532 戦いの肖像 5
第一層の前縁部だけでなく、後方でも『通した魔物』との戦いが始まっている。
怪我をする者、そして命を失う者もいるだろう。
しかし、それは仕方のないことである。
いくらマイルが古竜の半分の能力を持っていても、マイルはドラゴンブレスを吐くことはできないし、巨大な身体を持っているわけでもない。
数十万の魔物の群れの中では、できることには限りがある。
せめて、あの『サンシャイン・デストロイヤー』でも使えれば少しは足しになったであろうが、生憎と今日は曇天であり、空は厚い雲に覆われている。
これでは、集束して強力なビームにできるほどのエネルギーは得られそうになかった。
今回は、前回の侵攻時には存在していなかった古竜の存在があるが、この場に古竜達の姿はない。
異世界から多少強い新種の魔物が大量に侵入しようとも、絶対強者である自分達には何の影響もないと考え、下等生物同士の殺し合いなどには興味がないのか。
それとも、最も神に近い究極生命体であるはずの自分達古竜が人間によって作られたということ、そして元は矮小なペットのトカゲであったという事実に耐えきれず、とてもそれどころではないのか……。
とにかく、配られたカード、自分の手札だけで戦うしかない。
それでも、4人だけで戦おうとしていた時に較べれば、過分なカードを手にしている。
信頼できる仲間達。
そして、世界のために命を賭けてくれた、大勢の人々。
自分達を信じて賭けに乗ってくれた人達には、絶対に損はさせられない。
必ずや勝利して、高額の配当金を分配してやる。
そう考え、魔物と戦うマイル達。
「うわっ!」
マイル達の周囲で雑魚を処理してくれていたCランクハンターのひとりに、オーガが手にしていた丸太を振り下ろした。
そのあたりで拾ったのか、それとも向こう側の世界から持ってきたのか……。
とにかく、どちらにしても、それで頭を叩き潰される者にとっては関係のないことであった。
回避は間に合わない。
剣で受けても、そのまま叩き潰されるので無意味。
(……死んだ……)
しかし、これは犬死にではない。
世界を護るために御使い様の許へと馳せ参じて戦い、その戦死者のひとりとなっただけである。
勇敢な戦士達の楽園へと招かれる資格は充分にある。
走馬燈というやつか、思考はとんでもない速さで進むが、かといって身体がその速さで動かせるわけではない。なので、頭上から迫り来る丸太を、ただ呆然と見詰めているだけ……。
がしっ!
しかし、その丸太が1本の腕で受け止められた。
剣を手にしているが、たとえ剣で切断しても、手元側の部分と切断された部分が運動エネルギーを保持したまま男の身体へと向かえば、即死は免れない。なのでここは、丸太自体を受け止めるしかなかったのは分かる。
……しかし、どこにいるというのか。
オーガが全力で振り下ろした丸太を己の片腕で受け止められる者が。
そして、その存在するはずがない者は、ごつい男ではなかった。
女性の片腕。その、左腕1本で……。
「そんな馬鹿な……。あり得ねぇ。絶対に、あり得ねぇ!!」
あまりにも信じがたいものを目にしたためか、自分が命の危機であったことも忘れ、呆然と呟くハンターの男。
そして……。
「知っているか!」
にやりと笑ったメーヴィスが、その男に告げた。
「ハンターの身体に熱い血が流れている限り、不可能なことなどないのだということを!!」
そして、右手に握った小剣で、丸太を持ったまま驚愕に固まっているオーガを一閃。
カッコいい決め台詞を言えたドヤ顔のメーヴィス、幸福の絶頂である。
* *
「ぐあっ!」
マルセラが、オークの一撃をまともに受けた。
身長の低いワンダースリーの3人が、曲射ではなく直射攻撃を行っているのであるから、敵との間に味方がいてはマズい。
……つまりそれは、彼女達が最前線に位置しているということである。
雑魚敵掃討の要となった彼女達の周囲には、当然のことながら彼女達を護るための要員、普通のCランクハンター達がいた。
しかし、このような乱戦の中で、敵を完全に寄せ付けないということは不可能であり、そして彼女達は攻撃力はあっても、防御面では紙装甲であった。
なので、軽い一撃を喰らっただけで吹き飛び、簡単に壊れる。
護衛役達が大慌てでオークを叩き斬り排除したが、マルセラは地面に倒れ伏していた。
しかし、マルセラは右手を支えにして、すぐに立ち上がった。
そして、おかしな方向……決して曲がってはいけない方向……へと曲がった左腕をぷらんぷらんさせながら、脇腹を押さえているマルセラ。
「オホホホホホホ! ホォ~ッホッホッホォ!!」
「マ、マルセラ様……」
「痛くて痛くて、笑ってでもいないとやってられませんわよ!
でも、腕1本とアバラが数本折れたくらい、魔法攻撃には支障ありませんことよ。
治癒は後回しでいいですわ。今は無駄な魔力を使っている場合ではありません。
さあ、もいっちょ、ブチかましますわよ!」
「「はいっ!!」」
「よぉし……、って、あれ?」
マルセラの身体が淡い光に包まれたかと思うと、左腕が治っていた。アバラの方も……。
周りを見回しても、治癒魔法を掛けてくれたらしき者の姿はない。
「……辻ヒール?」
そう、それはアデルのフカシ話に出てきた、意味の分からない謎の行為であった。
……というか、このような効果の治癒魔法など、そのあたりのハンターに使えるようなものではなかった。
……ということは……。
「アデルさん、余裕ですねぇ……」
モニカが言う通り、マイルは自分も戦いながら、ダクトを利用してあちこちの戦況を確認して支援魔法や攻撃魔法を遠くから飛ばしているのであった。
映像は光学的に加工しているだけであるが、音声を伝達するための伝搬回廊は、現場からマイルまでの間をナノマシンが繋いでいる。なので、同じ経路を使ってナノマシンに魔法を伝達させることが可能なのである。音声のように屈折や反射を利用するのではなく、普通にナノマシンを通じて命令を伝達させることによって。
……何しろ、今のマイルは権限レベルが7なのであるから……。
「あああああ~~っっ!!」
突然、マイルが絶叫した。
「ど、どうしたのよ!」
怪我をした様子も、追い詰められた様子もないのに突然叫んだマイルに、レーナが驚いて声を掛けると……。
「マ、マ、マ、マレエットちゃんが怪我を! 顔に傷があああああっっ!!」
ちゃんと手を動かして魔物を叩き潰しながらではあるが、酷く狼狽えた様子のマイル。
レーナが、マイルが指差すスクリーンの方に目をやると、そこにはマイルが何度も話に出していた、単独で家庭教師の依頼を受けた時の教え子である『天使のような可愛い女の子、マレエットちゃん』の姿があった。
しかし……。
「怪我? どこも怪我なんかしていないじゃないの!」
レーナがそう指摘したが……。
「拡大! 映像を拡大してください!!」
マイルの指示により、マレエットちゃんの映像を拡大したナノマシン。
そしてスクリーンいっぱいに拡大されたマレエットちゃんの右頬を指差すマイル。
「ほら、あそこ! あそこに、傷があああああっ!」
そこには、長さ1ミリ、深さは0.1ミリもないような、血の1滴すら出ていない、微かな傷……と言えるかどうか分からない程度のもの……があった。
「可愛い女の子の顔に傷を付けるなんて……。
…………許さん!!」
「いや、許すも許さないも、あんた、最初から魔物をブチ殺してるじゃないの……」
レーナの言葉も耳に入っていないのか、怒りに震えるマイルであった……。