しくお茶を飲んでお菓子を品よく食べ、お話をする。
場合によっては、講師を横に、ダンスの練習もする。
だが、子供同士で遊べるわけでもなく、騒げば注意され、ひどくなると別室行きか帰宅である。
年に数度、お披露目前の子供達を集めて行われる『子供交流会』は、同じ派閥でも近しい者、近い年の者を引き合わせ、友好な関係を結ぶために行われる。
そしてもう一つ。
貴族では遠い親戚や派閥内での婚姻が多い。
とはいえ、条件だけで決めた婚姻は、結婚後に問題も起こりやすい。
このため、候補選定や相性を見る、どこかへ紹介するための参考にもなるのだが――
そういったことをティルナーラが知るのは、ずっと先の話だ。
今回の子供交流会を主催する侯爵家へ、付き添いの女性と共に行く。
白い調度のきれいな広い部屋に入り、係の案内に従ってテーブルにつく。
そして、音を立てぬように慎重に紅茶を飲み、ナイフとフォークでフルーツケーキを食べた。
礼儀作法が気になって、まったくおいしくなかった。
隣の金髪の女の子が笑顔で声をかけてくれたが、話についていけない。
花の見頃も、王都の今月の催しも、自分はろくにわからなかった。
ただ、懸命に相手の話を聞くだけだった。
その後、隣にある広間でダンスの練習が始まった。
ティルナーラは二度目の参加だが、近い年の男子は誰も自分を誘わない。
当然である。前回、ダンスで相手の足を何度も踏んでしまったのだ。
金髪の男の子には小さくうめかれ、ダンスが時折止まってしまったが、文句は言われなかった。
銀髪の男の子には痛みで眉間にシワを寄せられたが、彼も何も言わなかった。
『靴の艶がなくなるほど踏まれた』、そんなふうに従者にこっそりと告げ、靴を取り替えに出ていた。
ティルナーラが謝っても『お気になさらないでください』と礼儀作法の教え通りの挨拶が戻ってくるだけ。
自分の目を見ずに言われるそれが、申し訳なく、そして辛かった。
ティルナーラは今回は誰にも迷惑をかけまいと決め、こっそり広間の隅による。
背中を丸めて壁にくっついていると、足元の陽光が途切れた。
「ようこそ、ラヴァエル嬢。せっかくの日です、私と踊って頂けませんか?」
輝く金髪に琥珀の目。
背が高く、すらりとした手足を持つ少年が、手を差し出してきた。
ティルナーラより四歳ほど上の少年は、他の子供達よりとても大人びて見える。
顔は知っているし、今まで何度か挨拶したこともある。
本日主催の家、その長男、ジルドファン・ディールスだ。
主催の家の男性は、誰とも踊っていない女の子を誘うのも決まりなのかもしれない。
だが、その足元は今まで見た中でも一番艶やかな黒い革靴で――ティルナーラは青くなる。
「ありがとうございます、ディールス様。でも、ええと、ダンスは練習中で、下手で、相手にご迷惑をかけてしまうので」
あわてて言うと、少年はちょっとだけ目を細めた。
「これまでにどなたかが、迷惑だと?」
「いえ、本当に下手で! 靴の艶がなくなるほど踏んでしまうので、踊ってくださる方がいなくなりました……」
言いながら、顔が上げられなくなった。
「子供交流会はダンスの練習の場でもあります。私に靴の替えは多くございますので、ご一緒に練習しませんか?」
「あ、ありがとうございます……」
ティルナーラはようやく、ジルドファンの手のひらに指を重ねた。
そうして踊り始めたものの、緊張で六度も足を踏んでしまった。
ダンスは一番練習した曲なのに、だ。
だが、ジルドファンは一度も痛い表情を見せず――靴には見事に傷がついた。
「ごめんなさい!」
「大丈夫です、練習ですから当然のことです」
「でも、靴がもったいなく……靴に治癒魔法をかけられたらよかったのに……」
思わずそうつぶやくと、彼は初めて目元を下げて――ふわりと笑った。
それは年齢らしいやわらかさで、ティルナーラはなんと言っていいかわからなくなる。
「それができたら経済的ですが。幸い、私の靴の替えは多くございます。それより、もう一曲踊りませんか?」
ダンスの二曲目を誘うのは、『友人となりませんか?』というお誘い。
でも、今日は子供交流会、ダンスは練習だからそうではないのだろう。
ティルナーラは緊張しつつもお礼を言い、二曲目を踊ることになった。
なお、靴はさらにもったいないことになった。
それから、子供交流会に出る度、ジルドファンは毎回二曲ずつ踊ってくれた。
次のダンスからは彼の足を踏まないことを目指して練習したが――なかなかに遠かった。
翌年からは、なんとか足を踏まなくなり、他の男の子とも踊れるようにはなった。
だが、作り笑顔で誘われても、どうしても一曲だけしか踊れなかった。
表情が変わらず、たまにしか笑顔にはならないけれど――
ジルドファンと踊る方がずっと楽しかった。