終幕後は劇的に
「お兄様!」
エカテリーナを横抱きに抱き上げたのは、もちろんと言おうか兄アレクセイだ。
思わず、エカテリーナはアレクセイに抱きついた。
うわーん、お兄様ー!
最後にやらかしてごめんなさいー!
「エカテリーナ」
妹を抱きしめて、アレクセイはもう一度その名を呼ぶ。優しい声で、呟くように。
「エカテリーナ……」
エカテリーナの額に頬を押し当てて、アレクセイはただ、その名を呼ぶばかりだ。
我に返ったのは、エカテリーナが先だった。
「お、お兄様。ここにいては、皆様がお困りになりますわ。早く舞台を、次のクラスにお渡しいたしませんと」
と言いながら、今さらながらに気付く。客席で劇を見ていたであろうアレクセイが、このタイミングでなぜここにいるのか?
アレクセイはうなずいた。
「ああ、わかった」
そして、エカテリーナを抱いたまま、舞台袖へと歩き出す。
「お兄様、わたくし自分で歩けますわ!」
あわててエカテリーナは言った。
あと、この状態は横に幅を取るので、周りに迷惑だからやめたほうがいいと思います!
しかしアレクセイは、妹を下ろそうとはしない。至近距離から目を合わせて、ネオンブルーの瞳でエカテリーナを見つめた。隠しようもないほど哀しげに。
「どうか……ここにこうして居て欲しい。私の腕の中に、居て欲しいんだ。
聞いてごらん、あの喝采を」
言われて初めて、本当にここでようやく初めて、エカテリーナは幕の向こうで今も続いている、拍手喝采に気付く。
「……舞台で輝くお前は、あまりにも美しかった。人々はお前の歌声に感嘆し、民を慈しむ王女の気高さに涙していたよ。そんな姿を見ながら、今にも神々がお前を連れ去ってしまうのではないかと、私は恐ろしくてたまらなくなった……。これほど才能あふれるお前だ、音楽神、演劇神はもちろん、陽の光を浴びれば太陽神が、夜の帳が下りれば夜の神が、お前を連れ去ろうと現れるに違いない。
私は神々に抗えるだろうか……お前にはこんな憂いに満ちた人間の世界など、ふさわしくはないというのに。神々の一員にこそふさわしいお前を、ここに留めておくのは間違っているのではないかと……そう思えて、心が重い。それでも、お前を手放すなど考えられないんだ」
「お兄様……」
どうしようシスコンが爆発だ!
妹を神々の一員とか、もはや極まっている。シスコンフィルター・極が発動!
まさかお兄様がここにいるのは、シスコンのあまり瞬間移動してきてしまったとかだったらどうしよう。お兄様のほうが、シスコンで人間をやめてしまいかねない!私も人間やめなくちゃ、私のブラコンは私が人間やめられるほど育っているかしら⁉︎
自分も錯乱が爆発しているエカテリーナである。
なおアレクセイは瞬間移動したのではなく、スタンディングオベーションが始まった時点で席を離れて、舞台袖に駆けつけただけなのであった。
「お兄様、どうか、わたくしをお側からお離しにならないでくださいまし」
兄にぎゅっとしがみついて、エカテリーナは言う。
「わたくしは、ここ以外の何処にも行きとうございません。こんなに愛してくださるお兄様のお側よりも安心できる場所など、他にあろうはずがございませんわ」
「優しい子だ。優しいエカテリーナ」
アレクセイは微笑もうとしたが、その表情はまた哀しみに沈んでしまった。
「私は罪人だ。お前をあれほど辛く悲しい境遇に置いて、救えなかった」
いえお兄様、あれは劇の設定です。
わーん、お兄様に楽しんで欲しかったのにー!なんかごっちゃになって悲しんでしまっている!
「だがこれからは、決してお前を悲しませはしない。お前を幸せにするためなら、どんなことでもしよう」
「で……でしたら、お兄様、どうか笑ってくださいまし」
アレクセイに抱かれたまま、エカテリーナは兄の頬を両手で包む。
「お兄様がお幸せでしたら、わたくしは幸せですわ。お兄様が悲しんでおられたら、わたくしも悲しいの。ですから、お兄様がわたくしの幸せを望んでくださるなら、どうか、お兄様が、幸せでいてくださいまし」
だって私は、ブラコンですから!
どうしたら兄に喜んでもらえるだろう、と思いながら至近距離の兄の顔を見つめて、ふと思いついてエカテリーナは、アレクセイの額に自分の額をこつんと当てた。
アレクセイは驚きに目を見張り、ようやく微笑む。幸せそうに。
「ありがとう、私のエカテリーナ」
……アレクセイはまだ、舞台上に立っている。二人の周囲では、ふたつのクラスの生徒たちがせっせと行き来している。
舞台の幕は、まだしばらく上がりそうにない。というのは、拍手が鳴りやまない上に、アンコールを求める声まで聞こえてき始めたからだ。そんな喧騒に混じって幕の外から聞こえてくる声から察するに、生徒会長が舞台に駆けつけて、時間の割り当ての関係でアンコールには応じられないことを説明し、観客をなだめてくれているらしい。
そんなわけで時間の余裕があることもあって、誰ひとり兄妹の邪魔をしようとしない。次の演目を準備しているクラスの生徒が首を傾げるのは、これも劇の続きなのだろうかと不思議に思っているのかもしれない。そして、この劇の後になってしまった自分たちの身の不運を嘆きつつ、なるべく時間を稼ぎたいと思っているようだ。
舞台の入れ替えを急がせるためにここにいるはずの生徒会関係者は、何も言わずに二人をガン見しつつアレクセイの言葉に聞き入っている。関係者とは、以前エカテリーナが生徒会室を訪れた時、アレクセイを呼んできた書記の女生徒なのであった。
……こういう展開を期待してこの持ち場についた疑惑は、濃厚である。
それでもエカテリーナのクラスは撤収し、アレクセイはエカテリーナを抱いたまま舞台から去ってゆく。
ほうっ、とため息をついて女生徒は呟いた。
「さすがユールノヴァご兄妹……舞台の幕が下りた後のほうが、劇よりも劇的ですわ」
252話「天才の辞書に緊張の文字はないらしい」の後書きでちらりと触れた「素敵な企画」について、4月12日(火)の夜、活動報告でお伝えする予定です。よろしければご覧くださいませ。