160話 掃討殲滅戦
カリギュリオの下へは、絶望的な報告が多数寄せられていた。
状況は既に絶望的で、今回の侵攻作戦の失敗は明らかであった。
いや、それ所では無い。
ことここに至って、この場から生きて撤退出来るかどうか、状況はそこまで差し迫ったものとなっていたのである。
(どうしてこうなった? いや、そもそも一体いつから……?)
カリギュリオはループする思考を必死に正常に戻そうとして失敗し、もう一度絶望的な戦況を眺めて現在取り得る事が可能な作戦を検討する。
この最悪の状況の中で出来る事など大してないのだが、それでも彼は軍団長であり、将兵の命に対して責任ある立場なのだ。
彼が状況を投げ出す事だけは、決してしてはならない事だったのである。
最初に齎された報告は、首都攻略部隊が敵軍と交戦状態になったと言うものであった。
状況は拮抗しており、膠着状態になりつつある、と。
数の上で圧倒的な此方の戦力が、力押しで押し勝てない鉄壁の防御陣形を取り、敵軍は健闘しているらしい。
魔導砲も魔術師の大規模魔法も、一切が防御結界により遮断され、その効果を発揮出来ずに不発に終わる。
敵ながら見事な防御陣形であった。
迷宮攻略部隊と連絡が途絶した上、首都攻略は思うように進まない。
敵の陣形の妙を褒めている場合では、決して無い。
カリギュリオもそれは理解しており、既に自分に後が無くなっている事を自覚し始めたのがこの時であった。
だが、既に遅すぎたのである。
状況は急速に動き始める。
新たな敵軍が出現した。その部隊は恐怖を具現化した存在。
圧倒的な勢いを持ち、味方を蹂躙し始める。
数にして十分の一程度のその部隊に、一方的に味方がやられていくのだ。
エネルギー計測班の報告でも、個体魔素量の高い者が数体確認されていた。
しかし、その部隊の大半は、自軍に比べてもエネルギー値は同等程度。
Aランク以上の強力な魔物の数は少ないようなのだ。
それなのに、結果は眼前で繰り広げられている通り、自軍が追い詰められていっていた。
更に状況が動く。
敵軍の鉄壁陣形の内側から、強力無比な大規模魔法が放たれたのだ。
狙い済ましたその魔法や妖術により、帝国軍に多大な被害が生じ始める。
紫紺の鎧に統一された恐怖を撒き散らす部隊の狙いは、此方の軍を混乱に陥らせて、防御結界を手薄にする事だったのだと漸く気付いた。
見事な連携であった。
しかし、これだけであったならば、まだ建て直しはきいたのだ。
首都攻略部隊には、前衛、後衛軍として各々10万名づつに分けていた。
前衛が多少崩された所で、後衛が即座に援護に入り、入れ替わった上で再編成を行わせる。
数に於いて圧倒的な優位性を持つからこそ可能な、必勝の作戦。
(一時優勢に立てただけでも、魔王の面目は保てただろう)
自身に後が無くなりつつある事を自覚しつつも、カリギュリオにはまだ余裕があったのだ。
その余裕が無くなったのは、次の瞬間である。
数キロ離れた地点から望遠魔法により、戦場を観察していたカリギュリオ含む帝国軍参謀達。
全員が一瞬で言葉を失った。
まだ残っていた全ての余裕が消え去ったのは、この瞬間である。
エネルギー計測班が恐怖で狂ったように叫び始めた。
「い、今すぐ全軍に撤退命令を!!」
と。
全ては手遅れだったのだが……。
その言葉の意味を理解するよりも早く、目の前の状況が全てを教えてくれた。
崩壊しつつある前衛軍の援護に回ろうとしていた後衛軍に、悲劇が訪れたのだ。
核撃魔法の一種、"重力崩壊"によって。
絶対的なエネルギーを放出する、凶悪な魔法が暴威を撒き散らす。
星の重力磁場を狂わせて、そこに局地的な超重力力場を発生させる。
限定的な超圧縮空間の影響範囲に巻き込まれた者は、全てが押し潰される事になるのだ。
そのまま圧縮を続けるならば、やがて全てのエネルギーが一点に収束し、小規模な超新星が地上にて発生する事になるだろう。
今回、敵の目的はそこまででは無かったようだ。
大半の兵士を圧殺した時点で、魔法の効果は掻き消えた。
だが、十万の兵士の内、果たして何名生き残れたのか……
「ば、化け物です。たった……たった一体で、あの極大魔法を……
理論でしかないのに……
この地上で使われた事のない、膨大なエネルギーを必要とするのに……」
そう、カリギュリオでも知っている。
理論上、可能性があるとされるだけで、未だ研究途上の魔法。
過去に確認されている魔法ではなく、帝国の技術の粋を集め、異界の科学知識も動員し、理論の組み立てから研究している段階の新型大規模魔法なのだ。
それを……完璧な形で発動して見せた。
それもたった一体の魔物が、だ。
魔王。
その言葉が、現実的な恐怖感を伴って、カリギュリオの脳に到達する。
自分達は、決して手を出してはならぬ者に手だししてしまったのではないのか? と。
そもそも、あの規模の大魔法を放つには、魔術師10名でも心許ないのである。
通常の核撃魔法とは比較にならぬエネルギーが必要とされ、それをコントロールする集中力が無ければ暴発を招く。
それを……途中で完全に停止して見せるなどと、人外の化け物の所業としか思えない。
「しかし……我々にはまだ、魔素撹乱放射に科学兵器が……」
「いや、直ぐに撤退すべきです、カリギュリオ様」
突然テントに入って来た男が、カリギュリオにそう進言した。
衛兵は一体何を、そう思いその男を見て、
「こ、これはクリシュナ殿、か?」
帝国における序列強奪戦にて、常に上位に位置する男。
何度か自分も戦った事があったが、決して油断出来ない実力を持つ剣士だった。
その男が、ぼろ雑巾のようにやつれた姿となり、帝国最強装備である伝説級の防具さえも、上半身に大きく皹が入り胸部には穴が開いていた。
壮絶なまでの死闘の跡を残していたのである。
「いいか、バザンとレイハも死んだ。カンザス大佐にミニッツ少将までも……
それに"異世界人"が二名。その戦力で勝てない化け物が迷宮に居るんだ。
今そこで大魔法を検知したが、それを使用したヤツは恐らく魔王ではないぞ。
アークデーモン級の化け物が、迷宮内で数体確認されている。
更に、それ以上のデーモンロード級も、だ。
今の魔法も、恐らくはそうした化け物どもの一体によるものだろう。
ここは退こう。決して恥ではない、決断してくれ!」
「魔王ではない?
それに、あの化け物級が何体もいる?
デーモンロード、だと!?
これ程のものなのか……
この上、邪竜ヴェルドラまで出現されると……勝ち目がない。
まだ魔王リムルは動いてもいないというのか……
兵を纏めよ! 一旦、撤退するぞ!!」
三つあった蘇生の腕輪の内の一つ、シンジ達から取り上げたものは自分が隠し持っていたカリギュリオ。
二つが技術局にて解析されており、その内の一つをクリシュナは借り受けていたのだそうだ。
皇帝による命令は絶対であり、技術局も文句を言わずに差し出したのだという。
一つは完全に分解されており、持ち出せたのは最後の一つだった訳だが、その腕輪のお陰でクリシュナは復活出来たのだ。
これにより、腕輪の蘇生効果は確かめられたが、複製品に効果が無かった事もまた確認された訳である。
迷宮内の兵士は、本当の意味で全滅した、そういう事になるだろう。
35万名もの兵士が、全滅……。
カリギュリオは青褪めるが、今はそれどころではない。
今は死んだ者よりも、生きている者を逃がす方が先決なのだ。
戦車師団に飛空船400隻、この別行動中の部隊と合流し、状況を確認し軍を再編する。
最悪は帝国まで戻る事になるだろうが、このまま全滅するよりはマシと言うものだ。
カリギュリオは決断し、命令を下す。
しかし、時既に遅し。
「クフフフフ。それは困ります。少しは私の相手もして貰わないと」
悪魔は既に忍び寄り、哀れな獲物を決して逃がす事は無いのだ。
司令部に緊張が走った。
侵入して来た魔物はたった一体。
だが、その身から放たれる覇気は、嘗て目にしたどのような魔物よりも圧倒的な気配を纏っている。
自分達と同じ背丈の魔物が、巨大なドラゴン以上に濃密な魔の気配を漂わせているのだ。
しかも、その魔物は何の気配も感じさせずにここまで侵入して来ている。
それだけの覇気を、一切感じさせる事なく侵入を果たしたという事なのだから。
侵入者に対し剣を向ける衛兵達。
しかし、身体は重く、自分の意思で剣を上げる事が出来なくなる。
「クフフフフ。下等なる貴方方が、私と対等に戦えるとでも?」
赤い髪のその魔物、ディアブロは嗤う。
カリギュリオはクリシュナに視線を向けるが、クリシュナは既に蹲っている。
圧倒的なまでの実力差を感じ取り、絶望したのだろう。
カリギュリオは一縷の望みをかけて、ディアブロに交渉を持ちかけた。
「失礼、我輩はカリギュリオと申す。
この軍団の長であり、今作戦の最高責任者である。
貴殿のお名前をお聞きしても宜しいか?」
「おや? これはご丁寧に。
私の"名"は、ディアブロ。魔王リムル様の忠実なる僕です」
カリギュリオの見立て通り、その魔物は名付きであった。
もっとも、このクラスが名を持たない事の方が信じられぬ事なのだが。
相手に理性と知性が有る事を確認し、カリギュリオは交渉に希望を託した。
「ディアブロ殿、我等は降伏を申し出たい。
このまま我等が死兵となって戦うより、其方も損害が出ないであろう?
どうだろう?
無論、賠償金は支払うし、今後一切の侵攻を控える事を約束する。
いや、寧ろ帝国と魔物の国による同盟も考えられよう!
我等は恩は忘れぬ。どうだろう?
魔王リムル様に取り次いでは貰えぬだろうか?」
現状を考えるに、迷宮攻略部隊35万は全員死亡。
首都攻略に向けた部隊の内、半数以上が死亡したか継続戦闘不能になっている。
別行動部隊には連絡が取れない以上、現有戦力は手持ちの15万名に生き残りを加えて20万名弱。
死兵となって暴れられるには恐ろしい数であろうし、完全なる勝利となる以上この提案は一考の価値があると判断する筈。
カリギュリオは一瞬でそう判断し、自分達を見逃すよう交渉すべく魔王リムルへの仲介を申し入れる。
今回の軍事作戦は完全に失敗である。
敵戦力を余りにも低く試算し過ぎていた。
旧魔王達を3体同時に相手どっても勝てると自負する大戦力だったのだ。
西側の全戦力を合わせても、この大戦力の三分の一程度でしか無い。
絶対なる勝利の確信があったのに、結果はこの様。
魔王級、つまりデーモンロード級の化け物が複数体、魔王リムルの配下に居るとは……
ここは代償を支払ってでも一度退き、今後の再建に賭けるべきであった。
既に50万近い死者が出たのだ、カリギュリオの失墜は避けられぬだろうが、これ以上の犠牲は帝国の屋台骨すらも崩しかねない。
カリギュリオは強欲ではあったが、無能では無かった。
だからこそ、この提案を申し出たのである。
敵が将軍の命を所望するならば、自身は犠牲になっても良いという覚悟も持っていたのだ。
だが、全ては既に遅すぎたのである。
「クフフフフ。その言葉、少し遅すぎました。
既に、生き残っているのは貴方方のみです」
何を言われたのか、理解出来ないカリギュリオ。
参謀達も同様で、ディアブロの言葉が理解出来ないでいる。
だが、ディアブロは意に介した風も無く。
パチン! と指を鳴らした。
瞬間、天幕が吹き飛び、外の光景がカリギュリオ達の視界に入る。
そこには、一面の死体の山。
兵士達は作業の途中、まるで眠るように死んでいた。
まるで、魂だけを抜き取られたかのように……
いや、事実魂だけを抜き取られたのだろう、兵士達は抵抗を許されずに赤い髪の悪魔ディアブロに魂を奪われたのだ。
そもそも、ディアブロが敵兵を見逃して侵入するなどという手間をかける理由もない。
目に付く者を全て殺すのも面倒。
そういう理由から、舞い降りると同時に"世界の崩壊"により、敵兵のみ魂を刈り取っていた。
実は、『魔王覇気』だけでも狂死させる事は可能だが、それでは騒ぎが大きくなるからである。
ディアブロは敵兵を見逃すつもりは最初から全く無かった。
であるからこそ、手っ取り早く全滅させる事に、まるで躊躇いが無かったのである。
そもそもが、彼は独りを好む。
自分の配下を持たないのもそれが理由。
役に立たない道具など、使う価値も無いのだから。
今はヴェノムという小者が勝手に付いて来ているが、彼が役に立つならば使う。
ディアブロにとって道具とは、主に有能さを示せてこそ価値がある、そう考えていた。
だからこそ無能な部下は要らないし、自身もまた、主にとっての有用な道具であらねばならぬのだ。
「う、う……うぉおおおおおおおおお!!」
カリギュリオは絶叫し、血を吐く思いでディアブロを睨み付ける。
仲間を殺された怒りが、一瞬恐怖を凌駕したのだ。
その瞬間、光輝く神々しい鎧がカリギュリオを包み込み、冷静な思考を取り戻させる。
神代の時代より伝わる最高の武装。
皇帝より貸与された、神話級の武具。
たった4名の軍団長にのみ着用を許された、帝国最高戦力である証。
「許さんぞ、悪魔め! 滅殺してくれるわ!」
「クフフフフ。それでこそ、面白くなると言うものです」
両者は睨み合い、最後の戦いが始まった。
しかし、それは戦いと呼べるモノでは無い。
何故ならば、ディアブロにとってカリギュリオなど下等生物の一匹に過ぎず、その強大な力の前には神話級の武具等まるで意味を持たないのだから。
道具とは、使いこなせてこそ、意味がある。
使い手が性能を引き出せない道具程、物悲しいものは無い。
カリギュリオでは、ディアブロが本気を出すに値する事は無く、それは勝負とも呼べぬ単なる魂の刈り取りでしかなかったのだ、
帝国軍が迷宮近郊に設営した本陣に残っていた将兵は15万名。
その全ては一部の上層部を除き、自分達が何を為されたのか理解する事もないままに殲滅される事となる。
こうして、魔物の国へ向けて侵攻して来た帝国軍の全ての部隊は、大した成果を上げる事もないままに全滅した。
取り敢えずの危機は去ったのである。
――果たして、それが危機だったのかどうか、それは人により判断が分かれる所であったのだが。
帝国の魔物の国へ向けた侵攻は、こうして失敗に終わったのだ。