409話 突きつけられる難題
ハースキヴィ家の屋敷。
新興の準男爵家としての格式を保つために建てられた屋敷は、まだ建てられて真新しい。
新築も同然の屋敷の中。応接室に、一人の客が座っていた。
ハースキヴィ家当主ハンスは、部屋に入るなり客の方に笑顔を見せる。
「義兄さま、お邪魔します」
来客というのは他でもない。
ペイストリー=ミル=モルテールン。
ハースキヴィ家当主からすれば妻の弟、つまりは義弟にあたる。
軍家として、一騎士としての武功を重ねてきたハースキヴィ家は、どうしても内政面や外交面に弱い。モルテールン家にはその点で何度となく助けてもらっているため、義兄といっても威張ることは無い。そもそも当主自身無駄に偉ぶるような性格でもないのだが、恩人相手であれば尚更。
味方としてこれ以上無いほど頼もしい義弟の来訪だ。両手を広げた大げさな態度で、歓迎の意思を伝える。
「モルテールン家の人間なら何時でも歓迎さ」
「歓迎痛み入ります」
「義父上や義母上はお元気にしておられるかな?」
「王都で元気にしていると承知しております」
便りが無いのは元気な証拠とも言うが、ペイスやカセロールは【瞬間移動】を使える魔法使い。その気になれば一瞬で王都とモルテールン領を行き来できるのだから、急な用事が有ればそれこそ魔法で何がしかの連絡が有る。連絡が無いということは、急な連絡も無いということであり、いつもと変わらない日常だということ。
それにこの間もペイスが王都に行ったばかり。
モルテールン子爵領々主カセロールや、同子爵夫人アニエス。二人とも相も変わらず親馬鹿であったとペイスは言う。
それは良かったとハースキヴィ準男爵ハンスは笑顔で頷く。
「そうか。それは何よりの朗報だね。ペイスも元気そうでよかった」
「義兄上もお変わりなくお過ごしの御様子、ご壮健何より喜ばしいことと存じます」
「はは、堅苦しい挨拶はそれぐらいで良いよ」
「では、改めて。ご無沙汰ですね」
「ああ。よく来てくれた」
まあ座ってくれと、ハンスはペイスに椅子を勧める。
「ビビとはもう会ったかい?」
「いえ、まだです」
「それならついでだ。ビビも同席してもらうとしよう」
お互いに椅子に座ったところで、世間話が始まる。
ハースキヴィ家の内政と外交は、実のところ妻が殆ど差配しているようなところがあり、ハンスの妻が交渉の場に同席するのは珍しいことでは無いのだ。
元々単なる騎士であったハースキヴィ家であるから、貴族としての外交や、領主としての内政は不得手。人手の足りないモルテールン家で父親の手伝いをしていたこともある妻が愚痴を聞き、それが助言になり、何時しか全権を任すようになったという経緯。
「姉様は相変わらずなんですね」
「ははは、うちでは私より妻の方が余程に優秀だね。いつも助かっている」
最高権力者が来るまでの間、義理の兄弟は四方山話で盛り上がる。
「聞いたかい? 例のカールセン家の話」
「あそこは人が多いので、話題には事欠きません。どの話のことでしょう」
「それが、また子供が出来たらしい。男の子だそうだ」
ハンスには、モルテールン家とは違った人脈もあれば、付き合いもある。
お互いに情報交換をするというのは大事な外交で、お互いにお互いが価値のある存在であるというアピールをしておくのが大事。
カールセン家と言えば軍家とも縁の深い、というよりも大抵の家とは顔なじみである、とにかく手広く交友関係を持つ中堅どころの子爵家だ。
「凄いですね。何人目でしょう」
「さあ。あそこは特産品が子供だ。荷台に乗せて、荷台の数で数えた方が良いんじゃないかな?」
「義兄様もなかなか辛辣な冗談をおっしゃる」
ペイスの言葉に、ハンスは軽く笑う。
「ははは。しかし、当代の子爵閣下もお年を召してこられた。そろそろ代替わりが有るのではないか……と、この間のパーティーで話題になっていたよ」
貴族にとってみれば、代替わりというのはかなり気になる話題だ。
どの貴族家にしたところで、最終決定権を持つ人間が変わるという意味は大きい。どれほど親子兄弟で思想信条や考え方が似ていようとも、結局は別人。嗜好も違えば能力も違う。
人間社会のトラブルの何割かは人間関係のトラブル。現当主と上手く言っているからと言って次代とも上手くいくとは限らないし、逆も同じ。
貴族家の代替わりとは、多分に関係性の変動を伴うものだ。
「お家騒動にならないのなら、代替わりも良いと思いますね。当代がまだご健勝なうちに貴族位と家督を譲られるというなら、混乱も少ない」
「お家騒動ねえ。子供が多いとそれはそれで大変だ」
「少なくても大変ですよ。ジョゼ姉様の所のように」
「あれはうちも巻き込まれた。プラスになったから構わないが、厄介なことだ」
ボンビーノ子爵家の子供を巡って大貴族同士が争ったことは、当然ハースキヴィ家も承知している。何せ領地替えの案については当事者だ。
あれこれと世間話をしていたところで、応接室に一人の女性が入ってくる。
ハンスにとっては最愛の、ペイスにとっては天敵の女性。
「ペイス、よく来たわね」
「ビビ姉様、お邪魔してます」
ヴィルヴェ=ミル=ハースキヴィ。旧姓はモルテールン。
ペイスの実の姉にして、モルテールン姉妹の長女。
弟を見るなり傍に寄り、腰を浮かせて逃げようとした弟を捕まえて思い切り抱きしめる。
挨拶代わりにハグをするのは、モルテールン家初代からの伝統だ。
「ペイスも、背が伸びたわね。もうこんなに大きくなって」
「まだ伸び盛りですよ?」
無理やり姉を引きはがしたペイスが、改めて姉と向かい合わせで椅子に座る。
「縮んでも良いのよ? 私は小さいペイスも可愛いと思うから」
「この年で身長が縮むのは困りますよ」
お互いに冗談を言い合う姉と弟。
「甥っ子たちは元気にしていますか?」
「勿論よ。たまに熱を出したりは有るけど、元気いっぱいに育ってるわ」
「お土産も持ってきたので、渡します。皆で召し上がってください」
ペイスは、ビビにお土産を渡す。
中身は勿論スイーツである。
ペイス特製の焼き菓子を、綺麗にラッピングして持ってきた。甘いものの貴重な世界、子供達にはこれが大人気なのだ。
「あら、ありがとう。うちの子たちにもお礼を言わせないとね」
「いいですよ、別に」
「そうはいかないわよ。躾ですもの。物を頂いてお礼も言わない子になって欲しくないから、ちゃんとお礼は言わせるわよ」
「じゃあ、帰りの時で良いです。可愛い甥っ子や姪っ子の顔を見てると、大事な用事も忘れてしまいそうですし」
「あらあら、そうなの? でも仕方ないわね。うちの子は可愛いもの」
子供は親に似るというが、ビビも我が子を手放しで褒める。
嫌味にならないのはビビの人徳なのだろうか。暫くは子供の話で盛り上がる。
「それで、今日はどういう用事で来たの?」
散々世間話をしたところで、ビビがペイスに本題を尋ねる。
世間話もそれはそれで意味も有るし、情報交換できたことも大きかったのだが、何時までもそれだけという訳にもいかない。
「姉様は、コローナを覚えていますか?」
「勿論よ。うちの親戚の子だもの。あの子も元気にしてるの?」
「ええ、元気にしていますよ」
「それで、彼女が何か?」
もしかして、ハースキヴィ家に縁のある人間が、何か不祥事を起こしたのか。
そんな考えも頭をよぎったビビだったが、ペイスの態度から悪い知らせでは無さそうだと察する。
しかし、だとしたら彼女について思い当たることが無い。
ビビが続きを促すと、ペイスが軽く首肯して続きを話す。
「……当家のコローナ=ミル=ハースキヴィに、村を預けようかと思いまして」
一瞬、驚いたビビであったが、流石に交渉慣れをしているのかすぐにポーカーフェイスを張り付ける。
「それは、モルテールン家の内政の範疇ではないかしら。それなら私たちに相談することも無いと思うわ」
「そうですね。当家の従士にどういう職責を与えるかは当家の裁量です」
自分の家の人間に対して、どういった仕事を任せるにしても、それは家中の問題。
幾ら血の繋がった人間のことだからと言って、他家にわざわざ足を運び、報告することでもない。
しかし、あえてペイスが報告したのは続きが有るからだ。
「今後、村の代官ということなれば、モルテールン家にとっては重要な職責を担うことになりますし、慣例ではそういった職責は世襲も検討すべき事案でしょう。違いますか?」
「一般的には、その通りかしら」
モルテールン領は基本的に全ての村が直轄であった。
そもそもどの村も水資源に乏しく、井戸も一つだけ。故に数十人程度が許容限界だったし、カセロールが【瞬間移動】を使えた為に多少の距離も苦にならなかった。
しかし、魔の森に新しく作る村は、事情が違う。
いつ何時獣や魔物が襲ってくるか分からない、危ない場所。腕っぷしの強い人間が常駐しておく必要がある。
一つの村に武官を常駐させるというのは、それ即ち村を丸ごと預かるということ。
つまりは、代官だ。
領主が貴族として世襲を慣例とするように、神王国において村や町の代官というポジションは大体世襲される。
実力主義のモルテールン家で代官というポジションが世襲されない可能性は勿論あるのだが、一般的には代官職を担う人間はそれ相応に家中の地位も高いと見做されるもの。
社会的に地位が高いと見做される従士家ともなれば、代官職はさておいても、従士という立場ぐらいは世襲されて当然だろう。
グラサージュやコアントローといった古参従士の子が、同じく従士として当たり前に雇われたようなものだ。
重要な村を預かる代官になるということは、モルテールン家の重臣の仲間入りを果たすということ。世襲の従士家になるということ。
そう、世襲だ。
今現在、コローナは独身。
大きな問題が、デカデカと看板を掲げて立ちはだかっている。
「つきましては、彼女の婚約者を決めていただきたいのです」
ハンス=ミル=ハースキヴィは、改めて難題を突き付けられる思いだった。