挿入話〜黒水仙の囁き、そして謎〜
アンチエカテリーナな人々の回です。
不快に感じる部分があるかもしれません。申し訳ありません。
大喝采の中、後夜祭は終わりを迎えた。
舞台には幕が下り、あと一曲歌ってもらえないかとアンコールの拍手を送っていた生徒たちもついに諦めて、席を立って寮へ戻り始める。
オリガの歌に思わず流した涙を拭う者も多く、ハンカチで目元を押さえながらも、皆満足げだ。三年生は最後の学園祭が一番盛り上がったと語り合い、一年生は同じ学年に神に選ばれた歌姫と音楽家がいるなんて誇らしい、と自分のことのように得意げにしている。
そんな、感動冷めやらぬ空気の中。
「マグナス様」
呼ばれて、ザミラ・マグナスは顔を上げた。彼女と双子の兄ラーザリは、周囲の喧騒をよそにまだ席を立つことなく、泰然としている。
声をかけてきたのは、数名の男女だった。クラスが違う者も混じっているが、同じ二年生ばかりだ。
「よろしければ、寮までご一緒いたしませんか」
「あら、お誘いありがとう。でもご存知の通り、わたくし騒がしいのは好みませんのよ。人が少なくなるまで、ここで待つつもりですの」
ザミラにけろりと言われて、声をかけてきた女子はうろたえた顔をする。
しかし、ザミラは言葉を続けた。
「ですから、ここでしばらく、お話しいたしませんこと?」
たちまちその女子の顔に、安堵と喜びが浮かんだ。
ザミラのような色香漂う女性は、同性からは反感を買いがちだ。けれど不思議と、彼女のもとへ集まる女子は多かった。
理由のひとつは、双子の兄の存在だろう。主君ウラジーミルに絶対の忠誠を捧げる寡黙なラーザリは、女子たちの注目の的だ。眉目秀麗で成績優秀、武芸にも秀で、三大公爵家の一角ユールマグナの嫡男が最も信頼する側仕え、すなわち前途有望。
しかし、まったく女子を相手にすることがない。それどころか友人関係も希薄で、ただウラジーミルだけにすべてを捧げる姿が、かえって女子たちの心を騒がせているのだった。
だがそれだけでなく、ザミラ自身に魅きつけられる女子も多いようだ。確かに彼女には、好悪どちらの感情も強くかきたてるような、エキセントリックな魅力があった。
妖しい花の香りに酔う昆虫のように、彼女には多くの人間が群がり集まってくる。香り高き、ユールマグナの花。この世にあり得ざる黒水仙。
……水仙は、すべての部位に毒がある。
「予想はしていたが、ひどいものだった」
そう言ったのは、男子の一人だった。輝くばかりの金髪の持ち主で、背が高く、顔立ちも整っている。見るからに自信家らしい雰囲気だ。
「呑気によそのクラス、他の学年を褒め称えてばかりなんて、皆どうかしている。普通、学園祭で評価されるのは二年生だ。それなのに、この結果……」
確かに、例年の魔法学園では、学園祭を牽引するのは二年生であることが多い。一年生はまだ不馴れ、三年生は卒業後の結婚や職を得る活動に忙しく、一番力を出せるのは二年生であるはずだから。
それなのに今年の投票では、二年生は全く選ばれなかった。
不甲斐ない結果を恥じているのかと思いきや、男子は憤然と言葉を続ける。
「優秀なクラスはユールノヴァ家に関係するところばかり、あまりにも、あからさまな結果だ。一年生と三年生は、完全にユールノヴァに掌握されてしまったようだね。誰もが富と権力に媚を売って……生徒会さえ、いや生徒会こそが一番おかしくなってしまった。後夜祭でまで、ユールノヴァの息のかかった生徒を歌わせるなんて」
自分のクラス、自分自身が選ばれる自信があったのだろう。口惜しさのあまり出まかせを言わずにいられないのかもしれないが……エカテリーナがこれを聞いたなら、たいへん久しぶりに某格闘家を召喚したかもしれない。
『お前は何を言っているんだ』
だが、ザミラを囲む二年生たちは、しきりにうなずいていた。
「活躍した人に選ばれたのは、殿下を差し置いてあの令嬢だ。三大公爵家のひとつでありながら、忠誠心をどこかへ捨ててきたのじゃないか」
最も活躍した人は、身分に関係なく選ばれるのだが。発言した男子は、自分の言葉に疑問を持たないようだ。
「あの方については、本当におかしなことばかりですわ」
別の女子が口を開いた。
「病弱というお話でしたのに、お元気そうですこと。社交の経験がまったくないそうですのに、両陛下や先帝陛下、ユールセイン公爵閣下には交流を広げておられる。あげくに次々と驚くような功績をあげて、殿下のお気に入りになりおおせるなど……あり得ませんわ。あの方は本当に、本物のご令嬢なのでしょうか」
「それだよ。ついさっきも、公爵閣下とべたべた抱き合っていた。あれが兄妹の接し方だろうか?」
「庶民あがりの男爵令嬢といつも一緒というのも、おかしなことですわ。実は、同じ身分の者なのでは?」
疑念を持つのも無理はない部分はある。異世界でアラサー社畜だった前世の記憶を取り戻したために、いろいろおかしなことになった……などという真相にたどり着けないのは当然だ。
しかし、彼らの話が不穏な方向へ流れてゆくのは、妬み嫉みの負の感情や、ユールマグナに取り入りたい欲がそうさせているのだろう。
「だとしたら、ゆゆしい事態だ。なんといっても、公爵令嬢を名乗るあの女は、皇帝陛下に拝謁している。陛下に対して素性を偽るなど、公爵家であっても存続すら揺らぎかねない大罪だぞ」
金髪の男子が言い放つ。
選ばれなかった憤懣で、あることないこと言っているだけだが、互いに言い合っているうちに事実であるかのように思い込んでしまうのは、よくあることだ。
その時、ザミラが言った。
「皆様」
口にしたのはその一言だけで、赤い唇の前に、人差し指を立てている。
唇は、笑みの形に弧を描いていた。
思わず声が高くなっていた彼らは、はっとした様子で口を押さえる。こんな会話がユールノヴァ公爵の耳に入れば、ただでは済まないことは理解できるようだ。
「おやめあそばせ」
「しかし……」
「今だけのことですわ。来月の舞踏会が終われば、生徒会選挙がありますでしょう」
その先は、ザミラは言わない。
しかし、金髪の男子は笑顔になった。他の者たちにも、じわじわと笑みが広がってゆく。
「そうだね、そうなれば我々の時代が来る。……ザミラ嬢、僕は貴女とウラジーミル様のために、学園をユールノヴァの専横から取り戻すつもりだ。僕が生徒会長に立候補したら、応援してくれるかい?」
ザミラはただ、微笑んだ。
それをどう解釈したのか、金髪の男子は顔を上気させ、そわそわと落ち着かなげになる。
「ありがとう……皆と、相談しなければ。僕たちは、もう行くよ」
「ごきげんよう、皆様」
ザミラはあっさりと言い、二年生たちは早速なにやら言葉を交わしながら、去っていった。
それを見送ったのち、ラーザリが初めて妹に目を向ける。
兄と目が合い、ザミラはうそぶくように言った。
「あらお兄様、あの方に興味がおあり?サトルキヤ侯爵家の次男、タラース様ですわ。兄君よりも優秀なのに認められないと、いつもお嘆きの方……ユールマグナの後援を得て、嫡子になりたいと望んでいらっしゃるの。
動き出せば、ユールノヴァにとって目障り。よい煙幕になってくださることでしょう」
ラーザリが、初めて言葉を発した。
「何を狙っている」
「……」
ザミラは沈黙する。
ややあって、答えた。いつものどこか嗤っているような口調ではなく、硬い声で。
「わたくしの願いはただひとつ、ウラジーミル様を生かすことですわ。あの方の他に、ユールマグナを立て直せる方はおられません。ウラジーミル・ユールマグナを、死なせてはならない。我らがあるじに、ユールマグナを継いでいただかなければ。エリザヴェータ様が皇室にお入りになれば、他にすべがないのですもの、その願いが叶います」
「ウラジーミル様は」
「あの方のお心を、お兄様が代弁なさらないで!」
初めて、ザミラが声を荒げる。
「わたくしには、解っています。ウラジーミル様は、消えることなど望んでおられません。そのお望みを叶えるために、エカテリーナ様には――ご退場いただかなければならないのです」