173話 激怒
リムルの去った後、シオンとディアブロは即座に行動に移った。
初めて見る、暴走するリムルの姿に、驚いている場合ではない。
全幹部へ向けて思念通達を行い、速やかに緊急態勢へと移行する。
進化の途上の者へは、可能な限り急がせるだけに留めたが、彼等の意思は既に一つであった。
リムル様のお役に立つ為に!
彼等は、急速に進化を完了させていく。
凄まじい速度で肉体を再構築し、新たな能力を獲得し……
それらは全て、『食物連鎖』により、リムルへと還元される力となっていった。
リムルの怒りに呼応し、進化する魔物達。
それは単なる進化や魔王覚醒に留まらず、より攻撃的に戦闘に特化した能力を生み出す要因となったのだ。
より実戦的に、より効果的に。
彼等は、魔王リムルに使役されるべく、命令に備えて準備を開始した。
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怒りに任せて転移した先は、最初にヴェルドラが戦闘を開始した位置である。
智慧之王に、空間座標の割り出しを命じていたのが役立ったのだ。
躊躇う事なく転移したが、普段の俺からは考えられない暴挙である。
怒りで理性が吹き飛んだのは初めてかも知れない。
シオン達が殺された時は、後悔や怒りがないまぜになり、更には希望が生じた事により一種の凪にも似た精神状態となっていた。
お陰で、冷静さを保ったまま怒るという、器用な真似が出来たのだ。
だが、今回は違う。
魂を引き千切られるような痛みを覚え、ヴェルドラを失うかも知れないという状況が、完全に俺の理性を吹き飛ばしていた。
勝算? そんなのどうでもいいのだ。
敵は潰す。
ただそれだけなのである。
敵方の戦力予想を立て、危険だと警告する智慧之王に対し、
何とかしろ!
と命じて黙らせる。
《解。了解しました。最適行動を実行します 》
と、聞こえた気がしたが、今の俺にはどうでも良かった。
さっさとヴェルドラを救い出し、クソ共を殺す。
俺は怒りのままに、帝国軍と二体の"竜種"と対峙する形で、敵の真正面に顕現したのである。
後は、暴れるだけであった。
魔王リムルは顕現した。
理性を手放した事で、苛烈なる攻撃的意識のみが残っている。
現れたリムルを見て、
「なんだ? 飼い主が捕われたのに気付いて、慌ててやって来たのか?
馬鹿め。力の根源たる主を奪われてしまえば、魔王だろうが単なる魔物に過ぎぬ。
部下も連れずにノコノコと出向くとは、知性の欠片も無いようだな。
さっさと、あの愚か者を始末してしまえ!」
皇帝ルドラがつまらなそうに嘲りの言葉を放ったが、それがリムルに到達する事はない。
リムルにとって、皇帝ルドラと言えども、始末対象である有象無象の一匹に過ぎないのだ。
この状況における戦術的勝利条件。
それは、
1.ヴェルドラの奪還。
2.脅威の除去。
3.帝国兵の皆殺し。
である。
激怒で攻撃的意思しか残っていない彼にとって、挑発行為は既に意味が無いのだ。
本来設定されるべき、生存に関する条件など、一切ない。
この場合においては、成功以外に生存を考慮しないという事。
ヴェルドラの奪還は、全てに優先される絶対条件であったのだ。
リムルの出現に対し、警戒感を覚えた者は少ない。
ヴェルグリンド、近藤中尉、そしてダムラダの3名だけであった。
状況的には、ヴェルドラを捕獲した事で、帝国は大きなアドバンテージを得ている。皇帝にとっては、長きに渡るギィとの勝負に終止符を打つ、一歩手前の状況であったのだ。
故に、たった一体魔王が出て来たとしても、"竜種"が出現した以上の脅威とは思えなかったのである。
何しろ、普通ならば、"竜種"はこの世界最強の存在であり、魔王よりも格が上だったのだから。
最強の"竜種"を手駒に加えた後に出て来た魔王等、"竜種"が二体もいる現状では脅威では無い、そう考えるのが自然であった。
そんな中、ダムラダは緊張に顔を歪める。
自分専用の伝説級武具を着用し、顔を仮面で保護していて、他人から表情を読まれる心配は無いのだが。
それでもつい、自分の焦りを悟られぬように周囲の様子を伺ってしまう。
艦橋に立つ、皇帝ルドラとその近衛騎士10名。
皇帝の最強戦力が此処に集結している。
この場は最大級の防御力場が発生し、最も安全地帯と言えるだろう。だからこそ、近衛騎士達には緊張は見受けられない。
しかし、ダムラダはリムルの出現に脅威を感じていた。
理屈ではないのだ。
あの魔王は、一目見た時から、異質な何かを感じさせる存在だったのだ。
ユウキしかり、魔王リムルしかり。
何らかのカリスマとも呼べる覇気を纏っていて、ダムラダを魅了する。
皇帝に忠誠を誓いつつも、もしかしたら違う生き方があったのでは? そう思わせる何かを持つ者達。
そして、ダムラダから見てリムルは、決して舐めてかかって良い相手ではない。常に冷静で、その考えを他人に読ませる事のない、絶対的存在であった。
そんな魔王リムルが理性を無くす程に激怒しているのだ、何かが起こりそうな悪寒を覚えるのである。
ダムラダは油断無く、何かあった場合に即座に皇帝を守護出来るように、全神経を緊張させるのだった。
近藤中尉は初めて魔王リムルを目撃した。
そして、失敗したかも知れないと考える。
ヴェルドラ捕獲を優先したが、それは誤りであったようだ、と。
魔王リムルが、油断ならぬ者であるのは把握していた。だからこそ、攻略対象から外し、後回しにしたのだから。
情報収集に力を入れ、攻略の糸口を探るつもりだったのだ。
そんな中、ヴェルドラと遭遇しヴェルグリンドが交戦状態になったとの報告が齎された。
これはチャンスだ、と皇帝ルドラが出撃を命じた時、嫌な予感が脳裏を過ぎったのだ。しかし、理屈ではチャンスなのは間違いない話であり、その命令に逆らう程の明確な理由は無かった。
強いて言えば、情報が揃っていない現在、動くのは時期尚早なのではないか? という程度。
だが、情報が揃っていないのは情報局の怠慢であり、チャンスを見逃すには説得力に欠けていた。
所詮、近藤の感じた悪寒を理由に、出撃を止める事など出来ない話だったのだ。
そして、今。
ヴェルドラを近藤の能力――皇帝に付与されたものではなく、自ら獲得したそれ――究極能力『処刑執行者』にて動きを封じたのだが、その時に嫌な予感はより強烈になった。
破界弾と呪壊弾を最大出力で撃ち込んだのだが、その時に呪壊弾の効果を途中で打ち切られるような感触があったのだ。
そして、邪竜と呼ばれるヴェルドラと目が合ったような気がした。
――我だけで無く、盟友にまでも手出ししようとするとは。許さぬぞ、人間!!――
そう、声無き声が聞こえたようだった。
呪壊弾は、対象の魔力回路を破壊する、精神生命体にすら効果ある能力。
最強たる"竜種"であったとしても、その効果を逃れる事は出来ないのだ。
正面から抵抗するならば、或いは防げたのかも知れないが、完全なる不意打ちであり、ヴェルドラに防ぐ術は無かった。
ヴェルグリンドとヴェルドラの力が拮抗していたが故に出来た、僅かな隙をついたのだ。
ヴェルドラが若干、帝国守護神たるヴェルグリンドを上回り始めていたので、最高のタイミングでヴェルドラの動きを阻害するのに成功したと言える。
それなのに……
ヴェルドラは最後の最後で、呪壊弾に抵抗して見せた。
近藤はヴェルドラを見事だと認めると同時に、最大級の不安を感じる事になったのだ。
"竜種"を殺すには、呪壊弾を数発撃ち込んでも難しい。
今回は、動きを止める為に、その意思を削ぐ為に放っていた。意識を刈り取ったとしても、"竜種"ならば死ぬ事は無いのだ。
だが、それが理解出来た筈のヴェルドラは、我が身を縛る封印を無視し、魔力回路を破壊される事を防いだのだ。
いや……ひょっとすると、呪壊弾への強引な抵抗は、魔力回路よりも重要な何かを守る為だったのではないのか?
その考えが、ヴェルドラの声無き声に裏付けされた。
そう、ヴェルドラは盟友たる魔王リムルを守る事を何よりも優先したのだ。
であるならば、今目の前に現れた魔王は、決して生半可な相手ではないと判断すべきであった。
力の根源であるヴェルドラを奪われて、無力な存在となり果てた魔王?
とんでもない。
寧ろ、盟友を奪われようとして怒り狂っている、暴虐の意思。
そう考えるべきであった。
どちらかを優先するのではなく、同時攻略こそが正解だったのではないのか?
その考えに行き着いたが、もはや何を言っても状況は動き出してしまっている。
後はただ、状況に応じた最善手を選択する他ないのだ。
近藤もまた、ダムラダ同様に油断なく、状況に即応出来るように身構えるのだった。
"灼熱竜"ヴェルグリンドもまた、リムルの出現に警戒していた。
いやそれどころか、もっともリムルを危険だと判断した者だったかもしれない。
顕現した怒りの波動が、弟であるヴェルドラのそれと同様だったからである。
魔王、しかし、単なるスライムが、"竜種"たる自分達と同等の覇気を纏っている。通常なら、有り得ないと一笑に付す所である。
しかし、目前にいる少女の姿をした魔王は、激しい怒りの波動を抑える事もせずに放出している。
その波動が明確に、その危険性を訴えているのだ。
この波動を直接受けたならば、耐性のない人間など、一瞬で死に至る事だろう。
いや、人間だけに留まらず、強者と言われる上位存在以外、抵抗を許されずに死ぬ事になる。
それだけの圧倒的なまでの覇気だと、ヴェルグリンドには理解出来たのだ。
(やれやれ、コイツは危険だわ。弟が気に入るのも理解出来る)
自分の予想を上回る成長を見せたヴェルドラ。その原因は、恐らくは目の前の魔王にあるのだろう。
だとすれば、直接相手をして、完膚なきまでに叩き潰しておく必要があった。
今仕留めておかないと、脅威となるのは間違いなさそうである。そう、ヴェルグリンドは判断したのだ。
ヴェルグリンドは悠然と、再び戦闘態勢へと戻っていく。
目の前に顕現した魔王を、甘く見なかった3名は流石であるといえる。
しかし、その判断は間違っていた。
やるのならば、魔王の顕現と同時に、全員で連携し、最大火力で葬るべきだったのだ。
歴史に仮定の話は意味が無い。
彼等はそれを行わなかった、それが結果に繋がるのみ。
目の前の魔王は、既に、彼等が個々で対応出来るような甘い存在では無かった。
圧倒的とも言える、脅威だったのである。
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戦闘は唐突に始まった。
リムルが顕現すると同時に、智慧之王が戦力分析を行っている。
そして、宣言通りに最適行動を開始したのだ。
初撃で、飛空船団へ向けて竜巻斬を放つリムル。
迷宮内で使用している仮想体の幽霊が使用する魔法と同じものである。
それは牽制の意味合いがあったのだが、威力は次元が異なるものとなっていた。
一定範囲内の敵を複数同時に切り裂く、風の刃を発生させる魔法。それが、究極能力『暴風之王』の"死を呼ぶ風"の効果が上乗せされて放たれたのだ。
空間すらも切断しそうな凄まじく巨大な多数の風の刃が、飛空船数隻を切断してのけた。
想定していたよりも絶大な威力だったのだが、怒りで冷静な判断の出来ない俺には好都合だという感想しかない。
使用魔素量に比較して、有り得ない効果を発揮する竜巻斬。
魔力の質も量も圧倒的な現状、唯でさえ魔法の威力は上昇しているのだ。それに加えて究極能力の効果を上乗せしているのだから、出鱈目なまでの威力になるのは当然であった。
更に、リムルの現在の状況も重要である。
配下の魔物の進化が、現在進行形で行われているのだ。魂の系譜に連なる魔物達が得た力は、すべて『食物連鎖』によりリムルへと還元される。
時間が経てば経つほど、リムルの力は増大を続けていたのである。
本来、能力の再編と統合を行い、最適化する作業を担う智慧之王は、現在は全力戦闘の補助を行っていた。
故に、配下の魔物達の得た能力は全て魔素量に換算され、リムルを満たしていったのである。
そのリムルに向けて、複数の光弾や剣撃が放たれる。
皇帝ルドラの命令で、近衛騎士達が一斉攻撃を開始したのだ。
究極付与『代行者』を与えられし、選ばれた者達。
究極能力に相当する威力の同時攻撃が、リムルへと向けて殺到した。
リムルは無表情に、それらの攻撃を一瞥する。
100万倍に加速された思考の前に、それらの攻撃は遅すぎた。
《解。解析が終了しました。全ての攻撃に、同一波動を確認しました。
同一能力を劣化付与したと推測されます。ただし、威力は究極能力に相当します 》
(防御しろ)
《解。了解しました 》
リムルへと到達した攻撃は、究極能力『誓約之王』の絶対防御により、容易く無効化される事になった。
《告。結界破壊効果の攻撃を感知……無効化に成功しました。
続いて、精神と魔力回路を破壊する攻撃を察知しました。
究極能力『処刑執行者』によるものと推測……防御に成功しました 》
リムルはチラリと、動きを見せない皇帝と、その横に立つ軍人に視線を向けた。
(その程度か? だったら警戒するまでもない。
お前等は、後回しだ。せいぜい恐怖するがいい。
俺が相手してやるまで、殺されないようにしろよ)
そして、ヴェルドラ開放の邪魔をされないように、次なる手を実行する。
(ディアブロ、テスタロッサ、ウルティマ、カレラ! 動けるか?)
(当然で御座います、我が主よ!)
((問題御座いません、御主人様!!))
リムルの呼び出しに応えるべく、強制的進化を完了させた悪魔公3名、いや、いまや悪魔王と化した3名に加え、ディアブロが呼びかけに応える。
その声は歓喜に満ち、いかに呼び出しが掛かるのを待っていたのかを窺わせた。
「出て来い、悪魔共! 上位悪魔召喚門創造!!」
リムルの呼び声に応え、4柱の悪魔王が顕現した。
その眷属を引き連れて。
7柱の悪魔公。
そして、悪魔騎士100騎に、600柱の上位悪魔達。
続々と、悪魔召喚門を通り、リムルの下僕達が湧き出して来た。
その、恐るべき破滅の力を振るう為に。
リムルの怒りの深さを証明するかの如く。
リムルは、悪魔達に命令を下す。
「好きに暴れて構わない。
ただし、死ぬ事は許さん。
奴等に、俺の邪魔をさせる事も許さん。
俺がヴェルドラを開放するまでの間、あの蚊トンボ共の相手をしていろ!」
「ヴェルドラ様の姉君は、どういたしましょう?」
「あ? 俺が相手する。理解したら、行け。奴等を殺しつくせ!」
実に単純。
その命令を受けて、悪魔達は歓喜に包まれた。
その時は既に、思念リンクにより、全ての解析結果は悪魔達の共有知識となっている。
近藤以下、近衛騎士達の手の内は、全て智慧之王により暴かれているのだから、当然だ。
『我等が主の望みのままに!!』
恐れるモノ無き、悪魔達は、主の役に立つ為に、その身を戦いへと投じていった。
嬉々として。
破壊の黒き軍団は、たった今、この世に解き放たれたのだ。
魔物の国の最強部隊である黒色軍団誕生の瞬間であった。
そして、リムルはヴェルドラへと向き合った。
いまや、皇帝の傀儡と化した、盟友に。
その後に控える紅き竜、"灼熱竜"ヴェルグリンドともども、相手にする予定である。
(待っていろよ、ヴェルドラ。今直ぐに開放してやる!)
そして、本当の戦いが始まるのだった。