411話 進む開拓
魔の森に、村と呼べる場所が出来て数日後のこと。
「モルテールン卿。長期の偵察より、たった今戻った」
「これはバッツィエン子爵。ご苦労様です」
立ってる者は親でもこき使い、なんなら座っている師ですらこき使うペイスであるから、国軍という一等級の戦力を遊ばせておくはずが無い。
偵察任務ということで、出来たばかりの村の周囲を探索させていた。
「東部はどうでしたか?」
「流石は魔の森であるな。地形は峻険であり、木々は巨大で鬱蒼とし、獰猛な獣に何度も襲われた。左程進むことは出来なかったが、負傷者が増えた故に一旦戻ってきた」
「任務ご苦労様でした。暫くは静養を命じますので、交代で十日ほどづつの休暇を取ってください。一か月後に改めて偵察を再開しましょう」
「分かった」
魔の森についての情報は、徐々に集まりつつある。
少なくとも拠点が出来て以降は、その質も量も格段に上がった。
拠点が出来たメリットとしては、何と言っても安全に休める場所がある精神的な安定だろうか。どれほど大変な目に遭い、或いは危険な目に遭ったとしても、拠点に戻りさえすれば命は助かる、ぐっすり寝られると思えば、あと少しという最後の踏ん張りが利くようになるのだ。
また、物資の集積という点でも拠点が有る意義は大きい。
人間が持ち運べるものの量などというものはたかが知れている。幾ら鍛えられた人間であっても、何十キロもの荷物を背負ったまま長時間動き続けることは困難だ。
ましてや魔の森は不整地。アスレチックの踏破をしているような動きをし続けねばならない。岩がごろごろとしていれば階段の上り下りを強制されるようなものだし、植物の根を跨ぐために飛び越えるような動きをすることもある。
まともに歩き続けるよりも、十倍は疲れるのだ。
荷物を下ろして置いておける場所があるだけで、どれだけ身軽に動けることか。
「細かい報告は後で構いませんので、閣下もどうぞゆるりと身体を休めてください」
「そうさせて貰おう」
「斥候が事前に知らせてくれたので、お湯も沸かしてあります。お風呂にも入れますが」
「おお、それは良い。是非とも風呂で汗を流すとしよう」
ついさっきまで昼夜問わずの冒険をしていた国軍の面々は、どう控えめに言っても汗の臭いがする。
危険地帯の中でのんびりと、鎧を外して体を拭くなどということも出来ない為当然だが、学校の運動部の部室を濃く煮詰めた様な臭いは強烈だ。
ペイスが風呂を作ったのも、偵察任務の度に汗臭いおっさんが量産されていたからである。
幸いにして燃料となりそうな木々は周りに腐るほどあり、燃やすものに苦労はしない。
あとは水が十分に使えれば、お風呂も沸かすことが出来る。
そう、水が潤沢に使えるなら、だ。
「しかし、ここも随分と変わったな」
子爵は、ぐるりと駐屯地となっている拠点を見回す。
崖の下に設けられた、防衛の拠点。
背後を崖に守られ、周囲を防壁で囲われた、かなり手厚く守られている拠点である。
「そうですね。大分、形になってきました」
「真っ先に水路を通したのは、卿の慧眼だったな」
「人は水無しに生きていけませんし、堀を作るついでに出来ることでしたから」
「うむ、それでも卿の、いや魔法部隊の活躍が素晴らしい」
「彼らはよく働いてくれています。どこかで労ってあげたいですね」
「うむ、そうだな。どうだろうモルテールン卿、労うというのなら彼らを一旦国軍に合流させて、共に親睦を深めるというのは。いつぞや御家の若者とやった、ばあべきゅうとやらでもやれば、良い労いになると思わんか?」
「バーベキューをするのは構いませんが、魔法部隊を国軍に預けることはしませんよ。そのまま返してもらえなさそうなので。やるなら、モルテールン領軍と国軍の懇親という形でやりたいですね」
「むう、残念だ。良い提案だと思ったのだが」
虎視眈々と魔法部隊を狙っている子爵には苦笑するしかないペイスだが、水路を最初に通したことは自画自賛してよいやり方であったと思っている。
まず、掘って固めただけだった空堀に水を溜められたことで、防御能力が段違いに上がった。
空を飛んでくるものはともかく、巨大な蜘蛛のような地を這う魔物はまず水堀に入ってくることは無い。仮に入ってきたとしても、地上で素早く動き回られることに比べれば、水の中で蠢くだけのものは一般の兵士でも十分に対処できる。
大型の四足獣のたぐいも、基本的に水に入ることは嫌がってくれるし、入ってきても動きは緩慢になってくれる。守りやすいという意味では、水堀は大きな効果が出たと誰もが認めていた。
また、水を好きなだけ使えることで、兵士たちのストレスが大きく減った。
水路を通していない時は水を節制せねばならず、自分が飲める水の量や洗濯等に使える水の量を常に頭の隅に置いておかねばならなかったのだ。
常に心配事を抱えている状態というのは、じわじわと心の余裕を削る。
水路が出来て水が流れるようになってから、目に見えて兵士同士の争いごとも減ったし、笑い声も出始めた。
更に、物資運搬の流通が劇的に改善したのも大きい。
水路を通したことで、ザースデンと駐屯地の間を、船が使えるようになったのだ。
勿論、船と言っても人が乗るような大きさでは無い。大きさ的には家庭用の冷蔵庫を横倒しにしたぐらいの箱状の小舟だが、これに紐なり鎖なりを付けて引っ張れば、浮かせた船を運ぶだけで物が運べる。
馬車を曳かせる馬でも、小舟を曳かせるようにすれば運搬できる荷物の量は三倍では効かない。ましてや、駐屯地は水路の流れから言えばザースデンの下流にある。舟を浮かべさえすれば、あとは流すだけでも勝手に駐屯地まで物資が運ばれる。あとは、中身を取り出して軽くなった舟を纏めて運べば楽でいい。
補給の体制が整ったことで、鎧や兜や盾といった金属製の防具も予備を運び込めるようになったし、保存食に頼らずとも美味しいご飯が食べられるようになった。
長期間駐屯していても、活動に支障が無くなったのだ。
お風呂などはペイスの道楽、おまけである。
「バーベキューをするなら、広場が良いでしょうか」
「そうだな。あそこなら大勢で騒げるだろう」
駐屯地は、防壁の拡充に合わせて広場を設けた。
軍が集まって整列したり、指揮官からの訓示や伝達事項をまとまって聞いたりといった用途に使われているのだが、バーベキューに使うとすればなかなかに良い使い方だろう。
「ただ、バーベキューをするなら、家屋に火が飛び火しないようにしないといけません」
「そうだな。万が一にも森に火の粉が飛んで火事になれば、駐屯地が丸ごと焼けてしまう」
「豪勢なバーベキューになりますね」
「冗談でも笑えないことになりそうだ。折角ここまで作り上げたのだ。思い入れもある」
「そうですね」
今現在、駐屯地を村にアップグレードするために家屋も作っているところ。
民間人も居住している場所となると、今の駐屯地で物資を生産できるもとになる。
開拓はより一層進むだろうし、今の駐屯地を基軸にして、更に先へ新たな拠点を作ることも出来るようになるだろう。
「そういえば、目ぼしい軍事施設を上階に移し、下階に畑を作るという話はどうなったかな?」
「まずまずです。取りあえず、二十人~三十人程度が自給自足出来る体制は整えました」
「ほう」
子爵が軍事行動として偵察や害獣の駆除を積極的に行っている間、ペイスは拠点をリフォームしていた。
水路を整備したこともそうだが、魔法を使えば色々と大規模な工事も手軽に行えてしまうのだから、つくづく反則的である。
ペイスが用意した畑は、収量の多い、かつ連作のし易いものを植えてある。
実際の収穫が実るまではもう少し掛かりそうだが、収穫の見込みとしてはささやかなもの。
多く見ても三十人程度が自給自足で暮らせる程度のものだ。
ちょっと人数の多い家族となれば、三家族から五家族程度の世帯が暮らすぐらいだろうか。
モルテールン領で見ても小規模であり、村というにも怪しい程度の生産力しかない。
軍が駐屯することを前提としている以上、軍事施設に空間を圧迫されてしまうからというのも有るのだが、流石に崖の上まで水路を通すことが出来ていないという事情も大きい。
何とか、崖の下だけでも更に拡充して、自給体制をもっと手厚くしたいものである。
「もう少し拡張したら、ここを拠点にして開拓を進めましょう」
ペイスの言葉に、バッツィエン子爵も大きく頷く。
「いよいよ、代官の選定は急務となってきました……」
村の形が出来上がりつつある状況。
ペイスの視線は、更に森の奥へと向けられていた。