生徒会室にて
「ようこそユールノヴァ嬢、チェルニー嬢」
生徒会室を訪ねたエカテリーナとフローラを、生徒会長アリスタルフ・クローエルが温かい笑みを浮かべて迎えた。
あいかわらず美人と言いたくなるような女性的な美貌に、柔らかな物腰。公爵令嬢のエカテリーナを丁重に出迎えつつ、元平民のフローラにも笑顔で会釈するあたりに、有能さと優しさを兼ね備えた人柄が表れている。
思えば、女子の危機を訴える相手として、この上なく安心できる人物であった。
アリスタルフは二人を生徒会室に招き入れ、奥にあるソファセットに座るよう勧めてくれた。
ソファセットがあるくらいだから、生徒会室は広い。エカテリーナが前世で通った高校――よく言えば歴史があり悪く言えば古びていた――は、ソファセットなんて校長室にしかなかったと思うが、さすが貴族仕様の魔法学園。
学園祭で少し関わった、アレクセイのクラスメイトである書記の女生徒が、お茶を淹れてくれた。
生徒会室の隅に大きな金属製の壺のようなものがあって、美術品かと思う優美さなのだが、それがお湯を沸かすことができるポットらしい。サモワールというやつだ。
シュンシュンとお湯が沸く音を立てているそれは、きれいに磨かれていても年季の入った感じがあって、代々生徒会室に受け継がれてきた備品なのだろうと思われた。
なかなか高価そうなシロモノだが、何代か前の生徒会長が立ち回りの上手い人物で、うまいこと予算を取って設置したのかも……と考えると面白い。それとも、元生徒会役員の卒業生から寄付された物だろうか。
ついつい、いろいろ想像してしまったエカテリーナであった。
「お忙しいところへお邪魔して、申し訳のう存じます」
ソファに落ち着いてアリスタルフと向き合ったところで、エカテリーナは頭を下げる。舞踏会は、数百人にのぼる全校生徒が参加する一大イベントだ。それを仕切るのだから、生徒会は大忙しに違いない。
舞踏会は毎年行われるが、それを実施する生徒会のメンバーは毎年変わる。舞踏会の成功はその年の生徒会の力量を示すもの、と見做されるだろう。大変だろうが、頑張りどころだ。
それを示すように、ちら、と視線を向けた生徒会室内は、雑然としていた。
ソファセットの他に作業用の大きなテーブルがあって、他の役員たちがそこでせっせと仕事をしている。そのテーブルには書類がところ狭しと広げられていて、役員の一人、確か会計など、見積もりらしき書類を扇状に並べ頭を抱えて呻いていた。
見苦しいという感じはなく、活気があるという印象だが、アリスタルフは苦笑する。
「お見苦しい有様で、申し訳ありません」
「そのようなことはございませんわ。熱心に取り組んでおられるご様子、きっと素晴らしい舞踏会になることでしょう」
エカテリーナが言うと、アリスタルフは微笑んだ。
「そうなるように頑張りたいと思っています、先達に恥じぬよう」
生徒会室には、代々の生徒会役員が残した覚え書きが蓄積されていて、困った時にはそれを見ればなんとかなるそうだ。
ただ、何しろ四百年の歴史を誇る魔法学園。さすがに四百年分揃っているわけではないそうだが、うっかりするとどこまでもさかのぼってしまい、とんでもない時間が経ってしまったりするらしい。
「その時々の風俗や流行が垣間見えて、なかなか興味深いものです」
「まあ……それは、素晴らしい史料ですわ」
歴女の血が騒ぐ!めっちゃ見たい!
とは思うが、きっと隣のフローラに、本題に入るよう優しくたしなめられてしまうだろう。忙しい生徒会の邪魔をしてはいけないし、我慢我慢。
……フローラはすでに、有能侍女としての仕事ができているかもしれない。
エカテリーナが用件を話すと、アリスタルフはうなずいた。
「おっしゃる通り、その問題は毎年のように起こります。我々も注意しなければと思っておりましたが、そういう話はなかなか我々まで伝わってきませんので、手を打つことができずにいたところでした。ご協力いただけるなら、願ってもありません」
「お言葉嬉しゅう存じますわ」
エカテリーナはほっとする。隣でフローラも微笑んでいるのがわかった。
「しかし、ユールノヴァ公爵令嬢をわずらわせるとは恐縮です。妹君をこよなく大切にしておられる閣下は、そのようなことに関わるべきでないとはおっしゃらないでしょうか」
「兄の許しは得ておりますの。ご心配には及びませんわ」
あいかわらず報連相は怠りないエカテリーナである。
もっとも、最近すっかり働きすぎを心配する役割が逆転してしまって、アレクセイはいい顔をしなかったのだが。
『そのような痴れ者は許しがたいと私も思うが、近頃お前は忙しすぎる。他の者に任せてはどうだ。
そもそも、清らかなお前の耳にそのような、よこしまなことが入り込むなど……耐えがたい心地がする。お前のもとには、お前にふさわしいほど美しい、喜ばしいものだけが届くべきだ』
『お兄様……』
ノイズキャンセラー機能ですね!
どうしようお兄様のシスコンフィルターがさらなる進化を遂げてしまうかもしれない。私ももっと頑張って、お兄様のお耳に入る雑音を減らせるようにならなければ!
でもすみません、周りの子たちより中身アラサーの私のほうが、よこしまな問題に詳しいと思います。
『ご心配をおかけして、申し訳のう存じます。お兄様のお言いつけ通り、対処は生徒会にお願いすることにいたしますわ。お友達とのおしゃべりで解ったことがあれば、生徒会にお知らせすることだけ、お許しくださいまし』
『賢い子だ』
と言ったアレクセイの微笑に苦笑が混じっていたのは、エカテリーナが最初からそこを落とし所に狙っていたと解ったからだろう。
その時、ノヴァクが言った。
『そういえば、マグダレーナ皇后陛下も、学園在学中にそうした問題に対処なされたことがあったようです。そのように、セルゲイ公からうかがったことがありまして』
なんと!皇后陛下が!
『さる高位貴族の令息が、パートナーになるふりをして複数の令嬢に不埒な真似をしようとしていると知って、決闘を申し込んで叩き伏せたとか。舞踏会直前なのにパートナーのあてが無くなってしまった令嬢たちのために、当日は男装で参加され、令嬢たちをパートナーとして踊られたそうです。男女一対一の組み合わせで参加という規則には違反しているのですが、特例として認められたようですな』
『そのようなことが……!』
ザ・武勇伝!皇后陛下かっこいいー!
なんという男前!さすが少女歌劇団のトップスター!(違うぞ)
……そういえば、皇帝陛下は三年生まで舞踏会は欠席されていたんだっけ。
その状況じゃ、皇后陛下に申し込むことはできなかっただろうなー。
『お嬢様は、来年はミハイル殿下のパートナーとなられる身。舞踏会の問題に心を配るのは、よろしいことかと』
澄ました顔で言ったノヴァクにアレクセイが不機嫌な目を向けたのだが、思わぬ皇后の武勇伝にすっかり気を取られていたエカテリーナは、それに気付かなかったのだった。