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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第5章:乖離(7)

「……」

 アウロスは眉間を揉みながら瞑目し、首を横に二度振る。

 現実と言うものがイマイチ良くわからなくなって来た。

 正しいもの。

 理路整然としたもの。

 辻褄が合っているもの。

 そう言うものが、現実なのだと思っていたが――――

「随分疲れた顔をしてるのね」

 目の前にある現実は、明らかにそれらから逸脱したものだった。

「最終的にお前の存在がトドメだったんだが」

「?」

 ルインは、何を言っているのかわからない――――と言った面持ちで首を傾げている。

「取り敢えず、一つ聞く。何故厨房の方に向かった人間がここにいるんだ?」

「貴方があのファジーな女と会話している間に」

 ルインは気配を断つ技術に長けていた。

 辻褄は合っている。

 それは間違いないが――――

「私生活で気配を消すな。疲れる」

「察知出来るよう修行なさい」

 アウロスは無茶を言われた。

「若しくは、私と言う存在を当然在るものと常に認識しておきなさい」

 更に何か凄い事を言われた。

「あの、眠いんだけど」

「どうぞ。寝台の掃除は既に終わっているから」

 ベッドのシーツがやたら美しくなっていた。

 天日干しの効果か、ふんわり仕様で匂いも良い。

 太陽の匂いだった。

「……降参です。何が目的か教えて下さい」

 アウロスはドロドロに溶けた洞察とか推測とかそう言う類の生成物を記憶のゴミ箱に棄てて、話を聞く事にした。

「貴方の怪我、完治までまだ暫くかかるのでしょう?」

「ああ」

 当初は全治一ヶ月と診断されたのだが、旅立つ前に寄った接骨院では、もう少しかかると言われていた。

 アウロスは怪我の回復が常人より遅く、こう言う事は珍しくない。

 虚弱体質と言うのは、お金と手間が掛かるものだ。

「だから、治るまでは私が世話をする事にしました」

「……世話?」

「利き手が不自由だと、日常的な行動でも億劫に感じるでしょう? だから、私がそれを支援すると言っているの」

 そう宣言し、エプロンのフリルを摘む。

 この格好は支援用の装備と言う事らしい。

「そんなの良いって」

「貴方が良くても私は良くないの。それに、その身体で敵に襲われたらひとたまりもないでしょう? それも私が支援するから」

「襲われるような敵などいない」

「いいえ。貴方の性格を考慮した場合、知らぬ間に怨みを買っている可能性は極めて高いと判断せざるを得ない。この機会を心待ちにしていた暗殺者は必ずいる筈よ」

「お前にだけは言われたくないよな……」

 疲労が更に上乗せされた。

 嘆息とは違う種類の息を落とし、目の周りを揉むように指で回す。

 余り意味はなかったが。

「兎に角。これから暫くは私が護衛するから、貴方は安心して眠りにつきなさい。例えそれが永遠であっても、私は護るから」

 更に倍的な凄い事を言われたアウロスは、肘から下だけで器用にルーリングし、赤面しそうな自分の顔を青魔術で無理矢理冷やした。

「……何をしているの?」

「気にするな。さて、冗談はさておき」

「私は本気よ」

 面倒なので無視する事にした。

「お前、殺されるのは止めにしたのか?」

 ずっと気になっていた事を聞いてみる。

 ルインの表情は穏やかだった。

 それで答えが読める程に。

「あの男は探す。でも、それは殺される為じゃなく、真相を知る為。何故私が生かされたのか」

「それを知った後はどうするんだ?」

「墓守に」

 ルインは、アウロスの言った事を忠実に守る事をここに宣言した。

(……まあ、死ぬよりはマシか)

 10代で墓守と言うのは余りに枯れた生き方だが、そこから別の道が派生する可能性は十分にある。

 それが生きている事の特典だ。

「研究は止めるのか?」

「元から研究なんかに興味はないから。ミストの下に付く手前、体裁を整える為にやっているだけ。あの男と組むのは不本意だけれど、大学の情報網と安定した収入が必要だったから」

「そうか」

 実際、ルインの論文は優れているとは言い難い。

 研究室に配属されている人間が、必ずしも自分の論文を制作しなければならない――――と言う掟はないが、ルインのように外部から来た人間が上司の手伝いだけと言うのは、怪しまれる材料となり得る。

 その防止策と言う事だ。

「貴方は何故、魔術の研究なんてしているの?」

 今度はルインがアウロスに問い掛けた。

 実に基本的な疑問。

 まるで、あなたの事をもっと知りたい、とでも言わんばかりだった。

「名前を残す為だ」

「名前を残すのなら、他の方法は幾らでもあるでしょう」

「アウロス=エルガーデンの名前を残すのは、これしかない」

 そう断言し、アウロスはベッドに腰を下ろす。

 それでも、疑問の声は途絶えない。

「何故、名前を残すの?」

「生きた証を残したいんだよ。アウロス=エルガーデンは確かにこの世に生まれて、そして魔術士として偉大な足跡を残しました――――ってな」

「……」

 ルインの表情が微かに強張る。

「貴方は、やはり……」

「ん?」

「……いえ、何でもない」

 言いかけた言葉は結局、呑み込まれた。

 アウロスもそれを追求する事はなく、首を回す。

 背骨が妙に存在を主張する感覚が、背中の張りを訴えていた。

「早く横になった方が良いみたいね。疲労が目に見えるくらい溜まっているようだから」

「ああ。そうさせて貰う」

 既に疲労のピークを超えているアウロスは、ルインの言葉に従い上体を倒す。

 久し振りの自室のベッドは、多少固くとも心地良い。

 シーツから香る太陽の匂いも心を癒してくれる。

 アウロスの身体は、次第に力を失った。

「お前、情報ギルドについて詳しかったりする?」

 そして、そんな弛緩した状態で問い掛ける。

「多少なら。それがどうかしたの?」

「いや……」

 それ以上に力のない精神が、それ以上の問い掛けを沈ませる。

「言いなさい」

 しかしルインはそれを力ずくで引き上げた。

「情報ギルドのライセンス更新に、本人のライセンスは必要なのか?」

「そう言う話は聞いた事ないけれど。手続きは書面にサインする程度でしょう」

 ルインの答えは明確だった。

 明確に、アウロスの心を射抜く。

 アウロスはそれ以上何も言わず、息すら吐かずに目を瞑った。

「何か、あった?」

 唐突なのか、そうでないのか――――ルインが穏やかに尋ねて来る。

 それに対し、どう答えようかと言う思考すら、今のアウロスには億劫だった。

「別に。ただ、これまでが上手く行き過ぎてたんだ。その歯車が狂って来たんで、少し神経質になっただけ」

 だから、つい本音が出る。

 アウロスにとって、他人に対してここまで無防備になったのは、この地に来て以来初めての事だった。

「顔に出てたか?」

「ええ。疲労もだけど、そっちの方が遥かに濃かった」

 三角帽子のつばを撫でながら、視線をアウロスに向ける。

 その目は決して澄んではいないが、子供の頃に見たものと同じ色をしていた。

「貴方の弱い所を見た」

「忘れろ」

「ふふっ」

 ルインの笑みは、いつだって皮肉に満ちていた。

 意図してそう見せていたのかもしれない。

 しかし、今見せたものは、紛れもなく自然な笑い顔だった。

 アウロスはその顔を見れた事に、こそばゆい充実を感じていた。

「ま、悩んでも仕方がないんだよな。結局やれる事をやるしかないんだから。明日からはまた研究漬けだし」

「立ち直りが早いのね」

「割と楽な生き方してるもんで」

「私には、そうは見えないけれど。何か自分の手に余る荷物を抱えて、二進も三進も行かない、そんな風に見える」

 ルインの指摘に、アウロスは戸惑いすら感じた。

 そして今は――――それを隠す余裕はない。

「お前、意外と洞察が出来るんだな」

「……どう言う意味かしら」

「他人の事なんて眼中にないって感じだったからさ」

 孤高の魔女と揶揄されていたルイン。

 その神秘的なまでに美しい顔立ちと、辛辣なまでに他人を毒する目と口は、彼女の周りを必要以上に騒がしくした事だろう。

 しかし、ルインがそんな声に耳を傾けている風景を、アウロスは見た事がなかった。

 研究室においても、誰と会話するでもなく、ただ事務的なだけの報告をし、カンファレンスが終わると同時に部屋を去る。

 日中はいない事の方がずっと多い。

「でも、俺に対してはそうでもないか。初めから割と話はしてたしな。攻撃的ではあったけど」

「……」

「もしかして、俺の事をずっと覚えてたとか? でも7年前の俺と今の俺じゃ全然違うんだし、直ぐにわかる訳ないか」

「そうでもないけれど? 身体は華奢なままだし、面影も随分残って……」

 そこまで言って、ルインは口を塞いだ。

 しかし手遅れと気付き、逃げるように顔を背ける。 

「マジか」

「早く寝なさい」

 その言葉に、アウロスは思わず苦笑する。

 幸いな事に、ルインの視界には入っていない。

「……あの頃から、貴方にはずっと迷惑を掛けているから」

「まだ言ってんのか。お前に責任なんてねーよ。手に余る荷物持ってるのはそっちじゃねーか」

 アウロスはいよいよ重くなってきた瞼を強引に持ち上げつつ、そっぽを向いているルインに睨みを利かす。

 しかし迫力を醸し出すのは無理と判断し、結局諭すような口調を選択した。

「俺は迷惑なんて被った覚えはないから、自分の事だけしてろ。な」

「でも、護衛はするから」

「俺は拒否したからな」

「するから」

 ルインは強情だった。

 責任感が強く、言えば言う程意固地になるタイプ。

 そう言う人間を諭すには、代わりの役割を与えれば良い。

「じゃ、時間ある時に研究を手伝ってくれ。それで差し引きゼロ。良いな?」

 消えかけの思考でそう判断し、そう聞く。

 ルインが納得していたのかどうか、もうアウロスにはわからなかった。

「後、その格好は止め。何か違うから」

「え? これは給仕の者が着る由緒正しい……」

「いいから止め」

「……はい」

 素直な肯定。

 そんな世の中にありふれた返事がルインの口から発せられた事がおかしくて、アウロスは脱力した。

 それを合図に、睡魔が仕事を始める。

 色々あった数日間が――――そこで終わった。

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