終章
北大陸西部の広大な領域を支配する大国、レブラン大帝国。
北東にシアナ山脈を望み、その麓に拓かれたティシェンの街はつい先日まではそのレブラン大帝国の所領だったが、国境となっていた山脈の麓の森を越境してきた東の大国──神聖レブラン帝国の新生軍によって攻められ、今はその統治下にあった。
そのティシェンの街の中央区に置かれた領主の館は神聖レブラン帝国軍によって接収され、かつての領主の椅子にはその帝国の皇帝、ドミティアヌス・レブラン・ヴァレティアフェルベが腰掛けて壁に掲げられた周辺の地図を眺めていた。
くっきりとした目鼻立ち、赤茶色のやや癖毛の長い髪は乱雑に後ろで纏め、長躯で引き締まった身体を軍服に収めたその青年は、皇帝としては随分と若い。
しかしその地図の先──帝国の遥か先の展望を見据える灰色の瞳は野心に溢れ、身に纏う覇気は若造という侮りを一切寄せ付けない雰囲気を持っている。
そんなドミティアヌスが居室としている部屋を一人の男が訪れていた。
頭髪を全て剃り落とした、痩せ型で眼鏡を掛けたその男は、壁に掲げられた地図を眺めたまま背を向けている皇帝に丁寧にお辞儀をしてから口を開いた。
「陛下、此度の戦勝、誠におめでとうございます。魔法院主任のトード・ストラウスに御座います。初の戦にてお使いになられた“使役の鉄輪”、使い勝手は如何でしょうか?」
そう問い掛けるトードと名乗った男に、ドミティアヌスは振り返って満足そうな笑みを浮かべる。
「魔獣を操る事を可能とするこの“使役の鉄輪”、実に素晴らしい。領内を荒らす魔獣を戦に有効活用する事ができるのだ。これを開発したのは貴様だと聞いた。大義だったな。贅沢を言えば操る魔獣にもう少し大物がいれば、これからの西伐も大いに楽ができるのだがな」
その皇帝からの手放しの賛辞に、トードは再び腰を折って頭を下げた。
「勿体なき御言葉に御座います。私はもう少し領内で“使役の鉄輪”の実地報告をまとめてから、魔法院へと戻り次第、大物の確保を急がせるよう言い含めておきましょう」
トードの返答に満足そうに頷いたドミティアヌスは退室を言い渡そうと口を開きかけたが、目の前の男が周囲の様子を窺うような様子を見せた事に顎で促すようにした。
「他にも何かあるのか?」
そのドミティアヌス皇帝からの促しにトードは小さく頭を下げて答えた。
「私が懇意にしている者からの情報なのですが、あのヒルク教国の教皇が討たれたとの話です」
トードの語ったその情報に、流石のドミティアヌスも顔色を変える。
「何っ!? 権力争いの類か?」
「いえ、ヒルク教国が隣国の三国へ攻め入ったのですが、その内の一国──ノーザン王国がローデン王国とそれを通じてエルフ族を引き込んで対抗し、逆に攻め入られたとの事です」
それを聞いたドミティアヌスは肩を震わせて、次第に口の端から漏れる笑いを堪えられなくなる。
「クハハハ、まさかあのヒルク教国が揺らぐ日が来ようとはな……よし、その周辺の事情も早急に調べさせておくか。ククク、その話が事実なら国内の教会の影響力は間違いなく落ちる。今から教会の力を削ぐ為の根回しをしておかねばな」
そう言って一頻り笑ったドミティアヌスは再び掲げられた地図を見上げた。
「……近い将来、ここに描かれた版図は大きく変わるぞ。我々も油断できんな」
独りごちるように呟くドミティアヌスだったが、その口元は今まで以上に大きく歪み、実に楽しげな笑いがそこから静かに漏れ出していた。
◆◇◆◇◆
西の大国──レブラン大帝国の中心地である帝都ヴィッテルヴァーレは、長い歴史の中で育まれた趣のある優美な街並みが特徴で、そこに暮らす人々もまた身嗜みや所作に品位というものを漂わせており、他国や田舎から街を訪れた者は皆、自身とのその差に何処か身の置き所のない思いを抱くのが常であった。
そんな垢抜けた雰囲気を持つ人々が多く闊歩する帝都の表通りで、周囲の人々の注目を集める女性が一人、軽やかな足取りで街を歩いていた。
彼女が身に纏うドレスは周囲の女性達よりも幾分地味なものであるにも拘わらず、その下に収まった豊満な肉体は否が応にも男達の視線を吸い寄せる。
長く明るい金髪を揺らし、その下から覗く楚々とした顔立ちに、まるで雪のような白い肌は同性の女性達からも溜め息を吐かせる程だ。
人々からの注目を集めるその女性は、ゆっくりとした足取りで大通りを歩いていたが、ふとその足が止まって、何かに気付いたように視線を南の空へと向ける。
「あら、やっぱりタナトス様は負けてしまわれましたか……」
そう言って彼女──七枢機卿の一人であったエリン・ルクスリアは興味を失くしたように視線を前に戻すと、何事も無かったかのようにまた通りを歩き出した。
自身の長い金色の髪を流すように払い、その可憐な口元からは小さな溜め息が漏れる。
「ラリサで龍王が出張って来た時に直感した通りになりましたわね……。衰える事のない不死の身体を下さった教皇様には悪い事をしてしまったかも知れませんが、あのような存在が前に出て来ては勝ち目はありませんものね」
しかしそんな彼女の独白を聞く者はおらず、ただ物憂げな雰囲気を醸し出す美女の姿に目を奪われているばかりで、彼女の素性を知る者はここには一切いない。
やがて彼女はそんな周囲の男達に蠱惑的な笑みを向けながらも、軽やかな足取りのまま帝都の人通りの多い雑踏の中にその姿を消した。
◆◇◆◇◆
ノーザン王国の王都ソウリア──その中心に聳える王城の広間には実に多くの人々が整然と列をなして、目の前で行われている式を緊張した面持ちで見守っている。
並んでいるのは人族だけではない。エルフ族に獣人族などの姿も多く見受けられ、その中には自分の見知った顔も多く含まれていた。
そんな雑多な人々が集まった広間の上座、そこで行われている式に参加しているのはそんな雑多集団を代表する者達だ。
その中で人族は三人。一人はこの王城の主でもあるノーザン王国アスパルフ国王で、もう一人は隣国サルマ王国の大領主ブラニエ辺境伯。最後はローデン王国の代表であるセクト第一王子だ。
そして異種族の一人目はカナダ大森林のダークエルフ族の代表でもあるファンガス大長老。
獣人族からは刃心一族の六忍の一人ゴエモンが代表として出ている。
彼らは横長のテーブルに一列に並んで座り、それぞれの目の前に置かれた何枚かの羊皮紙にサインを書き記していき、やがて全ての羊皮紙に書き終えると他の代表者とそれを交換し、握手を交わしては何事かを語り合っている。
やがてひと通りの交流が終わると、この場の代表者としてアスパルフ国王が前に出て来て、広間に詰めた雑多な人々の顔を眺め回し、徐にその口を開いた。
「今日より、この地には新たな時代が到来する事となった。この時、この場に集まる皆が、その証人となる。我々人族と、我々の隣人たるエルフ族、そして山野の民が、共に手を取り合い、この地に訪れた危難を乗り越える事が出来た事を、我々は忘れてはならない!」
アスパルフ国王は一言一言、しっかりとした口調で広間に集まる人々の顔を確かめるよう見回しながら、力強い口調でこれからの他種族との交流や、国の展望について熱く語っている。
そんな式の隅で、自分はいつもの鎧姿のままで大きく欠伸をしていた。
ポンタも定位置である兜の上で自分と同様に欠伸をして、後ろ足で顎の下を掻いている。
自分とポンタのそんな様子を横で見ていたアリアンは、眉根を寄せて横肘で此方の脇腹を突く。
(ちょっと、アーク。ちゃんと話を聞いてるんでしょうね?)
アリアンが周囲の様子を窺いながら小声で咎めてくるのを、自分は欠伸混じりの声をなるべく噛み殺すようにして彼女に返した。
(すまぬな、アリアン殿。どうも我はこういった場は苦手でな……)
そう言ってアリアンを見返すと、彼女は金色の瞳で此方をじっと見上げてから徐に口を開いた。
(……アークは、これが終わったら、どうするの?)
彼女のその曖昧な問い掛けに、自分なりにこれから先の展望をあれこれと想像をして、ふと湧き上がってきた単純な欲求が頭を埋めた。それも悪くないなと、不意に顔を上げて宣言する。
「これが終わったら、我はとりあえず温泉で寛ぐぞ」「きゅん!」
そう言ってアリアンを見返すと、彼女は自分が想定していた問いの答えと違って不意を打たれたのか、面食らったような顔でその大きな瞳を丸くしていた。
この異世界へと来てから長い時を過ごしたような感覚だが、実際にはまだ半年の月日もこちらの世界を知ってはいないのだ──何も今すぐに大きな事を考える必要はない。
これまで通り、目の前の事を見ていけばいいだろう。そう──まずは温泉だ。
これにて「骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中」の本編は終了です。
長い間お付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。
そして活動報告で少しこの「骸骨騎士様」の事について少し書くつもりですので、お時間のある時にでもまた覗きに来て頂ければと思います。
また新作はこの「骸骨騎士様」の物語と同様に、自分の好きを色々と詰めたものですので、「骸骨騎士様」を気に入って下さった方なら、楽しんで頂けるのではないかと思っております。
ですので、新作『魔王オレ、只今異世界で奮闘中!』の方も宜しくお願い致します。m(_ _)m