407話 マシュマロ
ウキウキそわそわ。
常日頃から騒々しい次期領主が、いつにもまして浮ついている。
仕事の都合で屋敷に詰めていた従士のガラガンが、ダンスでも踊り出しそうなほどに陽気な次期領主を見咎め、何事かと尋ねる。
どうせお菓子のことだろうという気持ちを言外に含ませつつ。
「最上級の蜂蜜が手に入りました。これから早速色々と作ってみようと思いまして」
そして案の定、お菓子だった。
ガラガンは、納得というよりも呆れの感情を態度に滲ませる。
魔物とも呼ぶべき異常な生物の巣。
探索の結果、巨大な巣と共に見つかったのが蜂蜜である。
以前に採取した時にも判明しているが、魔物の蜂蜜は非常に美味しい。それこそ、ペイスの経験上でもトップに君臨する美味さだ。
過去、安い人造蜂蜜から最高級の特選蜂蜜まで、全て食べ比べて吟味した記憶からしても、それらの上を行くと断言できる。
現代でもお目にかかれない至高の一品を手に入れたとあっては、ペイスが浮かれるのも無理はない。
ガラガンは、るんるんららるーとバレエダンスと社交ダンスと盆踊りを混ぜたような奇行をしている変質者に、気の抜けた返事を返す。
「へえ、凄いっすね。あ、これが例の蜂蜜っすね?」
甘い匂いのするツボを手にもち、くるくるとペイスが回り出したあたりで、いい加減にガラガンも次期領主の奇行を無視することにしたらしい。
「ひとつ、ふたつ……五つか」
森林管理長として、蜂蜜の生産もガラガンの仕事である。
流石に魔の森産の蜂蜜とまではいかずとも、美味しい蜂蜜を作ろうと日々努力している最中。
蜂蜜には詳しいと自負するガラガンが、壺を物色し始める。
普通に作ったモルテールン産のアカシア蜂蜜とは、香りからして違う。
「ここにあるのは一部ですよ」
「これ以外にも見つかってるんですか?」
「勿論」
ペイスが取り急ぎ持ち帰ったのは、両手で抱えて運ぶような大き目の瓶に詰めた蜂蜜を五瓶ほど。小瓶に取り分けて、今はダンスパートナーになっているものは別にしてだ。
お菓子に目がないペイスが、何をおいてもまずは蜂蜜と言って確保したものだ。
掃いて捨てるほどいた蜂の、それも巨大な蜂の巣からの採取である。五瓶だけでもなかなかの量が有るのだが、全体からすれば一割程度だろうか。
更に言えば、恐らく同様の蜂蜜は魔の森で今後も採取可能だろうと思われる。お菓子に関しては無駄に勘の鋭いペイスは、今回討伐した蜂の群れが、かなりの確率で“より大きな群れ”からの分蜂だと考えたのだ。魔の森のかなり浅い部分に居たこともそうであるし、以前にモルテールンの山で見つかった蜂の生態調査から推測した結果でもあるのだが、まず間違いないだろう。
前にモルテールン領に出没した魔物蜂が、今回討伐した群れと関係が有るのは明らか。規模の大きさの違いから考えても、或いは魔の森から出てきてしまったことから考えても、過去に討伐した方が若い蜂。巣別れとして新天地を求めて旅立った側のはず。魔の森の外縁から直線で距離を引いたとしても、遭遇した場所までは大分距離があった。
つまり、行動範囲として、巣別れをした蜂はかなりの距離を移動することになる。
蜂の生息範囲は、二つの巣からの計算でも広大なものだと推測できるはず。仮に外縁部だけが蜂の生息域だと仮定したとしても、今回殲滅した巣だけであると考えることの方が確率的にも不自然だろう。
つまり、蜂蜜を総取りしても問題なし。無いったら無い。
後片付けもほったらかし、ピー助が新鮮な蜂をむしゃむしゃと食い荒らすのも好きにやらせて、真っ先に収集したのがこの蜂蜜なのだから、ペイスにとっての優先順位がよくわかる。
一にお菓子、二にお菓子、三四を飛ばして五にお菓子。ペイスの優先順位は何時だってブレることなく真っすぐだ。
「他にも、蜜蝋がたっぷりとれそうですよ」
「へえ、そりゃ良いっすね」
「そうですね。問題も有りましたが」
「問題?」
ハチの巣からは、蜂蜜以外にも蠟燭の原料となる蜜蝋が採れた。軍の指揮を預けているバッチレーなどがサンプルを採取したが、報告自体は速報として受け取っていた。
蜜と違ってハチの巣を壊さねば採取できないし、不純物の分離もひと手間かかることから採取は蜂蜜の後回しとされたもの。
蜜蝋は、獣脂の蝋燭と違って臭いが少ない。ほのかな甘い香りもする為、普段使いするならば断然に蜜蝋の蝋燭が使いやすい。つまりは、需要が高い。
また、養蜂で採れる蜜蝋というのも大量生産には向かず、獣脂蝋燭などと違って数が少なめだ。
供給が少ない割に需要が高い。つまり、高く売れる高級品ということ。
ただでさえ需要に追い付いていない高級品の、それも消耗品が手に入ったというのだ。そのまま売るだけでも儲かるのではないか。
一見すると、お宝が見つかりましたというだけで良さそうな話である。冒険の末にお宝ゲット。物語ならとてもシンプルな筋書きだろう。
一体どこに問題が有ると言うのか。問題というのは何か、ガラガンは首をかしげる。
「質が良すぎたんですよ」
「はい?」
ペイスの発言に、思わず素の驚きがでたガラガン。
いや、驚きというよりは、質のいい蜜蝋の何が問題なんだという疑問だろうか。
「蜂蜜と同じで。いや、それ以上に蝋の質が良すぎたんです」
「それのどこが問題なんです?」
「……下手に売りに出すと、争奪戦になりかねません」
先の通り、蜜蝋とは元々高級品である。
特に臭いが染みつくことを嫌う教会などでは蜜蝋の需要も高く、基本的に専売制。作ったものはそのまま既得権益者に配分される仕組みが出来上がっている。
一般庶民がさあ買いたいと思ったところで、そもそもまともに売ってくれるところがないというほどの管理下に置かれている商品だ。
特に王宮で臨時にパーティーなどが有ろうものなら、高級な蝋燭はごっそり買い占められる。足りない蜜蝋は、より一層品薄になるという現状。
ここに、既存の蜜蝋燭よりも遥かに良い香りがして、火持ちがよく、明るく、煤の少ない蜜蝋燭が出回ればどうなるか。
それはもう、欲しがる人間が目の色を変えて取り合うだろう。
欲しがっている人間、最終需要者が教会や王族、貴族といった権力者でもあることから、取り合いは最悪の場合刃傷沙汰、もっと酷くすれば武力衝突まであり得る。
そんな馬鹿なと考える人間は、貴族社会では生きていけない。そんなまさか、ということも想定しておいて備えるのが賢い人間のやること。
「厄介なことですね」
「揉め事の種は、いつの世も尽きませんよ」
蜜蝋に関しては、取りあえずモルテールンでの自家消費となることが決定している。
ペイスがそう決めた。
下手に流通に載せてしまうと、それだけ混乱を生むと判断したからだ。
例外として、魔の森の開拓に協力している第三大隊の面々にはそれぞれ一部を褒賞として渡すことになっている。
金銭的な価値は付けられないだろうが、誰がどう見ても貴重品かつ高級品だ。蜂討伐で手柄を挙げた人間は、予想外のご褒美に士気をあげている。
きっとこれからも開拓には積極的な協力をしてくれるだろうと、ペイスの打算が走っていた。
「それで、この蜂蜜。一体何をするつもりです?」
「折角ですので、マシュマロに挑戦したいと思います」
蜜蝋の問題は、とりあえず棚上げ。
今のペイスの重大事案は、蜂蜜を使ったスイーツを作ること。
折角美味しい蜂蜜が有るのだからと、ペイスはこれを使ってギモーヴを作ろうとしている。
ギモーヴ、つまりはマシュマロのことだ。厳密に区別すれば別物とすることも有るのだが、作り方や材料に手を加えることで、その差は限りなくゼロになる。語源も同じであり、同じものとすることも多いのだ。
マシュマロとは、言わずと知れた有名スイーツの一つ。ホワイトデーのお返しであったり、或いはお菓子の材料として二次使用したりと、実に便利なスイーツ。
「じゃあ、僕は調理室に行きますね。そこの蜂蜜は、三番の倉庫に持って行くように。つまみ食いは駄目ですからね」
「え? ちょっとペイス様? え? 俺が運ぶんですか? この量を?」
「蜂蜜の管理は森林管理長の職分でしょう。頼みましたからね」
急に仕事を振られて戸惑うガラガンをしり目に、ペイスは厨房でマシュマロを作り始める。
まず最初にするのは材料の用意。
モルテールン産の砂糖、毎朝採れたての卵から卵白を取り出し、水、ペイスが作った特製ゼラチン、そして水あめ代わりに蜂蜜。
一番シンプルなプレーンなマシュマロを作って、後は色々とアレンジするためにヨーグルトや果物も用意しておく。果実は汁を使いたいのだが、今絞ってしまうと酸化して悪くなってしまう。プレーンなマシュマロが満足いく出来になったところで果汁を用意するべきだろう。
用意する道具としては伝熱性のいい金属製のバットと切り分け用の包丁。これは形を一口大にするのに使う。よくイメージされる円柱形のマシュマロは大量生産の機械生産のもの。ところてんやチューブ歯磨き粉の様に、口金からにゅっと押し出して棒状にして切るもの。今回は一口大にすればいいだけなので、大掛かりな機械は要らない。
そして鍋と、材料を混ぜるボウル。濡れたタオルも用意しておく。
「ふふふん、ふふん、るるららるるる~」
鼻歌を歌いながら、ペイスはマシュマロづくりをする。
最初にやるのは、調理台のコンロに火を熾すことだ。薪や炭で料理をするだけに、火加減の調整は経験と勘が物を言う。
慣れた手つきで火を熾すと、お湯をついでに沸かしておく。お菓子作りは意外とお湯を使うことも多いのだ。
その間、他のコンロでシロップの用意だ。
軽く蜂蜜と水、そして砂糖を鍋に入れ、とろ火で熱していく。よく溶けるように、じっくりと丁寧に。ここで焦げ臭さを付けてしまうと、出来上がりまで焦げ臭くなるのだから慎重に。
とろ火で砂糖と蜂蜜を混ぜている間に、ゼラチンは湯煎しておく。柔らかくなる程度で十分だが、出来ればとろとろと液体状になっていることが望ましい。
更に、同時に卵白をボウルで泡立てておく。
これが大変な作業ではあるのだが、鍛えられたペイスは特製の泡だて器でシャカシャカと泡立てる。鼻歌も止まらないのだから、苦にもならないらしい。
砂糖と卵白を混ぜながら泡立て、メレンゲ状にしていく。この泡のきめ細やかさが、出来上がりの食感にも繋がる。
温度計も無いのでペイスの経験と勘頼りだが、適温になったところで火から外して濡れ布巾の上に鍋ごと置く。
ざっと粗熱を取ったところで、メレンゲとシロップを混ぜていくわけだが、これが難しい。メレンゲの泡を潰さないように、手早く、それでいてしっかり混ぜる。
ゼラチンも混ぜれば、あと少し。この時、バニラエッセンスでも混ぜれば香りも甘くて美味しそうな香りになるのだが、今回は蜂蜜を使っているため不要と判断した。
金属製のバットに混ざったものを流し込み、平らにならし、氷を使って冷やす。
よく冷えたところでバットから取り出し、賽の目状に切り分ければ、ペイス謹製のマシュマロの完成。
「出来ました!!」
出来上がったマシュマロは、ふわふわとしてとても可愛らしいものだった。