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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
53/373

第4章:偉大なる詐術者(6)

 水の音。

 それは鼓膜を優しく撫でる、自然と人間を繋ぐ調和の音。

 脳を清める健やかな音。

 そして、どこか懐かしさを匂わす音。

 水滴の落ちる音が間断なく響く中、それとは対照的に漆黒の闇に包まれた非日常の世界を、アウロスは目を擦りながら歩いていた。

 デスクワーク専門の研究員の筈が、最近やけに歩行時間が増えている事を遺憾に思いつつ、それでも足を止める事なく、闇を掻くように前へ。

 通路を小気味よく踏み付ける音が遥か上の天井にまで響き渡り、不気味に反響していた。

 その音と、歩く度に感じる足の重さの二重苦に辟易しつつ、右手にランプを掲げ、左手に地図を携え、目的地へ向かう。

 そこは――――巨大な地下水路だった。

 ウェンブリー北部にあるフレイ湖から大学周辺まで粛々と水を運び続けるその施設は、【ウェンブリー魔術学院大学】の地下からも出入りが可能となっている。

 無論、普段の生活の中で一般人が入り込む機会などない。

 そしてそれは、一般人とはやや隔たりのある位置にいる魔術研究者であっても同じ事。

 にも拘らず、何故こんな事態になったのか。

(ったく……)

 嘆息を漏らしつつ、アウロスはこの場所に出向くまでの展開について回想を始めた――――



「死神を狩る者」

 妙にキュートな三角帽子を被って学食の山菜パスタを頬張る人間に、それとは対極の呼び名で声を掛ける。

 魔の属性を持つ女は。上目遣いとは程遠いヤブ睨みでアウロスを確認し、直ぐに視線を食事へ戻した。

 興味がないのか、或いは真逆か――――

 余り意味のないその二択を無意識の内に思い浮かべたアウロスは、毒されている事を自覚し内心苦笑しつつ、対面の席に腰を下ろした。

「調べてみたが、ガチガチのプロテクトが掛かっていて、何もわからなかった」

 ラディ曰く『私みたいなペーペーじゃなくてもあれは無理。どれだけお金使ってんだって感じ』との事だった。

「で?」

 あからさまに投げやりな態度。

 アウロスはめげずに続ける。

「折角教えて貰っておいて何も掴めないんじゃ面白くないから、推論を述べに来た。正否の是非を問いたい」

「不許可。私は忙しいので即刻消えなさい」

 ゆっくりとパスタをすすりながら堂々と宣言され、若干怯む。

 しかし続行。

「死神と言うと、思いつくものは限られる。最も一般的なのは暗殺者などの殺し屋。加えて、あの場にあんたがいた事から考えられるのは――――死神=魔術士専門の殺し屋。それを狩るのがあんただ」

 間を置くと不必要なダメージを受ける気がしたアウロスは、最小限の息継ぎで一気に推論を披露して見せた。

 反応を見る為、視覚にエネルギーを注ぐ。

「で?」

 効果も反応もなし。

 それでも、アウロスはへこたれずに攻めた。

「正解なら御褒美が欲しい」

「はっ」

 それは確かに嘲笑だったが、推論を否定するものではなかった。

 それを確認し、アウロスは交渉の用意を脳内で始める。

「お前が持って行った剣士……ラインハルトだったか。あの男が今どこにいるか教えろ」

 高圧的とも取れる物言いにか、その内容にか、或いはその両方にか――――ルインが顔をしかめる。

 尤も、元々が不機嫌カラーなので然程変化はない。

「それを知ってどうするの?」

「聞きたい事がある。それを聞く」

 単純明快な回答は挑発的な要素もある。

 交渉に挑発など基本的には御法度だが、感情を昂ぶらせる事で判断力を鈍らせたり、興味深い言葉や言質を引き出したり出来るケースもある。

 状況次第では有効な手段だ。

「……嫌だと言ったら?」

 そしてそれは、引き出したい枕言葉だった。

「ミストにでも聞くさ」

 アウロスは敢えて『ミスト』と呼び捨てにし、ルインの表情を伺う。

 変化はないが、それ自体が収穫だった。

「あの男は何も答えないでしょうね」

 そして、それ以上の収穫が本人の口から語られる。

 これにより、ミストの部下に対する線引きがかなり明確化した。

「だとしたら、俺に下りる情報はかなり制限されているって事になるな」

「たかだか捕虜の所在地を隠されるようでは……と思ってるのなら、そう言う結論になるでしょうね」

 アウロスの満足気な空気を察したのか、それを見下ろすような視線で見やる。

 そして、普段とは少し角度の違う皮肉げな笑みを浮かべ、交渉の席に座った。

「私に跪いて忠誠を誓いなさい。そうすれば居場所くらいは教えてあげても良いでしょう」

 アウロスは一瞬絶句したが、ルインの表情を見て軽く息を吐く。

 安堵とは少々違うが、まあ似たようなものだ。

「あんたの目的に協力する、ってニュアンスなら、呑もう」

「随分自分勝手な解釈だけれど……良いでしょう」

 どこか満足気に笑みの種類を変え、最後の一口を含む。

 食事を終えたルインはその場に立ち、周りの喧騒に一切溶け込まない声をアウロスに発した。

「あの男がいるのは――――ここよ」

 言葉と同時に、足のつま先で床を叩く。

「……地下、か?」

「ここの地下に水路がある事は……知らなくても大体想像は付くでしょう」

 聖地である【ウェンブリー】は国の象徴と言う位置付けなので、治安や衛生環境の保全には余念がない。

 よって、衛生面の最重要課題である上下水道の整備は徹底しており、特に何かと水を使用する事の多い大学周辺の地下には巨大な水路が網のように広がっている。

「その空間に監房があるのよ。そこに留置中」

「監房? 大学に何でそんな施設が……」

 そう言い掛けたアウロスは、ふとドラゴンゾンビの存在を思い出し、脳内で関連付ける作業を行った。

『この大学が建つ前にあった施設で造られた、何かの守護者みたいです』

 再び湧いて来たこの科白から察するに、その監房は大学の前に存在した施設の名残である可能性が高い。

「……何か思いついた、と言う顔ね」

「何か思いついたんだ」

 アウロスは敢えて隠さず告げた。

「ま、今の俺には関係ない話だ。それで、地下に下りるのは倉庫からで良いのか?」

「ええ。封術が施してあるから解除キーがなければ進入は出来ないけれど」

「問題ない」

 アウロスは解術が大得意だった。

「なら、これで取引は成立。私の言う事を聞いて貰います」

「後でな」

 しれっと言い放ち、席を立つ。

「……ちょっと」

「この取引は必然性がなかった。つまり、あんたの協力は後回しでも問題ないって事だ。んじゃ」

「待ちなさい」

 長く絡むと碌な事がないと判断し、そそくさと逃げようとするアウロスだったが――――思わず立ち止まる。

 ルインの声色には独特な強制力があった。

「私と組む以上、言っておく事があります」

「何」

「クレール=レドワンスとは馴れ合わない事。それが必須条件」

 その言葉に、アウロスの表情が緩む。

「仲が悪いのは知ってたが、そこまでとはね」

「あの女は近い内に切られる。情が移ってからでは手遅れだから」

 ルインの顔は、その言葉とは裏腹に、眉尻を上げも下げもせず、淡々としたものだった。

 それに微かな違和感を覚えつつ、アウロスは眉間に皺を寄せる。

「論文盗作の件か? なら……」

「それとは別に、本質的な問題があるのよ」

 予想外の返答。

「本質的?」

「あの女はミストの愛人だから」

 魔女の衝撃発言に、アウロスは数秒ほど石化した。

「……マジでか?」

「尤も、一方通行だから性的交渉については皆無でしょうね。あの男がそんなヘマをする筈がない。同時に、いつまでも傍に置いておくようなヘマもする筈がない。若い野心家が男女間のもつれで刺されて急逝……そんな陳腐なシナリオが似合うとは到底思えないもの」

 アウロスは硬直した脳を稼動させ、その発言の信憑性を記憶から探ってみる。

 そう言う素振りに該当しそうなシーンはなかったものの、心当たりがない事はない。

 しかし、それよりも何よりも言うべき事があった。

「と言うか、それは一般的には愛人とは言わない」

「そうなの? どうでも良いけれど」

 名誉毀損で訴えられたら負けそうな程に無責任な発言だった。

 結局は片思い、若しくは横恋慕と言う事のようだ。

「兎に角、あの女には深く関わらない事。それが出来ないようなら……」

 ルインの目に妙な光が宿る。

「この場で刺す、若しくはこの場で射す。好きな方を選ばせます」

 ある意味、期待通りの二択。

 アウロスは思わず綻ぶ口元を反射的に手で隠した。

 不覚。

 しかし、眼前のルインに変化はなかった。

「後者のニュアンスが凄く嫌なんだが……ま、その心配は杞憂だ。既に彼女からは親しくすんな宣言を受けてる」

「……」

「無言でニヤ付かれると凄く嫌なんだが」

「……」

「そのまま立ち去られると物凄く嫌なんだが!」

 さりとて、魔女は立ち去った。

 そして屋内なのに寒風が吹き荒ぶ中、アウロスはトボトボと目的地へ向かうのだった――――



 ――――回想終わり。

(碌でもない……)

 ルインと絡むと毎回そう言う気分にさせられるアウロスだったが、自分の脳に問いただした所、困った事に嫌ではないらしい。

 アウロスにとって、言葉遊びの出来る相手はそれなりに重要な意味を持つ。

 加えて、目標の役に立つ情報を隠しているとなれば尚更だ。

「グルルルァァ……」

(ん?)

 30分程歩き回った所で、遠くに奇妙な音が聞こえた。

 耳を澄ます。

「グルルルァァ……」

 どこかで聞いた事のある音だった。

 しかも、決して良い記憶ではなかった。

(あれは、無視した方が良いよな。絶対)

 冷や汗混じりにそう自分に言い聞かせ、歩行再開。

 人間の脳はとても便利に出来ている。

 それから更に10分歩いた所で、アウロスは足を止めた。

 ランプの灯が照らしたのは、鉄の柵。

 錆に侵食されていても、その強度は衰えていないようで、輝きの欠片もなく並んだその鉄格子には不敵な重厚感があった。

 鉄格子は一箇所ではなく、その一帯に露店のように並んでいる。

 アウロスは肉眼で中を確認したが、そこに人影はなかった。

 特異な臭いもなく、かつて人だった残骸も見当たらない。

 殆ど使用されていない可能性が非常に高い。

(……ここじゃない?)

 そんな思念が、アウロスの脳から心へ伝達される寸前。

「誰かいるのか……?」

 監房地帯の最も奥の突き当たりにある鉄格子の方から、掠れた声がした。

 その声では目的の人物かどうかを確認できず、アウロスは警戒をしながら声のした方向にランプを掲げ、ゆっくりと進む。

 そして、光源とほぼ同じ位置にある指輪に光を宿し、これまで見た物とは異質な鉄格子の前に立った。

(――――でかい)

 それは、アウロスの知っている監房のサイズを遥かに凌駕していた。

 アウロスの身長の4倍に届こうかと言う高さでそびえ立っている鉄の柵は、まるで城の門のような圧迫感を与えて来る。

 幅もかなり広く、格子の隙間の数は100を超えている。

 そして、その巨大な鉄格子の内部には、大広間とでも呼ぶべき広大な空間があった。

「お前は……」

 中に居る人物の姿が灯によって色を得る。

 そこには――――少し前に敵として対峙した剣士のやつれた顔があった。


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