絶対に負けられない戦い
エカテリーナとアレクセイ、ミハイルとエリザヴェータは、途中まで一緒に歩き、目的地への道が分かれるところで別れた。
同道している間は、ずっと礼儀正しく会話を交わし、友好的に過ごす……かに思われたのだが。
なんと、二人の公爵令嬢の間に、真剣な争いが勃発していた。
「わたくしのお兄様は、世界で一番素敵なお兄様です!」
「こればかりは!貴女様のお兄様がいかに素敵でありましょうとも、こればかりはお譲りできませんわ。世界で一番素敵なお兄様は、わたくしのお兄様です!」
「エカテリーナ……」
さすがのアレクセイが言葉に窮し、微妙に嬉しそうな苦笑を浮かべるしかなくなっている。
ごめんなさいお兄様、年上なのに中身アラサーなのに、十歳の子とガチバトルしててごめんなさい。
でも!これだけは!
譲れないんです、ブラコンとして!
絶対に負けられない戦いがここにはあるー!
「お兄様は、アストラの歴史研究の傍ら、お父様のお仕事をお手伝いしておられますわ!」
「それはご立派な。ですがわたくしのお兄様は、すでに公爵として領地を立派に統治しておられますわ。それでいて勉学もずっと首席でいらっしゃいます!」
ヒートアップする二人の令嬢。
両者とも相手の兄をディスることは一切なく、ひたすら自分の兄の美点を挙げ続けるという、清々しい戦いであるところがまた……。
「二人とも……その……」
ミハイルが仲裁しようとするが、声が震えている。
さすがのロイヤルプリンスも、腹筋の危機に陥っていた。
公爵令嬢たちの絶対に負けられない戦いは、とうとうミハイルが朗らかに笑い出したことで引き分けとなった。
というかエカテリーナが我に返った。エリザヴェータも。
「あのように声を上げてしまい、申し訳のう存じますわ。お恥ずかしい……」
「わたくしのほうこそ、歳上のお姉様に対して、たいそう失礼でした。どうかお許しを……」
顔を赤らめて、もじもじと謝り合う令嬢たち。
なおエカテリーナはちょっと、『お姉様』に反応していた。
お兄様の妹でいられる人生は最高だけど、こんな可愛い妹のお姉ちゃんとか憧れる。前世では一人っ子で、妹がいる友達が羨ましかったし。でもやっぱりお兄様の妹でいられる人生が最高だけど。
ともあれ、脳内で背景に夕日を思い浮かべながらエカテリーナがエリザヴェータにこれからは名前で呼んでほしいと頼み、エリザヴェータが嬉しそうにわたくしのこともぜひと応じたところで、ちょうど別れの時となった。
「二人が仲良くなってくれて嬉しいよ。エカテリーナ、君の劇は本当に素晴らしかった……今日は疲れただろうから早めに休んで。よかったら明日にでも、君も僕の料理を食べに来てね」
ミハイルの言葉に笑顔で同意し、エリザヴェータとにっこり会釈を交わして、エカテリーナは二人と別れ、アレクセイと共に寮へ向かった。
「お兄様……申し訳ございません」
兄と二人になって――いや近くにミナとイヴァンが付き従っているのだが――エカテリーナはまず、アレクセイに謝罪した。
人前で十歳の女の子と恥ずかしい言い争いをしてしまったのももちろんだが、ユールマグナと緊張関係にある今、エカテリーナがエリザヴェータにとるべき態度はもっと……違うものであるべきだったのだろう、とは思うのだ。
少し前、まだ敵対していた頃のセレズノア侯爵令嬢リーディヤが、エカテリーナに対してとった言動。うまいこと相手をディスる、あれが、高位の貴族令嬢があるべき姿なのではないだろうか。
……でも、十歳の女の子をディスるって……無理。
嫌すぎる。寝る前に思い出して、あああああーってなる。絶対。
ふ、とアレクセイは微笑んだ。
「自分が世界一の兄とは到底思えないが……お前が世界一の妹であることは確かな事実だよ」
「お兄様ったら」
今日もお兄様のシスコンフィルターは世界一です。
そしてお兄様が世界一のお兄様であることは、確かな事実です!
「お前とエリザヴェータ嬢の会話は、私が耳にしてきた女性たちの会話の中では、もっとも無垢で愛すべきものだった。真の貴婦人とは、気高く清らかな心を持つが故に、為すことすべてが貴いものだ。お前は、まさにそれだ」
あの恥ずかしい言い合いがそんな表現に……シスコンフィルター・極がまだ発動中なのかもしれない。
そしてお兄様、私が耳にしてきた会話、ってあたりに、女性がらみでいろいろあったんだろうなーって感じがします。タラシだった父親の余波かしら。
「お前のそのふるまいは、むしろ周囲が模範とすべきものだ。家と家との関係がどうあろうと、十歳の少女に不快な思いをさせるべきではない。そして……我が家とマグナの関係は、ご婦人方が多少の舌戦をしたところで、大勢に影響を与える状況ではない。ならば、貴婦人らしく優雅に慈愛を示しているほうが、家名の誉れというものだ。お前が歳若いエリザヴェータ嬢を気遣い、彼女と楽しげに語り合う様子は、公爵令嬢のあるべき姿だったと私は思う」
……わりとガチで言い合ってしまいましたので、決して模範ではなく恥ずかしい真似だったと思います……。
でも確かに、貴族の勢力争いって女性が頑張るべき場面もあるんだろうけど、うちとマグナの関係はそんな段階ではないですね。
「そして我が家とマグナは、同じユールの一族。本来、互いに争って力を弱めるより、協力して皇国の力となるべき存在だ。お前とエリザヴェータ嬢がミハイル殿下と楽しげに過ごす様子は、両家が本来あるべき姿を示してくれたんだよ。お祖父様も、ゲオルギーが家督を継いでからしばしばマグナが対立してくることを、嘆かわしいと言っていらしたものだ。得意分野が異なるのだから、武力が必要な時代には自然とマグナが取り立てられるはず。時流を読まず私欲に走るようでは、いざという時にも任せられるかどうか、と」
「まあ……」
協力して皇国の力となるべき……本来そうあるべきなのは、全くその通りですね。さすが国政を担ったセルゲイお祖父様、視点が高い。
と、アレクセイが呟くように言った。
「昔ウラジーミルと友達だった頃、互いの家を行き来していた。エリザヴェータ嬢にも会ったことがある……まだ赤子のような年頃だったが。あの幼かった子が、大きくなったものだ。あの頃から、ウラジーミルは、妹を可愛がっていた」
「……」
ふと漏れたような言葉に、エカテリーナは答えずにおく。
――それにしても。
ウラジーミル君には、良くない噂があるらしい。女性関係も含まれるような。
でもそれと、妹を可愛がる兄としての姿は、なんだかしっくりこない。それに、若くして研究者としての面を持ち、さらに公爵家の仕事もしているなら……そんな時間って、あるのかしら……。
最初の印象が悪かったから信じ込んでいたけれど、なんだかわからなくなってきた。
寮に送り届けてもらい、アレクセイに礼を言って別れたのちも、エカテリーナはその疑問をぐるぐると考えていた。
それで、悪役令嬢の衣装を着替えるついでにとミナに勧められるままに、ちょっとだけのつもりでベッドに入って休んだ。
そのままエカテリーナは夕食の時間まで眠り込んでしまい、学園祭の初日が何も楽しめないままに終わってしまったことに気付いて、目覚めてから打ちひしがれたのであった。