第一章 なちの物語
憂鬱だ。学校生活を送る上で必要なこととはいえ、非常に疲れる。
「おい!聞いてるのか四ッ谷!?」
体育教師が俺の名を呼び、更に疲れる。
いまは体育館に学年の生徒全てを集めて頭髪検査という名のイベントの真っ最中だ。これは学校の風紀や品格を維持するための物であり、定期的に行われる。
一列に並ばされ、担任や各教科の先生に順番に身だしなみをチェックされるという寸法だ。髪の毛を染めていたり、ロン毛だったり、制服を改造していたりすると先生から厳しい言及がなされる。
「ハイ、聞いてますよ」
俺のように注意されてる生徒は他にも数名おり、俺だけが目立っているということはなさそうだ。
「先生、僕はアルビノなんです。あまり持病のことでとやかく言われたくはないのですが・・・」
そう、俺は茶髪でも金髪でもロングヘアーでもない。髪の毛が白いのだ。そして両目は虹彩が紅い。
「それならば、医師の診断書を提示するようにと前々から言っているだろうが!ちゃんと持ってくるんだぞ!よし、次!」
と、言われても実はアルビノなんかではない。アルビノの真似事なのだ。地毛は黒いし、虹彩だって普通の日本人と同じ黒だ。ブリーチとカラコンでアルビノを演じているに過ぎない。真似事だとわかっていても、俺にはこの容姿を保つことを矜持としていた。
「今日の晩メシは何作ろうかな・・・」
頭髪検査が終了した途端、俺は俺の生活に戻っていた。俺は自分の行き方についてとやかく指図されたくないのだ。色々あるんだよ。ほっといて欲しい。
「ただいま」
鍵を開け、家の中に入りぼそっと呟く。
「あちぃなぁ・・・」
ぼやきながらも窓を開け換気をする。時間を確認し荷物を降ろすと洗面台へ。手洗いうがいをすると洗濯機を回し、台所へ。家族の予定カンバンを確認する。
「那都は部活、か」
冷蔵庫にはっつけられたホワイトボードに『那智:直帰 那都:部活 父:6/29~7/10東京』と書いてある。父は音楽業界に勤めているため家に居ることは稀だ。高校一年になる妹の那都も先月から部活が本格的に始まり忙しい。帰宅して家事をこなすのが俺の日課になっている。
自室へ行くと、愛用のギターを手に取った。フェンダーのストラト、緩く弦を弾いてチューニングを確認するとアンプに繋がずアルペシオでワンフレーズ弾いてみる。
乾いた音が自室に響き、音に身を委ねる。
・・・まあ、チューニングは狂ってないだろ。
「ちょっくら弄るか」
ピックを手に取り、弾きなれた、好きなバンドの好きな曲をはじき出す。軽快なリズムで紡がれるポップスは一人でいる寂しさを紛らわさせてくれた。
ふと自分の机の上に目をやると妹と撮った写真が目に入った。
那都、俺の妹だ。俺の隣に写る彼女もまた白髪で紅の瞳であり、彼女は母からの遺伝により真性のアルビノであった。
母は癌で早世してしまったのだが、あれは妹を産んですぐだったか。おぼろげながら覚えている母の面影を思い出しながら幼少のときを振り返る。
俺がこの容姿に拘り始めたのは、母が他界してから数年経ってからだったな。
妹が容姿のことでイジメられ始めたのだ。
保育所に行ってたときはそんなことはなかった。むしろ友達からは人気者だった。彼女はヒロインだったのだ。
幼い友人らにとって那都は身近な非日常であって、それ自体が興奮する要素だったのだろう。
しかし、小学生になりだんだんと減失的な価値観を持ち始めた同級生の反応は、次第に辛辣になっていった。
髪の毛の事で虐められ、目の色の事で虐められ、母がいないことで虐められ・・・。
彼女が孤独になりそうになるたびに、俺が必ずでしゃばってたっけ。
そんで、俺が那都に――
『ピー、ピー・・・』
洗濯機が自分の仕事を終えたことを知らせるアラームが鳴り、俺の耳に届いた。
シケた昔話なんかに浸っていた俺は現実に引き戻され、家事に追われたのだった。
「ただいまぁ~」
夕飯を作っていると、那都が帰ってきた。明るい間延びした声と、その笑顔からは昔の鬱々とした雰囲気は微塵も感じられない。
「おかえり、那都」
ちらっと振り返り、那都に声をかける。那都は微笑を返すと自室へ入っていった。
暫くすると隣に来て調理を手伝い始めた。
横目で妹を見る。家族の贔屓目かもしれないが、妹は美人だ。いや、美人というよりは可憐という言葉が的確かもしれない。
アルビノの影響ではあるが、陶磁のように白い肌、美しい銀色の髪、澄んだ紅い瞳。どこかの漫画にでも出てきそうな、そんな美しい少女だと俺は思っている。
「シスコンかな、俺」
「えっ、なんか言った?」
「あ、いや、なんでもない。那都、それお皿に盛っておいて」
ぼそっと呟いただけなのに那都に聞かれてしまっただろうか。咄嗟に指示を飛ばして誤魔化したが。
微笑ながら料理を盛り付ける那都は本当に可愛い。
――やっぱりシスコンかな。
『――♪』
ん、電話だ。誰だ?
ディスプレイを覗くと『栢都』の文字が。
栢都はお隣に住む幼馴染で、付き合いは長い。
学校帰りに、しかもアイツから電話してくるなんて珍しい。なにかあったのだろうか?
「おう、どうした?」
「馬っ鹿!出るのおせぇーんだよ!なっちゃんが!」
は?那都が?
「え、おい。那都がどうしたんだよ!?」
「学校近くのセブンに来い!はやくっ!」
場所を聞くなり、弾かれるように走り出していた。
くっそ、何だよ!那都がどうしたってんだよ!
幸いにも学校近くのセブンまでは徒歩5分ほどの距離であったため走れば2~3分だ。
セブンが見えてきた頃、不自然な人だかりに嫌な想像が頭をよぎる。
「すいません!ちょっと!妹がっ!」
野次馬を掻き分け問題の中心部へ入り込むと、しゃがんだ栢都と――
「な・・・つ・・・?」
地面に彼女は横たわっていた。外傷などは見受けられないし、出血もない。あれ、俺はてっきり・・・。
「おい、那智」
「あっ、お、おぉ。栢都。いったい何が」
「落ち着いて聞いてくれ、那都が車に轢かれたんだ」
「はぁっ!?えっ、でもっ」
「轢く15メートル手前くらいからブレーキかけてたみたいでスピードはそこまで載ってなかったみたいなんだが、那都が起きないんだ。安心しろ、救急車と警察は手配してある」
「あ、あぁ・・・」
栢都が説明を終えると同時、那都を轢いた運転手が俺のところに謝罪に来た。
俺は呆然としていたため、怒りは不思議と沸かなかった。というよりも、運転手の言葉は右から左に抜けていって、ただただ目の前で伏せる那都の姿を眼に焼き付けていた。
那都は横たわっていた。
身体にいくつもの線が繋がれ、それぞれがそれぞれの役割を果たす器具に繋がり、そしてそれらによってこの世に命を繋がれていた。
心拍数を計る機械からは那智の心音に合わせて音が鳴り、近くに立てられた点滴は一定のリズムで那都の身体へと溶け込んでいき、酸素を供給するマスクとボンベには圧力計やらなんやらがゴタゴタとついていて、本当に那都は事故に遭ったんだなと再確認させられた。
「なぁ那都、覚えているか?お前が小学校に上がってすぐにさ、クラスメイトに虐められたときのことを」
俺は語りだした。昔話を。こうすることで那智になにか良い影響を与えられたらって、そう思って。
「お前のその髪、瞳。とってもとってもキレイなその容姿を人はなにか汚いものをみるような目で、なにか恐ろしいものをみるような目で見たよな」
彼女の髪に手櫛を通し、その感触を確かめてから再び言葉を紡ぐ。
「お前は毎日強がってた。俺にはわかってた。なんにも言ってくれないのが悔しくて、問い詰めようかとも思った。それでも自分から言ってくれるのを待ってたんだ。でも、言ってくれないまま那都が虐められてる現場に遭遇したんだよな。あの時庇って、那都の髪や瞳をキレイだといった俺にお前は噛み付いたよな。『お兄ちゃんはみんなと一緒だからわかんないんだよっ!』って。スゲー辛かったわ。俺は那都のことなんもわかってやれてなかったんだって、そんとき気づいたよ。そっからだよ、俺がお前とおそろいの髪と瞳にこだわり始めたのは」
そこまで一息に語ると病室のサイドテーブルに置かれたミネラルウォーターを手にとり唇を湿らす。
「そんでさ、俺バカだからさ、栢都に聞いたんだよ。どうやったら那都に近づけるか?ってさ。それもさ『どうやったらくろいかみのいろをなつのようないろにできるの?』って聞いたんだよね。そしたら栢都のヤツ紙の色だと思ってさ『そりゃ下地を白くするしかないんじゃない?』っていいやがってさ、素直にうけとった俺は修正液で白くしてから那都の陰りを帯びた緑色と同じ色のペンで髪の毛を染めようとしたんだよね。ハハッ、いまにして思えばバカだよなぁー。そんなことしてたらさ、栢都がちゃんとした方法教えてくれてさー・・・」
そこで一度言葉を区切り、このことを告白しようか刹那の間迷った。俺は懺悔するように、罪を告白するように次の言葉を繋いだ。
「ブリーチと染め粉をさ、万引きして・・・当然見つかるわ、親父には怒られるわ栢都には怒られるわ、俺はとんでもないことをしてしまったんだなぁーって」
語りかける那都は眠ったままピクリとも動かない。そらそうか。
「俺はさ、那都みたいになれば那都のことがわかるとおもって、そのときのことを忘れないように、那都が寂しくないようにいまでもこの容姿にこだわって誇りにおもってる。俺は好きなんだ。那都の、このキレイな髪と瞳がさ」
そこまで告白した途端、那都がグワっと身を起こし、眼を開いてこちらを見た。
「――っ、な、なつ?」
「――――」
那都と見詰め合った。その時間は30秒だったのか3分だったのか、はたまた30分だったのか定かではないが、俺にとっては永遠のように長かった。急に身を起こして覚醒した那都はどこか儚げで寂しそうだった。そんな那都から眼が離せなかった。
俺がにらめっこから解放されたのは那都がまた眠るように倒れてからだった。
咄嗟に俺はナースコールを手に取り強く押し込んだのだった。