騎士と貴婦人の作法
ちなみにマリーナが言う簀巻きとは、穀物袋をかぶせた上から縛って拘束することである。
皇国のとある地方では罪人を連行する時、そうやって逃走を防ぐそうだ。のちには、それ自体が刑罰の一種になっている。ちょっとユーモラスで印象的なせいか、小説や劇などでよく使われ、誰もが知っている言葉となった。そのため、公爵令嬢の語彙にはふさわしくない言葉ながら、エカテリーナも知っているのだ。
日本の簀巻きそのものではないが、訳語として当てはめることが可能な程度には似ていると思う。
なお日本の簀巻きは、筵で物を巻いて包むことだが……誰かを『簀巻きにする』というのは実は、人間を筵で巻いて縛り、川などの水中へ投棄するまでがセットだそうだ。日本のほうが怖い。
本当は怖い簀巻きの話である。
余談はさておき、アレクセイとニコライは馬を歩ませて合流した。アレクセイが剣を差し出し、ニコライは自分の剣の柄を掴んで、炎を呼び出して氷を溶かす。
その後どちらからともなく、籠手に包まれた拳をコツリとぶつけ合った。
激闘を終えた二人が互いの健闘を称える様子はなんとも清々しく、観客席からは盛大な拍手が湧く。
またぴょんぴょんしてしまったことを恥ずかしがっていたエカテリーナも、いったん忘れてせっせと拍手した。
とにかく、お兄様にお怪我がなくてよかった!
それに、すごく素敵な闘いでしたー!
アレクセイとニコライは面頬を上げて、何事か言葉を交わしているようだった。アレクセイが何か言い、ニコライが首をのけぞらせて笑う。
アレクセイの表情も柔らかく、楽しげだ。
と、アレクセイがエカテリーナを見た。
ニコライに声をかけると、アレクセイは馬首をめぐらせ、観客席の前へと愛馬を走らせる。エカテリーナの真正面で、馬を下りた。
兜を脱ぎ、乱れた水色の髪を片手でかき上げる。
それだけで、エカテリーナの周囲がざわついた。ユールノヴァ公爵アレクセイが、髪を乱した姿を見せることは稀なのだ。さすがに少し疲れが滲む様子も素敵だと、囁きが交わされる。
そんな言葉を知るよしもなく、アレクセイは長剣の柄に結び付けていたエカテリーナの手巾を外して、掲げて見せた。
そして、片膝を突く。
またも周囲がざわついた。誇り高きユールノヴァ公爵が、その膝を折ったのだ。
はっとして、エカテリーナは立ち上がり、背筋を伸ばして威儀を正した。
アレクセイのネオンブルーの瞳が、エカテリーナを見上げる。
「我が貴婦人に、勝利を捧げ奉る」
よく通る声でそう言って、アレクセイは手巾を左胸に押し当てた。
貴婦人の愛は騎士にとって生命そのもの、その愛があってこそ得られた勝利。それを伝える騎士の作法だ。
エカテリーナは微笑んで、左胸に手を当てた。
「貴方の勝利を受け取ります、我が愛しき騎士。貴方の勝利、貴方の名誉は、わたくしの胸の中で星となり、永遠に輝き続けるでしょう」
以前、ユールノヴァ騎士団の騎士から剣を捧げられた時、事前勉強でこういう時の作法も教わってて良かった!
内心でそう叫んでいるとはとても思えない優雅さで、エカテリーナは貴婦人として勝利を受け取った。
馬場の柵外にいる男子一同が、そんなエカテリーナの姿に見入っている。騎士として貴婦人に勝利を捧げることは、この世界における男のロマンだ。
気品と威厳を漂わせ、それでいて女性らしい魅力も持ち合わせた、美しき公爵令嬢。こういう女性に、勝利を捧げる騎士になりたい。
昨日、エカテリーナが劇で演じた亡国の王女を観た者もいる。孤独に闘う気高い姫君に勝利を捧げる自分を夢想する青少年は、少なくないようだった。
アレクセイは微笑む。
そして、手巾にそっとくちづけした。
きゃーっ!
「きゃああーっ!」
エカテリーナの周囲は、もはや沸騰または爆発している。
お姉様方……本日最大のきゃーっですね。
でも、気持ちは解ります。ていうか、同じ気持ちの人がたくさんいてくれて嬉しいです。お兄様、素敵ー!
しばしの後。
「お兄様!」
「エカテリーナ」
馬場の近くにある建物で甲冑を脱いで制服に着替え、執務室に戻ろうとしていたアレクセイが、飛び付いてきたエカテリーナを抱きしめた。
「わざわざ待っていたのか?」
「少し、所用がありましたの。でも、ちょうどお兄様のお戻りと時間が合って、ようございましたわ」
実はあの後、アレクセイのクラスメイト女子が数名倒れたことがわかって、フローラとミナと共に、エカテリーナも介抱に加わっていたのだ。
彼女たちはマントや旗の作成担当で、仕上げにこだわって寝不足、昨夜はほぼ徹夜で頑張ったところへ、興奮しすぎたのがいけなかったらしい。
若いからって過労はダメ絶対!
とエカテリーナが心で叫んだことは、言うまでもない。
フローラの聖の魔力は、疲労回復などの効果がある。ミナも応急手当ての心得がある。
エカテリーナは……しっかりなさって、と声をかけただけで、お姉様方がキャーと叫んで飛び起きる、気付け薬の役目を果たした。いや、なんでやねん。
飛び起きなかった最後の一名は、ミナが医務室へ運んで行ってくれた。お姫様抱っこで。
『この際、いろいろ目覚めてもらっておきます』
いつもエカテリーナの周囲に現れるお姉様方の主要人物らしいその女子を運び去る時、ミナが残した一言の意味はよくわからなかったが。まあ、しばらく休んで気持ち良く目を覚ましてくれればいいと思う。
飛び起きた女子たちもある程度手当てをしたほうがいいということで、フローラはまだ残って、順番に聖の魔力で治療をしてくれているのだった。
「勝利おめでとう存じます、素晴らしい闘いでしたわ。凛々しいお姿、お見事な武芸に、わたくし見惚れてしまいましてよ」
「ありがとう、私の貴婦人。お前に勝利を捧げることが出来て、私は幸せだ。……だが、勝利はニコライが譲ってくれただけだよ。彼は本物の武人だからね、本気であれば私はとうてい及ばない」
アレクセイの口調は彼らしく事実を述べるもので、謙遜とは聞こえなかった。それでも、エカテリーナはにっこり笑う。
「お兄様も、ニコライ様も、楽しんでおいでのようにお見受けいたしました。お二人が共に高い技量をお持ちでなければ、あのように張り詰めた闘いにはならなかったことでしょう」
確かにニコライさんの技量は、明らかに他の生徒より際立っていた。でもそのニコライさんとあそこまで闘えるお兄様。いつも執務室で公爵として執務に励んでいるのに、武芸もあれほどのレベルなんだもの。本当にすごい。
お兄様は誰よりも素敵です!
「わたくしは、あらためて、お兄様が誇らしゅうございます。お兄様はわたくしの、最愛の騎士でいらっしゃいますわ」
「……ありがとう、我が最愛のエカテリーナ。騎士にとっては貴婦人とは守るべき愛と平和の象徴だが、私にとってお前は愛そのものであり、平和や安らぎ、幸福そのものだ。そういう存在があるからこそ、強くなれるのだと……騎士団に貴婦人が存在する意味を、お前が教えてくれた」
アレクセイは妹の髪に指を絡め、優しく梳き下ろした。
「美しく優しいエカテリーナ。お前に勝利を捧げるためなら、私は何者も恐れることなく剣を取る。あらゆるものから、お前を守る。
そう、誓う」