398話 相対陣営
フバーレク伯は、自領でじっと考え込んでいた。
沈思黙考は珍しいことでは無いが、それでも長い時間そうしていれば部下は不安にもなる。
「何を考えておられるのです?」
「……モルテールン家からの提案だ」
今回、ボンビーノ家に子供が生まれるという話から端を発したレーテシュ家との衝突。
レーテシュ家とフバーレク家の双方に強い影響力を持ち、かつ当事者であるボンビーノ家と近しい縁戚という立ち位置のモルテールン家が、介入してきた。
貴族家同士のトラブルに、他家が仲裁に入るというのは珍しい話ではない。外務貴族などはそれが仕事でもある。
しかし、モルテールン家は軍家だ。
全くの専門外のはずであるのに、介入してきたのだからフバーレク伯は驚きもした。
モルテールン家の提案は、実によく出来ていた。
勿論、当初の目的であったボンビーノ家との縁組と比べれば得られるものが少なくなる。
だが、フバーレク家として必要十分な利益は確保されている上に、将来性を考えても十分検討価値のある提案だった。
単体でも見ても一考の余地は有る。
レーテシュ家とこのままガチンコで争い合うデメリットが無くなるということも併せて考えるならば、かなり魅力的な提案のように思えた。
「ああ、あのハースキヴィとリハジックの交換案」
「そうだ。考えるにつけ、実によくできていると感心していたのだ」
フバーレク伯としては、受け入れるに無理のない内容である。
また、レーテシュ家にも十分配慮されている内容であったし、ボンビーノ家もそれなりに得るところの有るものだった。
若干、ボンビーノ家の利益が少ないようにも思えるのだが、そこはモルテールン家との間で何がしかの密約でもあるのだろう。
領地の差配は、王家も絡む。
普通ならば思いついたとしても提案など出来ないだろうが、そこはモルテールン家。王家には強いパイプもあるし、何より先だっての国王による褒賞問題があった。
国家に対して貢献大なるペイスに対して王は褒美を与えようとし、ペイスがそれを即座に断ったという事件だ。
結局、ペイスは然程大きなものは受け取らず、称号と名誉のみを受け取った。
これが、今活きてきている。
領地と爵位まで与えようとしていた相手からの、領地交換の要望。
これは、王家としてもペイスに対する貸し。いや、借りの精算となる。
ケチな王である、などという風聞も心配せずに済むし、そもそも領地交換ならば王家の懐は痛まない。
王家が提案を呑む公算は大だ。
「南部に対して、血縁を増やすという目的も果たせますな」
「ああ」
今回の騒動でフバーレク伯が狙っていたことの一つが、南部への血縁強化。それによる影響力の拡大だ。
最近右肩上がりで景気のいい南部は、フバーレク伯としては美味しい肉に見える。
モルテールン家と強い血縁を持ち、そのおこぼれにあずかれている現状、ここで更に別のルートで南部に血縁者を増やしたいと思っていたのだ。
現状東部閥としてルーカスとも面識があり、かつリコリスを通して多少の血縁を持つハースキヴィ家が南部に戻るというのなら、百パーセント満足とまでは言わずとも、合格点以上で納得できる内容ではないか。
「しかし、リハジック家とハースキヴィ家はこの案を飲みますか?」
「問題はそこだが……、恐らくペイス殿は勝算が高いとみているのだろうな」
「閣下はどう見ますか?」
「勿論、受け入れるとみる。リハジック家は借財が嵩んで没落気味だ。ここで心機一転というのなら、悪い話では無かろうよ。土地を担保に借りている借財を、モルテールン家が責任をもって引き受けてくれるというのなら利益しかない。リハジック家の当主は小狡い男だし、利に敏い。ついでに言えば、上昇志向の強い男にとっては、東部の火種の多い土地というのは、功績のあげ甲斐もある魅力的な土地に映るだろう。名誉挽回の機会が多いというのなら、自分の力量に自信がある男にとっては得だと映るはずだ」
「ふむ」
「ハースキヴィ家にとっては、元々慣れ親しんだ南部に戻るのだ。不安は無かろう。それに、幾ばくか土地が削られてる子爵領となれば、準男爵家の身代としても丁度いい。大きすぎない程度に大きいわけだからな。それに、妻同士仲のいい姉妹で隣同士になるというのだから、武力衝突に気を遣うことも減るだろう。争いごとの苦手な当主にとっては、軍備にかける費用を低減できるというのなら旨味も大きかろうよ」
「なるほど」
勝手に領地替えを決められてしまったハースキヴィ家とリハジック家についても、問題ないと判断するルーカス。
金に困っていて手柄を欲しがっている子爵家と、敵国との衝突を嫌がっていて安定を欲している準男爵家。
それぞれ、交換することでお互いに望ましい状況になるのだ。仮に細かい条件でもめるとしても、合意に達する見込みは相当に大きい。
「そして、レーテシュ家」
「女狐も、うちとの正面衝突は望むところではなかろう」
「まあ、そうでしょうが」
「そもそもリハジック家は、レーテシュ家にとっては政敵。ボンビーノ家とリハジック家が争った際にはボンビーノ家に肩入れしているし、恨みも買っていよう。いざとなれば敵に回りかねない目障りな相手が、遠くの土地に移ってくれるというのだ。気分は良かろう」
「それは確かに」
「代わりにやってくるのは、かつて面倒を見ていた子分だ。自分の手駒に出来る可能性も高いとなれば、ボンビーノ家を諦めたとしても、十分に満足できる成果を得られる」
「……それは確かに」
レーテシュ伯爵家にとっても、悪い話ではないとルーカスは考える。
どのみち、ボンビーノ家を取り合うとなればどこかで正面切っての争い。最悪は戦争まで起きかねないところだったのだ。満点とまではいかずとも、合格点以上の成果を得られるというのなら妥協するはずだと考える。
レーテシュ伯は、打算の出来る賢い人間だ。ならば、このままぶつかり合って最悪の場合を考える。つまり、戦いによってレーテシュ家が大きく傷つき、結局何も得られない結果に終わるという可能性だ。
フバーレク家は東部の大家。南部の大家であるレーテシュ家の方が多少は分がいいとは言え、実際に争ってしまえばどちらに勝敗が転ぶかは分からない。
実際に戦ったとして、ルーカスは簡単に負けるつもりもないし、フバーレク家が勝つ可能性も十分有る。レーテシュ伯からすれば、有利とはいえ危険な博打だ。保守的な彼女の性格からすれば、ギャンブルはしないとみる。
結局、誰にとっても十分利があり、少しづつ不満が残る。
「今回は、痛み分けと言ったところか」
「さようですね」
利益はきちんと得られた。
フバーレク伯は、満足げに頷くのだった。
◇◇◇◇◇◇
レーテシュ伯は、歯ぎしりを堪えながら部下や夫と話し合っていた。
会話の内容は、勿論先のフバーレク家との衝突と、それに介入してきたモルテールン家の提案内容についてだった。
「してやられたわね」
「そうでしょうか?」
レーテシュ伯の悔しそうな言葉に、部下のコアトンは不思議そうな声で問う。
モルテールン家からの提案自体は、取り立てて難しい話ではない。話の内容を整理すれば、皆が皆、少しづつ妥協しましょうという話だ。
妥協の結果として成果を得られるのは間違いない。
レーテシュ家としても、旨味は十分ある。
「ねえセルジャン、今回一番美味しい想いをしたのは、何処だと思う?」
「一番美味しい思い?」
妻に問われて、セルジャンは少し考え込む。
「やはり、フバーレク家だろうか」
セルジャンの出した答えは、ごく自然な結論である。
モルテールン家の提案で見えてくる利益を並べたならば、最も利益を得ているのはフバーレク家になるだろう。次いでレーテシュ家。そして後継者問題で強い後ろ盾を得られることとなったボンビーノ家。並んでリハジック家とハースキヴィ家。モルテールン家は、せいぜいがボンビーノ家や衝突した二家に恩を着せることが出来た程度ではなかろうか。
説明するセルジャンは、自分の意見をさほど間違っているとは思えなかった。
レーテシュ家とフバーレク家の利益には身びいきも絡むし、満点を狙えたのに妥協せざるを得ないという感情的な評価が含まれるため、若干の上下幅は有るかもしれないが、他の家の損得に関しては十分検討できている。
「違うわね」
「なに?」
「一番利益を得たのは、モルテールン家よ」
「何故だ? あそこにどんな利益が有るというんだ?」
セルジャンは、妻の意見に驚く。
勿論、間違っていると思っているのではない。妻の聡明さをよく知るセルジャンとしては、レーテシュ伯爵として辣腕を振るう愛妻の熟慮の結果が、間違っているとは思っていない。
ただ、理解が及ばない。
一体、モルテールン家にどんな利益が有るのかが、自分には分からないのだ。
「モルテールン家は、恐らくだけど魔の森の開拓に自信を持ったのよ」
「魔の森? ああ、国軍が出張ってきている案件か」
「そう。あの坊やがきっと自分の目で確認したのよ。これから、遠からず開拓が出来ると」
「ふむ、それが今回の件と繋がると?」
「ええ。モルテールン家が魔の森を開拓する際、最も困るのは、他家の介入よ。それも、魔の森に近接する領地の、ね」
「それはそうだろうな」
「仮想の敵対相手として、リハジック家は想定されていたはず。モルテールン家とリハジック家は、因縁が有るもの」
「ボンビーノ家の一件だな」
「そう。うちも関係しているけれど、モルテールン家がいなければきっと今頃はリハジック家はボンビーノ領を呑み込んで我が世の春を謳歌していたことでしょう」
「それは分かるが」
「仮に……魔の森の開拓が出来た、としましょう」
「ふむ」
「すると、モルテールン家からボンビーノ家まで。もっと言えば海まで。一直線で結べると思わない?」
「なるほど。モルテールンからボンビーノまで。魔の森のほかに邪魔になるのがリハジックだったのか」
「そういうこと。森沿いの街道まで魔の森を通って道を延伸。その上、モルテールン、新ハースキヴィ、ボンビーノの一直線で全てが縁戚よ。海まで道を通すのも容易いでしょうね」
「ペイス殿なら、交渉で後れを取るとも思えんしな」
「さあ、どうかしら。モルテールンを中心として、巨大な物流網と経済圏が出来、魔の森の開拓で生産力は天井知らず。当家に対しても、顔色をうかがうことは無くなるという寸法ね」
妻の説明を聞いたセルジャンは、納得と共に畏怖を覚える。
それは、深謀遠慮の方策を見破った妻の賢さに対してであり、神算鬼謀をもって周囲を翻弄するペイストリーに対してだ。
その上で思う。もしかしたらば、フバーレク家にボンビーノ家の嫁が懐妊したことを伝え、それとなく自分たちと反目させるように絵を描いていたのではないかと。
一体、どこからがあの少年の謀であったのか。
敵にするとどこまでも恐ろしい相手。
「やはり、敵には出来ないわね」
「そうだな。ここでこの話をご破算にしても、最悪の場合はフバーレクとモルテールンの両方を敵にしてしまう。モルテールンが動けば、ボンビーノ家まで敵になるかもしれない。全部を敵に出来ない以上、どこかで妥協は要る。ならば最初から妥協をして、関係をこじれさせないほうが良い」
妻の、呟くような言葉。セルジャンは、不本意さのにじみ出る意見に、大いに同意する。
自分たちの一枚上手をいき、何処までもモルテールン家の躍進を加速させ続ける銀髪の少年。
敵にして、簡単に勝てる相手とも思えない。
「幸いなのは、向こうからこっちに寄って来てくれていることかしら。まだ、うちに遠慮が見える」
情報分析を得意とするレーテシュ家である。モルテールン家が、外交方針を変えているであろうことは既に承知済み。
八方美人の様な外交から、明らかに地縁や血縁を主体とする外交に代わっている。
今回も、それだ。一見すれば全部に良い恰好をする外交に見えるが、血縁と地縁をモルテールン家に都合がいい形でより強める結果に終始している。
実に強か。そして、堅実。
これは、レーテシュ家としては良いことだ。
モルテールン家の地縁というなら、地続きでご近所になるレーテシュ家を無視はしない。出来るだけ良好な関係性を保とうとするはず。
レーテシュ家にはレーテシュ家なりに、モルテールン家に対して関係を持つだけのメリットを提示できている。
「味方にするのであれば、やはりもう少しモルテールン家と縁を深めたいわね」
「ふむ、それは分かるが、実際どういう手がある?」
「……ま、ちょっと考えてみるわ」
今後の対モルテールン家の外交。
難しいかじ取りになりそうだと、レーテシュ夫妻は悩みを深めるのだった。