192話 奥義開眼
「あははははははは!」
サティが高笑いをしながらブルーブルーに猛攻を加えていた。
「サティ、もういい! 戻れ!」
「でもっ! ほらっ! ほらっ! すごいですよっ! こんなにっ!」
サティの限界を超えた動きにブルーブルーは付いていくことが出来ずに、防御こそ抜かれてはいないが防戦一方である。サティに押されあのブルーブルーが後退すらしている。
これが奥義の力。
「もう十分だ。なんとか止めるんだ!」
剣聖が叫ぶ。だが興奮状態で俺の制止も聞かないサティをどうやって?
事の始まりはほんの少し前のこと。強力な奥義の習得だ。一体何をやらされるんだろうと内心びくびくしながらサティについてきたら、目の前に置かれたのはコップに入った液体状の薬だった。ひどく怪しげな色と香りがする。
「これは狂化薬と言う。強制的に体の動きの制限を取り払うことができる薬だ」
薬を持ってきた剣聖がそう説明する。少々拍子抜けはしたが、妥当な方法ではあるな。でなければ加護持ちとはいえ、特殊な能力も特別な素質もない俺やサティではそうそう習得できるとは思えない。
「かなり危険でな。力を制御しきれなくなって体が壊れることもあるし、理性をなくし凶暴になって暴れまわることもある。処方を間違えればそれだけで死ぬこともある。はっきり言ってしまえばこれは毒だ。今日の体調は問題ないな? 少しでも疲労や具合の悪さがあれば中止だ」
何か落とし穴があるのだろうと思えば毒か。確かに薬を飲むだけで強化が出来るならもっと奥義持ちが増えてもいいし、方法が広まっていてもいいはずだ。
毒でなおかつ中毒性もあって帝国では使用が禁止されているという。ダメじゃんって思ったがここは魔境。帝国の法の及ばない地域だと剣聖が主張する。これは色んな意味で表沙汰に出来ないな。
「だからきちんとした修行を経てからでないと飲ませられんし、薬の取扱も慎重にせねばならん。だから門外不出にしておる」
手軽に強くなれる薬だってんで、危険だとわかっていても手を出すやつは多そうだ。
そういえばサティたちの修行の面倒を見てくれているデランダルも俺たちのパワーを見て何か薬を飲まされたかとか聞いてきたし、リュックスも薬がどうのと言ってたな。それもこれも狂化薬のせいか。
今日は薬で限界を一時的に取っ払ってその感覚を体で覚え、後は自力で限界を超えるすべを修行で体得するのだという。薬を使うのは一回きりだ。
「本当ならサティにはまだ早いと思うのだがな? リュックスに勝ったのだ。致し方あるまい」
剣聖にも迷いがあるようだ。本来なら十分な力量といえるのだが、サティは加護で力を底上げしているし、年齢も若い。そこらの判断が難しいらしいのだが、本人が望めば後は自己責任だ。
「もし制御しきれなくて暴れるようなら、取り押さえて解毒魔法をかけるのだ。よいな、マサル?」
こうやってたっぷりと危険を説明されたのだが、サティは何の躊躇いもなく薬を飲んだ。そして狂化状態で体を動かせるようになると、最終的な試しとしてブルーブルーと相対した。最初のうちこそ剣のコントロールに苦労していたが、すぐにコツを掴んだのかブルーブルーと互角、更には圧倒する動きを見せ、突然のあの高笑いである。
「それ以上動くと体がぶっ壊れるぞ!? サティ、戻れ!」
普段を上回る動きは相当な負荷があるはずだ。呼吸も荒く、汗もほんの短い間で尋常じゃないほど。狂化薬の影響で精神は高揚し苦痛も感じず、こうなってしまえば限界を超えて体が動かせなくなるまでもう止まらない。
「だめです。こんな危険な人、放置してはおけません! そして次はリュックスさんです。わたしがどうなろうともマサル様を傷つけた人はすべて排除します!」
そう言って再びブルーブルーに向かっていく。俺が言っても止まる様子がない。もはや強硬手段しかないと、待機していた弟子たち全員が臨戦態勢になった。だがその前にもう一手出来ることがある。要は解毒魔法をかけてしまえばいいのだ。
広範囲解毒魔法詠唱――試したことはないが、範囲治癒と要領は同じはず。魔力消費は少ないから詠唱にも時間がかからない。弟子たちが包囲を狭める前に――だが詠唱が終わる間際、ちらりとこちらを見たサティが大きく動いた。
解毒魔法発動は、一気に範囲外へと移動したサティにあっさりと回避された。俺の動きを読まれた。
その上多勢に無勢は分が悪いとそのまま逃走にかかり、弟子たちの包囲網を抜けて、向かう先はオーガの闘技場の方向。動きが速すぎて誰にも止められない。
「まずい。このまま薬の効果が長引くと……」
剣聖が焦ったように言う。体もだが薬は頭にも影響がある。最悪廃人だ。
サティがぶっ壊れるのが先か、リュックスがやられるのが先か。
「サティ!」
俺の叫びにもちらりと視線を送ったのみで、サティは森へと飛び込み姿を消してしまった。弟子たちも大慌てでそれを追う。
俺も走って追いかけようとして思い留まった。何を走って追いかけようとしてんだ。ここはフライだ。
だが追いつけはするだろうがサティにも聴覚探知がある。本気で逃げられると捕獲は容易ではないだろう。サティじゃなくてリュックスを探せばいいのか? あの様子ならリュックス以外に手は出さない程度の理性は残ってそうだ。サティを追いつつ、リュックスを見つけて先回りをする。そして解毒魔法だ。
くそっ、こんなことなら無理を言って全員で来るんだった。久しぶりに胃がキリリと痛む。
「お腹痛い」
「腹が痛いとか言ってる場合か! マサル、急いで追うぞ!」
その言葉に頷く。急がないとサティが探知外に……
そう思ったがサティの動きが止まっている。これはまさか?
「お腹がすっごく痛くて倒れそうだ!」
ダメ元で大声で俺が叫ぶ。剣聖が何を言ってんだこいつという顔で俺を見るが、あっさりと引っかかったサティが反転してものすごい勢いでこちらへと向かってきている。やはり正常な判断力がなくなっているんだろうか?
「師匠、ほら」
俺の指差すほうを剣聖が見ると、ちょうどサティが森から飛び出して来るところだった。そしてそのまま一直線に俺の下へとたどり着く。
「だ、大丈夫ですか!?」
手にしていた剣も放り出し、息せき切ったサティが言う。
「胃がキリキリと痛む。回復魔法をかけてくれないか、サティ?」
「あ、回復魔法……」
だが興奮状態で呼吸も荒く上手く、魔力の集中が出来ないようだ。手間取ってるうちにひっそりと後方に立っていた剣聖の解毒魔法が発動した。
すうっと倒れるサティを受け止める。自分の魔力操作に集中したせいか、それとも判断力が低下していたせいか。どちらにせよあっさり魔法にかかってくれて助かった。
「大丈夫ですかね?」
サティは気を失っているようだが、まだ呼吸も乱れているし悪夢でも見ているがごとく唸り声を上げている。
「この程度の時間なら心配なかろう」
薬の侵食が進み体が動かなくなってくると危険なのだが、サティはまだそこまで達してなかったようだ。助かった。
「それでも今日明日くらいはろくに動けんだろうし、ゆっくりと休ませてやれ」
とりあえず回復魔法をかけてやると腕に抱えているサティが身じろぎした。解毒ももう一回やっとこう。
「サティ?」
「う……」
目を覚ましたサティがぼんやりと俺を見上げるが、すぐにハッとした様子で目を見開いた。
がばっと身を起こし、立ち上がろうとしてへたり込んだ。
「あ……ああああああああああぁぁ……」
最初大きな喚き声はすぐにか細く消え、うつむき両手で顔を覆ってしまった。
「わたし、なんてことを」
小さい声で言う。大暴れしたことは完全に覚えているようだ。
「そんなこたあどうでもいい。限界を超えた感覚は覚えているか?」
被害はなかったにせよリュックスの身はかなり危なかっただろうけどな。奥義なしでもほぼ互角だったのだ。いまのサティに襲撃されていればどうなっていたか。
「は、はい」
再び立ち上がろうとしてパタリと倒れ込んだ。
「無理はするな。しばらく辛いぞ」
その剣聖の言葉どおり、サティが体を丸め呻き声を上げた。
「全身、すごく辛いです……」
解毒出来たとはいえ、毒を摂取して動き回っていたのだ。限界を超えた負担に加え、全身に相当なダメージだ。
「受け答えもしっかりしておるし、体も動いておったな。まあ二、三日じっとしておれば大丈夫であろう」
だがサティはいまだ涙目だ。
「誰も怪我一つしておらんし、お前は自分で自分の身を破滅させようとしていただけだ。無差別に襲いかからなかった分、理性が残っていたほうだな」
それでみんな待機中も遠巻きだったのか……
剣を持たせて戦わせる段階になると暴走することが多いらしいのだが、奥義を習得するのに狂化状態で戦わせないわけにもいかない。次から捕獲しやすいように最初っからロープをつけておくとか、捕獲用のネットを用意するとか提案してみるか。
「それはそうとして、サティを追いかけていった弟子どもを呼び戻さねばならんな」
「あー」
今頃必死になってサティを探してることだろう。
「ご、ごめんなさい。ほんとにごめんなさい」
そう言う声も震えている。サティはとても真面目に生きて来たから、やらかしに耐性がないのだろう。
「この程度気にするな。奥義の習得が出来ればそれが何よりだ」
剣聖もそうだと言い頷いた。しょうがない。弟子たちの中にはウィルとシラーちゃんも混じっていることだし、探知持ちの俺が集めてくるか――
サティは丸一日で起き上がれるようになり、その数日後にはすっかり回復した。心配していた後遺症もないようだ。
そしてまともに動けるようになると剣聖の許可を得てすぐに奥義を使ってみせた。雷光の型から繰り出される剣速は、軍曹殿に見せてもらった雷光そのもの。
だがやはり体への負担は相当なようで、一回でがっつりとした疲労が発生し、二回も撃てば関節や筋肉が悲鳴を上げる。
「いきなり使えるもんでもないんだが、相性がいいのか?」
剣聖がサティの雷光を見て言う。もともと雷光は練習していたのもあるのだろうが、普通は一カ月や二カ月は最低でもかけて徐々に出せる力を増やしていくそうだ。
「似た感覚には覚えがあります」
加護の強化。俺が初期の頃にサティに勝手に与えたやつだ。
「だからこう、ぐっと力を入れれば……」
奥義が発動する。それなりの騒動はあったものの、実にあっさりしたものだ。
だが限界を超えて力を引き出し、なおかつ負担が少ないように威力を調整するのは相当に難しいみたいだ。だが出来ねばほんの一回二回の奥義を使っただけで行動不能ということになりかねない。使いこなすにはまだまだ時間が必要となりそうだ。
サティの当面の課題は奥義の出力の調整と、それに耐えうる肉体作りだな。何はともあれひたすらの鍛錬である。
俺も上へと上がり、地道で厳しい訓練を始めていた。一日かけての山岳走り込みも続いているし、後はメインの実戦訓練だ。基本的には軍曹殿とやった訓練と変わらないのだが、なにせ対戦相手が多い。限界だと思っても終わらせてくれない。
しかし奥義の習得を考えると真面目にやっておいたほうがいいのは確かだ。サティですら全力での使用は現状二回が限度。俺の体力だと例え使えても一回で行動不能になりかねない。
6月も中旬になり、この頃からビエルスにも雨季の影響が出てきた。それでまいったのは雨が降ろうが大雨が降ろうが訓練は中止にならないことだ。まあ魔物は雨だからって遠慮してくれないってのはわかるのだが。
ヒラギス方面は一足早く雨季に入っていて軍や冒険者がまったく活動できないほどになっているそうだ。エリーが居留地の横を流れる川も増水して危険だってんで、堤防を強化したり居留地全体の家屋も大規模に建て替えを進めているようだ。
「さすが大魔法使い様」
「扱いは聖女様のお供程度なんだけどね」
民草が聖女様に陳情し、エリーが働くというシステムらしいが、特に不満もないどころか機嫌はとてもいい。
「お兄様の村への移民の募集に結構集まりそうでね? 聖女様々だわ」
ただブランザ領にもいくつか問題もある。その最たるものが街道だ。なにせ魔境沿いの辺境地域。現地は農地に適した土地が多いのだが、交通の便が恐ろしく悪い。
山あり谷ありの秘境地帯で、その分魔物の進行も阻害される利点もあるのだが、最低限帝国中央方面への道はほしい。
相当な大事業になりそうなのもあるが、そもそもエリーには土木工事の知識もセンスもないし、開拓地の拡張で手一杯なのもあって、どこから手をつけていいかすらわからないのが現状のようだ。
「よしよし。俺も協力しよう」
ヤマノス村周辺の道路建設はほぼ平地で、森を切り開く部分が面倒だったくらいで、元からある道の拡張がほとんどだった。山間部は勝手が違うだろうが、経験のないエリーよりましだろう。エルフはどうなんだろう? さすがに道路建設の専門家は居ないだろうが、大工の親方に相談してみようか。
「それは有り難いんだけど大丈夫なの?」
「あんまり大丈夫じゃないがまあ気分転換だな」
修行は四日間やって二日間休みというペース。休みは加護持ちの育成と狩りも兼ねてるのでもうちょっと増やしたいところだ。出来れば二日修行の二日休みくらいがいい。
だが雨季に入りヒラギス奪還作戦の開始までもうさほど期間がない。奥義を習得するには今でも時間が足りてない。
剣聖は新しい加護持ちのミリアムへの指導も兼ねて俺たちのほうへと掛かりきりだ。どうも加護持ちになるには交流がもっと必要だろうという話を俺がしたのを誰かから聞いたようだ。相変わらず加護を諦めるつもりは全くないようだ。
しかしミリアムの修行の面倒を見てくれるのはとても助かっている。ミリアムはこっちで短期間であるが修行をしていたのもあっていきなり強くなりすぎて表に出しづらいし、かといってオーガを飛び越してドラゴンクラスもまだ早い。
エルフのルチアーナのほうは手がかからない。経験値だけ稼がせて希望を聞いてスキルを取ってやれば十分だった。
ルチアーナは元々水魔法の適性があるということで水の精霊魔法をメインに覚えた。出来ればもう一人転移持ちが欲しかったが、精霊魔法も空間魔法も必要ポイントが大きい。両方取ってしまうと魔力強化系が貧弱で器用貧乏となってしまう。エルフは精霊魔法に憧れがあるらしく、無理強いも出来ない。
とりあえず加護持ちは増やす。残りのメイドちゃんたちも順番に全員面倒を見る。
二日間の休みは短いがこっちは趣味も兼ねているし、戦力が増えればそれだけ全員の安全にも繋がる。修行以上に手は抜けない。
女の子の相手をしたいから休みを増やすとかあまりおおっぴらに主張出来ないのが休日を増やせない一因でもあるのだが、エリーの手伝いを口実に休みを増やしてみようか。
先々のことも考えると余剰人員は必須だ。アンやティリカは子供がほしいようだし、妊娠での長期離脱や今回みたいな修行や各自手分けしての仕事は増えるかもしれない。
ビエルスでの修行の日々は得る物も多く、そして雨季が終わるとともに一気に暑くなり、ヒラギスでの戦いが始まろうとしていた。