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ウィール川防衛戦3

 その老人の姿は先頭で指揮を執りながら騎馬を駆るセクト王子もしっかりと把握しており、その身綺麗な出で立ちからも不死者(アンデッド)で溢れる戦場において強烈な違和感を放っていた。


 まるで聖職者が身に纏うような服装でありながら、その下に収まる肉体はファンガス大長老の巨躯と見比べても見劣りしない程の体躯を有しており、白髪頭に白い口髭、眉間に激しい皺を寄せているもののその下に収まる目はきっちりと閉じられている。


 そして最も目を引くのはその老人が背負っている身の丈以上もある巨大な鉄の塊のような剣だ。


 老人は一見物静かな雰囲気を漂わせているが、その結ばれるようにして閉じられた瞳の奥からは言い表せないような憤怒の感情がひしひしと伝わり、それを感じたセクト王子は首筋に嫌な汗が伝うのを感じて眉間に皺を寄せた。


『よくも……よくもやってくれたな! 猊下よりお預かりした貴重な配下を、下等な分際でありながら、これ程の狼藉──万死に値する!!』


 騎馬隊が蹄で大地を踏み鳴らす音が響く中、その老人の怒りに燃える言葉が戦場全体に響くような、それでいて不気味に轟くような音圧を以てセクト王子らに叩き付けられる。


 老人がその言葉を放った瞬間、彼の肉体がさらに盛り上がって呆気なく上半身の服が破け散り、盛り上がった筋肉──その両の肩口に人の顔が浮き上がると、閉じられていた真っ赤な瞳が開くと同時に、さらにもう二つの目が額を裂くようにして計四つの瞳が開眼した。


 それと同時に背負っていた巨剣を軽々と構える姿に、セクト王子は咄嗟に後続の騎馬隊を二つに分ける指示を出して老人から距離を取るように左右へと転舵するように命じる。


 しかし既に一足飛びで間合いを詰めて来ていた奇怪な老人は、手に持った巨剣を一番正面にいたセクト王子へと向けて振り抜いていた。


 先頭で指示を出していた関係でその場からの離脱が一歩遅れたセクト王子は、背中に走った寒気に反応し、それから逃れるように馬の(あぶみ)を蹴って宙へとその身を投げ出した。


「くっ!? ぐはっ!!」


 疾走する馬から身を投げた事で、勢いよく地面を転がり強かに全身を打って肺から息が漏れる。


 全身の鈍い痛みに顔を歪めながらも、体勢を立て直そうと顔を上げると奇怪な老人の振るった巨剣により一刀両断された馬が盛大な血飛沫を上げながら地面を転がっている場面が視界に映った。


 反応があと一歩遅れていれば、彼も馬と同じ運命を辿っていただろう。


 しかし──左右に分かれて迂回する軌道を描く後続の騎馬隊を無視し、セクト王子の方へと向き直る奇怪な老人が再び巨剣を構える姿に、セクト王子は未だに危難が過ぎ去っていない事を悟る。


「まったく……剣は得意じゃないと言ってるんですけどね」


 やや自嘲めいた口ぶりでそんな愚痴を零したセクト王子は、口の端に滲む血を乱暴に袖で拭うと、腰に差していた見事な装飾の施された剣を抜き放って構えた。


 だが足は動きはするものの、先程の落馬の衝撃で片腕が半ばまでしか上がらず、胸もかなり痛むせいで息をするのも苦労する程だ。


 老人が先程見せた巨剣を振り回し、馬を両断するような規格外の化け物が相手では万に一つも勝ち目はないだろうと、しかしそれでも彼の口の端は皮肉げに上を向いていた。


 そんな彼の姿を見て奇怪な老人は裂けたよう大きな口元を歪ませると、手に持っていた巨剣を易々と振り回し、空を切る轟音を辺りに響かせる。


『矮小なる存在でこの私に剣を向けるか、不愉快極まりない……』


 まるで吐き捨てるような口調で語る奇怪なす老人は、手に持っていた巨剣を無造作に振り上げて、セクト王子に一気に斬りかかろうと構えた。


 しかしそこに直前のセクト王子の指示を無視して、騎馬隊の列から離れた二騎の兵が長槍を構えた姿で真っ直ぐに老人へと突撃して来ていた。


「セクト殿下、お下がり下さい!」


「ここは我々が相手を致します!」


 二人の騎兵がそう言って老人に向かって速度を増すように馬を蹴り、長槍を振り上げる。


 しかし騎馬兵と擦れ違いざまに巨剣を一気に振り抜いた老人は、一瞬で二騎の騎馬兵を両断すると、撒き散らされた血飛沫と臓物を無感動に踏みつけて唾を吐きかけた。


 それを黙って睨み据えるセクト王子だったが、老人の真っ赤に染まった四つの目が僅かに見開かれた事によって、後ろから猛烈な速度で迫る気配を感じて後ろに意識を向けようとする。


 だがそれより先に気配の主がセクト王子の目の前──頭上より飛び降りて来て、激しい地響きと共に着地をしたかと思うと、手に持っていた戦槌を乱暴に地面へと叩きつけた。


「どうやらお前さんがこの化け物の群れの頭目──といったところか?」


 突如として戦場の中に姿を現した薄紫色の肌を持つ巨躯のダークエルフ族──ファンガス大長老はその金色の瞳で相対する老人を睨み据え、油断なく身構えた姿で問い掛けた。


 そのファンガス大長老の乱入に、相手の老人は眉根に皺刻んで不快感を露わにする。


『猊下より預かった死霊軍を化け物呼ばわりとは……。耳長の貴様らこそ、トカゲの親玉を使っておいてよくも言うものよ。は、しかし人を尖兵にするとは流石は簒奪者よ』


 老人はそう言うと、威嚇するように巨剣で宙を薙いで大気を震わせると、片手で持っていた剣の柄を両手で握って相対するファンガス大長老を睨み据えた。


『汚らわしい簒奪者に七枢機卿である私、アウグレント・イーラ・パシエンティア自らの手で浄化してやる事──猊下からの慈悲だと思い有難く頂戴するがいい』


 そう言うやいなや、アウグレント枢機卿は手に持った巨剣を再び高速で降ってファンガス大長老に斬りかかるが、それをファンガス大長老がその鉄の塊のような巨剣の側面を持っていた戦槌で弾き、その軌道を逸らしながら相手の懐に間合いを詰め、戦槌の先端で相手の腹を抉った。


 ファンガス大長老の渾身の一撃に鈍い音が響き、アウグレント枢機卿がその勢いで後ろへと吹き飛ぶが相手は深刻な傷を負う事無く、その表情に憤怒の色を覗かせる。


 その様子を冷静に見据えながらも、ファンガス大長老は手に持った戦槌の感触を確かめるように何度かその場で素振りして構え直す。攻撃の際にそれなりの手応えはあったものの、相手にはそれ程効いていないようだと口元を引き締める。


「枢機卿……、どうやらヒルク教国が化け物に支配されているというのは確定のようだな」


 鉄の塊のような巨剣を軽々と振り回す異様に盛り上がった筋肉と、真っ赤に染まった四つの眼、身体には幾つもの人間が塗り込められたような不気味な異形の老人は、自身をヒルク教国の七枢機卿の一人だと語った。


 大長老としてそれなりに長い時を生きてきたファンガスだったが、目の前に立つどす黒い程の死の穢れを放つ不死者(アンデッド)など見た事も聞いた事もない。


 しかし目の前の存在は幻覚や妄想などでは決してない事も明らかだ。


 そしてこれ程までに歪んだ存在がこのまま世に憚り続ける事は、人族にとっても、エルフ族にとっても好ましいものでは無い。


 ──ここで確実に葬り去る!


 その固い決意と共に、瞬間的に間合いを詰めたファンガスは下げた構えから上へと振り上げるようにして再び相手の胴を狙うが、そこは敵も然る者──今度はアウグレントが持っていた巨剣でその一撃を弾き、ファンガスの体勢が僅かに崩れた所へ斬りかかる。


 二人の持つ互いの鉄塊のような武器が打ち合わされる度に、その場には空気を震撼させる程の衝撃と音とが拡散し、そこに常人が入っていけるような空気は微塵もない。


 セクト王子も自身の剣の腕など百も承知で、痛む身体を駆けつけた部下に支えられながら、その場から少し離れた場所でその二人の人外の領域に踏み込んだ戦いに目を奪われていた。


『下等種族が忌々しい!! その身を引き裂いてくれるわっ!!』


 先に拮抗していた状況に怒りを見せたのはアウグレント枢機卿の方だ。


 激高したように声を荒げたアウグレントは巨剣の一撃をファンガスに防がれた瞬間、追撃を躱す為に後ろへと跳躍すると同時に、背中から四本の鋭い触手が飛び出しファンガスを襲った。


 さらに前へ詰めようとしていたファンガスはその奇襲を寸でのところで躱すが、体勢を崩した隙を突いてアウグレントが再び前へと出て追撃を放ってくる。


「成程、互いに武器での近接を得意とする──考える事は同じか『──穿て大地の牙──』」


 しかしその攻撃にも動揺を見せなかったファンガスは、それどころか小さく口元に笑みを浮かべて何やら感心したような様子で独りごちて、低く唸るような声で短く精霊魔法使う為の言の葉を紡ぐと、それは精霊の力を具現化させる呪文として発動する。


 ズンッ!!


 発動したそれは彼の意思通りの形──大地から突き出るように伸びた槍と化し、アウグレント枢機卿の死角である背後から腹部へと貫いていた。


 一瞬、自身の身体に予想外の方向から衝撃を受けたアウグレントは、自らの腹から突き出た鈍色の硬質な棘状の物体に四つのその眼を僅かに見開く。


 しかし、アウグレント枢機卿は口元に余裕の笑みを貼り付け、向かいに立つファンガスを睨む。


『そうであった、貴様らは魔法を得意としていたな……だが、私がこの程度でやられると──』


 貫かれた腹部を気にする事なく、再び動き出そうとしたアウグレントにファンガスはさらに追撃の為の精霊魔法を発動させる。


『──大地よ噛み砕け、我が敵に大地の戒めを──』


 朗々と紡がれるファンガスのその言の葉に反応するように、先程アウグレントを貫いたのと同様のものが次々と彼の足元から突き出し、そのまま四方から串刺しにしていき、アウグレントはその場に立ったままの状態で磔のような恰好となっていた。


『ウォォォォオノォォォォレェェェェェェ!!』


 しかしそれでもアウグレントの表情は憤怒に染まり、肥大した筋肉は身体中を貫いていた大地の牙を軋ませ、砕き、その拘束を力づくで排除しようとしていた。


 そんな身動きの取れない状態のアウグレントに対し、ファンガスは自身の膂力を目一杯乗せて戦槌を振り上げて相手の顎を割り砕くと、同時に首の向きがあらぬ方向へと曲がった。


『こッ……のぉ……下等……種……がぁァァァァ!』


 普通の生物なら確実に死んでいるような状態でありながら、四つの眼がしっかりとファンガスを捉えて離さない姿は異様な光景としか言いようがない。


 しかしファンガスはそんなアウグレントの不気味な様子にも動揺する事なく、ただ眉根を寄せて至極面倒そうな表情して愚痴のような言葉を漏らす。


「まったく、頑丈な不死者(アンデッド)は始末に終えんな……。だが、それも終わりだ」


 そこで一旦言葉を区切ると、その場で両手で戦槌を構えて集中するように瞼を落とした。


『──穢れの者に悠久の安らぎを、死せる者に永遠の静寂を、大地に刻むは彼の者の墓標──』


 ファンガス大長老の眉間に皺が刻まれ、紡がれる言の葉に乗る膨大な魔力は、相対しているアウグレント枢機卿も危機を感じる程で、何とかその場から逃れようともがく呻き声を上げる。


 しかし、散々に破壊された肉体はなかなか直ぐには再生せず、思うように身体が動かないどころか自身に植え付けられた数々の魂が(たが)が外れたように制御を受け付けないでいた。


 そうしている内にファンガス大長老の周囲の土砂が続々と宙へと巻き上げられ、見上げた頭上にはそれが一個の巨大な岩塊と化していき、なおもその大きさは肥大化していく。


 その巨大な岩塊は僅かな光を放っており、その光に当てられたアウグレント枢機卿の内部の魂がその光から逃れようと体内で暴れ回っているのだと、そう察して真っ赤に染まった四つの眼を見開いてファンガスを見やった。


 二人の視線が交差し、アウグレント枢機卿が何か言葉を発しようとした瞬間、空中で今まで肥大化していた巨大な岩塊が自身の重みで大地に吸い寄せられるように落下し、真下に居たアウグレント枢機卿を問答無用で押し潰すと、その場に巨大な地揺れが起きて大気が震える。


 大地に突き刺さる形となった巨大な岩塊を見上げ、ファンガス大長老はその厳しい顔を僅かに崩して口の端に微かな笑み浮かべた。


「貴様には勿体ないくらいの墓標だ、有り難く受け取っておけ」


 そう言って誰ともなしに呟くと、周囲の戦況を確かめるように辺りを見渡す。


 先程まで上空で待機していた龍王(ドラゴンロード)のフェルフィヴィスロッテは翼を畳んで戦場に立ち、その自慢の長い尻尾の先──見事な水晶の剣のような先端を縦横無尽に振るって、辺りの不死者(アンデッド)の残党を次々と刈り取っていた。


 そこにセクト王子が指揮をしていた騎馬隊や、エルフ族の戦士達の小隊、人族の歩兵中隊だろう姿も見えて、この場の戦闘が終局に向かっているのを実感した。


「やれやれ、この戦場でもお前の力を解放し損ねるとはな……。まぁ致し方あるまい」


 ファンガスはそんな独り言を呟いて、持っていた自身の相棒でもある戦槌に視線を落とす。


 そうして暫くしてから小さく(かぶり)を振ると、気持ちを切り替えたように視線を戦場へと戻して、その鋭い視線のまま周囲に敵の気配がないかを探る。


「なしか。こちらは予定通り、事が運びそうだな。後は向こう……か」


 ファンガス大長老はそう言って一息吐くと、デルフレント王国の王都リオーネに向かったアリアンやアーク達がいるだろう北──ソビル山脈が連なる方角の空を仰ぎ見るのだった。


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