後夜祭の終わり
生徒会長がミハイルに「殿下に票を投じた人々に、ぜひ一言お言葉を」と求めた。皇子だからというわけではなく、学園祭で活躍した人に選ばれた場合、スピーチをする慣例らしい。
優秀なクラスの代表も、本来はスピーチするものであるようだ。アリスタルフがエカテリーナ、ニコライ、リーディヤに、時間がなくて申し訳ありません、と声をかけたのはそういうことだろう。
時間がないのは理解できるので、エカテリーナはアリスタルフに笑みを返した。なにしろ、夕刻から始まった後夜祭を寮の門限(特別に普段より延長されているが)までに終わらせなければならない上、歌姫オリガ特別ミニライブが急遽追加されたのだ。
原稿もなしにいきなり振られてするスピーチ、どれくらいの長さになるかわかったものではないのだから、ここを削るのは正しい判断だろう。確か前世の映画の祭典アカデミー賞では、受賞者のスピーチに45秒という厳しい時間制限が設けられていたけれど、時間オーバーしてしまう人が続出すると聞いたような。
ていうか、いきなりスピーチなんて、やらなくて済んでありがたいとしか。
アリスタルフの求めに応じて、ミハイルが会場を見渡して口を開いた。
「僕に投票してくれた人、どうもありがとう。活躍というほどのことはしていないから、面映い気持ちだけど、僕は調理をやらせてもらったから、同じ作業を担当した皆の活躍を評価してくれたのだと思う。調理の大変さを知った皆と一緒に、嬉しく思うよ。……それから、僕の料理は不味くはなかったみたいで、ほっとした」
最後を悪戯っぽく言ったミハイルに笑い声が湧き、大きな拍手が起きた。
エカテリーナも一緒に拍手しながら、うむうむとうなずいている。
うむ、上手い。自分だけでなく調理担当への評価とすることで、皇子という身分ゆえの特別扱い感を和らげつつ、短時間できっちりまとめてきた。さすが皇子!
そして笑いまで取るとは、やるな。
前世で中学から高校まで大阪で暮らした身として、笑いを取ることを評価せずにいられないエカテリーナなのだ。
続いて、活躍した人の第二位。
呼ばれた名前は、ニコライ・クルイモフだった。
「きゃーっ!」
講堂に響き渡った歓喜の声が誰のものかは、考えるまでもない。ツンデレ型ブラコンのマリーナは、本日はデレの日らしい。
お兄様かフローラちゃんだったらいいな、とどきどきしていたエカテリーナはちょっとがっかりしたが、納得した。クラスを率いてあんなに素晴らしい馬上槍試合を成功させたのは、ニコライなのだから。
それに、まだ終わっていない。お兄様とニコライさんがワンツーという可能性は、まだ残っている!
あれ?それだともしかすると、皇子のパートナーになるのはお兄様、という可能性が……?
いやいやいやいや。
そっと頭を振って、こわい考えを振り払うエカテリーナである。
よく響く声できゃーきゃー叫んでいるマリーナに苦笑しつつ、戸惑ったように金色混じりの赤毛を掻いたニコライは、こんなスピーチをした。
「投票してくれてありがとう。だが、頑張ったのは俺じゃなく、クラスの皆だから妙な感じだ。……ただ、軽く百回は鬼野郎呼ばわりされたから、それに耐えたのは頑張ったな、俺」
これも笑いを取り、拍手も湧く。
エカテリーナも、口元に手の甲を当てて上品に笑った。口元を隠すのに扇が欲しいと思ってしまった、お嬢様生活慣れした自分がちょっと怖い。
「最後に最高の学園祭になった。投票してくれた皆、クラスの皆、ありがとう。俺が一番楽しかったよ」
しみじみとしたニコライの言葉に、大きな拍手が湧き起こった。
ニコライさん、きっと騎士役の皆さんをスパルタで鍛え上げたんですね。同い年の皆を指導できるほどの実力とリーダーシップって、すごい。本当に頼れる兄貴で、かっこいいです!
そして、第一位。
お兄様かフローラちゃんでありますように……と祈ったエカテリーナだったが。
「エカテリーナ・ユールノヴァ嬢!」
ぴー!
内心で久しぶりに、ユールノヴァ領の特産、甜菜と化したエカテリーナであった。
イケメン甜菜たちは元気だろうか。
いや現実逃避するんじゃない自分。
ま、まあ正直、そうかもと思ってはおりました。ええ!
私、公爵令嬢で、忖度の対象だし。裏方のはずが、劇に出ちゃったし。音楽の夕べからずっと、うちのクラスは注目されていて下地ができてたし。
オリガちゃんが予定通り出演できていれば、きっとオリガちゃんが選ばれたのにー!音楽神様、うらみます!
「おめでとうございます」
「ありがとう存じます」
いつもながらに令嬢の外面は完璧で、祝福の声をかけてくれたアリスタルフにエカテリーナは微笑みを返し、そして観客へ淑女の礼をとった。
わあっと歓声、そして拍手が起きる。
アリスタルフに視線でうながされ、エカテリーナは覚悟を決めて、スピーチすべく口を開いた。
「皆様からこのようなご支持をいただき、光栄に存じます。我がクラスの一人一人が努力と工夫を重ねた劇を、お楽しみいただけたこと、嬉しゅうございますわ」
拍手が湧いた。
「ただひとつの心残りは、我がクラスの誇る歌姫、オリガ・フルールス様の歌をお聴きいただけなかったことでしたの。ですけれど、生徒会の皆様のご配慮により、このあとオリガ様が登場なさいます。
本当に、喜ばしく楽しい学園祭にございました。皆様、ありがとう存じます」
再び礼をとったエカテリーナに、惜しみない拍手が注がれる。
そして、オリガの歌への期待がわくわくと高まった。
アリスタルフが、エカテリーナに笑顔を向ける。時間が限られている中で、手短にスピーチをまとめるだけでなく次への前振りもしてくれたのだから、司会としてはありがたいに違いない。
最後にもう一度盛大な拍手を、とアリスタルフが盛り上げ、場内割れんばかりの拍手喝采の中、表彰者たちは舞台から去る。
舞台袖からオリガとレナートが現れ、わあっと歓声が上がった。収まりかけた拍手がまた大きくなり、講堂には熱狂さえ孕んだ期待が満ちる。
音楽神は二度、この歌姫をその庭に招いた。神の庭で求められた歌声が、これから披露されるのだ。
エカテリーナは舞台からの去り際に、ちらと客席を見渡した。
熱狂する勢いなのは、同学年の一年生が主なようだ。しかし三年生からも、多くの歓声がとんでいるように思える。最後の学園祭での特別イベントだから、喜びが大きいのだろうか。
オリガとレナートの人気ぶりを喜びつつ、元の席に戻ったエカテリーナ。
――舞台の灯りの届かない暗がりに。
熱狂を浸潤する静けさが……わずかに、しかし確かに、存在していたことに。この頃はまだ、エカテリーナは気付かなかった。
この頃は、まだ。