387話 食事
蜘蛛の討伐された跡地。
大龍がもっしゃもっしゃと食事をする脇では、必死に動く兵士たちが居た。
「こっちだ、まだ生きてるぞ!!」
「よし、いいぞ!!」
彼らがしていたのは、行方不明者の捜索。
戦友を助けるのは当然とばかりに張り切り、蜘蛛の居たあたりを懸命に捜索していたのだ。
その甲斐あってか、蜘蛛の巣と思われる地面の穴の中に、まだ息のある兵士が見つかった。
「ペイストリー様、行方不明者が一人見つかりました!!」
「様子はどうですか?」
「太ももに大きな噛み傷。胸元から出血。かなり危険です!!」
行方不明者だった一人は、容体が非常に悪いと判断される。
一番大きく目立つのは、胸元の血。さっきから血を止めようと救助者も試みているのだが、血の止まる様子を一向に見せない。
更に、太ももからも出血している。
大腿部にも胸部にも、大きな動脈が存在している訳で、太い血管が切れてしまっていれば、出血によって大事に至るのは時間の問題。
細かいところで言えば、引きずられたのであろう擦過傷は数えきれない。あちらこちらに大小の擦り傷が付いていて、それも血がにじんでいる。
総じて血だらけであり、命に係わる重傷と判断せざるを得ない。このままだと行方不明者カウントが減る代わりに、死者数カウントが一つ増えかねないだろう。
「僕が見ましょう」
ペイスは、冷静だった。
明らかに襲われた跡の残る兵士に対して、そっと近づく。
様子を見たところで、懐からお菓子を取り出した。
「さあ、この飴を舐めなさい」
兵士の口の中に飴を放り込みつつ、ペイスはこっそりと【治癒】の魔法を発動する。
現代的な医学知識を齧っているペイスは、本家の【治癒】よりも効果の高い魔法が使えるのだ。出血の治療というのも、過去に経験しているもの。
「おお!!」
「凄い!! 治っていく!!」
「流石ペイス様!!」
藁にも縋る思いで、魔法擬装用の飴を舐める負傷兵だったが、魔法の効果は劇的である。動画を十倍速にしているぐらいの勢いで、みるみると傷口がふさがっていく。見ていて気持ち悪いぐらいに蠢く治り方だ。
兵士たちは騒がしいが、ペイスはじっと魔法を掛け続ける。感染症や毒と言ったものの可能性も考慮した、入念な治療のためだ。
「体は動きますか?」
「……はい、何とか。ありがとうございます」
「礼は不要です。部下を助けるのは上官の務め。よく頑張りましたね」
「はいっ!!」
魔法というものの持つ力は、人知を超える。
死の淵に片足で立っていたような容体であっても、無事に生還の道に引っ張り込むことが出来た。
負傷していた男は、ペイスの言葉に目を潤ませながら感謝した。
よかったよかったと、明るい雰囲気になる連合軍。
「流石はモルテールン卿であるな。その飴、もしかして体の傷が治る飴なのだろうか」
国軍大隊長は、目の前の事実を見て興味を惹かれた。
明らかに重傷。それも、もう助からないと覚悟するような傷の人間が、ほんの数秒で回復したのだ。これに興味を持たない訳がない。
魔法という、人知を超えた能力を持つ人間が実在する世界。バッツィエン子爵は、現代人より柔軟に起きた出来事を受け取る。
受け取ったからこそ、強く興味を惹かれるのだ。
「ははは、まさかそんな。多少の薬効は有りますが、そのような効果があるなどありえませんよ」
「しかし……いや、卿がそういうのであれば、そうなのだろうな」
「閣下は何も変わったことは見ていない。その代わり、今回の作戦では今後も同じように動く。如何です?」
「なるほど、部下たちも万が一の時には傷を癒してもらえるというのなら、心強かろう。心得た。小官は何も見ておらん」
どんな家であっても、秘密の一つや二つはある。
バッツィエン子爵は、今しがた目の前で見た魔法のような光景を、すっと心にしまい込んだ。
魔法の飴などというものが公になれば、騒動の種になりかねないと思ったからである。
「ところで、そろそろ詳しく調べましょうか」
「む、そうだな」
既に、いつの間にか明け方近くになっていたのだろう。
空が白み始めたところで、だんだんと辺りの“惨状”がはっきりと見えて来た。
巨大な蜘蛛の死骸が、細かくちぎられて散乱しているのだ。小さくて食いでの無い部分を捨てたのだろうと思われるが、巨大で“あった”蜘蛛の躯は、今や見るも無残な有様。
唯一、頭はそのまま残されていた。
蜘蛛だと確定できるのは、それがあるから。
独特の複眼に、獲物を食らう強靭な顎。顔中が毛むくじゃらで、これだけ見ると化け物である。
尚、やらかした張本人、もとい張本龍は、お腹がいっぱいになったのかペイスの腕の中でぐうすうと寝息を立て始めている。犬ほどに大きく育った龍である。そろそろペイスに甘えるのも限界だと思うのだが、気性はまだまだ幼いらしい。
ピー助をテントに寝かせたペイスは、改めて蜘蛛の出没した付近の捜索に当たる。
「地面に穴を掘って巣をつくるタイプの蜘蛛ですか。バッチ、入口の大きさを記録しておいてください」
「分かりました」
「後は、中に入って調査継続ですかね」
「こんなもんが居るところ、歩くのは恐ろしいです」
部下の言葉に、同感だと頷く指揮官たち。
幾ら鍛えていようが、人間が捕食される側なのは明らかだ。それは、筋肉だるまであろうと、或いはお菓子馬鹿であろうと変わらない。
人食い蜘蛛が、一匹だけとは限らない。
むしろ、生物である以上繁殖の相手がどこかには居ると思っておいた方が良いだろう。
人間を襲って食らいついてくる蜘蛛など、洒落にもならない。
既に、魔の森探索での外敵想定はマックスに張り付いている。最上位の警戒態勢である。
「一応、入口の調査だけでもしておきますか」
明るくなってきたことで、蜘蛛の巣と思しき地面の穴がはっきり見えて来た。
穴というよりは、洞窟に近い。人が立って歩けるほどにデカい穴だ。入口の幅は4メートルから5メートル。決して小さいとは言えない穴だ。
入口から少しばかり覗いて確認する一行。
真下に穴が掘ってあるのかと思えば、斜めに穴が掘ってあり、奥の方はどうやら地面と平行になっているらしかった。入口だけ斜めの地下室である。
「中に入ります」
「……俺もですよね?」
「バッチは今は僕の副官でしょう。別命があるまで傍に居るのは当然です」
「うう……怖い」
化け物がいたであろう得体のしれない洞窟に、乗り込もうとするペイス。この度胸の良さは親譲りなのだろうか。
多くの兵たちが恐々としているのに比べ、平然としているペイスの異常さが際立つ。
結局穴の中には、精鋭だけで潜っていくことになる。
「デカいな」
自分も行くと言い張ってペイスにくっついて来た子爵が、呟くように口にした。
「穴が、ですか?」
「ああ。これほどに大きな穴を、蜘蛛が掘ったのだろうか?」
「そうであって欲しいと思います」
ペイスは、心底でこの穴を掘った犯人が蜘蛛であって欲しいと思った。
明らかに掘削した跡が見えることから、何かが掘り進めた穴であることは間違いない。自然に生まれた洞窟などでは無いのだ。
穴を掘った生き物と、中にいた蜘蛛が別であった場合。脅威は更に増すことになる。
例えば、穴を掘ると言えばモグラが居る。一見すると見た目は可愛い生き物であろうが、モグラも食性は肉食。或いは雑食。
ここにきて、車サイズのモグラが出ました、などとなれば問題は深刻になるだろう。モグラの餌はミミズというのが相場だが、自動車サイズのモグラであれば、人間をミミズの代わりに日替わりランチにしてもおかしくない。
人食い蜘蛛のセットメニューが、モグラの化け物。どこの怪獣映画かという話だ。
「おや?」
しばらく進んだところで、ペイス達はあるものを見つける。
「凄いですね」
そこにあったのは、蜘蛛の糸らしきものでぐるぐる巻きにされている物体だった。
幾つか転がっているのは、恐らく蜘蛛の習性として、保存食代わりに置いていたのだろうと思われる。
「鹿が丸ごと餌になってますよ」
糸の塊の一つを、松明で焼き切る。
未確認物体の中からは、半分腐りかけた鹿が出て来た。
角からみて、牡鹿であろうが、立派な体躯から成獣だと思われる。どうみても蜘蛛が保存食にしていたとしか思えないのだが、鹿一頭を丸々餌にするとなればやはり脅威だ。
「こっちは狐ですね。毛皮が一部分残ってるだけなので、多分としか言えませんが」
他の糸玉も焼き切って確認すれば、毛皮らしきものが出てきた。
毛皮のうち尻尾だけは綺麗に残っているので、辛うじてキツネの仲間だろうと察しが付く。確信が持てないのは、大半が食われてしまっている為。
どうやらこの糸玉は、蜘蛛の食い残しであったらしい。
「この分だと、ずいぶんと人間も餌にしてきたんでしょうね」
「この森に入って、知らずに一晩過ごせば、並みの兵士程度であれば餌ですね」
魔の森の、魔の森たる所以。
モルテールンの鍛えられた精鋭であっても、音もなく奇襲され、更に被害を受けたことを思えば、並みの人間ならばこの蜘蛛だけでもただの餌にされていた可能性は高い。
付け加えて言うのであれば、これでもまだまだ森の外縁部。即ち、森の“はずれ”である。森の奥には大龍が居たことは確定しているので、蜘蛛と大龍以外にも生態系を構成している生物が存在するはず。
どんな化け物が居るのか。
バッチレーは、今からでも逃げ出したくなる気持ちが湧き上がってきた。
「俺、帰りたくなってきました」
「気持ちは理解しますが、まだ調査継続しますよ。ほら、次はそっちの奴を確認してください」
「ああ、もう。こうなりゃやけだ!!」
「やけっぱちにならずに、常に冷静に」
舐めていた。
魔の森といっても、所詮は森だろうと。
違うのだ。この森は、人や大型動物すら餌にしてしまう生き物が“最底辺”に居る、魔境なのだ。
バッチレーは、この場に人間としていることの脆弱さを、急激に自覚する。
「ペイストリー様、これを」
そこで、ふと気づく。
蜘蛛の餌の残骸。
そこに残された“糸”は、引きちぎろうとしても全然ちぎれない、とても丈夫なものであることに。