レナートの高察
「哀愁と格調の両立を心がけて、僕なりにアレンジしてみたけど……どうだろう」
音楽室のピアノでアレンジした曲を演奏したレナートが、鍵盤から手を離しながら言った。
エカテリーナは心からの拍手でそれに応えた。
「素晴らしいと存じますわ、さすがはレナート様。今の自分を哀しみ苦しみながらも、他に進むべき道はないという強い決意が感じられるような……亡国の王女にふさわしいと存じます。イメージを的確に掴んでいただいておりますし、きっと舞台を盛り上げてくれるに違いない楽曲になりましたわ。オリガ様、フローラ様、そうお思いになりませんこと?」
オリガとフローラも、拍手しながら笑顔でうなずいた。
ミュージカルの名曲や応援歌を譜面に起こして、かつ場面に合わせたアレンジを加えるのを、すっかりレナートにお任せしてしまっているエカテリーナである。なにぶん、音楽の才能を持ち合わせているわけではないので、自分では到底できないし。
「レナート様にはたくさんの役割をお願いすることになって、申し訳のう存じます」
レナートは悪役令嬢オリガの側近役で出演もし、舞台で演奏もしてもらう予定なのに、この曲のアレンジだけでなく各場面のBGM的な音楽を作曲してくれるそうだ。
ちなみに皇国では歌劇の他に、歌なしの舞踏劇も人気がある。バレエの原型のようなものと思われる。
歌劇も舞踏劇も観賞したことすらないエカテリーナは、音楽関係はレナートにおんぶにだっこで、劇の音楽監督をおまかせしているようなことになっていた。
いやよく考えたら、学園祭の劇で音楽監督ってなんぞ。
恐縮するエカテリーナに、レナートは笑う。
「僕はすごく楽しいよ、音楽でいっぱいの毎日だから。僕は音楽のために生まれてきたと、ずっと思っていた。でも今までは、音楽のために生きるなんて、誰にも認めてもらえなかったんだ。けれど今は、周囲の誰もがそれを理解して、尊重してくれる」
おお、さすが天才。さすが音楽馬鹿。
そういえば、お父さんに殴られたりしていたっけ。貴族、それも脳筋系の家柄みたいだもの。音楽なんかより家のために生きるのが当たり前だ、とか言われ続けてきたんだろうな。
才能を持って生まれた人にとっては、その才能を発揮することが幸せなもの。今の状況を楽しんでくれているなら、こちらも嬉しいよ。
「それに、君の曲は今回も素晴らしい。すごく新鮮だ。これを、僕が好きにアレンジしていいなんて……君の発想はすごいよ。どこからこういう曲を思い付くんだろう」
うっ!
ごめんなさい思い付いたんじゃないです!
「その……発想、というほどのものではありませんの。ただ、どこかで耳にした曲が、頭に残っていただけなのですわ。わたくしには、レナート様のような才能などございません」
歯切れ悪く言うエカテリーナを、レナートはじっと見る。
「正直に言うと、すごく不思議だと思ってる。君は、楽器を弾けないよね」
きゃーっ!
図星を指されて、エカテリーナは赤面した。
「ええ、そうですの。お恥ずかしゅうございますわ」
音楽は、貴族の教養のひとつ。公爵令嬢たるもの、楽器のひとつやふたつ、人に誇れるレベルの技量で演奏できてしかるべきだ。
が、貴族令嬢としての教育を受けられなかったエカテリーナだから、そこは欠落している。幼少の頃に母からピアノを教わってはいたが、祖父亡き後にピアノを祖母に取り上げられて、上達するどころではなかった。前世の記憶が戻ってからは、公爵令嬢として猛勉強をしてきたわけだが、こういうものは付け焼き刃でなんとかなるものではない。
ちなみに裁縫もイマイチである。
「でも、君が生み出すメロディーは、どんなに大胆に見えても緻密な計算に裏打ちされていると感じるんだ。斬新なのに、始まりから終わりまで、破綻することなく調和している。僕だって実際に弾いて、譜面に起こして試行錯誤しなければそこまでたどり着けないのに。
だから、楽器の弾けない人間が作曲したものとは、考えられない」
「おっしゃる通りですわ!さすがはレナート様、慧眼でいらっしゃいます」
ほっとして、エカテリーナは食い気味に言った。
本当に、さすが天才だよ!
「ご高察の通り、これらはわたくしの曲ではございませんの。わたくしには作曲の才能などないのですもの。どこで聞いた誰の曲、といった説明ができないために、心ならずも自作であるかのようになってしまっておりましたの……お解りいただけて、肩の荷が下りた心地ですわ」
いやー、よかった。
君の曲、なんて言われちゃうたびに冷や汗だらだらだったんだけど。前世の作曲家さん作詞家さん訳詞家さんごめんなさい!って心の中で連呼してたんだけど。私の曲じゃないです、とはっきり言ってしまうと、じゃあ誰の曲?って話になってしまうだろうから……強く否定はしないままでいるしかなくて。
でも向こうから解ってくれたよありがたい!
楽器が弾けないならこの曲を作曲したはずはない、って自分で作曲する人ならではの見解だなあ。
天才の君も、作曲する時にはいろいろ試行錯誤するんだね。
なんて考えて、笑顔全開のエカテリーナである。
と、レナートはくすくす笑い出した。
「君って本当に欲がないよね。浮世離れしてるっていうか」
いや違う!
私は、浮世も憂き世な社畜生活にどっぷり浸かって、過労死した人です!
と、叫ぶわけにはいかないので、いえそのような、とかなんとか言いながら戸惑うしかないエカテリーナである。
「君が作曲したのではないとすると、じゃあ誰の曲なんだろう。君が他人の曲を横取りなんてするわけがないのは、よく解っている。それどころか、もし作曲者を知っていたら、その素晴らしい才能の持ち主を広く知らせて、褒め称えるに違いないね。オリガや僕について、してくれているように」
あ……うん。
もしこの曲の作曲者さんを直接知っていたら、そりゃ全力で褒め称えるよ。
「この曲は、そのへんの、なんの知識もない誰かが偶然考えつくようなものじゃない。地方で伝承されているようなものでもない。僕の感覚では、これはとても洗練された曲だ。豊富な知識に裏打ちされた、計算が尽くされていると感じる」
うぬう。
まったくその通りだと思うよ。レナート君、名探偵!
「ユールノヴァ家ほどの名家なら、知られるわけにはいかないことが色々あるんだろうな……って思っているよ」
あっ、逸れた。名探偵が迷った。
なんか、公爵家の闇みたいなことを想像されている気がする。そうだね、君は前世で異世界人だった記憶があるんだね、なんて推理をする人は名探偵ではなく電波な人だよね!
違うそうじゃない!
でも言えない!
「つい尋ねてしまったけど、誰が作ったかなんて大した問題じゃない。
この曲は素晴らしい。聞く者の心を揺るがす力を持っている。それがすべてだ。この曲が世に出る場に関わることができて、僕は嬉しいよ」
音楽馬鹿がブレないね、レナート君……。
でもなんか、結局この曲を作ったのは私じゃないという事実は、隠蔽するっていう結論になってない?
オリガちゃんもフローラちゃんも、にこにこうなずいてくれてるし!
いいのか⁉︎
でも皇国では、特許は存在していても著作権は明文化されていないしね……。
なんか……。
今なんとかしておかないと底無し沼に沈む予感がひしひしとするのに、どうしたらいいかわからない!
わーん!
とりあえずお兄様に会いたいーっ!