龍王の到着
空の色はもう随分と茜色に染まりつつある中、自分はようやくの思いでローデン王国からの最後の物資を積んだ荷馬車を転移させ終えて、それをノーザン王国側で待ち受けていた兵士らに託し、一仕事終わったとばかりに大きく肩を回した。
「う~む、転移魔法を連続で使う事よりも、同じ作業を延々と繰り返す事の方がツライな」
そんな独り言をボヤきながら、すっかりと昼間の景色と打って変わった風景に視線を向ける。
昼間はまだ静観な風景だった王城内の中庭は、今やローデン王国から派遣されてきた多くの兵士や物資で溢れ返っており、あちこちに野営のテントらしき物が設営されていた。
王族が出入りする城内に他国の兵士が駐屯するというのは本来であれば大問題なのだろうが、今は緊急事態につき効率が優先されている。
そもそもローデン王国は今回の援軍が無ければ確実に滅びる定めとなった今、ここで他国の兵士らに反旗を翻された所で事態はあまり変わらない状況だというのが本当の所だ。
そして城内にはローデン王国の兵士達だけではない。
こことは別の王城内の敷地にはエルフ族の戦士達も野営の準備を進めており、さながら城内は野戦陣地の様相を呈していた。
兵士らの士気はかなり高いようで周囲からは戦場前の高揚感とでも呼ぶべき熱気が感じられる。
そんな彼らの中を進むと、皆が自分に向かって一礼や会釈をして擦れ違って行く。
随分と有名人になってしまったものだと思いながらも、特に後悔というものは無かった。
自分が思い描くファンタジー世界の理想である、人族、獣人族、エルフ族にドワーフ族らが共に暮らす世界──そんな光景が見てみたいという思いがあり、その為に使える能力が自身の手にあるならば、それを使わないという選択肢は自分には無かった。
──ただそれだけの事だ。
この世界へと来た当初は自身の身体の異様さもあって目立たず過ごす事を目標としていたのだが、だからと言って目の前で傷つき倒れた人を見掛けて通り過ぎる事も出来なかった結果でもある。
他者と拘わらず、人里離れた僻地に身を置いて隠者のように暮らす──そんな事を実行出来る者はなかなかに類稀な存在なのだろう。
世界の中で生きるにあたって、世界から自分を切り離す事というのは存外難しい。
そんな事を改めて考えていると、背後から聞き慣れた少女の声がして振り返った。
「お疲れ様です、アーク殿」
振り向いた先に居たのは昼前に既にこちらへと来ていたチヨメだ。
彼女は人族の兵士が多く行き交う中で獣人族である特徴の尻尾と耳を堂々と晒し、その長く黒い尻尾を左右に振りながら近づいて来た。
「チヨメ殿か。ゴエモン殿とは合流出来たのであるか?」
自分のその質問に彼女は小さく首を横に振る。
その彼女の反応に、日が傾き夕暮れが迫りつつある空を振り仰ぐ。
あれから随分と時間も経つが、まだ姿を現さないという事は何かあったのだろうか──。
顎に手をやりながら未だに連絡が取れていないゴエモン達の安否を心配していると、頭の上の猫耳をピンと立てたチヨメが蒼く澄んだ瞳を真っ直ぐに向けてくる。
「明日までに連絡が無ければ、デルフレントへはボクが捜索しに行きます。アーク殿は──」
彼女がそこまで言葉にした時、急に周囲の様子が慌ただしいもの変化し、チヨメもその気配を察してすぐに周囲の様子に目を走らせた。
「なんだ、アレは!?」
誰かが上げた声に周囲に居た皆の視線が一斉に空へと向く──それに誘われるようにして自分も顔を上げて、夕闇の下りてきた斑に染まる空に目を向ける。
王都ソウリアより遠く東の方角、そこには黒い影が二つ。
その二つの影が真っ直ぐにこの王都へと向かって来ているのが分かる。
近づいて来る速度はかなりのものらしく、その姿形は次第に大きく、はっきりと見えてくるに従って巨大な影の正体が誰の目にも明らかとなり王城内は騒然となった。
その正体は二匹の巨大なドラゴンだ。
二体はどちらも巨大である事に変わりはないが、先導する形で悠々と空を飛ぶ片方のドラゴンは後続のもう一方の倍程の大きさはある。
先頭の巨大なドラゴンは頭に二本の角と全身を黒い鱗に覆われ、二枚の大きな翼には波紋のような青紫色の紋様が浮かび、長い尻尾の先端は夕日の光を反射して光を放っているようにも見えた。
そのドラゴンとは初見であるにも関わらず、何処かで見たような気がして思わず首を捻る。
そしてもう一方の小さい方のドラゴンは間違いなく見覚えがあった。
全体的に青みを帯びた鱗に背中には大きな四枚の翼、頭部には左右二本ずつ、計四本の角を生やしたそのドラゴンは以前から何度となく対峙し、剣を交えた事もある。
龍王ウィリアースフィム。
風龍山脈を超えた先の森、そこに根を張る巨大な龍冠樹を根城にしている龍王が、その倍以上の巨体を誇るドラゴン──恐らくこちらも龍王なのだろう、それに連れられて真っ直ぐに此方に向けて高度を下げてきた。
「あの巨体の方は、まさかフェルフィヴィスロッテ殿なのか?」
彼女の龍形態はまだ見た事はなかったが、人型で対面した際の雰囲気があの巨大な龍王にもなんとなく見てとれる気がしてそんな推測が口を突いて出た。
恐らくフェルフィヴィスロッテが戦力としてウィリアースフィムを引っ張ってきたのだろう。
龍王であるウィリアースフィムは、同じ龍王のフェルフィヴィスロッテに随分と執心しているのは、自分もそして当の本人である彼女も知っている。
それを利用したのかも知れない。
「心強い味方が加わりそうですね」
チヨメも東の空を仰ぎ見ながら、自分と同じような所感を述べて尻尾を振る。
自分もそんな彼女に同意して頷き、これで大軍で押し寄せる不死者の面制圧が楽になるなと、そんな悠長な感想を抱いていたが、周囲の兵士らは王都の上空に現れた二体の龍王の姿にすっかりと浮足立っていた。
武器を取って身構える者、荷物を担いでその場から退避しようとする者、周囲に指示を待って冷静に行動するように呼び掛ける者と様々だ。
エルフ族と違って、人族は龍王を目にする機会が無い為だろう。
いよいよ周囲が騒然となってそれを静める方法を思案し始めた時、城の方角から何度か斬則正しいリズムでラッパの音色が響き、それが同じリズムで何度も繰り返され始めた。
するとそのラッパのリズムを聞いた兵士達が皆困惑したような表情になり、互いに視線を交わし合うと、武器を手に取っていた兵士達も迷う素振りを見せつつも構えていた武器を下ろす。
徐々にそれが広がって混乱が収束し始めた。
どうやらあのラッパは兵士達に簡易的な指示を下す為の号音ラッパのようだ。
やがて高度を下げる速度を落とした二体の龍王は、周囲に猛烈な風圧を地上に吹き下ろしながらも、ゆっくりとした速度で王城の敷地のある一画へと降りっていった。
龍王が降り立ったその一画はエルフ族らが駐屯している場所だ。
アリアンやファンガス大長老らが迎えに出ている筈なので、自分もそちらへと向かおうと隣に立つチヨメにも声を掛けた。
「我らも向かうとするか」
しかし視線を向けたチヨメはあらぬ方角に顔を向けて、その頭頂部の猫耳をピンと聳てていた。
「アーク殿、ボクは迎えに出ますので先に行っていて下さい」
そう言うやいなや、チヨメは未だに騒めく兵士らの間を縫うように駆け出してあっという間にその背中を人ごみの中へと消してしまった。
どうやら彼女の反応から見て、ゴエモン達からの連絡か何かがあったのかも知れない。
自分も耳や目はいい方だが、それでも獣人族の鋭敏な感覚器官には及ばないという事だ。
チヨメの姿が消えた先を暫く眺めていたものの、彼女がすぐに戻って来る気配がない事を察して自分もようやくその場を離れてエルフ族の駐屯している一画へと足を向けた。
エルフ族の戦士達が駐屯する場所はローデン王国の援軍が駐屯する場所より多少狭い。
これは何もノーザン王国側がエルフ族を軽視しているとかではなく、単純にローデン王国側の援軍が持ち込んだ物資の量によるのが原因だ。
そしてそんな彼らが野営する地の中心は元より龍王が降り立つ事を想定して大きく空けられてはいたが、今はそこに二体の巨大龍王が鎮座しており、かなり窮屈そうな状況になっていた。
恐らくフェルフィヴィスロッテだろう龍王は全長が八十メートル近くもあり、その大きさはこうして近くへ寄っていくにつれて圧倒的な迫力を持って迫ってくる。
しかし此方が近づくにつれて、中心に座っていた二体の龍王の巨体が徐々に、そして目に見えて縮み始め、やがてそれは五分としない内にすっかりと別の姿へと変えていた。
エルフ族の戦士達の中心に立っていたのは二人の人影だ。
一方はメープルの闘技場で剣を交えた自分が知る龍王フェルフィヴィスロッテその人で、自身の身長程もある長い蛇腹状の尻尾をゆるりと振って先端の水晶剣を地面に突き立てた。
そうして青紫色の髪を掻き上げて、同色の瞳をゆっくりと周囲に巡らせると、此方の姿を捉えた。
そしてそんな彼女の横に立つのは身の丈が四メートル近くもある龍王ウィリアースフィムの人型である時の姿だ。
しかし彼の人型はその身長からしても分かる通り、身体が人の形をしているというだけで、人とはかけ離れた存在である事は一目瞭然だった。
そもそも頭が人のそれではなく龍の頭そのままで、肌も青灰色の鱗が全身を覆っている。
龍形態の時とは逆に、人型になった際の大きさはウィリアースフィムがフェルフィヴィスロッテの倍の身長もあり、こうして並んで立つと人型の形態一つをとっても随分と差があった。
「アークはん、えらい遅くなってしもうて申し訳ないわぁ。堪忍やでぇ」
そう言って此方に視線を向けて微笑むフェルフィヴィスロッテの元にエルフ族の戦士達の間を抜けてようやく辿り着くと、別の方角からアリアンとその背後に五人の人影を伴って現れた。
彼女の後ろに続くのはエルフ族の援軍の代表であるファンガス大長老とディラン長老、そしてローデン王国の援軍を指揮するセクト王子に、このノーザン王国の国王アスパルフとその娘のリィル王女ら五名だった。
ポンタを抱きかかえていたアリアンが此方の姿を認めると、小さく会釈してからすぐにその視線を二人の龍王達へと向けた。
「お疲れ様です、フェルフィヴィスロッテ様。それとウィリアースフィム様も」
アリアンが二人に遠路の移動を労う言葉を掛けると、フェルフィヴィスロッテが笑みを浮かべて小さく手を振り返してそれに応えた。
「あんさんは確かイビンの妹はんやったなぁ、確かアリアンやったかな? 戦力は多い方がええやろぉ思て、うちの勝手やけどこの子を一緒に連れて来ましたんやけど、かましまへんか?」
そう言ってしなを作るフェルフィヴィスロッテに、龍顔のウィリアースフィムはその巨体を少しでも縮めるようにしてキビキビとした動作でその場で一礼する。
最上位種である龍王がわざわざ人族の戦いに出向いて参戦するというのだから、本来ならばもっと尊大な態度でも問題ないのだろうが、意中の相手から申し出を受けた格好のウィリアースフィムの現状は些か事情が違うようだ。
その威容を誇る巨体とは裏腹に、初陣を果たす新兵のような雰囲気を感じる。
「ウィリアースフィム殿も参戦してくれるとなれば我らも心強い。遅れたというのは、やはり彼を呼びに迂回して風龍山脈を越えたからであるか? メープルからの距離を思えば、十二分に速いとは思うのだが……」
自分はいつもとは違う珍しい姿を見せるウィリアースフィムを横目に、フェルフィヴィスロッテが最初に口にした遅れた理由として彼の存在を上げた。
メープルからカナダ大森林を越えて風龍山脈を跨ぎ、社跡から再度山脈を越えてこのノーザン王国まで、実際の距離までは把握していないが、空を飛んだとしても相当な距離があるのは確かだ。
それを時間にして半日程で移動出来るのだから、自分の転移魔法を覗けば、この世界では最速の移動である事は疑いようがない。
現に人族側の王族達は驚きの顔をもって彼女の話を聞いている。
「それがうちとした事が道というか、国を間違ってしもうて別の国の方に行ってもうたんよ。よくよく考えたら、うちらは人族の国の位置なんてよう知らんかったわぁ」
彼女はそう言ってあっけらかんと笑う。
どうやら意気揚々と出掛けたものの道を間違ってこの時間帯に着いたという事らしいが、そうすると迷わずに真っ直ぐと飛んで来ればさらに速いという事でもある。
そして彼女が立ち寄った国というのは、間違いなくローデン王国だろう。
昼間に訪れた際のローデン王国の国王が対応していた案件──本当に道に迷ったのだろうか。
彼女のその言葉を受けて、いつもは豪快な口調であるファンガス大長老が慇懃に一礼して、彼をして上回る巨体のウィリアースフィムに向き直って挨拶を述べる。
「ここまで遠路、誠にお疲れ様です、フェルフィヴィスロッテ様。そしてウィリアースフィム様、孫娘のアリアンより話は聞き及んでおります。今回はフェルフィヴィスロッテ様と共に我らにご助力頂けるとの事、誠に感謝致しますぞ」
そう言ってファンガス大長老が顔を上げて破顔する。
「う、うむ。なに、フェルフィヴィスロッテ殿からの要請であればこそ、此度は儂に出来る事があれば喜んで力を貸そうぞ。ハハハ」
いつもは尊大な態度である事が多いウィリアースフィムだが、目の前に憧れである同族のフェルフィヴィスロッテが居る事によって自身の態度や立ち位置を決めかねているようだ。
ややぎこちなさの残る受け答えと、威容を誇る龍顔の口元を裂いて牙を覗かせながら乾いた笑い声を漏らす姿からも、彼があまり人馴れしていない事が窺える。
自分はそんな彼から視線を移し、会話を交わすフェルフィヴィスロッテとそれに相対する位置に立つファンガス大長老の表情を兜の奥から窺う。
しかし、彼らの表情からは言葉以上の思惑を読み取る事は出来なかった。
アリアンの後ろではセクト王子も何やら複雑そうな顔をして此方の会話に耳を傾けている。
二人の龍王の顔見せがつつがなく終わり、その場に少しの間が訪れると、それを待っていたかのようにアスパルフ国王が全員を城内へと移動する事を提案した。
「此度は我が国の窮状にこれだけの御助力を賜り、この国を代表し御礼申し上げる。これより今後の予定も含めて皆と協議する場を城内で設けましたので、続きはそちらで」
「ほんに、久しぶりに長距離を飛んで疲れましたわぁ。どこかに座って休憩しとおすなぁ」
アスパルフ国王のその言葉にフェルフィヴィスロッテが大きく伸びをして一番に賛同の意を示して歩き出そうとして、不意に何かを思い出して背後の巨影を振り返った。
「ウィリはんは流石にその大きさでは窮屈やろから、あんさんはここで留守番頼んますぇ」
ウィリアースフィムの顔を仰ぎ見たフェルフィヴィスロッテはそう言いうと、此方に流し目を寄越してからそのまま王城の方角に足を向けた。
そして彼女から直々にお留守番を言い渡されたウィリアースフィムはといえば、その長い首を垂れさせてあからさまに落ち込んだ格好になっていた。
城内は今の彼であれば入れない事は無い程に大きいが、人族の姿に合わせて作られている調度品の類は彼に扱うのは難しいだろう。留守番は妥当と言わざるを得ない。
アスパルフ国王が城内への案内役として先導し、その後ろにはファンガス大長老やセクト王子達が続くが、その列からポンタを胸に抱えたアリアンが抜け出して此方へと小走りで寄って来ると、自分の周囲を見回してから小首を傾げた。
「アーク、チヨメちゃんは? あなたを迎えに行くってそっちに行ったと思うんだけど?」
そんな問いに彼女が何を探していたのかを察して、先程分かれたチヨメの様子を語った。
「あぁ、チヨメ殿なら我の元へと来た後、すぐに誰かを迎えに行くと言って姿を消したぞ。恐らく近くまで彼女の仲間が来ているのを察知したのだろう。ゴエモン殿かも知れん」
そんな話をしていると、急にアリアンの胸元で大人しくしていたポンタが鳴いて、自分の頭の上に駆け上り、再び何かを示すように鳴いた。
「きゅん! きゅん!」
「どうしたのだ、ポンタ。何か見つけたのか──」
ポンタの様子に訝しみながらも問い掛けていると、見覚えのある姿の者が視界の端に入った。
野営陣地のごった返す人ごみの中であっても否が応でも目立つ身長二メートル三十センチを超える巨躯──鍛え抜かれた筋骨隆々としたその肉体を全身黒の忍び装束に身を包んでいる。
そんな彼の頭頂部にはチヨメと同族の証である猫耳が生え、銀と黒のサバトラ色の特徴的な髪色も相まって、目にした時の衝撃はかなりのものだ。
刃心一族の六忍の一人──ゴエモンだ。
そしてそのゴエモンの隣にはチヨメの姿もある。
「チヨメ殿、そしてゴエモン殿も。無事に着いたようで何よりである」
「ん……」
自分がそう言って声を掛けると、ゴエモン小さく会釈して返す。
相変わらず口数は少ないようだ。
そんな此方の様子を尻目に、チヨメは真っ先に彼が齎した隣国の情報を告げた。
「ゴエモンからデルフレント王国側の情報が齎されました。事態の進行はかなり深刻なようです、どうやらデルフレント王都は既に陥落した後のようでした」
そんな彼女の報告にゴエモンもその報告を肯定するように重々しく頷いた。
これでノーザン王国を挟む二つの国、デルフレント王国とサルマ王国の王都が陥落した事が確実となり、この国はいよいよもって挟撃される形になる。
「あまり時間は残されておらぬようだな、ゴエモン殿を連れて国王らの下に向かうとするか」
自分のそんな提案の言葉に、その場に居た全員が頷いて返した。
「骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中」のコミックス2巻が先日発売となりました。
前回の1巻が一瞬で売り場から姿を消した事を踏まえて、今度の新刊は随分と増量されましたので、書店などでお見掛けの際は是非、お手に取って頂ければと思います。