358話 スイーツは春を告げる
麗らかな、晴れた日。
「新郎新婦はこれへ」
モルテールン領ザースデンでは、一組の夫婦が誕生しようとしていた。
一世一代の晴れ舞台。
モルテールン家から下賜された最高級のウェディングドレスに身を包んだルミニートと、その横でガチガチに緊張しているマルカルロの二人。
馬子にも衣装と言う言葉が有るが、二人の衣装は実に似合っている。
二人は、領主の前で姿勢を正す。
「聖なる神と精霊のお導きにより、今ここに晴れやかなる一歩を踏み出したもの達が居る。出会いは時として突然であり、時として偶然であり、時として必然である。神と精霊のお導きは、人には計り知れぬもの。この善き日、祝福をもって迎える結びの縁もまた御心の内にある。楽しい時も、苦しい時も、嬉しい時も、悲しい時も、病める時も、健やかな時も、若い時も、老いた時も、この日の誓いを忘れることなく、共に笑い、共に支え合い、共に励まし合い、幾久しく幸福と共に歩み続けんことを。新たな夫婦に、神の祝福を!!」
おめでとう、という言葉がわっと沸き起こる。
ルミには多くの女性から祝福の声が掛けられ、マルクには多くの男性から裏切り者と手荒い祝福を受ける。
「さあ、料理が出来ましたよ」
結婚式の料理を手ずから作っていたのは、勿論ペイストリー。筆頭料理人のファリエルと協力し、ヴォルトゥザラ王国で料理人が学んだ新しい料理も披露する大盤振る舞い。
モルテールンの結婚式は、領主が主体となって料理を振舞うのが伝統。
上の決めた結婚税を徴収する代わりに、払った税金以上に豪勢な料理が出てくるのが通例である。
特に今回はルミとマルクという、ペイスが幼馴染として最も親しくしてきた友人だ。
これを盛大に祝わずになんとするのか。
山盛りに盛り付けられたフライドポテトや唐揚げ。
そのままの姿で焼き上げられたターキーやチキン。
わざわざ取り寄せて料理されたボンビーノ領ナイリエ直送の海産。
朝採れたばかりの野菜を使って作られた新鮮なサラダ。
更には、こんもりと山になるほど大量に置かれたフルーツ。
そして勿論、ペイスお手製のクロカンブッシュを始めとするスイーツ。
尚、振舞われた料理の半分以上がスイーツである。
どこを見ても、よだれが出るではないか。
ザースデンっ子たちは、遠慮というものを捨て去って料理に突撃する。
新郎新婦は、特設の場所に案内されてお行儀よく座る。
ひな人形の最上段のように畏まった二人。ここに最初に声を掛けるのは、地位も高く最も親しい友人であるペイスだ。
「ルミ、マルク、おめでとうございます」
「ありがとさん」
「恥ずかしいけど、さんきゅ。ペイス」
新郎新婦が、お行儀よく座っているところへ、ペイスが顔を見せる。
料理の用意も終わったので、厨房を筆頭料理人に任せて自分は挨拶に来たわけだ。
心の底から祝える祝い事とあって、ペイスも満面の笑みである。
「二人が夫婦になるとは。実にめでたい」
いつかはそうなるかもしれない、とは思っていた。
しかし、いざこうして二人の晴れ姿を見ると、親の気分がよくわかる。
ペイスは、うんうんと勝手に納得して頷く。
先の決闘騒動の際、マルクは“瞬間移動”の魔法を見せた。
これには家中でも色々とすったもんだの議論が起きたわけだが、結局最後は「実はマルクが魔法使いの才能を隠していた」ということになった。
勿論、レーテシュ家始め真実に気づいている家は有るものの、公式的には『モルテールン家は聖別の儀式に頼らずに魔法使いを生み出している』と言うことになったのだ。
魔法の飴の情報を隠したいが、かといって使わないのも勿体ないという意見を受け、隠している魔法使いが他にも居るのかも、と思わせておくのが一番良いというペイスの説得が功を奏した形。
これからマルクは『魔法を使えることを必死に隠して一般人の振りをする魔法使い』を装っている一般人ということになる。実にややこしい。
だが、魔法の飴を多少使っても言い訳の利く状況を作れたことに、ペイスやカセロールはメリットも感じていた。
「そうそう、二人には僕からお祝いを用意しました」
自分の最も親しい友人同士の結婚。
これに祝いも贈らずに知らん顔するペイスではない。
腕によりをかけ、結婚式の御馳走とは別口でプレゼントを用意していた。
勿論、贈るのはスイーツだ。
「……シュークリームか?」
「惜しい。それはセムラと言います」
ペイスが二人に贈ったのは、セムラである。
これは、見た目としてはシュークリームのような見た目に近しい。ふんわりと焼かれた薄いこげ茶色の生地に、甘い生クリームを挟んで作るお祝いのスイーツ。
香しい、焼き立てのパンのような香りが鼻孔をくすぐり、同時に感じられる甘みを思わせる蜂蜜のような香り。ルミとマルクの記憶の中で、最も近しいスイーツを挙げるならば、やはりシュークリームだろうか。
ペイスに教えられ、シュークリームが結婚式の縁起物であることを知っているルミとマルクは、それを用意してくれたのだとばかり思っていたので戸惑いを見せる。
「このセムラというお菓子は、特別な謂れがありましてね」
「何だよ、もったいぶらずに教えてくれよ」
二人の目の前にお菓子を置き、説明を始めるペイス。
好きなことには饒舌になるのがこの手のオタクというものである。
「元々は、スウェーデンという国のお菓子でして、このセムラには“春を呼ぶ”という言い伝えがあるのです」
「春を呼ぶ?」
「そうです。折角の祝いです。縁起のいいものを贈ろうとおもい、セムラを作りました」
セムラとは、北欧の伝統的なスイーツであり、謝肉祭に振舞われるお菓子として知られる。菓子パンの一種とされることも有る食べ応えのあるスイーツであり、北欧の一部ではとてもよく知られている国民食でもある。
春を迎える喜びを表すともいわれ、春を呼ぶスイーツとしても有名なお菓子だ。
「さあ、どうぞ」
促されて、二人はセムラをぱくりと齧る。
「美味ええ!!」
「甘ええ!!」
ルミとマルクの声がユニゾンする。
彼らの驚きは、そのまま美味しいスイーツを食べ得た驚きだ。
甘いクリームと、パン生地のような柔らかい生地の組み合わせは、美味しいに決まっている。最早鉄板ともいえる組み合わせだ。餡子にパンならアンパンで、カスタードクリームにパンならばクリームパン。そして生クリームでセムラ。
どの組合わせにしたところで間違いなく美味しい菓子パンであろう。
しかし、美味しいパンと美味しいクリームが一緒になることで、更に美味しい完成された一つのスイーツになっている。
口の中でとろける様な生クリームの食感は言うに及ばず、くどすぎない甘さと、ほのかに感じるパンの塩気は絶妙の取り合わせだ。食べようと思えば幾らでも食べられそうである。
美味しい。ただただ美味しい。
マルクもルミも、化粧が落ちるのも気にせずに大口を開けてバクバクとセムラを頬ばる。
「お味はどうですか?」
「うめえ。うめえよ」
「ああ。不満があるとすりゃあ、量だな。おかわりが欲しい」
「ルミは結婚しても相変わらず食いしん坊ですね」
美味しいのでもっと欲しい、と遠慮もせずに要求するルミの態度。
昔から変わらないその姿に、ペイスは微笑ましさを感じる。
幼馴染二人。美味しいものを食べて、心からの笑みを浮かべる二人。
このまま幸多かれと、心から願うペイス。
モルテールンに、春がやってきた。
これにて31章結
お楽しみいただけたでしょうか。
最初期から出てきていた幼馴染ということで、作者としても感慨深く思います。
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賑々しく執り行われた慶事。
しかし、その陰には良からぬ動きが蠢いていて……
次章 『スイーツと冷たい関係』
お楽しみに