束の間の休息
北大陸の多くのエルフ族が暮らすカナダ大森林。
そのあまりにも深く広大な森林には数多くの魔獣が跋扈し、それ自体が天然の防壁となって人族とエルフ族の領域を明確に分断していた。
そんなカナダ大森林だが、かつては不毛の荒地で、この広大な大森林を初代族長の主導によって築かれた人工の森だと言うのだから驚きの一言に尽きる。
そんな人族の文明からほど遠い森の奥に築かれた森都メープルは、その街の様子は自分が今までこの世界を渡り歩いて来た人族のどの街並みよりも都会的な雰囲気を有していた。
まるで林立する高層ビルの様相を呈している大樹の建造物は、自然物と人工物が融合した不思議な生きたビルといった趣で、それらの高層建造物を繋ぐように空中に回廊が設けられており、そこに多くの人々が行き交う姿が見える。
街中を縦横無尽に敷かれた街路は綺麗に整備され、その街路の両脇には等間隔に並ぶ街灯と共に沢山の客で賑わう店や、多くの職人らしき人々が出入りする工房などが軒を連ねていた。
多くの人手で賑わう高層建築の谷間の雑多の風景を眺めていると、不意に以前まで何の疑問も持たずに暮らしていたかつての都市の風景が脳裏を過る。
この世界へ突如として足を踏み入れてから、月日にすればそれ程長い時間が経過した訳ではない。
だが、もうあの場所へはどうあっても戻れないのだろうという漠然とした確信が、ほんの束の間に寂寥の思いが胸に去来する。
かつてこの一大都市を築いたカナダ大森林の初代族長、帝国から迫害を受けていた猫人族を束ねて刃心一族を興した初代半蔵、南大陸で獣人族の巨大国家を築いた初代大王──彼らは自分と同じ向こう側の世界から訪れた漂流者である事は間違いない。
そんな彼らは以前の世界にまったく未練は無かったのか──それは今となっては誰も知る者のいない事だが、自分の知る限り彼らは皆この地に骨を埋めたという事だ。
それの意味する事は何か──考えるまでもない。
幸い自分は骸骨の姿でいる時はそういった負の感情に囚われる事は無く、気楽に前向きな気持ちのままでいられる事は幸いだったとも言える。
何かと不便な事もあるが、ここまで概ね問題なく過ごせてはいる──しかし、龍冠樹の麓に沸く霊泉に浸かればこの骸骨の呪縛も解け、肉体と共に感情も戻って来るのだ。
今回の戦いが終われば、そろそろ今後の事を考えて覚悟を持って身体と感情を慣らしていく必要性が出てくるだろう。
──この世界で生きていくという覚悟。
そんな事を思案しながら雑踏な街路を進む中、先を歩いていた案内役のアリアンが此方を振り返って不思議そうに首を傾げた。
「ちょっと、どうしたのアーク? メープルを見学したいって言ったのはアークなんだから、何処に行きたいとか、何が見たいとか希望は無いの? この街、結構大きいんだから、一日二日で全部見て回ったりは出来ないわよ」
「きゅん! きゅん!」
アリアンは訝し気な表情で此方の顔を覗き込み、ぼんやりとしていた自分を窘めるような言葉を掛けてくると、それに同調するように頭の上のポンタまでもが頷くように鳴いた。
自分は先程までの思考を頭の中から追い出して、今思い付いた場所を彼女に提案する。
「おぉ、すまぬなアリアン殿。我も限られた時間の中で、この大きな街の何処を見るべきか思案していた所なのだが、先程ふと思い到ったのだ。エルフ族の魔導具が買える店を是非とも見てみたい、何処か良さげな店は知っておらぬか?」
「魔道具屋? 確かに何軒かあるけど、何処がいいかしらね?」
此方の問い合わせに彼女は小首を傾げて思案する──そんなアリアンの様子に、先程まで黙ってついて来ていたイビンが代わりに答えるように口を開いた。
「だったら、アリンちゃんと私がよく行っていたあの店でいいんじゃない?」
そのイビンの言葉に、アリアンも何処の店の事を言っているのか見当が付いたのか、すぐに手を打って大きく頷いて笑みを返してきた。
「あ、そうね。イビン姉さんとよく行ってたあの店ね。それならこっちよ」
そう言って自分とイビンを先導するように雑踏の中の街路を進んで行く。
人通りの多い通りを歩くと甲冑姿の自分が物珍しいのか、あちこちから否応なしに視線を集める。
そんな中をアリアンの背中を見失わないように足早に進んでいると、不意に隣から強い視線を感じてそちらに意識が向いた。
意識を向けた先──此方に鋭い視線を送っていたのは真剣な表情のイビンだった。
「きゅん?」
頭の上に張り付いていたポンタもその彼女の今までと違う雰囲気に首を傾げる。
「イビン殿、我に何か?」
自分のその端的な問いに、彼女は此方から視線を逸らすように前に向き直った。
二人の間に何やら妙な間が生まれ、居心地の悪さを内心で感じて何事かを口にしようとした矢先、イビンが真面目な口調で口を開いた。
「……あなたが相応の腕を持つという事は、さっきの闘技場で確認したわ。それは認めるけど、もしもアリンちゃんを傷つけるような事があったら、私が許さないわよ」
そう言って彼女は宣言するように指し示した指先を真っ直ぐに此方へと向け、有無を言わせない圧を発して此方に返答を迫ってくる。
そんな彼女の勢いに気圧されて、自分は一も二も無く頷いて返した。
「りょ、了解した。イビン殿。アリアン殿は我がこの身に変えても守る事を誓おう」
今度の戦いはこれまで以上に危険な戦いになると予想されるが、彼女はアリアンの姉でありながら参戦する事が出来ず、妹の身が心配なのだろう。
こう言っては何だが、アリアンの戦闘における腕は相当に高く、身体能力だけが取り柄の自分が「彼女を守る」と宣言するというのは相当におこがましい事だとは重々承知している。
だが、それをここで口にするのは野暮というものだろう。
今までアリアンを守る役にあったのは姉である彼女の役割だった──それをまがりなりにも自分がその大役を担うだけの実力があると認められ、任せるとまで言ってきたのだ。
ここは何としてもその約束を守るという気概を示さねばならない場面だ。
アリアンの姉、イビンに対して大見得を切った形の返事だったが、彼女はその眉間を僅かに寄せて複雑な表情を作った後、小さく溜め息を吐いて先へと促した。
「約束したんだから、忘れないでよ」
此方に最後の忠告だとばかりにそう言って釘を刺してきたイビンは、そのまま前を行くアリアンを追いかけるように小走りで去って行く。
──これは今度の戦い、気合いを入れて挑まなければならないだろうな。
そんな決意を新たにして、先を行く二人の姉妹の背中を見やった。
アリアンがお勧めの魔導具屋は賑やかな通りを逸れて、路地に入った先の人通りの少ないひっそりとした佇まいの中に店を構えていた。
特に目立つような看板も表には無く、一見しただけではそれが店だという事に気付かないだろう。
アリアンは慣れた様子で軋む木製の扉を開いて中へと入り、それに続いてイビンとポンタを連れた自分という順でその扉を潜った。
中は少し薄暗く、所狭しと置かれた品々が室内を埋め尽くしてかなり窮屈そうな印象を受けるが、だからと言って薄汚れているという訳でもない。
壁際に造りつけられた天井まで届く棚には何の用途に使うのか不明な器具が整然と並べられ、まるで不思議な道具の博物館のような様相を呈している。
幾つか見知った魔道具の姿も確認出来る事から、恐らくこれら全て何らかの魔道具なのだろう。
中央にも腰の高さ程の棚に幾つもの器具が陳列、展示されており、興味は尽きない。
そんな店内を感嘆の声を漏らしてぐるりと見回していると、奥の一段高く設けられた上がり框の先にはこの店の作業場らしき場所が目に入った。
しばらくすると、その作業場の奥から一人の老いた──長身瘦躯という言葉の真逆に位置するような姿の男が姿を現した。
背は低く身長は百四十センチもないだろう。しかし、その胴回り、腕や足は丸太のように太く逞しい筋肉が盛り上がっており、伸びた白髪と髭で上半身が隠れて見える。
眉間に深く刻まれた皺と気難しそうな眼光は職人気質な気風を良く表していた。
「ドワーフ族か」
自分が思わず漏らしたその言葉に、店奥から現れたドワーフ族の老人が顔を上げた。
かつて北大陸の各地に住みながらも、その優れた冶金技術を人族から狙われた為、当時から同じく人族から迫害を受けていたエルフ族と共にこのカナダ大森林の奥地へと逃れた種族。
人族の世界では随分と昔に絶滅して姿を消したと言われる彼らだが、この森都メープルではそれなりの纏まった数の勢力としてエルフ族と共に生活をしている。
メープルの街中でもその姿はよく見かける上に、あの最高執行機関でもある大長老の中にも彼らドワーフ族の代表となる者の姿もある程だ。
「なんじゃい、誰かと思えば久しぶりじゃな、嬢ちゃん達。んで、そっちのやたらと目立つ派手な鎧のあんちゃんは誰じゃい?」
白くなった太い眉の片方を跳ね上げ、厳しい顔つきで下から覗き込んでくるドワーフの老人は、どうやらここの店主兼職人のようだった。
「我が名はアーク・ララトイア。縁あって先頃、里の末席に加わる事になった者だ」
「きゅん! きゅん!」
自分が一歩前に出てドワーフの店主に挨拶をすると、頭の上にいたポンタも自己紹介するように鳴いて大きく尻尾を振る。
「なんじゃ、この綿毛狐を頭に乗っけた仰々しいあんちゃんは……エルフ族なのか?」
「一応ね……」
可笑しな者を見るように一人と一匹を見上げて此方の中身を尋ねるドワーフの店主に、アリアンは眉尻を下げて含みのある曖昧な返事をした。
確かに骸骨姿でない時の自分の肉体はこの世界のエルフ族とも、ダークエルフ族とも違うので、彼女の返答は正しいのだが、ドワーフの店主は要領を得ない回答に首を捻っていた。
しかし彼は、すぐにそんな事はどうでもいい事だったと言わんばかりに頭を振ってから、この店へと来た此方の用件を尋ねてきた。
「まぁええわい、それで今日は何の用じゃ?」
その彼の言葉にイビンの視線が此方へと向き、アリアンも振り返って小首を傾げた。
「そう言えば、魔道具屋へ来て何買うつもりだったの?」
不思議そうな瞳で此方を見るアリアンに、自分は手近にあった魔道具の一つを手に取ってそれを目線に合わせるように持ち上げる。
「なに、今度の一件が片付いた後、例の拠点である社の住居環境を整えようと思ってな……この街ではその辺、色々と便利そうな物が揃ってそうだったのでな。購入する物を先に検討しておこうと思ったのだ」
自分のその回答にアリアンは理解を示すように何度か頷いてから、店内に飾られた幾つもの商品をぐるりと眺め渡した。
「確かに、あそこは今オンセン以外、何もない状態だったわね……」
「我としてはまずグレニス殿が厨房で使っているような調理器具類の魔導具が欲しい所であるな」
アリアンに自身の希望を伝えて、店内に置かれてある幾つかそれらしい魔導具を手に取る。
社には竈のような物の跡もあるが、料理をするのに薪を使って調理をするのは色々と難しい上に、目の前に便利な道具があるのならばそれを使いたいと思うのが人の常であろう。
「あと明かりが全然ないから、大きめの水晶発光灯とかもあった方がいいんじゃない? あそこ夜になると真っ暗になるのよねぇ……」
アリアンは指を顎にあてがい社跡で過ごした事を思い出すようにして、幾つかの形や大きさの違う水晶発光灯に目を移しながらそんな提案をする。
その彼女の意見に自分も大いに賛同を示す。
確かに、あそこは街灯の一本でさえ無い無人の地の為、夜は月明かりしか頼るものがないのだが、すぐ傍に巨大な龍冠樹が生えており、その空を覆うような樹冠のせいで月明かりでさえほとんどが遮られてしまって本当に暗黒の世界が広がっているのだ。
そんなやりとりをしながら、自分とアリアンが色々と商品を見て回っていると、後ろでそれを見ていたドワーフの店主が大きな欠伸をして頭を掻いた。
「……なんじゃ、新居の家事道具選びか。嬢ちゃんももうそういう年齢か……」
店主のボソリと呟いたその言葉に、アリアンの耳が跳ねて赤く染まる。
「ち、ちょっと、そういうのじゃないわよ!? 私はただの買い出しの付き添い、その話はむしろイビン姉さんの方だからね!?」
「あ~ん、アリンちゃん、ちゃんとお姉ちゃんって呼んでよぉ~」
上擦った声で反論するアリアンだったが、そこにイビンが自身の呼び名に抗議してしな垂れ掛かるように縋り付いてくる──それをアリアンは迷惑そうな顔で押し退けようとする。
そんなじゃれ合うように揉める姉妹の姿は傍から見ていて微笑ましいものだ。
ふとドワーフの店主と目が合い、互いに何も語りはしなかったが、恐らく彼も同じ意見だったのだろう事が何となく雰囲気で伝わった。
お互いに黙したまま肩を竦めて、自分は二人の姉妹をそのままに、自身が手にしていた用途の不明な魔道具について店主に尋ねる事にした。
何せ今日は時間もそれ程余裕がある訳でもないのだ──。
「店主、ちとこの魔道具について尋ねたいのだが?」
自分のその問いに彼も心得たもので、伸び放題の髭を撫でなら口元を歪めつつも、その容貌からは想像できない丁寧な接客でそれに答えてくれた。
これからの社跡の拠点化もなかなかに楽しくなりそうだと──背中越しに賑やかな声を聞きつつ、これから先の展望に思いを馳せるのだった。