チヨメとゴエモン
孫娘であるアリアンのそんな姿を誇らしげに横目に見ていたファンガスは、気合いを入れるように持っていた重量級の戦槌を力一杯振り回して周囲の不死者達を軽々と薙ぎ払う。
「ふん、まだまだ俺も孫に負ける訳にはいかんのでなぁ!!」
ファンガスはそう言って白い歯を剥き出しにして笑うと、戦槌を振り上げて構える。
『──大地の精霊よ、我が声に耳を傾け、その御力を我が前に示せ──』
朗々と言の葉を紡ぐファンガスのその構え──それは先程アリアンが見せた巨炎の剣を振るった際に見せた構えに酷似しているが、彼の掲げた戦槌から漏れ出る威圧感は彼女の比ではない。
ファンガスの構えた戦槌の周囲の大気が震え、まるで地鳴りのような音が木霊し、その戦槌が淡く光の粒子を放ち始めると、さらにファンガスの周囲の大地からそれに呼応するように無数の光の粒子が漏れ出してその戦槌に纏わりついていく。
『──地の底に眠りし者よ、来たれ──』
そのファンガスの言の葉と共に辺り一帯の大地が震動を始めると、それは地の底から何かがせり上がって来るような感覚と共に、敵味方関係なく立っている事がやっとの程の揺れが襲う。
『──地に在る物全てが汝の子、我が前の子らを常闇の底へと導かん、全ては汝の下へ──』
勢いよく振り下ろされた戦槌が大地を砕くと、それを起点としてファンガスの前の大地に亀裂が入り、それが瞬く間に大きくなって巨大な地割れへと変化する。
地割れによって押し寄せていた不死者達は次々とその地割れの地の底へと飲み込まれていき、それを飛び越えようとした蜘蛛人の跳躍力よりも早く地割れはさらに拡大していく。
その光景はまさに大地という巨大な生き物が巨大な口を開けて、全ての物を飲み込むかのような光景で、それを目の当たりにした人族や同族のエルフ族ですら呆気に取られた顔をしている。
やがて大量の不死者を平らげた大地はその口を徐々に閉じて、後には元からそこには誰もいなかったかのような荒地となった風景が広がっていた。
「ふぅ、長年、相棒に貯め込んで来た魔石が空になったが、ようやくいい使い途に巡り合えたな」
ファンガスはそう言って手に持っていた長年愛用してきた戦槌の、やや軽くなった手応えを確かめるかのように手の中でそれを弄ぶ。
彼の持つ戦槌は特殊な構造になっており、内部に魔石燃料を貯蔵しておける場所があり、必要時にはその中身を消費して大技を発動させる事ができるという代物だ。
それは先程、アリアンがやってのけた事と同じ理屈だが、その威力は彼女のそれを遥かに凌ぐ、アークや龍王に匹敵するような代物だった。
ファンガスは今まで自身が狩った魔獣などから魔石を抜き取り、それを魔石燃料へと加工して戦槌に貯めてきたのは、いざという時の為の奥の手でもある。
そのいざを何処で使うか──長年使い途がないまま時は流れ、最近では使い途のないまま部屋の飾りとか貸していた戦槌だったが、ようやくここへ来てその力を解放する事ができた。
本当ならば先のウィール川防衛線で使うつもりであったのが、龍王であるフェルフィヴィスロッテの一撃によってほぼ壊滅状態となった相手に対してはやや威力過剰になると判断して諦めた経緯があったのだ。
そんな長年の相棒を担ぎ直して戦場の先にある王都リオーネを見やると、丁度二体の龍王のフェルフィヴィスロッテとウィリアースフィムが巨大な街壁の一部を破壊して、街中に立つ不死の巨人へと向かう場面が目に入ってきた。
外敵からの防衛用に築かれた巨大な街壁がフェルフィヴィスロッテの一撃によって大きく穴を穿たれ、その影響で脆くなった部分が連鎖的に崩れ落ちて膨大な瓦礫が雪崩となって降り積もる。
その時の衝撃が振動となって、街から離れた先の地面から震動として伝わってきていた。
街中へと侵入するには恰好の入り口となった崩落部は、その崩壊に巻き込まれた不死者達が消滅とした事によって空白地帯ができており、それはファンガスの放った先程の大地の精霊魔法によってできた空白地帯と繋がり、街中へと続く一本の大きな道ができていた。
不死の巨人はすぐに龍王達の戦闘に入ったのか、巨人の攻撃である“死の穢れ”を振り撒くという黒い球体が街中から四方に放出され龍王らを迎撃している。
どうやらこちらの地上部隊を攻撃する余裕はないのか、龍王との戦闘に注力し始めた不死の巨人の姿を遠目にして、ファンガスの視線が鋭くなる。
不死の巨人の攻撃で最大の脅威となる“死の穢れ”。
それは不死の巨人の長身を生かした遠距離からの砲撃で、現在ファンガスやアリアン達、連合部隊が展開している遮蔽物の無い平野部では狙われれば身を隠すような場所はない。
しかし王都リオーネは数多くの建造物などが遮蔽物となって、その不死の巨人からの攻撃を防ぐ絶好の盾として使える為、巨人の射程に入ってからは如何にして短時間で王都の街壁に取り付けるかが今回の王都攻略の鍵となっていた。
既に彼らの目の前──不死者の大軍は疎らに散り、その中央部は割れて一本の大きな道が王都リオーネへと続いている。
中央をこのまま突破して街へと着いた場合、残りの不死者達が包囲してくる可能性は高いが、それでも今のこの戦力ならば耐えられないという事はない。
むしろ巨人の“死の穢れ”の攻撃の方が厄介だと判断したファンガスは決断を下す。
「野郎共ぉ!! 道は拓いたぞ、前衛の戦士は俺に続けぇぇぇ!!」
ファンガス大長老のその大音声が戦場に響き、それに応じるかのようにエルフ族の戦士達が一斉に吼えて荒地となった地を駆け出して、疎らになっていた不死者の残党へと襲い掛かる。
ファンガスもそんな彼らの先頭に立って不死者達を蹂躙しながら前へと進む。
それらエルフ族の戦士達の進行速度を追い抜くような形で刃心一族の者達が先へと駆けて、既に残党と化した不死者兵や蜘蛛人を狩って瞬く間に街へと迫る。
そんな彼らの先頭を走るのは六忍のチヨメとゴエモンの二人だ。
『土遁、爆砕鉄拳!!』
両腕を金属のような硬質な鈍色へと変化させたゴエモンが放つ鉄拳の一撃が、群がって来る蜘蛛人などに打ち据えられる度に、その一撃は相手の致命傷となって吹き飛んでいく。
何人もその前を立ち塞ぐ事を許さないと言わんばかりの猛撃に、彼の走る後には既に虫の息となった蜘蛛人や、灰となった不死者兵が鎧の残骸を残して撃ち捨てられていた。
『水遁、水槍尖!!』
一方のチヨメは水から作り出した槍を相手の急所に撃ち込み、行動を不能にさせたり、著しく行動を抑制させるような一撃を放ち、後続にそれらの敵の始末を任せて先へと急ぐように駆ける。
森、平地、荒地、いずれの地に於いても彼ら刃心一族の者達の駆ける足に追いつく者などおらず、王都リオーネの街壁には彼らが一番乗りで到達していた。
街壁の付近は未だに崩落時の土煙が立ちこめているが、全く視界が効かない程に酷くはない。
時折、街中から飛び出してくる不死者を難なく排除するゴエモンの傍らで、チヨメがその自身の優れた嗅覚と聴覚を活かして街中の様子を探っている。
彼女が崩れた街壁の奥を覗き込むと、その奥から龍王らと不死の巨人が繰り広げているだろう激しい死闘の音が鳴り響き、空気が振動しているのが伝わってくる。
街全体に及ぶ強烈な死臭のせいで、街中にどれ程の不死者が残っているかも判別ができず辺りを窺っていると、薄く煙る街中から一つの影がゆっくりと近づいて来るのを見つけた。
チヨメがその影の主を見定めようと目を細めていると、奥から現れたのは一人の聖職者だった。
豪奢な法衣に身を包んだ男は年の頃では二十代後半といったところか。
身長は百九十センチ程もあり、大柄で頑強そうな体躯は聖職者というよりは、どちらかと言えば戦士のそれに近い。
しかし目の下に濃い隈と虚ろな瞳を持つその男は、何処か病的で纏う雰囲気は異様であった。
「……不死者」
その男の様子を油断無く窺っていたゴエモンが、低く、しかし確信めいた口調で語った言葉に、同意を示すように警戒して猫耳をピンと立てたチヨメも頷いて短刀を構えた。
『まったく、アウグレントもティスモも本当に役に立ちませんねぇ……。やはりタナトス様をお守りできるのはこの私しかいないようですねぇぇぇぇっ!! ヒャァハハハハハァ!!』
口から漏れ出る不気味な声が周囲に木霊し、男の身体が不自然に盛り上がる。
『私の名はマルコス・インヴィディア・ヒュマニタス。タナトス様より枢機卿の地位を賜り、この街の守護を任されている。汚らわしい者共よ、即刻この場から失せよ! サモナクバ──』
マルコスを名乗ったその枢機卿の身体は徐々に膨れ上がり、着ていた法衣を引き裂いてみるみるうちに異形の化け物へと変化していく。
全体的に灰褐色の肌、身長は既に四メートルを超える。
まるで腫瘍のように膨れ上がった頭部には巨大な眼が開き、その周囲に無数に小さな眼が群がっており、その一つ一つの眼球があちこちに視線を向ける様はかなり不気味だ。
口元には髭のようにも見える軟体生物を思わせる触手に、背中には三対六本二つの節を持つ長い腕、元からある二本の腕を合わせれば計八本の腕が獲物を求めるように動く。
そんな巨大で異様な身体ながら、胴体はその比で言えば細く、腹だけが異常に膨れ上がっている。
目の前に立つ存在から強烈な死臭、死の穢れが圧倒的な圧力を伴って放たれ、思わずその場からゴエモン、チヨメが飛び退った。
次の瞬間、チヨメ達が今まで立っていた場所の足元、積み上がっていた街壁の瓦礫を弾き飛ばして地中から黒々とした岩が獲物を襲うかのように幾つも突き出されていた。
それは目の前に立つ異形となったマルコス枢機卿の放った一撃である事は明白であったが、その攻撃が発動する際の感覚に覚えのあるチヨメは、蒼い瞳を見開いて驚愕の表情をとる。
普段からあまり表情を表に出さない彼女が驚きを露わにしたのは、マルコス枢機卿が放った一撃によく知る感覚を覚えたからだった。
刃心一族が得意とし、その力で以て多くの同胞を救ってきたそれは忍術の発動時──もっと言えば通常の忍術より強力な『契の精霊結晶』の発動に非常によく似ていた。
彼女が知覚した感覚は傍に居たゴエモンも感じたのか、眉間に皺を寄せて相手を睨み据える。
「見ろ、チヨメ。奴の胸元だ……」
普段あまり言葉を発しないゴエモンが、チヨメに注視するように促した場所──マルコス枢機卿であった異形の不死者、その胸元にはチヨメやゴエモンと同様の物が貼りついていた。
「失われた“契の精霊結晶”……まさか最後の一つがこんな所にあるとは思いませんでした」
チヨメは僅かに息を飲んで、相手のマルコス枢機卿を見やる。
胸元には確かに菱形の『契の精霊結晶』が嵌まっているが、その輝きは彼女の胸元に光る虹色ではなく、どす黒い禍々しい色を放っており、それが尋常でない事を端的に知らしめていた。
『消エ失セロ、下等動物共ガァッ!! ココハタナトス様ノ御前ダ!!』
マルコス枢機卿が咆哮するように叫び、八本の腕がチヨメとゴエモンに向かって伸ばされると、その手の先からは黒いオーラを纏った衝撃波が放たれた。
ドドォン!! ドドォン!! ドドォン!!
まるで砲撃のような轟音が響き、その攻撃による着弾と共に周囲の瓦礫が盛大に吹き飛ぶ。
チヨメとゴエモンはその攻撃から寸でのところで逃れて後ろへと跳ぶ。
「……奴の腕の先」
ゴエモンが鋭い視線をマルコス枢機卿に向けながら、彼が示した先に視線を向けたチヨメは、
黒い衝撃波を放っていた八本の腕の先が歪に爛れている様子に眉を顰めた。
「不死者が無理やり精霊結晶の力を取り込んだ事で負荷が掛かっているのでしょう」
マルコス枢機卿の爛れた腕の先の肉が盛り上がり、みるみる再生していく様を眺めながらチヨメはそんな所感を口に漏らして、自らの忍術を発動させる。
『水遁、水手裏剣!!』
チヨメが手元に生み出した水製の幾つもの手裏剣は、放たれた瞬間に高速で回転しながら様々な軌道を描いてマルコス枢機卿の異形の躰を切り裂いた。
その行為に彼の腫れあがったような異形の頭部の目玉全てが彼女を睨み据えるように捉え、触手が蠢く口元から憤怒の声が漏れ出る。
『薄汚イ獣人ノ小娘ガァァァ!!』
圧を以て放たれる怒気と共に幾本もの触手が彼女を打ち据えようと伸びて、チヨメの立つその場所を鞭のように撓る触手が襲う。
空気が破裂するような音と共に伸ばされた幾本もの触手だったが、その場を飛び退くようにして躱したチヨメが、手に持っていた短刀を振るって触手の一本を斬り落としていた。
『オノレェェェェェェェェェェェェ!!!』
それに激高したマルコス枢機卿が異形の腕を伸ばして、さらに先程と同様の黒いオーラを纏った衝撃波を幾つも放っては、さらに触手で追い打ちをかける。
ドドォン!! ドドォン!! ドドォン!!
派手な轟音と辺り一帯を吹き飛ばす衝撃波──そのマルコス枢機卿の攻撃で先程よりも立ちこめる土煙が色濃く、辺りを覆って視界を塞ぐ。
それに乗じてゴエモンがマルコス枢機卿の死角を突いて背後へと回ると、チヨメを追い回して隙のできていた背中を狙って持てる力を目一杯に籠めた一撃を放った。
『土遁、爆砕鉄拳!!』
硬質な両腕に変化したゴエモンの膂力に物を言わせた一撃は、マルコス枢機卿自身が放った黒い衝撃波並みの威力を示し、八本の内の二本の腕を粉微塵に砕いて、さらにはその衝撃がマルコス枢機卿の異形の躰を貫いていた。
その一撃によってマルコス枢機卿は触手が蠢く口元から濁った赤黒い血反吐を吐いて、リオーネの街中へと吹き飛んでいき、一軒の家屋に衝突してその家屋が崩壊する。
『水遁、水狼牙!!』
そこへすかさずチヨメが追撃の忍術──水を練り上げて生み出された狼を二匹生み出すと、瓦礫の下から這い出そうとしていたマルコス枢機卿に向けて解き放った。
『小煩イ蠅ガァァァァ、私ノ邪魔ヲスルナァァァ!!』
しかし瓦礫を吹き飛ばして姿を見せたマルコス枢機卿がそう叫ぶと、頭部にあるすべての目玉が異様な色に染まり、彼の周囲の空間がナニか得体の知れない領域が包み込んだ。
すると途端に、先程まで一直線にマルコス枢機卿へと向かって駆けていた水狼の色が濁り、灰色に染まると踵を返して、術を放ったチヨメの下へと牙を剥き出しに襲い掛かった。
「っ!? これは!?」
流石のチヨメも、その自身の術の制御が不能となった水狼の豹変に驚いて体勢を崩す。
一匹目の牙を逃れたチヨメだったが、体勢を崩した状態での二匹目の襲撃にあわやその牙がチヨメの首筋に到達すると思えた瞬間、横からその攻撃の前に身を晒して防いだ者がいた。
『土遁、堅筋甲鎧!!』
力籠めた身体が僅かに光り、鋼の筋肉で出来た上半身が文字通り、鋼の様な金属質な身体に変質したゴエモンが暴走した水狼の牙を受けてその場に踏みとどまった。
「ふんっ!!」
そうして水狼をその分厚い胸板と鍛え抜かれた両腕で抱え込むと、そのまま濁った色の水狼を押し潰すようにして破壊し、もう一匹がその隙を突いてゴエモンに襲い掛かるが、体勢を立て直したチヨメによって一刀に伏される。
「助かりました、ゴエモン」
息を整えたチヨメがそう言ってゴエモンに礼を述べると、ゴエモンはマルコス枢機卿に油断なく視線を向けたまま小さく肩を竦めた。
「気にするな……、それよりも遠隔操作型の術は使わない方がいい」
その彼の言葉にチヨメも同意したように頷いて相手を見据える。
厭な気配が辺りを包み込んだ瞬間、放たれた忍術が干渉を受けた感覚が伝わってきていた。
しかしゴエモンの自らの身体を変質させる術には特に干渉されたような形跡が無い所を見ると、彼の考察は的を得ていると彼女は判断したのだ。
だが彼女の持つ忍術の多くは遠隔操作型で、それは小柄な身体で自身より大柄な相手を倒す際に身に着けた彼女なりの戦い方だったが、それがマルコス枢機卿相手には使えない事を意味していた。
ちらりと視線をゴエモンに向けると、それに応えるように彼もチヨメを見返す。
阿吽の呼吸とでも言うべきか、チヨメが駆け出した瞬間、ゴエモンも同様に駆け出して、互いが相手の死角に入る位置へと移動し、マルコス枢機卿へと肉薄する。
腫れあがった頭部には無数の眼がある現在のマルコス枢機卿に死角というものはあまり無いようにも見えるが、それでも全方位が見渡せる訳ではない事は分かる。
相手の視線や気配を人一倍鋭敏に察知する事を修練してきた刃心一族──その中でも屈指の実力者として六忍の名を冠しているのは伊達ではない。
『水遁、薄水刀・朧』
チヨメが静かに、そしてその蒼い瞳を見開くと、持っていた短刀に薄く水の膜が纏わりつき、透明な水でできた不可視の刀身が元の刀身の倍以上の長さへと変容、一振りの大刀へと変わる。
マルコス枢機卿が自身の周囲を触手の鞭と、残った六本の腕から次々と衝撃波を放つ攻撃を繰り出して二人を近づけまいと応戦するが、彼らの身のこなしはそんな攻撃をあっさりと掻い潜って相手の隙を虎視眈々と窺う。
音速に匹敵する触手の鞭は早々にチヨメに見切られ、その不可視の大刀によって両断されてしまい、残った六本の腕による衝撃波で彼女の接近を牽制する。
一方のゴエモンはチヨメ程の回避力はないものの、その鉄壁ともいえる肉体硬化術によって全ての攻撃がかすり傷以下に抑えられていた。
両者の攻防が膠着状態に入り、マルコス枢機卿が唸り声を上げは始めたその時、その均衡を崩したのは、周囲の不死者達を掃討して回っていたアリアンだった。
『──炎よ──』
彼女が唱えた言の葉よって発動した精霊魔法──まるで炎の薄い膜のようなモノがマルコス枢機卿を包み込むようにして迫るが、それはすぐに彼の持つ特殊な領域の影響に絡めとられて濁ったような色の炎へと変化してしまう。
あっさりとアリアンからの制御を失った炎だったが、彼女が放ったその炎自体には特に高い殺傷能力も無く、広がり過ぎた密度の低い炎はまるで霞のように消えていく。
だがマルコス枢機卿の注意を一瞬向けるには十分な視覚効果を発揮した。
なまじ無数の視覚を持つ今のマルコス枢機卿は、視覚を覆うような大きな攻撃に反応せずにはいられない──その一瞬の隙を突いてチヨメ、ゴエモンが同時に前へと出ていた。
大きく間合いを詰めたチヨメが、不可視の大刀を目にも止まらぬ速さで振り、それが太陽の光に反射してまるで星が瞬くような煌きがその場に現れる。
しかしそれも一瞬で、その後にはマルコス枢機卿の残っていた腕、六本の内四本が斬り飛ばされ、さらにチヨメの振るった薄水刀・朧が煌くと、それら斬り飛ばされた腕も粉微塵に切り刻まれた。
チヨメと同時に間合いを詰めていたのはゴエモンは、チヨメより一呼吸分遅れてマルコス枢機卿へと仕掛けていた。
腕の殆どをチヨメによって斬り捨てられたマルコスは、ゴエモンの接近を牽制するだけの攻撃を放つ事ができず、肉薄したゴエモンがその巨躯を思わせない身のこなしで以て、彼の巨躰を足掛かりに駆け上がり、無数の眼の前にその身を晒していた。
『土遁、鉄爪拳牙!!』
ゴエモンの指先に鈍色の鋭い爪が伸び、振るわれた彼の剛腕と共に、マルコス枢機卿の腫れあがったような頭部と、そこに開いた無数の目玉を切り裂く。
『ギャアアアアァァァァアァアァァアァァッァァァッァァァ』
耳を劈くような悲鳴がマルコス枢機卿の歪んだ口から吐き出され、その巨躰を揺らしてチヨメやゴエモンからの攻撃から逃れようともがく。
しかし、後から来たアリアンに片足を斬り飛ばされ事でそれもままならず、さらに縦横無尽に躰の上を駆け回って振るわれるチヨメとゴエモンの攻撃に為す術無く倒され、やがて周囲に張られていた彼の領域も消えてしまう。
そこに止めとばかりにアリアンが振りかざした剣が閃く。
彼女の全身に淡い光が纏わりつき、それが全体を覆ったかと思うと光の粒子となって辺りに溢れ始めていた。
『──焔よ、舞い踊れ、舞い散れ、全ての物を、全ての魂を塵へと還せ──』
アリアンが紡ぐ言の葉の調べにのせて、溢れていた光の粒子が互いに寄り集まり、幾つもの塊に集合した光が朱から紅へと変容し、やがてそれらは無数の蝶の形を成す。
彼女の周囲を舞う無数の蝶が、彼女の意思に従って次々と倒れ伏した巨躰のマルコス枢機卿に群がっていき、やがてその躰から大きな火柱が上がって勢いよく燃え上がった。
『~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!』
紅色に燃え盛る炎の中で、マルコス枢機卿が声にならない悲鳴を上げてのたうち回り、やがてそれすらも焼きつくした巨大な炎の塊は、大きな狼煙となって煙を空へと昇らせる。
その煙の筋を追いかけるように空を見上げていたチヨメに、アリアンが後ろから声を掛けた。
「加勢は余計だったかしらね?」
そう言って小首を傾げるアリアンに、チヨメは軽く頭を振ってそれに答えた。
「いえ、助かりました。アリアン殿」
チヨメは見上げていた視線を下ろして、アリアンへと向けると彼女は周囲を窺うように王都リオーネの街中のあちこちに視線を彷徨わせた後、再びチヨメへと顔を向けると、
「ねぇ、ところでアークの姿を見なかった?」
アリアンのその問いに、チヨメも周囲を探るように自身の猫耳を聳てるが、それらしき音や気配を拾える事は無く、小さく首を振って応えを返した。