319 道標②
森の奥。アドラーは作戦を成功させて戻ってきたウーノから不思議な輝きを放つ宝石を受け取り、それを目の高さまで持ち上げまじまじと確認して、感嘆の吐息を吐いた。
紐にくくりつけられた不思議な宝石――導がくるくる回転し、ぴたりと一方向を指して止まる。
「よくやったね、ウーノ。これが、あの《千変万化》が話していた導か……」
「あ、ありえないですよー、こんなの。いくらなんでも《千変万化》が突然現れた女に気づかないなんて……」
蒼白の表情で抗議の声を上げるウーノに、アドラーは肩を竦めた。
目的を達成するためにもどうしても鍵とやらが必要だった。それはわかる。
聞いたこともないが、太古の獣や神獣が闊歩する場所が本当にあるのならば、それはウーノ達の目的とも一致している。
挙動は常に監視しているので《千変万化》の後をつける事もできたが、先に魔物を取られては意味がないのだ。
だが、それにしたってこんな馬鹿げた作戦はない。
アドラーが唇を舐め、窘めるような声で言う。
「だが、こうしてうまくいったじゃないか。案外神算鬼謀というやつは馬鹿げた策に弱いんだ」
「じ、自分がやらないからってー!」
「ウーノ、お前なら、もしもバレても逃げられる。お前の聖霊の次元潜航は逃げるにうってつけの力だ」
「潜る前にやられたら意味ねーけどな。あの男はただのハンターじゃねえ、レベル8だ」
近くで胡座をかき座っていたクイントが鼻を鳴らす。その様子に、ウーノはフードを乱暴に脱ぐと、あからさまに顔を顰め睨みつけた。
レベル8ハンター。
ウーノも魔物の主として己を鍛えているが、戦闘員ではない。だが、ハンターは高レベルに認定される上である程度の戦闘能力が求められている。
業腹だが、クイントの言う通り、戦闘用の魔物なしで勝てるとは思えなかった。そして、たとえ魔物込みでもウーノ一人では勝利は難しいだろう。
相手も同じ導手だが、格が違うのだ。見たこともない魔物の宝箱に跨り、森で現れた魔物の大群に対して、それを支配する気配すら見せなかった。
導手にとって数は力だ、もしもウーノ達が彼らの立場だったら、森の魔物達もありがたく自軍に組み込んだだろう。
いや、それ以外にも――あの男には謎がありすぎた。
アドラーが眉を顰め、しげしげとウーノを見る。
「しかし……さすがに羅針盤は取れなかったか。あれも欲しかったんだけど」
「取れるわけがないでしょー! それを手に入れただけでも大金星ですよ! そもそも、不運を呼ぶなら私達が使ったら魔物が出ない道を示すと思いますよー!」
宝箱から出てくる無数の不思議なアイテム。襲いかかる恐ろしい数の魔物に、一人だけ戦闘に参加する様子を見せない、あの余裕。
あまつさえ、百六の手錠のついた鎖など取り出してみせた。
星喰に手錠でもはめようというのか? 馬鹿げた話だ。百足などといっても百本の足があるわけではないし、そもそもあの大きさではとても星喰には嵌められない。
だが、ふざけているようにも見えなかった。いつも大胆不敵な立ち回りでウーノ達を振り回すアドラーとは別の意味で不気味だ。
まだウーノ達は本気を出していない。数の利もこちらにあるはずなのに、ぶつかる前からここまで不安になるのは久しぶりだ。
「そもそも、アドラー様の見通しでは、相手は『現人鏡』で見張られている事に気づいていたんじゃ……あんなにあっさりうまくいくなんて、まだ信じられません」
遠視を可能とする現人鏡はまだこの世界でもほとんど知られていない、非常に希少な魔物だ。
視線も感じないはずなのに目があった時点で信じがたいのだが、もしもそれが真実だとして、どうして導を渡したのだろうか?
皆目見当もつかず不安げな表情をするウーノに、アドラーはにっと唇の端を歪め、嗤った。
「それはね……ウーノ。私はこう思うんだ。これは――《千変万化》の余裕だ、と」
「…………え……ええーー!?」
お気に入りの従魔――星喰百足の頭を撫でながら、アドラーが黒いルージュの塗られた唇に人差し指を当てる。
どこまでも冷たい濃い藍色の瞳は深淵そのもののように深く、見つめていると吸い込まれそうになる。
「先を譲られた。ウーノ、私も思うよ。《千変万化》がウーノに気づかないわけがない、と。いくらなんでも、いきなりメンバーが増えて本当に気づかなかったらただの間抜けだ。そもそも、同行するパーティのメンバーの顔と名前を覚えていないハンターなんていない」
「あ、あのー……アドラー様。それだと、ダメ元で私にあんな事させたって事に…………」
「そもそも、ウーノは精霊人じゃないしね…………ずっと見ていたけどかなり不自然だったし。まったく大した役者だよ、あの男は」
「ーッ! ーッ! ーッ! こ、これだから、ニンゲンはぁッ!」
どれだけ恥ずかしい思いをして似合いもしない演技をしていたか――。
顔を真っ赤にするウーノの目の前で、アドラーがゆっくりと立ち上がる。
冷たい風が、木々の間を吹き抜けた。その身から感じる物理的な重さにすら感じるプレッシャーに、ウーノは言葉を失った。
クイントが目を見開き、どこか面白いものでも見たかのように言う。
「アドラー、随分やる気みたいだな」
「当たり前じゃないか。つまり、奴の情けは…………私達を、遥かに格下だと、思っていると、そういう事だよ」
瞳は冷静で、声も震えていない。魔物を服従させるには常に余裕を持つ必要がある。だが、ウーノにはその佇まいから今にも爆発しそうな激情を感じた。
アドラー率いるパーティ、《千鬼夜行》は無敗だ。知名度がないのは徹底的なまでに相手を叩き潰したから。だが、どんな馬鹿でもアドラー率いる群れを見ればそれは理解できるはずだった。
それでも、相手がただのハンターならばよかった。だが、相手は十中八九、同じ導手だ。あの群れを見て尚魔王として格下だと判断されたとなれば、ウーノでももやもやする。
アドラーはしばらく何も言わずに宙を見て感情を堪えていたが、すぐに腕を下げた。
「ご厚意に甘えようか、《千変万化》。精霊人の生み出した道に潜むという神獣・魔獣にも、興味はある。神樹廻道と言ったか? 聞いたことがないが――」
「だがよー、アドラー。もしかしたらこれは罠かもしれねえぞ? その恐ろしい魔物とやらはあの男にも調伏できないような怪物で、俺達を罠にかけるつもりかも」
確かに……その可能性もある、かも。
いつも考えなしのクイントの、珍しく建設的な意見に、思わずアドラーの方を窺う。
魔物を操れるといっても、全ての魔物を何の障害もなく操れるわけではない。導手に操れるのは自分の力量以下の魔物だけで、それ故に導手はこの世界にほとんど存在しないのだ。
調伏に失敗すると魔物に殺されるから――。
だが、出てきたアドラーの言葉には不安の感情は含まれていなかった。
「それはそれで、ありだよ、クイント。あの男が調伏できない魔物を私が調伏できれば、それは私の方が上という事になる。戦力も上がって、一石二鳥だ」
「……そりゃ…………確かに?」
本当に、単純だ。アドラーもクイントも、敗北した時の事を考えていない。
相手がただの人間ならばアドラーは勝利するだろう。だが、相手が導手ならば、互いの有する魔物の力が勝負に直結する。いくら優秀な導手でも、有する魔物が弱ければ負けるのだ。
ただただ、不気味だった。あの男はきっとまだその力の一割も見せていない。
あの男は意気揚々と、不幸を呼ぶという羅針盤を見せた。それはつまり、《千変万化》はその降りかかる不幸の全てを呑み込み強くなったという事を意味している。
おそらく、彼の自信の源である魔物もまた、くぐり抜けてきた激戦の末に支配したものなのだろう。
だが、既に賽は投げられてしまった。一度火がついた以上、たとえ相手が格上でもアドラーは止まらない。
それもまた、間違いなく、魔王の資質だった。
「先回りして道に入る。あの男よりも先に精霊人が解き放った魔物とやらを見てやろう」
仕方ない人だ。人を振り回す力はこのリーダーも《千変万化》も変わらないらしい。
《千鬼夜行》はアドラーを王とする軍勢だ。アドラーがそう決めたのならば臣下は最善を尽くすのみ。
最悪、ウーノの魔物の力を使えば逃げることくらいできるだろう。ウーノは一度ため息をつくと、笑みを浮かべ立ち上がった。
「では、急ぎましょー! 妨害を仕掛けつつ先行するのがいいかと思います。クイント、先日の失態を挽回するチャンスですよー!」
ウーノの視線を受け、クイントがやれやれとため息をつく。
「…………何で俺の役どころ、そういうのばっかりなんだよ…………と言いたいところだが、一撃で昏倒させられて終わりだと思われちゃあ、《千鬼夜行》の将の一人として、誇りに障る」
クイントの言葉に同意するように森がざわめく。
どっしり胡座をかき座っていたダークサイクロプスの剣士――ゾークが鋭い目つきでクイントを見下ろす。
アドラ―の軍勢で一番数が多いのはクイントが支配する魔物達だ。その数たるや、常につれていくのが不可能な程。
実際に平野で《嘆きの亡霊》と遭遇していた時も、側に置いていたのは極一部だった。数とは力だ。その魔物達の質はともかくとして、大量の魔物を操るその力はまさしく魔軍の将の名に相応しい。
「クイント、全力で彼等の足止めをしろ。所詮は数だけの連中だ、補充はこれからすればいい」
「……ゾークはとっとくぞ、お気に入りなんだ」
クイントが立ち上がり、指笛を吹く。甲高い音が森に響き渡る。
大軍を指揮する上で大切なのは如何にして全軍に命令を伝達するかだ。指笛を使い詳細な指揮を可能とするクイントの技術はウーノやアドラーにも不可能な、類い希なものだった。
地面が揺れ、強い風が木立の間を吹き抜ける。遠く、咆哮があがる。強い戦意の込められた、戦士達の咆哮が。
小さくため息をつき、クイントがまっすぐアドラーを見て、言う。
「森にいる俺達以外のもの全てを少数部隊に分かれ散発的に攻撃するよう命じた。相手が魔導師でも関係ねえ、死ぬまで戦う。だが……わかってるんだろうな? 軍勢を捨てたんだ、それに見合った成果がいる」
「もちろんだ、将軍。すぐに今までよりも強力な軍を与えてやるよ」
クイントの威圧するような眼差しにアドラーは肩を竦めた。
§ § §
不吉はいつだって理不尽なものだ。事件は突然やってくる。
例えば、いきなりドラゴンの死骸が道端に落ちていたり、偶然居合わせた犯罪者に仲間だと勘違いされたり、はたまたただ空を飛んでいただけなのに突然伝説の宝物殿に衝突したり――そして、いるはずのない精霊人に乞われ、エリザから受け取ったばかりの宝石を渡してしまったり。
休憩を終え、可能な限り全速力で前に進む。
悪路を全速力で進んでいるため、既に馬車の揺れは宝具なしに快適に乗られないレベルになっていた。
『快適な休暇』に着替え、馬車の上に乗って陣頭指揮を執る振りをする。
場の空気は最悪だった。特に、クリュスとラピスを除いた《星の聖雷》から向けられる視線が最悪だ。
彼女達から見れば僕は精霊人の宝? をぽっと現れた何者かに渡したわけで、睨まれるのもやむなしだろう。
表に出る事で少しでも不満を解消しようと思ったのだが、特に効果もなさそうだ。
馬車に並走していたクリュスが呆れたように言う。
「ヨワニンゲン、お前ほんといきなりとんでもない事するよな、です」
「い、いやー……きっとあれは精霊だよ。僕をニンゲンって呼んだし、こんな所に僕達以外の人間、いるわけない」
そもそも、僕がエリザからあれを貰ったのは森の入り口だ。それを知る者が僕達以外にいるだろうか?
あるいは、ユグドラの精霊人からの干渉である可能性もある。外の世界に出てきていない精霊人は人間嫌いが少なくないと聞くし、精霊人達の極一部の陰謀ではないとどうして言い切れるだろうか?
何より、僕ってなんか陰謀に巻き込まれやすいんだよね……。
「とにかく、なにかあったらまずいから、急ぐ」
クリュスと並走していたエリザが言う。
わざわざくれたものをおかしな経緯で紛失したのに、エリザには特に怒っている様子はなかった。もう諦められているような気もする。
最初に会った時に既に僕のへっぽこっぷりは披露しているので、慣れているのだろう。
いつも皆には迷惑掛けっぱなしだな。少し自省しなくては――。
相手が消えたのは僕達がやってきた道だ。もしも彼女が敵だと仮定しても、彼女よりも先にユグドラにつくのは難しくはないはずだ。こちらには実際にユグドラとやり取りしているエリザだっている。
アンセムが先頭に立ちどしどし道を切り拓いているためか、近づいてくる者はいなかった。リィズのような速度こそないものの、彼のフィジカルはパーティで突出している。
彼が走れば地面が揺れ土埃が巻き上がる。森の中を木々を倒しながら進むことだってできるのだ。余りに激しく見栄えが悪いため、普段は封印しているくらいである。
「…………しかし、《不動不変》……本当にニンゲンか、です」
「あれはまだ本気じゃないな」
「…………え?」
だってまだ周りを破壊しないように気をつけているようだし……本気で暴れた時、アンセムには誰も近づけないのだ。
と、その時、誤って踏まれないようにアンセムの肩に立ち進行方向を眺めていたリィズがこちらを振り向き、叫んだ。
「クライちゃん、なにか来るみたい!」
「…………え?」
何か来るって……何が?
アンセムは温厚で誠実だが、このように巨大に成長してしまった今では一見すると怪物のようにしか見えない。帝都で騒ぎになっていないのは単純に、彼が帝都に来てから功績に比例するように大きくなっていったからで、皆が彼の事を知っていたからだ。それでも、外部からやってきた者に騒がれる事もある。
こうして走っている状態で一体何が近づいて来ようか? 我が身を顧みない幻影とかだったらまだわかるけど、この辺りに宝物殿でもあるのかな?
…………いや、普通に迎えか? エリザも先方にアンセムの特徴は伝えているだろうし――。
「アンセム、止まって。お出迎えかも」
「うむ……ッ」
アンセムに向かって大声をあげる。唐突なお願いに対して、アンセムは巨体とは思えない機敏な動作で腰を落とし、ブレーキを掛けた。
急な停止で、ずるずると地面に巨大な足跡の線が残る。ぶつかった樹が大きな音を立てて倒れる。
相変わらず、スケールが凄いなあ。
感心しながら頷いたところで、草木ががさりと揺れ、『迎え』が現れた。
現れたのは奇妙な生き物だった。
繋ぎ目のない紺色の装甲を纏い、手には剣を持っている。二足歩行で、フルフェイスのヘルメットのような頭部には大きな二つの目があった。
しかも複眼というやつだ。シトリーが眉を顰め、小さく呟く。
「戦闘蟻……」
確かに……そう言われてみれば、蟻にも見える。となると、鎧に見えるのは地肌か。
立ち止まったアンセムと、戦闘蟻という名らしい魔物が見つめ合う。その後ろから、更に何体もの戦闘蟻が現れる。
硬質で滑らかな表皮に、頭頂についた複眼。全員が似たような剣を装備し、鎧も統一されていた。
この森に入ってから出会ったどの魔物達とも異なる出で立ち。その佇まいには戦意と同時に確かな知性が見えてとれる。
いや、彼らを果たして魔物と呼んでいいか――精霊人は森の動物とも友好関係を結んでいると聞く。もしかしたら、なかなか珍しい見た目ではあるが、彼らがユグドラの衛兵である可能性もある……?
そんな事を考えたところで、不意に蟻の兵士達が僕を見る。アンセムという格好の的がいるのに、そして僕とアンセムの間にはルシアやエリザもいるというのに僕に注目するという事は、やはり迎えか。
僕は大きく深呼吸をすると、馬車の上から満面の笑みを浮かべて話しかけた。
「…………よく来たね、待ってたよ……」
「…………」
「はぁ? 待っていたって、どういう事だ、です?」
クリュスが目を丸くする。戦闘蟻のキラキラ輝く複眼が僕を見ている。
そして、意気揚々と馬車から降りようとした時、何の前触れもなく、戦闘蟻の後ろの茂みから、何かが飛び出した。
何の反応もできなかった。目を丸くする僕の前で、いつの間にか僕の前に出たリィズが掴み取った矢をぷらぷらさせて言う。
どうやらこれは……僕の推理が正しければ、射られたようだな。
「クライちゃん、攻撃していいかな? いっぱいいるみたいなんだけど。お出迎えって、そういう事だよね?」
…………あれ? もしかして、ただの魔物?
周辺に妙な空気が流れる中、前だけでなく、四方の茂みから戦闘蟻達が現れる。どうやら囲まれているらしい。
《星の聖雷》のメンバーが小さな悲鳴をあげる。見通しが悪いので正確な数はわからないが、少なくとも数十体はいるようだ。
どうやら群れを作る魔物だったらしい。まぁ、蟻の魔物みたいだからな……しかし、アンセムがいるのに近づいてくるとは、随分勇猛果敢な蟻だ。
じりじりと輪を縮めてくる魔物達。僕は小さく咳払いをすると、座り直して言った。
「も、もちろんだよ。アンセム、せっかくだし、本気を出して蹴散らしてしまいなさい」
書籍版八巻発売一ヶ月です! 活動報告にて、新ストグリ速報、投稿されています。
記念という事で、書籍のイラストなど公開しています、是非ご確認ください!
投稿遅れてしまい本当に申し訳ございません!
今度こそ、次話はなるはやで投稿します。
/槻影
更新告知(作品の更新状況とか):
@ktsuki_novel(Twitter)
P.S.
書籍版八巻、コミカライズ五巻まで発売中です。
書籍版はWeb版で出なかった情報の補完や新シーンの追加、一部ストーリーが変更されています。
Web版既読の方も楽しんで頂けるよう手を尽くしましたので、そちらもよろしくお願いします!