400話 領地交換会議
藍上月も終わり、藍下月に入った頃。
陽光は勤勉さを体現するかのように燦燦と降り注ぎ、人々は肌をこんがりローストされながら仕事を熟す時期。
ブラウリッヒ神王国の王都では、一つの議題が持ち上がっていた。
王城にある青狼の間。
格式高く諸外国の来賓をもてなす際などに使われる重要な部屋である。
それなりに地位の有る貴族しか入ることを許されないこの部屋では、目下会議の真っ最中。
集まる人間は、国政に関わる重鎮ばかりだ。
内務尚書、財務尚書、軍務尚書、外務尚書、農務尚書などなど。或いはそれぞれの次官クラス以上が揃い、椅子を並べる。
先の大戦以降国王への権力集中を進め、実力のある者を引き上げてきた国だ。誰一人をとっても神王国にとって重要な人物である。
勿論、会議の出席者も自分と出席者の地位を理解している者しかいない。
権力闘争の一面も持つ宮廷政治では、些細な一言から揚げ足取りで損害を受けることも有る。
誰も彼もが威儀を正し、口を重たくする会議。
出てくる言葉は、熟慮を重ねた発言ばかりだ。
会議の議題自体は多岐にわたり、来年度の予算の割り振りから各部門の年次報告など、毎度の定例議題が消化されていった。
定例議題だからといって、軽んじてはいけない。むしろ、いつも通りの内容だからこそ、あの手この手で自分たちの利益を増やそうという策謀が張り巡らされている。
嘘や誤魔化しをすることは無いにせよ、作物の不作を誇張して予算拡充を訴える農務尚書。外国の動きを警戒すべきだと喧伝する外務尚書。外国の動きに備えるならば、自分たちが相応しいとアピールする軍務尚書などなど。
いつも通りと言いつつも、手を変え、品を変えて仕掛けてくる同僚たち相手に、誰一人として気を抜けない会話が交わされる。
だが、いつも通りでないこともある。
毎度おなじみの議題、定例の報告、変わり映えのしない顔ぶれ。
そこに飛び込んできたのが、件の議題。とっておきのトピックス。
「領地替えか」
国王カリソンは、面白そうにニヤ付きながらつぶやく。
まだ先のことであるとは前置きしつつも、来る時期と状況次第ではご検討いただきたい。という要望だった。
要望を上げたのは、カドレチェク軍務尚書。尚書の職務として、部下から預かった封書を陛下に奏上したのだ。
領地替えを願い出たのはモルテールン子爵。
国軍第二大隊を預かり、また神王国南方に小国にも匹敵する広大な領地を持つ国家の功臣。未開地や魔の森が領土の大半を占める僻地であるが、潜在力の高さは国内随一であると見込まれる。
当代の子爵も先の大戦で武勲を挙げた英雄であり、領主としての才覚、国軍隊長としての実績共に豊かな歴戦の名将だ。
この、国軍の重鎮モルテールン子爵からの要望に宮廷内の意見は割れた。
「ボンビーノ子爵家に生まれた子供が、男であった場合、という条件が解せませんな」
「そうです」
要望の内容は、少し複雑な条件であった。
今現在、南部の領地貴族であるボンビーノ子爵の細君が、妊娠中である。この細君というのがモルテールン子爵にとっては実の娘であり、つまりはボンビーノ子爵家のことは親戚の問題。それがために首を突っ込んだという事情だ。
無事に子供が生まれた場合、そしてそれが男児であった場合。生まれてきた子供は、正当なボンビーノ子爵家の跡継ぎとなるだろう。
ボンビーノ子爵の領地は、天然の良港を抱え、かつ南方の主要国道二つの両方を通すという好立地にあり、富貴にして活況にあると有名だ。
生まれてきた跡継ぎに、娘を嫁がせたがる人間は多いだろうと目される。
事実、まだ生まれてきてもいないのに、ボンビーノ子爵家次期当主の婚約者の席を巡って二つの貴族家が争った。
南部閥領袖レーテシュ家と、東部閥領袖フバーレク家がその二家である。
東南それぞれの地域を纏め、神王国でも指折りの権勢家である両家の衝突は、影響と被害が甚大。
そこで、モルテールン家が仲裁案をまとめた、というのがことの経緯である。
仲裁案の骨子は二つ。ボンビーノ家の次期当主の嫁について、争った二家のどちらとも繋がりのある家から迎えることと、東部と南部でそれぞれ一家づつ、領地を入れ替えるという交換案だ。
どこの家が誰を嫁にするかなどというのは当人同士で決めればよいことであろうが、領地の交換ともなると王命が要る。
だからこそ、今のうちに了承をお願いしたい、というのが今回の要望だ。
「聞けば、ボンビーノ家の正妻と当主は仲睦まじいとか。さすれば、子供が何人生まれても不思議はない」
「うむ、その通り。いずれ男が生まれたらとは有るが、男が生まれるまで夫婦が励めば、このような条件など建前にしかならんではないか」
この世界では、多子多産が常識。
現代的な衛生観念の育っていない地域ともなれば、子供のうちに死んでしまうというのは珍しいことでは無く、故に子供は多いほど良いと考えられている。
ボンビーノ家の夫婦の関係性について、本当のところはどうであるか。赤の他人からはなかなか見えづらい所ではあるが、噂に聞く限りでは夫婦仲は良好であるという。
既に子供が出来ていることから考えても、その噂の真実性は高い。
モルテールン家の持つ“癒しの飴”が有れば、或いは【瞬間移動】によって聖国の癒し手を連れてこられるなら、産後の不安も無いだろう。子供も無事に育つ公算が高い。
仲のいい夫婦が居て、産前産後も含めて健康不安も無く、子育ても乳母を何十人でも雇えそうな状態にある。
となれば、子供が一人だけという可能性よりは、二人目、三人目と生まれて無事に育つ可能性の方が高かろう。
貴族たちは、自分の常識にそってそう判断した。
子供が複数人生まれてくるのなら、仮に最初の子が女の子で生まれたとしても、いずれ男の子が生まれてくるだろう。むしろ、男が生まれるまで夫婦で頑張るはず。
確率論から考えても、男子は生まれると仮定して考えた方が正しい。
“大人達”の共通認識として、男児誕生はもう確定事項に近い。
「しかし、モルテールン家は女系では無いのか? モルテールン子爵の子供は上から五人が全て女だったはずだ」
「そうは言っても、結局嫡男が生まれている。それに、モルテールン家から嫁いだ他の娘も、男を産んでいる。やはり、男が生まれた場合というのも、確実にそうなると思っておいた方が良かろう」
科学的教育の行き届いていない世界。現代人からすれば一笑に付す迷信を心の底から信じている者は多い。
女性には男児を授かりやすい男腹と、女児ばかりを産む女腹の二タイプがある、などというのはその迷信の筆頭だ。
子供の数と質が家の繁栄にも没落にも繋がる貴族社会では、子供にまつわる言い伝えや迷信は驚くほどに多い。
モルテールン家の場合は五人の娘が続いた後に、長男を授かっている。モルテールンは女腹、などという風評は、起きて当然なのだろう。
だがしかし、迷信を信じない者も居る。そもそも、最後に生まれた長男が、他ならぬ龍殺しの英雄ペイストリー。彼一人が生まれただけでも、モルテールン家の娘たちが女腹という風評を吹き飛ばす。モルテールンの男児がとてつもなく強い印象を残すので、上の姉たちの印象が霞むのだ。
モルテールン家に生まれた娘を妻にしたボンビーノ家であれば、それをよく知っているだろう。むしろ、ペイストリーのような息子を欲しがっているかもしれない。
ならば、男児が生まれるまで、という言葉の説得力も増す。
他にも反論が幾つか上がるものの、それぞれ諭されて勢いを無くしていった。
「では、この前提が満たされるとして、モルテールン家の提案はどう思うか」
王の下問に貴族たちは、一斉に押し黙る。
モルテールン家の提案には、幾つかの有力貴族が絡んでいるからだ。
東部の領地貴族に強い影響力を持つフバーレク辺境伯家、同じく南部では類まれな指導力を発揮するレーテシュ伯爵家、そして南部でレーテシュ家に対抗しうるただ二つの家。モルテールン家とボンビーノ家。
他にハースキヴィとリハジックが絡んではいるが、此方はおまけだろう。
どの家をとっても、決して軽んじることは出来ない家。下手な発言をしてしまうと、思わぬところに落とし穴があるかもしれない。口も重たくなる。
東部と南部の権力争いに際し、モルテールン家が出張って仲裁し、丁度いい落としどころを作った。というのが今の現状である。
表に出ている情報だけで、どこまで判断して良いのか。
「小職は、積極的に認めるべきだと思う」
「ほう」
真っ先に声を上げたのは、宮廷内部でも親モルテールン派の軍務尚書だった。
カドレチェク軍務尚書はモルテールン家とも縁戚であり、立ち位置としてモルテールンを擁護することの多い立場である。
彼がモルテールン子爵の提案に賛同することは、特に驚くようなことでは無い。
「そもそも、この提案は東部と南部でそれぞれ一家づつ、領地ごと交換しようという話。他の誰かが得をするものではなく、また損をする話でもない。ここにきて他のものが口を出すと、更に話がややこしくなる。折角上手く折り合いがつこうかという交渉を壊すとすれば、最悪は東部と南部の離反まで考えねばならん」
「国軍が居るでは無いか」
「国軍の一角を、モルテールン子爵が掌握しているのにか」
「む……」
もしも東部と南部で反乱が起きたとしたら。
鎮圧するのは国軍の仕事となるだろう。
その国軍の第二大隊はモルテールン子爵が大隊長を務めている。
また、国軍全体を見てもモルテールン家に近しい家が幾つかあり、完全に南部を敵にしてしまった場合。これらの隊が真っ当に機能するとは断言しかねる状況だ。
また、東部のフバーレク伯もカドレチェク家と親しい軍家。国軍の中には東部閥と縁故の強い者も大勢在籍している。これらがいざ敵に回るとするのなら、悪くすれば国軍が麻痺する事態もあり得た。
最悪の最悪を考えるとするなら、東部と南部の反乱に合わせ、国軍の一部がクーデター紛いに同調する可能性すらある。
大して中央に影響のないことであれば、認めるべきでは無いか。
多くの意見は集約してまとまっていく。
最後に、国王カリソンが結論を出した。
「やはり、ここは認める方向で動くしか無かろう」
宮廷は、俄かに慌ただしくなる。
祝 400話!!