404話 BBQ
モルテールン領領都ザースデンにある領主館。
そこの庭先では、実に美味しそうな香りが漂っていた。
モルテールンで作られたという調理用のコンロが幾つも並び、炭火を熾した上に金網が敷かれている。
更にはその網の上に切り分けられた分厚い肉が焼かれ、今や遅しと腹に飛び込む準備をしていた。
じゅうじゅうじゅう。
時折肉から脂が滴り落ちては炭火に炙られ、食欲をそそる音と匂いを発生させている。
この香りだけでも、ご飯が有ればどんぶりを空に、冷えた酒のジョッキでもあればお代わり分まで飲み干せるに違いない。
「ペイス様、俺はもう我慢の限界っすよ。さっさと始めて下さいよ」
「ガラガンは上司として部下を見定めるのが役目でしょう。新人の歓迎会だというのに、一緒になって涎をたらしてどうします」
モルテールン家従士ガラガン。
モルテールン領の森や貯水池の管理が仕事の中堅株であり、ペイスの薫陶篤き若者である。
上司に対する遠慮斟酌などというものもどこかに置き忘れてきており、領主代行であるペイスに対しても忌憚のない意見を口にする。そばかす顔を赤らめつつも、言うべき主張はしっかりと訴える。
つまり、腹減った、さっさと食わせろ、である。
本来ならば新人のお手本となるべき先輩がこのありさまなら、先が思いやられるとばかりにペイスが嘆息する。
「んなこと言っても、肉も魚も食い放題なんて、生まれて初めてで。ああ、良い匂いが……」
「やれやれ」
どうやら、我慢の限度を越えそうになっているのは、森林管理長だけでは無いらしい。
流石に年配の重役連中は平然としていたが、若い者たちは既に腹の虫が大合唱で輪唱している様子だった。一人がぐうと鳴らせば、隣でぐうぐうと。あちらこちらで早く食べたいとそわそわし始めていた。
火が通りにくいだろうと、野菜より先に肉を焼いたのは失敗だったかもしれないとペイスは考えたが、焼けた肉は生には戻らない。既に美味しそうに出来上がっている。
予定時間よりは少しばかり早いが、これはもう始めた方が良い。
ペイスはそう判断し、庭先の一部に作られた段。急ごしらえの演説台に立つ。
「よし、待ってました!!」
期待も膨らんでいたのだろう。
皆が皆、希望に満ちたキラキラした目でペイスの方を注目する。いや、食欲に濁った眼でギラギラと急かしている。
「総員、注目」
ペイスが一声発する。
言われずとも、皆の目はペイスに集まっている。
中にはどの肉が美味そうかと、食い意地汚く肉の物色と品定めをしていた者も居たが、悲しいかな、先輩格であったことから重役の“大人”達にげんこつを食らっていた。
「本日より、我々に新しい仲間が増えました」
ペイスがスッと脇に目線をやると、緊張している若者たちの顔が並んでいた。
モルテールン家に雇われた新人従士たち三十余名。
実力主義を標榜し、精鋭で鳴らしたモルテールン家の従士となる若者である。誰も彼もがひと際優秀なものばかり。
若さゆえの無根拠な自信もあるだろう。無自覚な驕りや未熟さもあるだろう。しかし、今この時ばかりはそれらを指摘することも無く、領主代行が親睦を深める為に歓迎の辞を述べる。
「我々はまだ発展の途上にあり、人手が不足している状況にあります。守るべき伝統などというものも有りませんし、一方で改善すべき問題点は多い。これからもどんどん人を増やしていかねばならないし、その為に人をえり好みする余裕も有りません。新人は、全員が即戦力だと考えるように」
人手が増えるたびに仕事を増やしてきた元凶が、人手不足を訴える。
手が足りぬ現状、新しく入ってきた者であっても出来る限り早期に戦力化せねばならない。その為には、少々の粗は目を瞑れ。
ペイスの言葉は、既存の従士たちに向けてのメッセージである。
「新人はしばらく訓練と教育を行った上で、各部署に配属されることになるでしょう」
拡張に次ぐ拡張で慢性的に人手不足なモルテールン家であるから、優秀な新人はどの部署でも大歓迎だ。
先輩たちは手ぐすね引いて待ち構えている。
ニコロを筆頭とした財務部署は、計算の出来る士官学校卒業生を十人ほど要求しているし、森林管理部門であるガラガン達は、数年前に始めた植林地域が伐採可能になってきていることで人手を欲している。
砂漠に片足を突っ込んでいたモルテールン領で製材業を始めようというのだ。既存の林業先進地域との競業は避けられないし、分からないことや不安要素は沢山ある。競業の一つは林業で名高いリハジック領。新たにハースキヴィ家の領地になるかもしれないところだ。折衝の為に頻繁に行き来が必要だろう。人員増はこれまた十人ぐらいは欲しいと要望が出ている。
更には稼ぎ頭である精糖事業部門と製菓事業部門も人手が欲しいと切実に訴えていた。ここなどは領主代行肝いりの成長産業であるし、新しい商品がどんどん出来ている部門。生産量が需要に全く追いついていないところであり、人手は有れば有っただけモルテールン家の利益が増える。十人と言わず三十人全員が配属されても受け入れられると熱烈な要望が届いていた。
そして治安部門も深刻な人員不足。モルテールン領は人が流入し続けている領地であり、比例して治安の問題が起き続けている。移民問題が治安問題を誘発するのは何処でも変わらないが、日に日に増える問題に処理が追い付かない事態が懸念されている。人手を倍増させてほしいというのが、責任者の要望であり、人員は幾らでも受け入れるという話だ。
新人が三十人ほど。正直、足りないという意見が多い。
今の十倍の新人でも良いという意見も有ったのだが、流石にそれだけの人数を士官学校から引き抜く訳にもいかなかったし、採用基準を落とせば従士の質の低下が起きる。
モルテールン家は精鋭主義であり、モルテールン家の家人である以上は一定以上の能力が必要なのだ。
モルテールン家の従士である、ということが一定の水準を担保するという信頼が維持できることで得られるメリットは大きい。内にあっては治安維持における威圧。外にあっては外交交渉における威嚇となる。
つまり、新たな三十人は貴重であり、かつ能力水準も高いことが確定しているので、どの部門でもウェルカムというわけだ。
「新人諸君、そう不安がることは有りません。ここには去年、あなた方と全く同じ境遇であった先輩もいます。分からないことが有れば遠慮することなく聞くと良いでしょう。後輩の質問を無視するような人間は居ませんし、居たら報告してください。僕が許しません」
新人が、周りを見回す。
自分たちと大して年は変わらない先輩たちであるが、それでも先達としての経験は大きい。
今の自分たちがぶつかるであろう問題を、既に先んじて経験している者たちだ。有用なアドバイスもしてもらえることだろう。
尚、一番頼もしい代わりに一番非常識なアドバイスをする人間は、今新人たちの前で演説を打っている。
「先輩諸君、ここに居るのは右も左も分からない新人です。どんな些細なことであっても、或いはどんなに当たり前のことであると思っても、丁寧に教えてあげてください。お互いに尊重し合う関係を目指してください」
質問しに行くと忙しいから後にしてと言われる。分からないことは聞けと言いつつ、聞けば聞いたでそれぐらいは自分で考えろと言われる。自分で考えてやれば、何で聞かないのかと怒られる。
こういった、良くある新人へのやりがちな誤指導について、ペイスは先輩たちにやってはいけないことと教えていた。
忙しかったとしても、まず質問内容を全部聞き、もしも質問内容が分からないようなら上に投げるようにとの具体的な指示も出している。
指導の仕方を指導するというのは、ペイスが寄宿士官学校で教導役になった時から経験済みだ。
その後も、ペイスの訓示は続くものの、段々と皆の目がペイスから逸れ始める。
逸れる先は勿論美味しそうな、そしてそろそろ焦げ始めているのではないかと不安になる具材。
「そろそろ、お腹もすいたことでしょう」
待ちに待った言葉。
ペイスの言葉に、そうだそうだとヤジが飛ぶ。
さっさと食わせろと野太い声が聞こえたが、声だけでもお調子やのトバイアムであると分かる。
ジロッとそちらの方をペイスが一瞥したところで、会場がすっと引き締まった。
「全員、飲み物は持ちましたね?」
新人たちも含めて、皆にカップが行きわたる。
中に入っているのは、モルテールン産のモロコシ酒か、豆茶のどちらかだ。
ペイスの中身はお茶で、重役連中は全員お酒である。いわずもがな。
「それでは、我々の新しい仲間を歓迎して、乾ぱぁい」
「乾杯!!」
集まっている全員が、高らかにカップを掲げて乾杯と唱和した。
手近なところで杯を打ち合わせたところで、モルテールン家主催による新人歓迎会が始まる。
腹ペコの野獣たちが檻から解き放たれた。何十人もの若者が、それぞれに動き出す。
中でも目立つのは、若者とは言い難い割に動きの素早いバッツィエン子爵。
現役の子爵にして国軍の大隊長。地位も高ければキャリアも豊富。更に誰よりも厳つい身体。
子爵の傍には、中々新人は近寄りたがらないのだが、当の子爵は自分から積極的に若者に接して回る。
若い者の世話を焼くのは、隊長としての職務に就く人間の性のようなものだ。
「ほら、若者が遠慮するな。どんどん食うのだ。肉を食え、肉を!!」
「は、恐縮です」
「わははは」
目についた新人に皿を持たせ、焼けているか怪しい肉を含めて山盛りにしてやる。
沢山食って、沢山鍛え、沢山寝て、沢山働けと、笑いながら話す子爵。
説教臭くなるのは年配者の性質なのだろう。
「バッツィエン子爵。新人が委縮しておりますよ」
「ん? ただ肉を食えと言っただけだが……」
恐縮頻りの新人たちを見かねて、ペイスが割って入る。
「普通は、国軍の大隊長と差し向かいで飲食を共にする機会などありませんから」
「そうか。ではモルテールン卿は付き合ってくれるか」
「ええ、構いませんとも。では僕から一献」
「おっとと、ずず」
ペイスは手ずから子爵に酒を注ぐ。それも遠慮なくなみなみと注ぐものだから、コップから酒が滴り落ちる勢い。
子爵は、溢れそうになった酒を啜る。
「うむ、美味い」
「それは良かった。当家自慢の酒ですから」
「ほほう、これはモルテールン産の酒なのか。それは良い」
美味い酒に、美味い飯。
そして一緒に騒げる仲間がいるとなれば、バーベキューは盛り上がる。
新人の女の子を口説こうとしている先輩に、何故かシイツが混じっているのはご愛敬だ。奥さんにチクると言われて撃退されるところまでがワンセットのお約束という奴だろう。
「シイツ!!従士長の貴方が率先して風紀を乱してどうするんですか」
「俺ぁただ、分からねえことが有るならしっかりと教えてやると言っていただけでしょうが」
「奥さんを呼んできますよ? 一瞬で」
「坊!!そりゃ反則だ。ズルってもんでしょう」
「ぬはは、シイツ殿は恐妻家か。では恐妻家同士で飲もうでは無いか。こちらに来られよ」
「俺ぁまだこの後仕事なもんで。ああ、ちょっと向こうに行ってきます。なんだか騒がしいんで」
「シイツの逃げ足は相変わらず早いですね」
「はははは、結構結構。逃げ足も才能である」
子爵とペイスは、楽しそうな面々を見ながら飲み物で口を湿らせる。
「英気を養い、仲間と騒ぎ、楽しく過ごして士気を高める」
「……その後は?」
子爵の言葉に、何か含みを感じたペイスが、真意を尋ねる。
「モルテールン卿には隠し事は難しいな」
「では、やはり?」
子爵が目下取り組んでいることは、魔の森関連である。
それで悩み事があるというのなら、とペイスは子爵の悩みを大凡察した。
「うむ。少々厄介な相手を見つけたと、先ほど報告を受けた」