325 尻尾がない
『尻尾がない。尻尾がない……』
カプサイシン地獄の他には、あまり重傷は負っていない古竜。
3頭の中では一番怪我が少ないはずのその古竜が、先っちょを切断された自分の尻尾を抱え込んだまま、呆けたようにそう呟き続けていた。
「……何なのよ、アレ……」
その古竜を見ながら、嫌そうな顔でそう呟くレーナ。
『ああ、あれは……』
ベレデテスが説明してくれた。
『彼は、まだ伴侶を得ておらぬのだ。
そして、我らの求愛は、尻尾によるものでな……。その後の愛情表現も、尻尾を絡め合ったり、尻尾で相手の身体を突っついたりと、とにかく、その手のアピールには尻尾が非常に重要な役目を果たすのだ。その尻尾が、ああなってしまっては、その……』
他の2頭の古竜が、沈痛な面持ちで項垂れている。どうやら、慰めの言葉を掛けることすらできない状況らしい。
「「「「…………」」」」
気まずい。非常に気まずい……。
『尻尾がない。尻尾がない。尻尾がないぃ……』
ぼろぼろと涙を溢しながら、虚ろに呟き続ける古竜。
「あああ、分かりましたよ、もう!」
マイルが、斬り落とされて転がっている尻尾を拾い上げ、泣きながら呟き続けている古竜のところへと近寄った。
「くっつけてあげますから、さっさと尻尾をこっちに伸ばして下さい!」
『『『『……え?』』』』
どうやら、古竜の間でも、部位欠損は修復できないらしい。それどころか、切断された部位を繋ぐこともできないらしい。
確かに、切り傷を治すのとは違い、神経や血管の接続、その他色々なハードルが高く、地球の医療技術でも、切断された腕や足を完全に元通りになるよう繋ぐのは難しく、ほんの100年くらい前までは、その成功率はかなり低かった。
いくら魔法が使えるとはいえ、身体構造に関する知識も医療知識もないのでは、再生の手順を正しくイメージし、それを思念波として放射しナノマシンに望み通りの作業を行わせることは難しく、『ただ単に、くっつけただけ』で神経が繋がっていなかったり、血管が切れたままですぐに壊死したりと、あまり芳しい結果にはならないのであろう。
懐疑的な眼でマイルを見る4頭の古竜であるが、その眼が、マイルの横に立っているメーヴィスをその視界に入れた。
『『『な……』』』
意識を失っていた1頭を除き、他の3頭は、確かに見ていた。メーヴィスの左腕が炎のブレスを浴び、確かに消し炭となって消し飛んだのを。
『『『…………』』』
信じられない。
あり得ない。
眼を見開いてメーヴィスの左腕を凝視する、3頭の古竜。事情を知らない1頭だけが、皆のおかしな様子の理由が分からず、ぽかんとしている。
そして、古竜達からの視線に気付いたメーヴィスが、にっこりと笑って剣を抜き、左手だけでくるくると剣を回して曲芸のようなことをやり始めた。
『『『…………』』』
もう、メーヴィスから眼を離せない古竜達。
そして……。
『た、頼む、繋いでくれ! 何でもする、完全降伏行為だろうが、背中に乗せて馬代わりだろうが、部族への裏切り行為以外なら、何でもするから! お願いだあぁ!!』
下手をすると、一生独身である。……人間の一生に較べ、その数十倍、数百倍はあろうかという、その長い長い古竜の一生に亘って……。
泣きながら懇願する古竜に、やれやれ、というような顔のマイル。
おそらく古竜にとってはとてつもなく屈辱的な行為なのであろう。その、完全降伏行為とか、馬代わりとかいうのは……。
以前、少女竜であるシェララが仰向けで腹出し、というのをやっていたが、あれはまぁ、子供がやったことであるし、本当に命の危険を感じていたのだから、仕方ない。立派な成人男性が敵に対してやるのとは、話が違う。
馬代わりも、この場所に来る時にベレデテスが乗せてくれたり、以前獣人を運んだ時のような、自分の都合で乗せてやる、というのは全然構わないらしかったが、下等生物に命令されて乗せる、というのは、とてつもない屈辱らしかった。
どうやら、古竜にとって尻尾は、その屈辱をものともしないくらい大事なものらしかった。
そして、言われた通り尻尾を伸ばしてマイルの方に差し出した古竜に、拾い上げた先端部を近付けるマイル。
「切断面清浄化、異物排除、滅菌!」
まずは、汚れを消し、殺菌処置。
そして、切断面をくっつけて……。
「細胞増殖活性化、骨格接合、筋肉接着、神経修復再結合、血管接合、結合面固定……、テラ・ヒール!!」
『『『『おおおおおおお!』』』』
一応、驚いた顔をしている古竜達であるが、本当は、見ただけではまだ分からない。
物理的にくっつけることくらいは、古竜達にも可能である。問題は、そのまま腐ることなく、そしてちゃんと動かせるかどうか、ということであった。それも、求愛行動に必要な、激しく繊細な動きが可能にならないと、意味がない。
「まだ動かさないで下さいよ。……えい!」
マイルが、くっつけた先っちょの方の部分を、指で軽く突いた。
『痛ぇ!』
思わず声を漏らした古竜は、ハッとしたような顔をして、顔を引き攣らせた。
『どうして、人間に指で突かれた程度で、痛いのだ!』
普通、人間が指が折れるくらいの勢いで突いてきたとしても、触れられたことにすら気付かないであろう。それが、痛い、などと……。
つまりそれは、この少女が充分な強度のある武器で、全力で斬り掛かって、あるいは殴りかかってきた場合……。
先程、仲間の1頭が、信じられないことに人間に剣で腹を斬り裂かれるのを見た時には、人間の中にもとんでもない能力を持った者がいるものだと驚愕し、そして感心したものである。
しかしそれは、手にした剣が神剣レベルの魔法剣か、とんでもない業物、おそらくは『伝説の勇者の剣』とか、『竜殺しの剣』とかであり、なおかつ、その剣士が数百年にひとりの倒竜の英雄だと思い、そのような者に当たってしまった自分達の運の悪さを嘆いていたのであるが……。
『なぜ、武器もなく、素手でそんな力が……、と言うより、そのような、数百年にひとりという者が、ふたりも揃っていて堪るものかあぁっ!』
急に叫んだ古竜の肩の辺りを、レーナに焼かれた方の古竜がポンと叩いた。
『それよりお前、尻尾に痛みを感じたのか?』
『あ、ああ、痛みを……、って、ええっ、えええええええっっ!!』
愕然とし、そして、ぼろぼろと涙を溢し始めた古竜。
『感じる……。痛みを。感覚を。感じる……』
そして、そうっと動かしてみると。
ぴく。
ぴくぴく。
『動く。動くううううぅ……』
「完全にくっついてると思いますけど、念の為、2~3日はあまり動かさないで下さいね。その後は、多分普通に動かしても大丈夫だと思いますけど……」
ずし~ん!
『うっうっうっ……。感謝致す、人間の少女よ……』
そして、仰向けにひっくり返って両手両足を広げた古竜に、困ったような視線を向けるマイルであった……。